08.
門の外でマーサを待っていたのは、ダリルだけではなかった。
近くに停めたマーサ商会の馬車にはアシュリーもいた。
いつも涼しい顔で余裕の表情を浮かべている彼だが、今日はとくに機嫌が良さそうだ。口の端が上がっている。
「今日はお迎えありがとうございます。良い商談がまとまったのですか?」
「そうですね。この前舞踏会の参加を取り止めていただいてまで商談を結びに行った甲斐がありました。隣国のエドモン王もあの月の花にご満足されたようです。これからも懇意にしてくださるそうですよ」
どうやらアシュリーは、順調に新政権のための足がかりを作っているようだ。やたらとゼロの多い数字で月の花を販売しながら、隣国の要人ともついでに顔を繋げていた。
「隣国での商談予定日が、舞踏会と重なってしまいました」と言われて、舞踏会を休んで隣国まで商談を結びに行った時は、アシュリーの隣で淑女の笑みを見せているだけのマーサだったが、何か役に立っていたと信じたい。
「良いご縁が出来て良かったです」とマーサはサラリと流しておく。
「マーサ嬢こそ、今日のパーティーは気乗りしないと話してましたが、楽しかったようですね」
アシュリーに言われて、(私も喜びが顔に出ていたかしら)とマーサは頬に手を当てる。
「そうですね。思った以上に楽しかったですわ」
エイミーのかけるジュースを華麗に避けて、見事にグレンダにぶっかけてみせた。
フィオーレの言葉にはモヤモヤしたが、代わりに、カシアンを期待させるだけ期待させて落としてやった。
心は晴れ晴れとしていた。
「マーサ嬢は運動神経もなかなかのようですね。素晴らしい動きだったと聞きましたよ。護衛の出番がなくて、ダリルも残念だった事でしょう」
クックッと笑いながら言葉を返すアシュリーに、マーサはスッと真顔になる。
お茶会の様子は見られていたようだ。今日の彼が特別機嫌が良さそうなのは、今日のマーサの行動が彼にとって特別面白かったかららしい。
(ダリル様が近くにいたの?!)と、ダリルに視線を向けると、寡黙な彼の口元が珍しく緩んでいた。
「こんなにドレスが大きかったのは、ウエストじゃないと思いますよ」と、アシュリーに「こんなに」と言われながら親指と人差し指を広げられて、思わずマーサはダリルのお腹をドスッと殴ってしまった。
(話しすぎだコノヤロウ!)という恨みを込めた一発だったが、ダリルは憎らしいほどにケロッとした顔をしている。
さすが未来の騎士団長だ。殴った感覚が石だった。
殴ったマーサの手の方が痛い目に合っていた。
(ダメね。あまりにも毎日近くにいすぎて、淑女らしさを忘れてしまう時があるわ)と、痛みなどないような顔をして、痛む右手をさりげなく庇いながら、背筋を伸ばして窓の景色に視線を移す。
いつまでも黙っているマーサが、実は痛すぎて言葉が出ないだけだった事にアシュリーが気づいてくれ、湿布を貼ってくれた。
グルグルと包帯を巻かれながら尋ねられる。
「マーサ嬢は、愛人の子が正妻の子を出し抜いても、神に背くとは考えないのですか?」
「神に背くなんて……。それはそう思い込みたい人の考え方ではないでしょうか。そこに神の名を出す方が、むしろ神に失礼じゃないかなと感じています。
才能がある人が上に立つ方が、世の中平和に収まるような気がしますけど」
やり手のアシュリーが収める国は、おそらく平和だろう。
実力があるダリルが騎士団長になるのも、騎士団として正しい形のように思われる。
カシアンも剣の実力あって副団長になれるなら、それはそれでいいような気がした。
何も問題はない。
品よく席に座っているマーサが、包帯がグルグルに巻かれた右手を庇っている。
すました顔をしているが、まだ手は痛むらしい。
(本当に興味を引かれる人だ)
マーサを見つめながらアシュリーは思う。
彼女は、劇場火災の後ずっとアシュリーが探していた人だった。
実の親より近しい存在のエバンス侯爵夫妻を救った、「勇敢な女神」と噂される少女に、アシュリーは心から感謝していた。名も知らぬ彼女は、どれだけ時間がかかろうとも必ず探し出すつもりでいた。
恩を返したかったのだ。
数ヶ月後に思いがけなく彼女の方から姿を現したが、驚かされる事に「勇敢な女神」の正体は、淑女の中の淑女と噂されるイークチィ伯爵家のマーサだった。
火事場にも恐れない「勇敢な女神」は、力強く生きる平民の女性だろうと予想していただけに、(どうりでどれだけ探しても見つからないはずだ)と、あまりの意外性に、出会う前から興味を引かれてしまうほどだった。
イークチィ伯爵家のマーサは、有名な人だ。
元々淑女の中の淑女と噂される女性だったが、色恋沙汰で最近の社交界の賑わせている人でもだった。
彼女の噂話はアシュリーも聞いていた。
誰にもなびかなかった美貌の騎士カシアンを一目惚れさせた美しい人。
熱烈なアプローチの末に婚約したが、ひと月も経たずして捨てられた哀れな令嬢。
酷い仕打ちを受けたにも関わらず、廃鉱山を慰謝料とした心優しき善良な人。
「心優しいのかもしれないが、無欲過ぎて嫌味だ」と、口さがない者は噂した。
相手の男も、「騎士道精神に反する男」と噂されたが、あまり社交界に顔を出さない深窓令嬢だったために、非のないマーサの方が悪目立ちしてしまっていた。
家で嘆き悲しんでいるだろうと思っていた噂の人は、実は「勇敢な女神」であり、廃鉱山とみなされていた山で、希少な月の花を発見していた。
信仰心のないアシュリーだったが、心優しく無欲なマーサに神が奇跡を見せたとしか思えなかった。
エバンス侯爵夫妻を救ってくれた恩返しとして、彼女に軽く財産でも築かせてやろうと、商会の立ち上げに協力したが、彼女は知れば知るほど興味を引かれる人だ。
王妃と王子二人から莫大な金を引き出したら、アシュリーは身を引くつもりでいたが、結局今もアシュリーはマーサの側にいる。
彼女は、上品で善良なだけの女性かと思えば、賢くしたたかな面を見せ、見ていて飽きない人なのだ。
無欲でもないが強欲でもなく、アシュリーが販売予定額のゼロを一つ書き足すごとに、恐ろしい者を見るような目でアシュリーを見てくるので、リアクションが面白くてついゼロを足してしまう。
悪徳商売とも言えるやり方で、築いた莫大な財産を何に使うか見ていると、せっかくの財産はほとんど寄付に回していた。すました顔で、「善意で寄付をしているわけではないですよ」と断りながら、善意を見せている。
アシュリーがせっせと稼いだお金を、マーサがせっせと寄付に回していた。
そのうちに「月の花を買う」という行為自体にチャリティー要素の付加価値が付いて、面白いくらいに値段をつり上げて行く事が出来た。
予想もつかない商売の流れだった。
商売はとっくに軌道に乗っていたが、身を引く事なんて出来なかった。こんなに興味を引かれる彼女と離れられるはずがない。
先の舞踏会では、マーサに出席されると第三王子である事がバレてしまうかもしれないので、アシュリーも舞踏会を欠席してまで隣国での商談をねじ込んだ。
マーサが従兄弟をパートナーに選んだ事が気に入らなかったのも、認めるべきだろうか。
(いっそ第三王子だと打ち明けて、パートナーを申し出ようか)と何度も考えたが、今の世の中では、どれだけの身分を持っていても、庶子であれば見下されてしまう。
「才能がある人が上に立つ方が、世の中平和に収まるような気がします」
彼女がそう話すなら、アシュリーがあの凡人の第一王子と第二王子と、ついでに現在の王を退けて、頂点に立ってから身分を打ち明けてもいいかもしれない。
(謀反もありだな)と思いついた。
エバンス侯爵はアシュリーのこの思いつきを喜ぶだろう。
幸い、マーサ商会を通して、多くの高位貴族とも顔が繋がった。隣国の王や要人達も、他の王子よりアシュリーに付くはずだ。
横に座る護衛のダリルに目をやると、ダリルもマーサを見つめながら何か考え込んでいるように見える。
マーサは、庶子のダリルが剣術大会で嫡子のオーツを打ち破った事を聞いても、ダリルに失望する事なくその実力を認めていたようだ。
庶子同士という同じような立場にいる者として、ダリルの考えている事は、なんとなく分かる気がした。
ダリルもまた上に上がろうと考えているのだろう。