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第十九話「庭師長の問いと、花々の『本質』論」


 その日の午後、王城の広大な庭園は、春の優しい日差しを浴びて、息をのむような美しさに満ちていた。


 シャルロッテは、白いフリルと淡い水色のリボンがあしらわれた、お気に入りのドレスで庭園を散策していた。銀の薔薇の紋章が刻まれた王城の白い石壁を背景に、庭園は色と香りの饗宴だ。


 庭師長ハンス・ミュラーは、薔薇園の世話をしていた。鮮やかな深紅の薔薇、柔らかいピンクの薔薇、そして王家の紋章の銀の薔薇。一輪一輪が、彼の愛情を受けて、完璧な姿で咲き誇っている。


「ハンスさん、こんにちは!」


 シャルロッテが、モフモフを抱いて駆け寄ると、ハンスは顔中の皺を優しく緩ませて頭を下げた。


「これは、シャルロッテ殿下。ようこそ、おいでくださいました。今日の庭園は、殿下の美しさに負けじと、精一杯咲いていますよ」


「わあ、ありがとう! 本当に綺麗だね!」


 シャルロッテは、膝をついて、足元に咲くスミレの群生を愛でた。小さな紫色の花々が、春の風に揺れて、可愛らしく挨拶をしているようだ。彼女の翠緑の瞳には、花々の色彩が映り込み、キラキラと輝いていた。



 二人は、温室へと向かった。温室の中は、熱帯植物の瑞々しい緑と、珍しい花の甘い香りで満たされている。ハンスは、シャルロッテが以前助言した「魔法製氷機」のおかげで、夏の温室管理が格段に楽になったことを感謝した。


「殿下のおかげで、この珍しいランも無事に咲かせることができました。本当に、植物の女神様でございます」


「えへへ。わたし、ただお花さんたちが元気なのが見たいだけだよ」


 ハンスは、そこでふと、一つの問いを投げかけた。それは、彼が長年庭師として、植物と向き合ってきた中で抱き続けてきた、哲学的な疑問だった。


「シャルロッテ様。もしよろしければ、この老いぼれの問いにお付き合いくださいませんか」


「うん、いいよ!」


 ハンスは、一本の完璧な白い百合の花の前に立ち止まった。その花は、純粋な白さと、流れるような優美さで、見る者すべてを魅了する。


「この百合、そして庭園のすべての花は、なぜこんなに美しいと思いますか、シャルロッテ様」


 シャルロッテは、いつものように即座に「可愛いは正義!」と答えることができなかった。彼女の頭の中には、前世で学んだ「進化論」「生殖戦略」「色による昆虫の誘引」といった、科学的な理由が次々と浮かんだ。


 生き残るため?

 子孫を残すため?


 しかし、そのどれもが、目の前の花の、純粋で、無垢な美しさを説明できていない気がした。彼女は、考え込み、小さな口を真一文字に結んだ。


「うーん……わかんない……」



 ハンスは、そんなシャルロッテの様子を見て、優しく微笑んだ。その笑顔は、太陽の光と土の匂いがする、温かいものだった。


「そんなに考え込まないでくださいませ、殿下。難しいことではございませんよ」


 ハンスは、そっと百合の花びらに触れ、愛おしそうに言った。


「それはな、花が咲くことは、()()()()だからです」


「……本質?」


「ええ。この百合は、誰かに美しく見てもらおうとか、あの薔薇より綺麗に咲こうとか、そんな計算などしていないのです。結果的に昆虫を引きつけはしますが、それは副次的なものにすぎません」


 ハンスは、心底穏やかな表情で続けた。


「ただただ、土から栄養を吸い、太陽の光を浴びて、咲くことが、この花の、唯一の、そして()()()()()()()()()()()


「……!」


 シャルロッテの翠緑の瞳が、大きく見開かれた。

 彼女の心の中で、改めて前世の重いプレッシャーや、すべての知識が一気に溶けていくのを感じた。


 完璧でいよう、誰かの期待に応えよう、決して失敗しないようにしよう。


 そんな考えに縛られていた前世の自分。そして、この世界でも無意識に「誰かの役に立とう」としていた自分。


 しかし、花は、ただ「咲く」という本質を全うしているだけ。その行為そのものが、結果として最も純粋な美しさとなって現れているのだ。


「そうね、だからお花さんたちはこんなに可愛いのね!」


 シャルロッテは、心から納得した。


「可愛いは正義」の真髄は、「飾ること」ではなく、「純粋な自分であること」だったのだ。



 ハンスは、シャルロッテのその言葉を聞いて、満足そうに頷いた。


「はい、殿下。殿下がお優しく、誰かの役に立とうとなさるのは、殿下の生まれ持った本質です。そのまま、殿下らしく、健やかに咲いてくださるのが、私どもの何よりの喜びでございます」


 シャルロッテは、モフモフを抱きしめ、ハンスの温かい手にそっと触れた。


「ハンスさん、ありがとう。わたし、もっともっと、わたしらしく咲くね!」


 その後、二人は心行くまで庭園を愛でた。シャルロッテは、百合、薔薇、スミレ、そしてモフモフを、今まで以上に愛おしそうに撫でた。


 この日の交流を通して、シャルロッテは、プレッシャーのない自由な人生の次の段階――「自分らしくいることの、最も深い意味」を発見したのだった。

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