第二百八十五話「割れた香水瓶と、執事の『散り際の美学』」
その日の午後、王城のサロンで、執事オスカーは、隣国からの賓客への贈呈品である、王妃特注の、極めて高価な香水の瓶を運んでいた。しかし、緊張と不運が重なり、オスカーは滑って転び、香水瓶を大理石の床に叩きつけてしまった。
香水は、床一面に飛び散り、一瞬で蒸発し始める。その芳醇な香りは、王城全体を包んだが、オスカーにとっては、「二度と取り戻せない失敗」という、苦い絶望の匂いだった。
◆
「ああ、姫殿下。申し訳ございません。私の、取り返しのつかない失敗でございます。この香りは、もう二度と、瓶には戻りません」
オスカー執事は、床に飛び散った香水を見て、自己嫌悪に苛まれた。その場にいたメイドのエマも、オスカーの自尊心に誇りが傷ついたことに、心を痛めた。
◆
シャルロッテは、モフモフを抱き、その香りの中心に立った。彼女の目には、飛び散った香水が、「失敗という名の、美しい散り際」を演じているように見えた。
「オスカー、泣かないで。この香り、とっても綺麗だよ!」
シャルロッテは、「失われたものに執着するな。その瞬間の美しさを創造せよ」という哲学を実践した。
◆
シャルロッテは、風属性魔法を応用し、床の上の香水の液体を集めることはしなかった。彼女の魔法は、香水の蒸発速度を操作し、香りが空間全体に、最も長く、優雅に留まるように調整した。
次に、シャルロッテ姫殿下は、光属性魔法を応用した。彼女の魔法は、香水の分子に、虹色の光の粒子を纏わせた。
「ね、オスカー。香水はね、瓶の中にあるよりも、みんなの心の中に入った方が、ずっと香りが続くんだよ!」
◆
床に飛び散った香水は、単なる液体ではなく、優雅で、温かい光の雲となり、サロン全体を包み込んだ。その場にいた人々は、香りの分子が、自分の記憶に、「姫殿下の優しさと、失敗の美しさ」という、新しい意味を刻み込むのを感じた。
オスカー執事は、その光景を見て、自分が犯した失敗が、「王城全体への、愛の贈り物」へと昇華したことに気づいた。
「姫殿下。私は、『覆水盆に返らず』という、絶望の言葉に囚われていました。しかし、姫殿下は、『飛び散った香水にこそ、新たな美が宿る』と教えてくださいました」
◆
エマは、オスカーの誇りが修復されたことに、心から安堵した。
シャルロッテ姫殿下は、にっこり微笑んだ。
「えへへ。だって、失敗ってね、誰にも真似できない、最高の美学なんだもん!」
姫殿下の純粋な哲学は、「取り戻せない過去」への執着を断ち切り、「今ある、この一瞬の美しさ」を創造するという、新しい知恵を王城にもたらしたのだった。




