第二十七話「大食堂の温かい灯と、パンのかけらの秘密」
その日の夜、王城の大食堂は、いつものように温かい灯りに包まれていた。ルードヴィヒ国王夫妻と、五人の子供たち、家族全員が食卓を囲んでいる。豪華な料理が並ぶが、家族は皆、それぞれの公務や学業の疲れからか、口数は少なかった。穏やかながら、どこか張り詰めたような、大人特有の静けさが流れている。
シャルロッテは、お気に入りのふわふわのパンを手に取った。彼女は、スープに浸して食べるのが大好きだ。
「えいっ」
小さな手で、パンを割ろうとした、その時。パンの小さなかけらが、ちょっとした弾みでテーブルの下へと転がり落ちてしまった。
シャルロッテは、一瞬顔を赤らめたが、誰も気づかないだろうと、そっと手を元に戻した。
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しかし、その小さなパンのかけらは、テーブルの足元近く、ルードヴィヒ国王の足元へと転がっていった。
ルードヴィヒ国王は、第一王子アルベルトと、隣国の外交問題について議論している最中だった。彼は、一見、会話に完全に集中しているように見えた。
だが、会話が途切れない、ごくわずかな沈黙の瞬間。国王は、テーブルの下でさりげなく、パンのかけらを拾い上げた。彼は、娘に恥をかかせないよう、そのかけらを自分の膝元で、静かに懐紙に包んだ。全ては、会話の流れを一切乱すことなく、一瞬の動作で完了した。
王妃エレオノーラだけが、その一連の父の動作に気づき、優しく微笑んだ。
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同時に、兄たちも、妹の小さな失敗を、無言の愛情で包み込んだ。
シャルロッテがパンを落とした瞬間、アルベルトは妹が一瞬顔を赤らめたのを見逃さなかった。彼は、すぐに外交の話題から離れ、妹の好きな「城下町の新しい可愛い雑貨」の話を振り、妹の意識をそらした。
「シャル、この間、仕立て屋のヨハンが、新しいフリルの生地を入れたそうだよ。イザベラと一緒に行って見たらどうだ」
妹の失態に気づいていなかったフリードリヒも、兄と妹の間に流れる、わずかな緊張感を察知した。彼は何も言わずに、自分の皿に乗っていたパンを多めに割って、妹の皿の端にそっと寄せた。
「これは俺の分だけど、シャルも食べろ。今日は訓練で疲れたから、俺は少なくていい」
嘘だった。
彼は、今日の訓練で消費したカロリーを、取り戻さなければならないほど空腹だった。しかし、「妹のパンが足りないのではないか」という、無言の気遣いが、彼にそうさせたのだ。
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シャルロッテは、家族全員の温かい気配りの連鎖に、気づいていた。
父がパンを拾い上げたこと。
兄たちが、自分の失敗を気遣って、話題を変えたり、パンを分けてくれたりしたこと。
豪華な料理や、父の公務の話よりも、この「パンのかけら」に隠された、小さな、目に見えない愛情の連鎖こそが、彼女の心を最も満たした。
彼女は、この家族は、自分がどんなに小さな失敗をしても、優しく、そして誇りを傷つけずに守ってくれる、という揺るぎない確信を得た。
シャルロッテは、皿に寄せられたフリードリヒのパンを一口食べ、ルードヴィヒ国王の顔を見て、にっこり笑った。
「ありがとう、フリードリヒ兄様! パパも、ママも、みんな大好き!」
ルードヴィヒ国王は、娘の笑顔に目を細めた。彼は、懐紙に包んだパンのかけらを、誰にも見えないように、そっと胸ポケットにしまった。
王城の大食堂の温かい灯りは、今日も家族の深い絆を優しく照らしていた。




