2-5 心に引っかかる何か
「君はRHマイナスのB型」
手の甲で顎を擦りながら、彼は言った。
俺はとりあえず逃げるのを止めた。
立ったまま話を再開しようとした如月を制して、ベンチに腰掛ける。こんなデカイ男と立ったまま喋っていたら、威圧されて何も言えなくなってしまう。
如月も俺に倣う。
「調べたの?」
溜息を吐くと、匂ったの、と変な答えが返って来た。
ふーんそう、と気のない返事をする事にした。眉間にはシワが寄っているだろうけど。
「約千人に一人の血液型なんだ」
「へー」
「……」
「で?」
まさか医学部の学生で、珍しい血液の研究をしたいとか、そんなのではないだろうなあ。それだったらもっとまともな接触をしてくるとは思うんだけど。
「君さ、その」
「ちゃっちゃと言ってよ」
「……吸血鬼って信じる?」
「……」
立ち上がりたくなる衝動を、膝を握る事で必死に堪えた。
目眩がしそうだ。
「俺は人の血を吸って生きてるんだけどさ。人より嗅覚が優れてるから、擦れ違う人の血の匂いが判るわけ」
如月は人差し指で鼻の頭を掻く。
嗅覚の優れた鼻を褒めている様な仕草だ。
「で、たまたまこの街にふらっと来たら、物凄い良い匂いがして」
如月の顔を盗み見ていたら、彼も同じ様に俺の方をチラリと見る。慌てて視線を前方に戻す。
「この素晴らしい匂いの元はどこだ、と探すと君だったわけで」
「どこぞの美女を狙えよな」
俺はガックリ肩を落とす。
信じるべきなのか、この突飛な話を。
彼は、最近の女の子は化粧臭くて駄目駄目、と手を振る。
本気か、本気なのかこの男。
「RHマイナスだったらA型の方が出会える確率高いだろ」
喋る度に力が抜ける。溜息と共に言うと、
「B型だから貴重なんだよ」
AB型なんてもっと凄いな、と一人頷いている。
「そ、それで」
気を取り直して彼に訊く。
「俺にどうしろと?」
握っていた膝を離し、ゆっくりと姿勢を正す。
チラリと彼を見ると、視線がぶつかる。ここで怯んではいけないと思い、見詰め返すと、如月はへらっと相好を崩して、血を吸わせて下さい、と頬を赤らめて言うのだった。
「考えておく」というのは、実際は断りの言葉である。
お断りします、とハッキリ言うのは申し訳ないので、曖昧な返事で場を濁す言葉の筈なのだけど。
「考えておいて」
如月はニッコリと笑う。俺はガックリと肩を落とす。
今日はこれで、とぎこちなく後退りをし、早足にその場を去る。「またあした~」とベンチに座ったままの如月が陽気に手を振っている。
これで最後というわけにはいかないんだろうなあ、と思わず苦笑して(そして釣られて)手を上げる。
家に戻り、静かな場所で改めて今日の会話を反芻する。
彼の言い分は何故付け回していたのかという問いに対して、確かに説得力があった。
けれどどうなんだろう。
信じるべきなんだろうか。吸血鬼。この時代に。
馬鹿らしいと思う。ただ嘘を言うならもうちょっとマシな嘘を吐くのではないかという気もするのだ。
大の男が、子供ではなくて十八にもなる高校生を捕まえて、吸血鬼だとは。
どうなんだ、それは。
血液型を訊かれてわざわざマイナスだと答える事もないので、珍しい血液だと知っている者はいないに等しい。彼はそれを匂いで判ったと言った。
両手の広げて手の平を見る。指先を匂ってみる。
解らない。どんな匂いがするというのだ。
彼は血の匂いが判ると言った。では彼はいつも血生臭い匂いに囲まれて居るというのか? いや、それが彼にとって良い匂い、なのか。
俺は勢いよく首を振る。犬が掛かった水を吹き飛ばすかの様に。
名前だって住所だって。血液型だってその気になれば簡単に調べる方法はあるはずだ。
惑わされるな。現実離れした耳を疑うような話を用意して俺を引き止めて、でも本当は何か他に目的があるに違いない。
そうだそうだ。
ポットでお湯を沸かし、インスタントのラーメンに注ぎ込む。
アイツは変な奴だ、本気にした途端に馬鹿にされるのがオチだと思いながら、心に引っ掛かる何かが気になって、その夜は眠れなかった。




