第二百六十七話「古い風鈴と、夏の終わりに消えた『銀の砂の記憶』」
その日の午後、王城の誰も使わない、裏庭の古い離れ家は、夏の盛りを過ぎた、静かでけだるい空気に満ちていた。軒下には、錆びついた金具に吊るされた古いガラスの風鈴が、風もないのに、ごく微細な、寂しげな音を立てていた。これも昔、極東のあるキャラバンが持ち込んだものだ。
シャルロッテは、モフモフを抱き、その風鈴の音に、強いノスタルジーを感じていた。それは、この場所での記憶ではない、遥か遠い、前世の記憶の残滓だった。
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風鈴の音は、シャルロッテ姫殿下の心に、「過ぎ去った時間」という、切ない感情を呼び起こした。それは、もう二度と戻らない、夏休みの、無邪気で、しかし孤独だった日々の記憶だ。
「ねえ、モフモフ。この風鈴の音、なんだか、切ない匂いがするね」
そこに、アルベルト王子が、妹の様子を心配してやってきた。
「シャル、この風鈴は、単なる古い道具だ。そんなに深く、思い悩むことはない」
「ううん、違うよ、兄様」
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シャルロッテ姫殿下は、風鈴に、光属性と時間魔法を融合させた。
彼女の魔法は、風鈴の「音」を、「過去の情景」に変換する装置となった。風鈴が鳴るたびに、周囲の空気中に、一瞬だけ、色褪せた、懐かしい日の記憶の映像が、幻の光として映し出された。
映像の中には、川のせせらぎ、入道雲の影、そして、白いドレスの少女が、一人、黙々と本を読んでいる姿が映っていた。
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アルベルト王子は、妹の目の前で展開される、詩的で切ない記憶の幻影に、言葉を失った。
そして、幻影が消えた後、シャルロッテ姫殿下の手のひらには、一握りの、銀色に輝く、微細な砂が残された。それは、「過ぎ去った時間」が、「触れられる記憶」として、具現化したものだった。
「わあ! 思い出が、砂になったよ!」
シャルロッテは眩しいほどの笑顔を浮かべた。
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シャルロッテ姫殿下は、その銀の砂を、そっとアルベルト王子に差し出した。
「ね、兄様。この砂はね、悲しい記憶だけど、温かいよ。切ない思い出はね、誰かに分けてあげると、もっと可愛いんだよ!」
アルベルト王子は、妹の秘密と、その愛の深さに、涙ぐんだ。
「シャル。君は、時間の切なささえも、愛の贈り物に変えてしまうのだな」
シャルロッテの純粋な哲学は、「過去の喪失」という悲しみを、「記憶の共有」という、最も温かい愛の形へと昇華させたのだった。




