24 「自分」だった頃 下
昔から、演技は得意だった。
いつも自分を包み隠して生きて来たからだろう。
その日、自分は初めて自分から部屋を出た。
外には、瑠空の母がいた。
彼女は自分を見るなり、驚いた顔をしてこっちを見た。
「向かえに来てくれてありがとう、お母さん。心配した?」
声、口調、手の角度まで、瑠空と同じようにした。
ずっと瑠空とは一緒にいた。失敗するわけもない。
すると、彼女は僕をギュッと抱きしめた。
「良かった。生きていてくれて。心配かけないでよね。」
そうは言いつつ、彼女の顔はほころんでいた。
彼女は、温かかった。
(ごめんなさい。)
そう思いながら僕は彼女の手を握り返した。
二人で手を繋いで外へ出た。
外は雨だった。
風が強く、まるで嵐のようだった。
彼女は僕に雨がかからないように、もう片方の手を僕の頭に添えてくれた。
なぜだか、それが頭を撫でてくれているようで、まるで家族ができたような気分になって、少し、
嬉しかった覚えがある。
彼女と一緒に屋敷から遠い場所へ移動していると、古い館のような白い建物が見えてきた。
「ここで、雨宿りしようか」
彼女はその建物の中に入って行った。
(何か、おかしい)
なぜか建物に違和感を感じた。
二つ付いた広い入口。
妙に長い廊下。
部屋に光はなく、どこまでも暗闇が続いていた。
(まるで、狙撃のために建てられた建物のように)
その瞬間、銃声が響いた。
「えっ?」
一瞬、時間が止まったように感じた。
僕の手にあった彼女のぬくもりが消えた。
それで、彼女が倒れたことが分かった。
彼女の胸から血が溢れていた。
それはどう見ても致命傷だった。
僕は弾の来た方向を見た。
そこには黒い服を着た人が数十人、銃を持って並んでいた。
彼らはどこか見たことがあった。
(あいつの部下か……)
彼らは何度か見たことがある父の側近だった。
まさか、父が僕を連れ戻しに来た……
「僕の……せいで」
いつの間にか足元を真っ赤な血液が溢れていた。
「お、お母さ……」
お母さん、そう言おうとしてやっと気づいた。
僕が彼女のことをそんな風に呼ぶ資格なんて何もないって。
そんな僕を見て、彼女は少し微笑んだ。
「花柳さんって呼んでいいよ。」
「えっ?」
「私の名前」
すると彼女は僕の頬に手を当て、まるで家族にするかのように撫でた。
「もちろん、気づいていたよ。瑠空じゃないって。」
それを聞いて、僕の心臓は止まったように感じた。
「えっ?」
じゃあ、なんであの時、僕の手を握ってくれたのだろう。
なんで、僕にこんな風に接してくれているのだろう。
「じゃあ、なんで……」
僕は震える声で呟いた。
「あなたは、瑠空の大切な友達なんでしょ。それだけで理由なんて十分だった。」
それを聞いて、僕の頬を冷たいものが流れ落ちたのが分かった。
彼女は、僕が瑠空の友達だという理由で僕の手を取ってくれた。僕を外に連れ出してくれた。僕のせいで瑠空が死んだというのに。
(ごめんなさい。)僕はまた思った。
その言葉は声となって出てくることはなかった。
僕にそんな言葉を言うような勇気はなかったのだ。
「何で瑠空の姿をしているのかは分からないけれど、たぶん瑠空のことだから、あなたを助けるために死んだんじゃないかって思っている。それが瑠空の望んだことなら、私はそれでいいと思う。……瑠空は、あなたが助かってほしいって言っていたから。」
「……瑠空が?」
僕はまた震える声で言った。
「うん。……だから、あなたはどこか遠くで、幸せになってほしい。それが瑠空の望みだから。」
「………瑠空」
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。)
瑠空、ごめんなさい。
僕のせいで。
また、僕のせいで。
その瞬間、後ろの扉から誰かが入ってくるのが分かった。
「……琉人」
花柳さんは今にも消えそうな掠れた声で言った。
それで、彼は花柳さんのもう一人の子供だと分かった。
すると、父の側近が彼に銃を向けようとしているのが視界の端に見えた。
(このままだと、僕はまたこの家族を傷つけてしまう)
僕は逃げるようにこの場を離れようとした。
また、誰かを傷つけてしまうような気がしたから。
だが、後ろから制止の声が聞こえた。
「待て。」
その声で、僕は足を止めた。
「絶対に許さない。お前のことを絶対に許さないからな。」
彼はそう言った。
僕は彼の方を振り向かず、今度はまっすぐ外へと出た。
顔なんて合わせられるわけがなかった。
外はまだ雨が降っていた。
雷の音が妙に耳障りに聞こえた。
もう、僕の手を握って温めてくれる人はいなかった。
昔は一人でいることが当たり前だったのに、なんで今になってこんなつらいのだろう。
(僕は、どうすればいいのだろう)
もう、罪を償っていなくなればいいのだろうか。
もう、僕がやりたいことなんて何もないのではないか。
そんな時、花柳さんの言葉が聞こえた気がした。
『どこか遠くで、幸せになってほしい。それが瑠空の望みだから』
彼女はそう言っていた。
(どこか遠く……僕はいったいどこへ行けばいいのだろう?)
どこへ行っても父から逃げられるとは思えない。
遠く……
僕は前を見た。
そこには嵐で荒れた海が見えた。
いつもは遠くに見えるその海が、今はとても近くにあった。
僕はいつの間にか海に入って行った。
三月の、まだ冷たい海に。
流されそうなほどに波が強かった。
でももう、いくら波に打たれても痛みなんか感じなかったし、もう冷たさも感じなかった。
ゆっくりと中へと歩いていく。
そこから階段のように水が動いた。
海の底へと歩いて行った。
そして最後は、扉を閉じた。
もう、外へ出れないように。
中はまるで水槽のようだった。
僕はいったい、何がしたかったのだろう。
答えなんて浮かばなかった。
代わりに浮かんできたのは世界で一番嫌いな人の言葉だった。
(お前は周りの人間を不幸にする。)
本当、その通りだった。
僕がいなかったら、瑠空は死ななかった。花柳さんも死ななかった。
全部、僕のせいだ。
僕は、どこから間違えてしまったのか。
いつの間にか、深い海の底で一人で泣いていた。
また、僕は一人になった。
ーー
「これが、僕の七年前、僕が八歳だったころのこと。聞きたいこと、他にはある?」
僕は隣にいる琉人に聞いた。
「……ない。」
彼はまっすぐと僕を見ながら言った。
憤って怒鳴られると思ったが、彼はゆっくりと僕の話を聞いてくれていた。
七年前もこんな顔で僕を見ていたのだろうか。
そう思ったが、たぶん違う。
きっと鋭い目つきで僕を睨んでいたのだろう。
当たり前だ、家族を二人も奪われたのだから。
「……ごめんなさい」
僕は七年間、ずっと言いたかったことを言った。
許されないようなことをしたことは分かっている。
でも、それでもちゃんと謝りたかった。
(この言葉が言えたから、もういいか。)
もう自分は彼に殺されても仕方がない。
むしろ、あれだけのことをしたのだからそうなるべきだ。
煮るなり焼くなり好きにしてほしい。
きっと彼は僕に恨みを込めて罵詈雑言をたたきつけるだろう。
そして僕を睥睨した目で見つめるだろう。
だが、彼の口から出てきた言葉は違った。
「……別に、構わない。」
「えっ?」
「別に構わない。……許す」
その言葉が僕には信じられなかった。許されるはずもない。
そう思って七年間過ごしてきたのだ。
「なんで? 僕は琉人の家族を二人も殺したんだよ。」
「違うだろ。悪かったのはその楓璃ってやつとお前の父親だろ。お前は別に悪くなかっただろ。」
まさか、こんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「ダメだよ。僕のせいで二人とも死んだんだよ。全部、僕のせいで」
「だから、許すっていってるだろ。」
「それって、僕が瑠空と同じ見た目をしているから?」
「……違う」
「じゃあ、なんで?」
「お前が、瑠空の友達だからだ。理由はそれだけじゃダメか?」
「えっ?」
それを聞いて、僕は花柳さんの言葉を思い出した。
『あなたは、瑠空の大切な友達なんでしょ。それだけで理由なんて十分だった。』
彼女はそう言っていた。
「どうした?」
琉人が急に僕に駆け寄ってきた。
彼は僕の頬を撫でていた。
いつの間にか、目から涙が溢れていた。
琉人が僕の涙をぬぐってくれた。
「……ありがとう」
それは僕が初めて言った言葉だった。
本当は、ずっとこの言葉を言うべきだったのかもしれない。
「別に、いいよ」
琉人は少し視線を逸らした。
その横顔が少し赤くなっているのはきっと気のせいではないだろう。
琉人は少し躊躇いながら口を開いて言った。
「今日から、お前は俺が守る。お前を苦しめる奴なんて、絶対許さないから。ずっと、一緒にいる。」
そう言って、琉人は僕を引き寄せてギュッと抱きしめた。
すごく、温かかった。
(本当に似ているなあ。)
瑠空とも、花柳さんともそっくりだ。
離れたくない、またそう思ってしまった。
――
一方その頃、僕と綾は部屋で悪江家を滅ぼす方法について考えていた。
きっとそのころから、僕と琉人さんとの道は静かに分かれ初めていたのだろう。




