第二話「王城菜園の不思議な豊作」
春の陽射しが心地よい午後、シャルロッテは庭園を散歩していた。お気に入りのピンク色のドレスの裾を翻しながら、色とりどりの花々の間を歩く。
「今日はどこまで行きましょうか、シャル様?」
付き添いのエマが、日傘を差しかけながら尋ねた。
「んー、王城菜園まで行ってみたいな! お野菜のお花も可愛いって、マリアンネお姉様が言ってたの」
「まあ、殿下は本当に可愛らしいものがお好きですのね」
エマが微笑みながら、シャルロッテの手を取る。
王城菜園は、城の東側にある広い畑だ。王家の食卓に並ぶ野菜の一部は、ここで育てられている。専属の庭師たちが丹精込めて世話をしているはずなのだが――。
「あれ……?」
菜園に近づいたシャルロッテは、首を傾げた。
畑の野菜たちが、なんだか元気がない。トマトの葉は黄色く変色し、キュウリは小さいまま成長が止まっている。ナスに至っては、ほとんど花が咲いていない。
「どうなさいました、シャル様?」
「うーん、お野菜さんたちが、あんまり元気じゃないみたい」
よく見ると、畑の隅で庭師長のハンスが、困った顔で野菜を見つめていた。
「ハンスさん、こんにちは!」
シャルロッテが声をかけると、ハンスは慌てて振り返り、深々と頭を下げた。
「これはこれは、三女殿下! このような場所に、ようこそおいでくださいました」
「お野菜さんたち、元気がないみたいだけど、どうしたの?」
ハンスは深いため息をついた。
「お恥ずかしい限りです。今年は春先の天候が不順だったせいか、どうにも野菜の生育が良くなくて……。肥料も水やりも、例年通りにしているのですが」
「そうなんだ……」
シャルロッテは畑をじっくりと観察した。土の状態、野菜の配置、日当たり――。
前世で、大学の一般教養で学んだ農学の知識が蘇る。そして、ある可能性に気づいた。
「ねえ、ハンスさん。この畑、去年と同じ場所に、同じお野菜を植えてる?」
「えっ? ええ、そうですが……」
「もしかして、連作障害かも」
「れん、さく……?」
ハンスが不思議そうに首を傾げる。この世界には、まだその概念がないらしい。
「あのね、同じ場所で同じお野菜を育て続けると、土が疲れちゃうの。お野菜さんが必要な栄養が偏っちゃったり、病気が残っちゃったりするんだって」
「なんと……! そのようなことが……」
ハンスは驚いた顔で畑を見つめた。
「じゃあ、どうすれば……」
「場所を変えるか、違う種類のお野菜を一緒に植えるといいんだよ。あと、お豆さんとかを植えると、土に栄養が戻るの!」
シャルロッテは嬉しそうに説明を続けた。前世で「無駄な知識」と言われた雑学が、今、こんなに役立つなんて。
「それから、ね――」
シャルロッテは畑の土に手をかざした。緑色の柔らかい光が、その小さな手から溢れ出す。
「土の魔法も、ちょっとだけ使ってみるね」
土属性の魔法で、土壌の状態を感知する。酸性度、栄養バランス、微生物の活性――前世の科学知識と魔法を組み合わせれば、もっと詳しくわかる。
「この辺りは、土が少し酸っぱくなってるみたい。石灰を混ぜるといいかも」
「せっかい……?」
「えっとね、貝殻を砕いたものとか、石を焼いて粉にしたものとか」
「ああ! それなら厩舎の近くに、古い貝殻の山がありますぞ!」
ハンスの目が輝いた。
「じゃあ、それを使ってみて。あと、お野菜さんたちの配置も変えよう!」
それから数時間、シャルロッテは庭師たちと一緒に畑の改良に取り組んだ。
トマトの隣にバジルを植える。キュウリの近くにマリーゴールドを配置する。豆類は窒素を土に戻してくれるから、畑の一角に植える。砕いた貝殻を土に混ぜ込み、魔法で土壌改良を施す。
「殿下、こんなに汗をかかれて……」
エマが心配そうに駆け寄ってきたが、シャルロッテは笑顔で首を横に振った。
「大丈夫! 楽しいもん。お野菜さんたちが元気になるの、見たいな」
額の汗を拭いながら、シャルロッテは満足そうに畑を見渡した。ドレスの裾には土がついているけれど、それも気にならない。
「殿下、本当にありがとうございます……」
ハンスは感激で目を潤ませていた。
「こんな素晴らしい知識を、一体どこで……」
「えへへ、本で読んだの」
シャルロッテはごまかすように笑った。
◆
それから三週間後。
「シャル様、シャル様! 大変です!」
エマが息を切らして、薔薇の塔の部屋に駆け込んできた。
「どうしたの、エマ?」
「菜園が、菜園が……!」
慌てて菜園に向かうと、そこには信じられない光景が広がっていた。
トマトは真っ赤な実をたわわに実らせ、キュウリは瑞々しく太く育ち、ナスは艶やかな紫色に輝いている。バジルやマリーゴールドも元気に花を咲かせ、畑全体が生命力に満ち溢れていた。
「すごい……!」
「殿下! 殿下のおかげです!」
ハンスが駆け寄ってきた。その後ろには、庭師たちが皆、嬉しそうな顔で並んでいる。
「こんな豊作、見たことがありません! これも全て、殿下のご指導のおかげです!」
「えっ、でも、わたしは少しお手伝いしただけで……」
「いいえ、殿下がいらっしゃらなければ、今年の収穫は散々なものになっていたでしょう。本当に、ありがとうございます」
庭師たちが一斉に頭を下げる。シャルロッテは照れくさそうに頬を染めた。
「みんなが一生懸命お世話したから、お野菜さんたちも頑張ったんだよ」
◆
その夜の晩餐で、収穫されたばかりの野菜が食卓に並んだ。
「まあ、このトマト、とても甘いわ!」
母のエレオノーラ王妃が、驚いた顔で言った。
「キュウリもナスも、今年は格別だな」
父のルードヴィヒ国王も満足そうに頷く。
「シャル、お前が菜園を救ったそうじゃないか」
第一王子のアルベルトが、優しく微笑んだ。
「えへへ……」
シャルロッテは嬉しそうに笑った。
「シャルってすごいのね。わたしも魔法は得意だけど、そんな使い方は思いつかなかったわ」
第二王女のマリアンネが、尊敬の眼差しを向けてくる。
「お野菜さんたちと、お話ししただけだよ」
「謙虚なところも、シャルらしいな」
第二王子のフリードリヒが、くすりと笑った。
家族の温かい視線に包まれて、シャルロッテは幸せを噛みしめる。
◆
数日後、王城では収穫祭が開かれることになった。
「シャル様、このドレスをお召しになってください」
エマが持ってきたのは、淡い緑色のドレスだった。裾には野菜や花の刺繍が施されている。
「わあ、可愛い!」
「収穫祭のために、仕立て屋さんが特別に作ってくださったんですよ。『三女殿下にお似合いの、特別な一着を』と」
ドレスに着替えたシャルロッテは、鏡の前でくるりと回った。スカートがふわりと広がる。
「ね、エマ。このリボンもつけていい?」
シャルロッテが取り出したのは、小さな野菜の形をした髪飾りだった。
「まあ、それはどちらで?」
「マリアンネお姉様が、魔法で作ってくれたの。本物みたいでしょ?」
「本当に可愛らしいですわ。お似合いです」
◆
収穫祭には、城下町の人々も招かれていた。広場には収穫された野菜や果物が並び、料理の屋台が立ち並ぶ。
「三女殿下、今年の豊作は殿下のおかげだと聞きました!」
「殿下が菜園を救ってくださったんですってね」
町の人々が次々と声をかけてくる。シャルロッテは少し照れながらも、笑顔で応えた。
「みんなで育てたお野菜だもん。みんなで美味しく食べようね!」
その言葉に、人々は温かい拍手で応えた。
祭りの中心では、収穫された野菜を使った料理コンテストが開かれていた。
「シャル様、審査員をお願いできますか?」
ハンスに頼まれて、シャルロッテは嬉しそうに頷いた。
「うん! でも、わたし、どれも美味しいから、選ぶの難しいかも」
「それでは、一番『可愛い』お料理を選んでいただけますか?」
「可愛い? それなら任せて!」
ずらりと並んだ料理を見て回る。どれも美味しそうだけれど――。
「あっ、これ!」
シャルロッテが指さしたのは、小さなトマトとチーズで作られた、てんとう虫の形をしたサラダだった。
「可愛い! 食べるのがもったいないくらい!」
「ありがとうございます、殿下!」
作った村娘が、顔を真っ赤にして喜んだ。
◆
夜、祭りの最後に花火が上がった。色とりどりの光が夜空を彩る。
「綺麗……」
シャルロッテは、花火を見上げながら呟いた。
前世では、こんな楽しいお祭りに参加することもなかった。いつも勉強か、仕事の準備か、父の言いつけを守ることで精一杯だった。
でも今は――。
「シャル、楽しそうだな」
隣に立っていたアルベルトが、優しく微笑んだ。
「うん、とっても楽しい!」
「お前が菜園を救ってくれたおかげで、こんなに素晴らしい祭りができた。ありがとう」
「わたし、ただお野菜さんたちと仲良くしたかっただけなんだけど……」
「それがお前の良いところだ。見返りを求めず、ただ優しくする。本当の王族とは、そうあるべきだと、お前は教えてくれる」
シャルロッテは、兄の言葉に少し照れくさそうに笑った。
花火の光に照らされた人々の笑顔を見ながら、シャルロッテは思う。
――これが、わたしの居場所。
可愛いドレスを着て、美味しいものを食べて、人々の笑顔に囲まれて。
ただ、自分らしく、優しくいられる場所。
それが、何よりも幸せだった。