第二十一話「家庭教師と、規格外の魔法レッスン」
その日、シャルロッテは初めての魔法の家庭教師を迎えた。教師の名はローラン。王立学院の若き講師であり、マリアンネのお気に入りの研究仲間でもある。彼の専門は、魔力の基礎制御理論だ。
ローランは、薔薇の塔の広々としたテラスで、緊張した面持ちでシャルロッテに挨拶した。目の前の王女はわずか5歳だが、その魔力は王族の中でも最高クラスだと聞いている。
「シャルロッテ殿下。本日から、私が魔法の基礎を教えさせていただきます」
「わあ! よろしくお願いします、ローラン先生! わたし、魔法、楽しいから大好き!」
シャルロッテは、モフモフを膝に抱き、キラキラした瞳でローランを見上げた。
◆
最初のレッスンは「照明魔法」の練習だ。
「よろしいですか、殿下。まずは、手のひらに魔力を集中させ、レモン大の、優しく安定した光の玉を作り出すことから始めます」
ローランは、手のひらに青白い、完璧な光の玉を作り出してお手本を示した。
「はい!」
シャルロッテは、言われた通りに魔力を集中した。彼女の全身から虹色の魔力が溢れ出す。
「魔力は、優しく、優しく……」
次の瞬間、シャルロッテの手のひらから飛び出したのは、レモン大どころではない。直径50センチほどの、七色に輝く太陽のような光の塊だった。光はあまりに強く、テラス全体が一瞬で真昼のように明るくなった。
「わあ!」
シャルロッテは、その光の美しさに目を輝かせた。
ローランは、思わず持っていた教材を落とし、眼鏡を直した。
「ひぃっ……と、殿下! 安定はしていますが、少々、魔力の出力が規格外でいらっしゃいます! 魔力を、ほんの少しだけ、砂糖一粒分ほどに抑えてみてください!」
「うん!」
シャルロッテが「砂糖一粒分」ほどに抑えると、今度は直径20センチほどの、温かいオレンジ色の光の玉が生まれた。しかし、その光は、テラスの照明ランプの魔力をすべて吸い取ってしまい、ランプは消えてしまった。
「ああ、魔力の色がオレンジになったね! 秋みたいで可愛い!」
「可愛らしいですが……殿下。他所の魔力を吸い取るのは、中級の応用技術です! そして、まだ基礎レッスンの段階です!」
ローランは、汗を拭いながら苦笑いした。
◆
次のレッスンは「浮遊魔法」だ。
「では、この小さなクッションを、手のひらから10センチほどの高さに、5秒間だけ浮かせてください」
ローランがお手本を見せ、小さなクッションが優雅に宙に浮いた。
「はい!」
シャルロッテが魔力を込めた途端、テラスにあったクッション、ティーセット、モフモフ、そしてローラン先生自身が、一斉に宙に浮き上がった。
「わあああああ!」
ローランは、空中で手足をばたつかせた。シャルロッテだけが、地面に立っている。
「先生、どうしたの? モフモフも浮いたよ!」
「殿下、ま、魔法耐性のある私を浮かせるのは重力操作の最上級技術です! そして、クッションだけを浮かせる制御力を……」
シャルロッテは、「ごめんなさい」と言って魔力を解除した。全員がストン、と地面に落ちる。
「大丈夫! 先生もモフモフも、ふわふわで可愛いかったよ!」
ローランは、もう反論する気力もなかった。彼は、この5歳の王女に「基礎」を教えることが、いかに無謀かつ無意味であるかを悟ったのだ。
◆
レッスンは終盤に差し掛かった。ローランは、もう教本を諦め、自由な課題を出した。
「殿下。では最後に、このテラスに『世界で一番、優しい結界』を作ってみてください。誰にも気づかれないほど、優しく、繊細に」
「うん! 任せて!」
シャルロッテは、瞳を閉じ、集中した。彼女の全身から、虹色の魔力が、テラス全体を包み込むように、静かに、ゆっくりと広がり始めた。それは、光も音も伴わない、完璧な、優しい魔法だった。
数分後、シャルロッテが目を開けた。
「できたよ、先生! 世界で一番優しい結界! 優しすぎて、わたしにもどこにあるかわからないくらい!」
「本当ですか……? 私にも、何も感じられませんね……?」
ローランは、結界が張られたことを信じつつも、何も変化がないことに首をひねった。
「おかしいわね? あれ? ちゃんとやったはずなんだけど……」
「どうしたんでしょう、殿下。結界を張る前と、何も変わりませんね」
二人は、テラスから王城を見渡し、本当に結界が張られたのかどうか、一緒に首をひねった。ローランは、今回ばかりは魔力制御に失敗したのだろう、と結論づけた。
◆
しかし、その頃。王城の遠景を見渡すことができる、城下町の丘の上では、驚くべき光景が広がっていた。
そこには、白く優美なエーデルシュタット城がそびえ立っている。そして、その城全体を、虹色に輝く巨大なシャボン玉のような結界が、そっと包み込んでいたのだ。
それは、ローランが想定した「テラス」どころではない、城全体を覆う、強固にして極めて優しい、巨大な結界だったのだ。
結界が放つ虹色の光は、王城を、おとぎ話に出てくるような、可愛らしい夢の宮殿に変えていたが、ローラン先生と、結界の中心にいるシャルロッテは、その大きさと優しすぎる存在感ゆえに、それに気づくことはなかった。
テラスでは、シャルロッテが「うーん、失敗かな?」と首をかしげ、ローランが「大丈夫です、また次回頑張りましょう!」と励ます声が、平和に響いていた。