06.
「はじめまして。あなたがマーサさんね。今日は私の誕生日パーティーに来てくれてありがとう。
あなたにずっと会ってみたいと思ってたのよ。今日は会えて嬉しいわ。もう体は大丈夫なの?………ほら、この前の舞踏会は欠席していたでしょう?私達みんなマーサさんを心配してたのよ。―――ねえ、エイミー、ベティ、そうでしょう?」
「ええ。せっかくの舞踏会なのに、今頃どんなにお辛い思いでいるかって話してたのよ。
でも今日はパートナーがいなくても出席してくれるようにグレンダ様が取り計らってくれましたから、安心して楽しめますね」
「まあ、エイミーったら失礼よ。そんな事を言ったら、婚約破棄されたマーサさんが、パートナーが見つからなくて舞踏会に参加できなかったみたいじゃない」
「あっ!ごめんなさい。そんなつもりはなかったの」
クスクスと笑いながらマーサを貶めようとしているのは、カシアンの従姉妹に当たり、幼い頃からカシアンに恋してきたボルトン侯爵家のグレンダと、その取り巻き達だ。
マーサは今日、グレンダの誕生日パーティーに呼ばれていた。
本当は来たくなかったこのパーティーは、婚約解消前にカシアンを通して誘われたパーティーだった。
誘われたその時に参加の返事をしてしまっていたので、マーサは気乗りしないままに参加しているところだ。
一度参加の返事をしてしまった以上、カシアンと別れたからといって、イークチィ伯爵家より身分が高いボルトン侯爵家のパーティーを断る事が出来なかったのだ。
今日初めて会うグレンダ達だったが、マーサはこの日の事を前世から知っていた。
彼女達もやはり〈恋する月の花〉の登場人物だ。
グレンダのパーティーシーンは、何度読み返しても毎回苛々させられる回だったので、マーサは彼女達のことをとてもよく覚えている。
今のグレンダがマーサに見せている意地悪な顔を、マンガの中ではヒロインのフィオーレに向けていた。
今日のパーティーは、すれ違いを経てやっと再会できたカシアンが、フィオーレを誘う口実で出席したパーティーだった。
だけどグレンダは、せっかく今日の主役だというのに、幼い頃から恋しているカシアンだけではなく、周りの貴公子をも魅了するフィオーレに憎しみを向けた。
だからカシアンが見ていない隙を狙って、フィオーレを激しく貶めたのだ。
「――まあ呆れた。フィオーレさんったら全然マナーがなっていないのね。男爵家育ちだと、まともな教育がされないのかしら」
「男性に取り入るのはお上手なのに残念ね。でもそのドレスはとても良くお似合いね。田舎のショップで買ったもの?」
「まあ、エイミーったら失礼よ。そんな事を言ったら、フィオーレさんが流行遅れだって言ってるみたいじゃない」
「あっ!ごめんなさい。そんなつもりはなかったの」
クスクス笑いながら、グレンダは取り巻き達と共にフィオーレを貶めて、しまいには取り巻きの一人であるエイミーがフィオーレのドレスにワインをかけていた。
駆けつけたカシアンが「彼女は僕の大切な人だ」とグレンダにははっきり宣言してくれたが、(カシアンが贈ったドレスにワインをかけるなんて!)と苛々した事を今でも覚えている。
(今日はカシアンもフィオーレと参加するはずだし、グレンダ様に挨拶だけして帰ろう。このパーティーのシーンは別に見なくてもいいわ。一緒にいて、私もグレンダ様の取り巻きだと思われなくないし)
そう思って参加したパーティーだったが、グレンダ達の嫌味がマーサに向かっていた。
このシーンは確かに〈恋する月の花〉のシーンと同じだ。
かけられる言葉は違う気がするが、マーサやグレンダ達の立ち位置も、目の前のテーブルに置かれているお菓子の配置も同じだった。
きっとグレンダは、婚約解消されたとはいっても、いっときはカシアンの心を奪ったマーサを許せないのだろう。
それにフィオーレを虐めたくても、(さっさと挨拶して帰ろう)と早めに来たマーサと違って、カシアン達はまだ会場に来ていない。
本来ならば、今の時期はまだカシアンとフィオーレはすれ違っている頃だ。
イレギュラーなマーサの登場があったせいか、ストーリーの流れが変わってきていた。
マーサはふうと内心ため息をつく。
しょせん子供の言う事だ。相手にする必要はない。
マーサは人生二周目の大人なのだ。
ストーリー通りに「マナーがなっていない」と言われたら、相手のマナー違反を指摘するのみだが、淑女の中の淑女と言われるマーサのマナーを指摘する事など出来なかったのだろう。
マーサの着ているドレスだって、この世界のファッションセンスを磨き尽くしたマーサに「流行遅れ」と言うことは出来ないはず。
ここは軽く流してあげるのが、大人というものだ。
「グレンダ様?私が先日の舞踏会に参加できなかったのは、私が立ち上げた商会で、急な商談が入ったからですの」
「マーサさんが商会を……?ふふっ、あら。笑ってごめんなさい。
何を扱っているのかは知らないけど、うちのボルトン侯爵家は信用出来る商会でしか買い物はしないから、マーサさんの商会を利用する事はないけど、上手くいくといいわね」
「マーサさんの商会は心配だけど、私の家も買い物は出来ないわ」
「ごめんなさい。私の家もよ」
クスクスとグレンダ達は笑うが、マーサ商会で独占販売している月の花は、「欲しいから」といって気軽に買える物ではない。販売価格も販売相手も、アシュリーに一任しているからだ。
「商品の販売は、とても才能のある方にお任せしているので大丈夫ですよ。心配してくださってありがとうございます」と、グレンダ達の嫌味を流しておいた。
アシュリーには商売の才能があるのは本当だ。
彼は月の花の販売で、厳選した高位貴族達から桁違いの大金を巻き上げていた。
マーサはアシュリーのやり方に口出ししない事を決めているので、「今回はこの価格で行こうと思います」と、流れるようにゼロを書き連ねていく彼を、ハラハラしながら見守っているだけだ。
政治資金を集めているのかと思ったが、そういう訳ではないようで、「売り上げは商会長のマーサ嬢が好きに使ったらいいのではないですか」と言ってくれたので、マーサはボッタクリの大半を施設などに寄付していた。
善行から来る寄付というより、儲ける額が大きすぎて怖くなったからだ。
元々はカシアンの財産を強奪しただけに、そのうちバチが当たりそうだったので、ボッタクリの横流しをしているだけだった。
(神様。バチを当てるなら、このお金を使ったみんなに平等にお願いします)
そんな思いの寄付だったが、世間でのマーサの評判も、月の花の価値も上がっている。
マーサ商会で月の花を高額で買う事は、慈善活動にもつながるので、貴族のご婦人方にも評判がいいのだ。
マーサは「ご縁がなくて残念ですわ」と淑女らしく微笑んでみせた。
全く動じる事のないマーサが気に食わないのか、グレンダの目が険しくなった。
取り巻きのエイミーがグラスを手に持ったのを目の端に映したマーサは、グレンダと重なる立ち位置にさり気なく移動して―――エイミーの手の動きを見て、かけられるワインをサッとかわした。
グレンダの着飾ったドレスに、パシャッとワインがかかった瞬間、「やったあ!」と思わずガッツポーズをしそうになってしまったが、マーサは淑女の中の淑女だ。
「まあ!大丈夫ですかグレンダ様!すぐにお着替えになった方がいいですわよ!エイミー様も、華やかなパーティーの場で嬉しくなるお気持ちは分かりますが、もう少し落ち着かれた方がいいですわ」
マーサは必要以上に大きな驚きの声をあげて、ワインに濡れたグレンダに周囲の注目を集めて、見せ物にしてみせた。
ついでに、ワインをかけた犯人がエイミーだと皆に公表しておく。
「―――すみません。私、とても驚いてしまって……。少し具合が悪くなったみたいです。申し訳ありませんが、これで失礼しますわね………」
すぐに気を失う虚弱な淑女のように、弱々しい声で挨拶をしてみせて、会場を後にしたマーサの足取りは軽かった。
マーサは人生二周目の大人だが、大人だからといってどこまでも寛容になれる訳ではない。
(やってやったわ!)という爽快感で、スキップしたいくらいの気分だった。