第十三話「マリアンネのお菓子と、最高の甘さの科学」
その日、王城の魔法研究室は、異様な匂いに満ちていた。焦げたバター、酸っぱい果実、そして、微かに不快な薬品の香り。
第二王女マリアンネは、研究用の白衣姿で、目の前のマカロンを睨みつけていた。
「おかしいわ。糖分の熱分解プロセスは完璧。魔法力の伝達効率も理論値通り。なのに、どうしてこのマカロンは、こんなに美味しくないの!」
彼女が作っているマカロンは、見た目は完璧だ。形は均一、色は上品な淡い灰色。しかし、一口食べると、ただ甘いだけで、あの「フワッとした幸福感」がない。
マリアンネは、シャルロッテの作るマカロンの美味しさの秘密を探るため、「甘味の伝達効率と魔法力の相関性」というテーマで研究を始めていた。理論上、シャルロッテの虹色魔力の再現は不可能だが、せめて「最高の甘さ」の科学を解明したかったのだ。
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そこに、モフモフを連れたシャルロッテが、おやつの時間だとやってきた。
「お姉様、何してるの? なんか、研究室がちょっと焦げ臭いよ?」
「シャル。ちょうどよかった。このマカロンを食べてみて。理論上、これは完璧なはずなの」
シャルロッテは、マリアンネから渡された灰色のマカロンを、恐る恐る一口かじった。
「うーん……甘いだけで、きらきらしないね」
「きらきら……」
マリアンネは首を傾げた。「きらきらしない」とは、科学的な表現ではない。
「そうよ、お姉様。このマカロンには、可愛さが足りないよ! 理論とか、糖分とかじゃなくて、この子を誰かにあげる時の、ワクワクした気持ちが足りないの!」
シャルロッテは、マリアンネの手を取り、研究室を出た。
「よし! お姉様、研究室の壁とにらめっこするのは終わり! 今日は、王城の大食堂で、わたしと一緒にお菓子作りよ!」
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王城の大食堂の厨房は、いつもより賑やかだった。シャルロッテとマリアンネが、大きなテーブルに向かい合って立っている。
「まずね、お姉様。色を決めよう! 灰色はだめ! 可愛い色にするの!」
マリアンネは、最初「このマカロンは研究用だから」と主張したが、シャルロッテの「可愛い~!」という声に押し切られ、マカロンの色はパステルピンクと水色に決まった。
「そしてね、お姉様、大事なのは、混ぜる時の気持ちだよ」
シャルロッテは、卵白を泡立てながら、マリアンネに言った。
「このマカロンが、大好きなエレオノーラ母様の、最高の笑顔になることを願いながら、混ぜるんだよ!」
マリアンネは戸惑いながらも、シャルロッテの真似をした。生地を混ぜる時、心の中で「母様に喜んでもらいたい」「シャルと一緒に美味しいものを作りたい」という、温かい感情を強くイメージした。
すると、不思議なことが起こった。マリアンネが手を動かすたびに、彼女の魔力の色である緑色の光が、わずかに生地に流れ込んでいくのが見えた。その光は、混ぜるという動作を通じて、生地全体を均一に包み込んでいく。
「これが……感情の媒介?」
マリアンネは、魔法学者としての知的好奇心と、姉としての愛情が混ざり合う、初めての感覚に驚いた。
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焼き上がったマカロンは、まるで別物だった。色はパステルピンクと水色の、夢のように可愛いツートンカラー。香りも、甘いだけでなく、心を落ち着かせるような温かい香りがした。
そこに、エレオノーラ王妃と、ルードヴィヒ国王が通りかかった。
「まあ、美味しそうな香りだわ!」
エレオノーラ王妃は、早速マカロンを手に取り、一口食べた。
「……! マリアンネ、あなた、こんなに美味しいマカロンを作れるようになったの!」
王妃は、目を細めて微笑んだ。その笑顔は、シャルロッテがイメージした通りの、最高の笑顔だった。
「これは、科学的な完璧さではないわ。愛情と、幸福感が詰まった味よ!」
ルードヴィヒ国王も、一口食べて感動の涙を流した。
「ああ! 我が娘の愛情は、金貨百枚の価値がある! エレオノーラ、このマカロンを国賓への贈答品にすべきだ!」
「あなた、また大袈裟な」と、エレオノーラは国王を窘めた。
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夜、マリアンネは研究室に戻った。しかし、試験管や古文書ではなく、新しい研究ノートを開いた。
そこには、達筆な字でこう記されていた。
「研究結論:甘味の伝達効率を最大化する鍵は、純粋な魔力ではなく、作り手の純粋な幸福感と愛情である。それを『きらきら』と表現したシャルロッテの感覚は、科学を超えた真理であった」
マリアンネは、論文の最後のページに、可愛く焼けたピンク色のマカロンのスケッチを添えた。そして、そっと眼鏡を外し、シャルロッテが使っていたピンク色のヘラを手に取った。
「最高の甘さの科学とは、愛情か……」
マリアンネは、妹の助言のおかげで、研究者としてだけでなく、一人の女性として、大切な何かを発見したのだった。
シャルロッテは、大好きな可愛いお菓子作りが、お姉様の研究の役に立ったことを心から喜び、今日もモフモフを抱きしめて、幸せな眠りにつくのだった。