09
《アシュリーは玉座に座りながら、婚約者と幸せそうに踊るフィオーレを眺めていた。今夜の彼女は、特に美しい。
婚約者の色のドレスをまとって、会場中の貴族を魅了する彼女は、アシュリーの運命を変えてくれた人だ。
あの劇場火災で、親よりも近しい存在だったエバンス侯爵夫妻を亡くしたアシュリーは、ピエトラ商会長でもあったエバンス侯爵の跡を継いで、商会長となった。
第三王子でありながらも庶子であるアシュリーが、何も持たない者である事を憂いていたエバンス侯爵が、アシュリーのために遺してくれた商会だった。
商売は上手くいったし、金は難なく稼ぐ事ができた。
だけどアシュリーは、金儲けは出来ても人生になんの希望も見出せないままに過ごしていた。
そんな薄暗闇のような人生の中で出会ったのが、片田舎から王都に出てきたフィオーレだった。
彼女との出会いは偶然だったが、彼女はアシュリーに差した光だ。天真爛漫で底抜けに明るいフィオーレに、いつも心は救われたし、そんな彼女に次第に惹かれていった。
自分の気持ちを自覚するのが遅すぎて、フィオーレは火災の時に出会ったという男と結ばれてしまい、手の届かない人になってしまったが、彼女が幸せならそれでいい。
かつてフィオーレが言ってくれたから、アシュリーの今がある。
「庶子が嫡子を出し抜いたら神に背く、だなんて。そんなの間違ってると思わない?才能がある人が上に立てばいいのに、って私思うもの」
アシュリーの護衛についていたダリルも、フィオーレに惹かれていたのだろう。
あの言葉を聞いてからダリルも変わった。
ダリルが今、騎士団長でいるのも、フィオーレが変えた未来なのだ。》
「―――あ」
パチッと目を覚ました時、マーサはたった今まで見ていた夢を鮮明に思い出した。
そうだ。
どうして忘れていたんだろう。
《恋する月の花》には短い続きがあった。
エンディングは確かに舞踏会シーンで締められたが、全巻購入者特典として、王となったアシュリーの回想がエピローグとして付いていたのだ。
舞踏会の会場で、人々を魅了するヒロインを見つめながら、彼は物思いにふけっていた。
憂いを含むアシュリーの顔に色気があって、カシアン派だったにも関わらず、思わずドキッとしたものだ。
―――この記憶に間違いはない。
どうやらマーサは、あの劇場火災でエバンス侯爵を救出した時点で、アシュリーの運命も原作とは変えてしまっていたようだ。
《ピエトラ商会長は高貴な身分を隠した若い男だが、カシアンにとって信頼でき得る人物だった》と書かれていたピエトラ商会長は、エバンス侯爵夫妻を失くした場合のアシュリーだった。
フィオーレがアシュリーと繋がっていたから、カシアンもアシュリーの商会と繋がったのだろう。
「え?――待って。まさか……」
ふと浮かんだ考えにハッとする。
(カシアンが副団長になれたのは、ダリルとフィオーレも繋がっていたから?フィオーレを想うダリルが、カシアンを副団長に引き上げたとか?)
―――いやいや。まさかまさか。
まさかマーサが、カシアンの出世の道までも絶っていたなんて、そんな事はないだろう。それはさすがに罪深すぎる。
アシアンが副団長になったのは、コネじゃないはず。実力だと信じたい。
(………アシュリーが国王になったのは、フィオーレの言葉があったから?フィオーレとアシュリーに接点がない今、アシュリーは国王にならないの?)
―――いやいや。まさかまさか。
まさかマーサが、国の未来まで変えてしまっていたなんて、そんな事はないだろう。それはさすがに考えたくない。
今ごろアシュリーは国王への階段を上っていると信じたい。
(……ダリル様も騎士団長を目指さないのかしら……)
考えれば考えるほど、不安は募っていくばかりだった。(まさかね)と否定しながらも、不安は拭えない。
今になってこんな大事な事を思い出したのは、もうニヶ月もアシュリーとダリルの顔を見ていないからだろうか。
(もしかしたら国王や騎士団長になるために、忙しくしているのかもしれない)と、昨夜は寝る前に二人の事を考えていたからだろうか。
あれほど毎日のように顔を合わせていた二人が、「少し忙しくなりそうです」の一言で、マーサの前から姿を消してしまい、一人が平気だったはずのマーサは、自分でも戸惑うくらいに寂しさを覚えていた。
マーサ商会の方はエバンス侯爵が見てくれるし、護衛だって女騎士を付けてくれている。
何も変わらないはずなのに、マーサはとても寂しかった。
(二人ともフィオーレの事が好きだったんだわ……)と夢の中のストーリーを思い出すと、悲しくなった。
今は変わってしまったストーリーだが、カシアンのように、そのうちアシュリーもダリルも、フィオーレに惹かれていくのかもしれない。
マーサは細くため息をついた。
もともと二人は国王と騎士団長になるはずの人だ。
最初から遠い存在になる人だと分かっていた。
彼らが誰を好きになろうと、マーサから離れていこうと、それは彼らの自由だ。
―――今さら悲しむ事ではない。
「マーサさん、結婚についてはどう考えているのかしら?」
マーサ商会に遊びに来てくれたエバンス侯爵夫人の言葉に、マーサは「そうですね……」と思案する。
アシュリーとダリルのいない部屋は、以前より広く感じてしまう。
「結婚したいと思いましても、婚約解消してキズモノとなってから、貴公子様達から手紙ひとつ受け取る事がなくなりましたからね……。結婚は、最初に求婚状を届けてくれた方に決めましょうか?」
「届かないかもしれませんけど」とふふふと笑いながらマーサは言葉を返した。
「まあ、先着順なのかしら?」
「そうですね。先着順です」
エバンス侯爵夫人が楽しそうに笑ってくれたので、マーサも笑顔を返す。
「このまま結婚できなくても、隣国に月の花の研究に行ってもいいかなとも思ってるんですよ。「月の花と地質との関係性を一緒に研究してもらえないか」と、研究のお誘いがあったので。お誘いの手紙をくれた研究員の方は、真面目な方じゃないかしら?文面から誠実そうなお人柄が伝わりました。近々こちらの国に来られるそうなんです」
「あら――――そう?」
「はい、そうなんです」
ほほほと二人で笑い合う。
その日の夕方、求婚状が届けられた。
(求婚状って、直接手渡しで届けられるものだったかしら?)と、マーサは目の前に立つアシュリーを眺めた。
「もう少しこちらが整ってから手紙を届ける予定でしたが、やっぱりこういう事は早く動くべきですからね。うかうかしてると、ライバル達にマーサ嬢を奪われてしまうかもしれませんから」
「あの……ライバルなど一人もおりませんので、急がれる事はないと思いますよ」
淑女らしく落ち着いて言葉を返したマーサだったが、思いのほか心は弾んでいた。
エバンス侯爵夫人がアシュリーに今日の話を伝えた事は明らかだったが、伝え聞いてすぐに駆けつけてくれた事を思うと、やっぱり嬉しかった。
アシュリーもダリルも、マーサには高貴すぎる人なので、恋愛対象者として意識しないよう気をつけてきたが、ずっと一緒に過ごしてきて、二人共がとても素敵な人だという事は知っている。
前世と今世を合わせて、恋人がいた期間はひと月もないのだ。素敵だと思っていた人に「愛しています」と言われたら、意識せずにはいられないだろう。
「あの………ありがとうございます………」
気の利いた言葉を返すことも出来ず、求婚状で顔を隠してお礼を伝える事しか出来なかった。
「もう少ししたら本当に落ち着くんです。片がついたらすぐに迎えにきますね」
にっこりと嬉しそうに笑うアシュリーの、「片をつける」とサラリと告げる言葉が、何をどのように片をつけるかは聞かないつもりだ。
きっと―――おそらく、彼は近々高い地位を手に入れるのだろう。
アシュリーからは、以前には見られなかった、支配者のオーラのようなものが溢れていた。
(あれ?でもそうなったら、私って王妃になってしまうのかしら………?私に王妃はちょっと無理かも………?)
マーサが少しずつ冷静になっていったところで、バン!と扉が開いてダリルが顔を見せた。
「まあ、ダリル様?」
「ああ、ダリル。僕の方が早かったみたいだよ。先着順だから残念だったね。
ダリルの部下の女騎士、もう少し鍛えたほうがいいんじゃない?あんなので足止めを食らうなんて、有事の際にマズいだろう?」
どんな足止めをしたのかは分からないが、マーサの護衛に付いていてくれた女騎士はダリルの部下で、女騎士がダリルに今日の話を伝えに行ったようだ。
「くそっ!」と珍しく悪態をつきながら握りしめているのは、マーサへの求婚状だろうか。
驚いてじっとダリルの手元を見つめていると、「先着順ですからね」とアシュリーに念押しをされた。