1-4 ずっとずっと遠くを見ている
その夜は眠れなかった。
彼の存在が、まるで風の様で。
向こうから質問はと訊いてくれて、色々と答えてくれて、また会えるかという問いに、多分と言ってくれた。
又会える。
その事を考えると気持ちが落ち着かなくなる。
彼と会って何を話したいというわけでもないのに。自分自身、彼に惹かれているという自覚があるわけでもないのに。
それでもあのまま、二度と会えなくなってしまうのは絶対嫌だと、あの時には思ってしまったのだ。
勉強の遅れと母親の信頼を取り戻す為に、夜中の三時迄必死で勉強し、次の抜き打ちテストでは以前の点数を確保。塾の先生にも母親にも、一時的なスランプだったんだと安心して貰えた。
でも実際はそうではない。彼に会う為に勉強したのだ。
彼と会っていて、勉強が疎かになるという状況を打破したかった。
別にそう言われたわけではないのだけど、彼とはいつ会えるか、逆にいつ会えなくなってしまうのかが全く解らなかった。だからチャンスがあるのであれば、勉強に邪魔されず彼に会いたいと思ったのだ。
彼は、同じベンチに座っていた。
学校が終ってから、自転車に乗り公園に向かう。
約束をしたわけではないのだけど、俺はふらりと彼の座っているベンチの横に自転車を止め、彼の隣に座る。そしてぽつりぽつりと言葉を交わす。
夕暮れが近付くと、彼はどこかへ帰って行く。
そして俺は塾へと向かう。
そんな毎日だった。
「人を、探してるんだ」
ぽつりと彼が言ったのは、出会って六日目の事だった。
それまでは彼自身の事は何を訊いても曖昧にかわされていたのに。質問は初日だけって言ったよね、とか言われて。
「この街に、居るんですか?」
訊くと彼は悲しそうな表情で、居ないと思うよと言う。
「だったら何故」
「昔。俺はこの街に住んでたんだ。その人と出逢ったのもここで。だから、懐かしくてたまに帰って来るんだ」
彼は呟く。
恋人なんですか、と。訊きたかったけど、訊けなかった。訊いてしまってそうだと言われたら、どうしたら良いのか解らなくなりそうで。
「だから。又行かなくちゃならない」
はっとして彼を見ると、彼はやはり前方を見据えている。
ずっとずっと遠くを見ている気がする。
彼と出会ってから、たった六日。
それでもう彼と会えなくなってしまうだなんて。
もう一度訊けば良い。又会えますか、と。
でも答えは何故か解っていた。彼はきっと困った様に微笑むのだ。
そして俺は、多分彼に二度と会う事はないだろう。そんな気がして、無性に泣きたくなった。
俯いてしまった俺を覗き込む様にして彼は口を開く。
「俺はね。実は見た目は十八歳なんだけど。でももっと永い間生きてるんだ」
彼は少し口元を上げた。微笑おうとしているのが解って、俺も応える様に微笑う努力をする。
「俺の時間は十八歳で止まってるんだ。アイツを探さないと、時間が動かない」
きゅっと下唇を噛む仕草が印象的だった。その仕草が彼の孤独を現しているかの様で、何だかとても切ない。
だから行かなくちゃ、という呟きをもう一度聞いた。
「会えるという保証があるわけじゃないのに」
思わず口からそんな言葉が出た。
「どんなに探してももし会えなかったら」
「それでもっ」
強い口調で俺の言葉は遮られた。
「それでも、探さないと」
彼は俯いてしまう。表情が解らない。泣かせてしまったのだろうかと思う。
行って欲しくないという気持ちが、彼の不安を煽る様な言葉になって口から出てしまった。
恥ずかしく思って、彼から目を逸らす。
空がオレンジに変わり始めている。
「俺は見た目よりずっと長生きだから、人と関わる事を極力避けてたんだけど」
言いながら立ち上がる。顔を背けているので、どんな表情をしているのか解らなかった。
「どうしてかな。君とは関わってしまった」
ゆっくりこちらを振り返る。泣いていなかったのでほっとした。でも寂し気な瞳。
「多分、昔の俺と少し似ていたからかもしれない」
目を細めて俺を見る。懐かし気に。
光栄です、と変な事を言った。彼はやっと少し笑った。
「俺と会って戸惑ったと思う」
ごめんね、と言われて何度も首を振った。
彼は空を見上げる。夕焼けに気付いたのだろう。
じゃあと言って俺に背を向ける。これで最後か、と感じた。
その瞬間俺は立ち上がり、彼を追い掛けた。後ろから腕を取る。ゆっくり彼は振り返る。
やはり小さいと感じる。細い身体。俺よりも十センチ位小さく華奢。抱き締めたら壊れてしまいそうなくらい、脆そうで。
「もう一日」
喉から声を絞り出した。
「もう一日だけ、俺に下さい」
今日これっきりというのが耐えられなくて、懇願した。
願いは通じた。
彼は、少し間を置いてから、ゆっくりと頷いた。
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