第二百六十話「城の秘蔵の香料室と、王女が解く『憂鬱な香りの法則』」
その日の午後、王城の誰も立ち入ることができない、地下の秘蔵の香料室は、無数の香油とエッセンスが並べられ、複雑で、しかし秩序だった、繊細な香りに満ちていた。
その部屋には、王族や貴族の特注の香水を調合する、若き女性調香師、ミュリエルがいた。ミュリエルは、「究極の香り」を追求するあまり、世間の流行や、人々の単純な好みに興味を失い、「孤独な美の探求」に囚われていた。
「人間の心は、あまりに単純だ。私の創り出す、この複雑な『憂鬱の美しさ』を、誰も理解できない」と、彼女は、静かに嘆いた。
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シャルロッテ姫殿下は、モフモフを抱き、その香料室を訪れた。彼女は、部屋全体を満たす、「美しすぎるがゆえの、悲しい孤独」という、ミュリエルの感情の香りを感知していた。
「ねえ、ミュリエルお姉様。この部屋、悲しい匂いがするよ」
ミュリエルは、姫殿下の言葉に驚き、彼女の「嗅覚」が、香りの奥の感情を読み取ったことに気づいた。
シャルロッテ姫殿下は、ミュリエルが創り出した、最も複雑で、静謐な「孤独の香り」の前に立った。それは、彼女の技術の結晶だったが、誰にも理解されない香りだった。
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シャルロッテ姫殿下は、その孤独な香りに、光属性と変化魔法を融合させた。
彼女の魔法は、香りの分子構造を変えるのではない。彼女の魔法は、その香りの「受け取り手」を操作した。
「お姉さんの香りはね、『誰もいない一人ぼっちの心』の時に嗅ぐのが、一番可愛いんだよ!」
シャルロッテ姫殿下は、ミュリエルに、「孤独の香り」を、「誰かと分かち合う、純粋な愛」へと転用することを提案した。
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ミュリエルは、妹の助言に従い、その「孤独の香り」を、王城で最も孤独に悩む人々(たとえば、夜警の衛兵、夜勤の書記官など)の部屋に、ごく微量だけ、秘密裏に施した。
孤独な人々は、その香りを嗅いだ瞬間、「自分と同じ、孤独な魂が、遠くから優しく寄り添ってくれている」という、温かい錯覚に包まれた。彼らの心の中で、「孤独」が、「静かな安らぎ」へと変わった。
その香りは、「誰も見ていない場所にも、愛は存在している」という、温かいメッセージを伝達していたのだ。
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ミュリエルは、自分の香水が、「芸術」ではなく、「愛の伝達装置」として機能したことに、涙ぐんだ。
「姫殿下……私は、香りの美しさばかりを追い求め、香りが持つ『心と心を繋ぐ力』を忘れていたわ」
シャルロッテ姫殿下は、にっこり微笑んだ。
「ね、お姉様。一番美しい香りってね、誰かの心を、そっと温めてあげる匂いなんだよ!」
シャルロッテ姫殿下の純粋な愛の哲学は、「孤独な芸術の追求」を、「普遍的な愛の奉仕」という、最も温かい形で昇華させたのだった。
 




