22 「自分」だった頃 上
「僕の昔のことを話そうか?」
琉人は何も言わず、彼を見つめていた。
ナイフを持つ手が、カタカタと揺れている。動揺していることは間違いないのだろう。
「ああ。」琉人は言った。
それを聞いて、リアムは小さく微笑んだ。それは自分を嘲笑するような笑みだった。
「僕には昔、友達がいた。名前は〈雲龍 瑠空〉・・・・・・君の妹だ。」
そして僕は話し始めた。誰にも聞いてもらえなかった自分の過去を。
あの時自分が犯してしまった、過ちを。
自分は、小さい頃からずっと一人だった。
父も母も、自分を物のように扱った。
それが自分にとっての日常だったし、それに対して特に何の感情も抱いていなかった。
けれど、そんなつまらない日常はある日を境に終わりを迎えた。
ある日、家に一人の子供が遊びに来たのだ。
彼女は、自分に初めてできた、友達だった。
「ねえ、君、ずっとここで一人で暮らしているの?」彼女は言った。
自分は小さく頷いた。
彼女は美しい瑠璃色の髪に、虹色の目をしていた。
思わず、自分の薄汚れた黒い髪と見比べてしまうほどきれいな髪だった。
あの頃、自分は悪江家の本館で父と母と暮らしていた。
確かそのころから、自分はただ一人で、自室で閉じ込められていた。
でも、一人の頃の方がずっと楽だった。
父が自分のことを大切にしてくれたことはなかったから。
『お前の異能は周りのの人間を傷つける。だから、部屋から出てはいけない。』
その言葉が、最後に父から聞いた言葉だった。
その言葉は、何度も呪文のように繰り返され、いつまでも自分の胸に刻まれて、離れなかった。
まるで、呪いのように。
だから、自分は一人になった。
だれも傷つけたくなかったし、だれとも関わりたくなかったから。
それなのに、彼女はあの日、部屋の中に入ってきた。
母が悪江家の屋敷で働くことになり、その付き添いでやって来たと言っていた。
最初に彼女が部屋に入って来た時のことは今でもよく覚えている。
あの時自分は、誰にも入って来てほしくないと思っていた。
自分の異能は密室空間を水で満たすもので、周りの人を窒息させてしまう。
だから自分は、誰かと関わることが嫌でしょうがなかった。
いつも、人を傷つけることしかできなかったから。
「こないで。」
自分は言った。
彼女は少し驚いたように足を止めた。
「なんで?」少し間が開いて、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「誰も傷つけたくないから」
すると、彼女はニコッと笑い、そろーりと自分に近づいてきた。
「ばあ!」彼女は急に早足になり、自分をギュッと抱きしめた。
突然のことで、自分は抵抗もできずに捕まった。
「よしよし。大丈夫だよ」彼女は私の頭を優しく撫でた。
「なにが?」自分は静かに彼女を見た。
「僕が友達になってあげる」
「友達なんて必要ない」
そんな彼女の申し出を、自分はすぐに断った。
「……なんで?」彼女は首をかしげていた。
「今まで、誰も側にいない方が楽だったから」
ずっとそうだった。母も、父も、僕のことを嫌っていたのだから。
「じゃあ、私が誰かと一緒にいる方が楽しいって証明する」
「……無理だよ。自分の周りの人はみんな離れていった。君だって、いつかそうなる」
「そんなわけない。ずっと一緒にいるよ?」
彼女は自分の頭をゆっくりと撫でながら言った。
「……本当に?」
「うん。約束する」
彼女は、温かかった。そこにいるだけで、どこかぽかぽかしているように感じた。
それは、初めて感じる『感情』だった。
彼女は、瑠空という名前だった。
約束した通り、彼女はいつも私の部屋に遊びに来てくれた。
何度か外の世界に遊びに言ったような覚えもある。
初めての空は、彼女と一緒に見た。
でも、三日に一回、彼女は母親に連れられてどこかへ行ってしまう。
それが少し、寂しかった覚えがある。
「お母さん、迎えに来てくれてありがとう。」
そういった彼女の顔は楽しそうで、自分とは別の世界にいるようにも見えた。
あの時からだろう。自分が家族という分不相応なものを望んでしまったのは。
重い鉛を飲み込んだようだった。
何故か、胸の奥かズキッと痛んだ。
その日から、少し体調が悪かったような気がする。
気のせいだ、そう思った。
でも、少しずつ症状は悪くなっていくような気がした。
ある時、自分は病気で倒れた。
何日も、咳が続いていて、呼吸が苦しい。
ずっと部屋の中にいたせいで、虚弱だったせいもあるかもしれない。
その日、父が数年ぶりに部屋にやって来た。
昔に見た底の見えない黒い目が、妙に不気味に思えた。
「久しぶりだね。裏夢。大丈夫かい?」
そういった父の顔は、少し焦っているようにも見えた。
(五年以上放ってきた子供でも、死にかけると心配になるものなのか。)
やっぱり、自分は必要なモノらしい。
「よくそんなこと言えるね。今までずっと放っておいたのに」
すると、父は少し驚いたような顔をした。
「そんなわけないだろう、裏夢。ずっとお前のことを心配していたよ。今だってそうだ」
そのすぐに分かるような取り繕った笑顔が嫌で、いつの間にか父を軽く睨んでいた。
「そんな顔をするな裏夢。……そうだ、医者を呼んできた。すぐに見てもらいなさい」
すると、部屋に医者が一人、入って来た。
「彼がお前の主治医だ」
「こんにちは。来世 楓璃と申します。裏夢様、よろしくお願いします」
ずいぶん若い人だった。まだ十代後半だろう。
薄紫色の髪は、下に行くほど色が濃くなっていっているようにも見えた。
「……よろしく。」
つぶやくようにそう言って、彼を小さく睨んだ。
「裏夢、今日からこの人に体調を見てもらうといい」
そういうと父は、部屋から出ていった。
扉が音を立てて閉まるのを確認すると、部屋に残された楓璃と名乗る医者はこっちを見つめた。
「お父さん、ずいぶん優しい人だね。……君とはあまり仲が良くないのかな?」
「……別に。お互いにお互いがどうでもいい存在っていうだけ」
彼はそれを聞いて、楽しそうに微笑んでいた。
その顔に、底の見えない気味の悪さを感じた。
「……そういえば楓璃さんだっけ? 異能力は何?」話題を変えたくなり、とっさにその話をした。
この悪江家では、強い異能力を持った人間を中心に雇っている。
恐らく、この医者も何かしらの異能力者なのだろう。
「僕の異能力? ああ。人の意識を交換する異能力だよ。まあ、大して使い勝手もない能力だけれど」
意識の交換……つまり、非常に珍しい精神干渉系の能力なのだろう。
「へぇ。そうなんだ」軽く相槌を打つ。
「ふふ。あまりこのような話、関係がなかったね。じゃあ早く、診察を始めようか。……どこか体に異常はないかな?」
「特にない。……強いて言うなら、咳が出るぐらい」
「咳?……結構長く続く?」
「……日によっては一日中。」
「……まさか、君はこの部屋にずっといたのかい?」
確かに、この部屋には埃が積もっている。
数年間、自分の世話をしてくれる人なんていない。
いつの間にか部屋は埃だらけになっている。
「うん。……父が部屋から出るなって言ってたから。」
「そうか。じゃあ、君は恐らく、気管支嘆息だ。」
気管支嘆息とは気道に炎症が埃や汚い空気、ストレスなどで悪化する病気だそうだ。放置すると呼吸困難がひどくなり、最悪の場合命に関わることもあるそうだ。
「へぇ。なるほど」
「なるほどって。そこは驚いたり焦ったりするところだろう?」
「別に。……自分が死んだってそれがどうしたって感じだから。」
「安心してよ。裏夢くん。何があっても死なせるつもりはないよ。君が死んでしまったら、僕は悪江家に睨まれることになる。そんなこと絶対にしたくない。」
確かに、自分が死んでしまえば彼は恐らく首になる。物理的な意味で。
その後、いくつか薬を飲んだり、注射をした。
でも、少しづつ症状は悪化していった。
ある夜、息が苦しくてよく眠れなかった。
喉から空咳が漏れた。
苦しい。呼吸ができない。ヒューヒューという声が喉の奥から漏れる。
ゲホッと布団に咳をする。咳と一緒に血が溢れていた。
その時、外から瑠空の声が聞こえてきた。
「どうしたの? 裏夢?」
コン、コンと扉が鳴る。
久しぶりに瑠空が遊びに来てくれたことがうれしくて、すぐに返事をしようとした。
だが、喉が痛いうえ、答える気力も残っていなかった。
必死にベッドから降りようとしたが、それは降りるというより転げ落ちるようだった。
けれど、壁に凭れ掛かって必死に歩いた。
友達を待たせてしまうなんて申し訳ないと思ったからだ。
「君は?」楓璃の声が聞こえてきた。
きっと、診察をしに来た楓璃と鉢合わせたのだろう。
「私は裏夢の友達の瑠空です。部屋から返事が聞こえてこなくて。……裏夢、どうしたのでしょうか。」
「実は、裏夢は病気になってしまってね。」
「えっ? 病気?」瑠空の驚く声が聞こえた。
「ああ。今は安静にしておいた方がいいから、すまないが帰ってくれるかい?」
「はい。裏夢、大丈夫でしょうか?……私にできることが何かあるでしょうか。」
それを聞いて、楓璃は少し沈黙した。
そして、もうしばらくして言った。
「裏夢は、恐らくもう良くならないだろう」
『えっ?』自分の声と瑠空の声が重なった。
別に死が嫌なわけではなかった。
でも、死んでしまうと瑠空にもう会えなくなる。もう、遊べなくなってしまう。
それはいやだった。死はどうでもよいことだったはずなのに。
瑠空と会ってからいつの間にか死が怖くなっていたことに気が付く。
楓璃は自分の動揺を知らずに、淡々とした感情のない声で説明を始めた。
「今、裏社会では様々な物資が不足している。薬も、医療機器も、何もかもが足りていない。この状態で裏夢の体調を改善するのはほぼ不可能といっていいだろう。」
「そんな……じゃあ、裏夢は死んじゃうってことですか?」
瑠空は言った。その声は震えているように聞こえた。
「ああ。今のままならね。でも、一つだけ裏夢を救う方法がある。……君は協力してくれるかい?」
「はい。もちろん。裏夢を救えるのなら何でもします。私は何をすればいいですか?」
すると、楓璃の小さな笑い声が聞こえたような気がした。
部屋の外で、何かが光ったような気がした。
そして数秒後、瑠空の声が聞こえなくなった。
「え?……瑠空?」扉の外が妙に静かになった。
震える手で扉に近づく。
扉に手を伸ばすと、それよりも先に向こうから扉が開かれた。
そこには、楓璃が感情のない目でこっちを見ていた。
「起きていたんだね。裏夢」
その奥に、瑠空が倒れているのが分かった。
「瑠空に何したの?」自分の声は震えていた。
「安心してよ。気絶させているだけだから。」
その手にはスタンガンのようなものが握られているのが分かった。
「……なんで、そんなことしたの?」震える手をさらに強く握りしめる。
すると、彼は楽しそうな顔を浮かべた。
「なんでも何も、言っただろう? 君が死んだら私は悪江家に恨まれる。それは絶対に嫌だ。それを回避するためには、私はなんだってする。……なんだって、だ。」
その目は不気味な色に光っているように見えた。
彼がこっちに近づいて来ているのが分かった。
慌てて一歩後ろに下がる。
何をするつもりだろう。そう考えて、彼の手に何かが握られているのが分かった。
そこにあるものがなんだか分かり、小さく息を飲んだ。
そこには包丁のようなものがあった。
それでやっと気づいた。
彼の異能力は、人の意識を交換すると言っていた。
……まさか。
最悪の想像が頭をよぎった。
でも、その想像は当たってしまった。
気づいた時にはもう意識が途切れていた。
その後のことは、よく覚えていない。
起きたら、ベッドの中だった。
なぜか、違和感があった。
ゆっくりと下を見る。
その拍子に、肩から髪が垂れ下がってきた。
髪の色が、青かった。
まるで、瑠空の髪のように。
ぴちょん、ぴちょん。
どこかから音が聞こえてきた。
震える指を握りしめて、そっちを向いた。
暗闇の中で目を凝らす。
見たくなかった。
血だまりができていた。
奥にあるベッドから、血が溢れていた。
そこには、自分の体があった。
正確には、自分の体だったものと言った方がいいだろう。
血だまりに、自分の顔が映っていた。
虹色の目、青い髪。
自分は、生きていた。
そして彼女は、死んでいた。
彼女が一緒にいてくれることはもうないのだろう。
きっと、永遠に。
でもそれは、僕が犯した罪の、ほんの始まりでしかなかった。




