1-1 まるでドラマのワンシーンを
その日は満月だった。
太陽の光を反射しているとは思えない。それ自体が光を発しているような眩しい光だった。
昔の人は月明かりで本を読んだというけれど、確かに読めるだろうと納得する程の明るさがあった。星座のことは何も解らないけど、夜空を見上げてブラブラと歩くのは好きだった。
月が明るいと星は見えにくくなるけれど、それはそれで嫌いではなかった。
そんな中で見た異様な光景は一生忘れられないだろう。異様だけど、脅威はなく、ただ目が離せず、立ち尽くした。
そこに、人が居た。
いつもならカップルだと解ると視線を逸らして通り過ぎるのに、何故かその時は見てしまった。
住宅街の薄暗い角で別れを惜しむ男女は珍しいものではない。
でも彼らは違った。
キスシーンなら通り過ぎただろう。でも女は空を見上げていた。何も見えていないかのような空虚な瞳。腕は、抱く男の背に回すでもなく、だらりと下へ伸びたままになっていた。
対する男は黒いロングコートに身を包み、影のように女に覆い被さっている。男は女の首筋に顔を埋めて、頷くように頭を上下に動かしている。
と。
男の頭の揺れが不意に止まった。人の気配に気付いて振り向いた男と目が合ってしまう。
男の瞳の色。唇から顎にかけての赤いライン。
男に抱えられるようにして立っている女の、恍惚とした表情。けれど空虚な瞳。
視界に飛び込んでくる情報に、身動きが出来なくなり、いつの間にか立ち止まっていた。
これは何だ、と頭に疑問が沸くまで、十秒はかかっただろう。
男の唇から顎に伸びる赤いラインが血だと気付く迄に、更に五秒を要した。それでも動く事が出来なかった。
男は女を捕まえて、女の首筋に牙を立て血を吸っているのだ。
吸血鬼。
というファンタジーな単語が頭の中に浮かぶ。
止めろと言うべきなのか、見なかった振りをして立ち去るべきか。どうしようと思う反面、思考がまとまらなかった。
男は滴る血を手の甲でぬぐい、女に耳に顔を寄せ囁く。
「もうお帰り」
女は従順に頷き、ボタンを留め、乱れていた襟元を正す。
男が女の肩に掛かる髪にそっと触れ、有難うと微かに呟いた。女はもう一度頷き、フラフラとこちらへ歩いて来る。
声をかける事も出来ず見詰めていると、まるでこちらが見えていないかのように、通り過ぎて行ってしまった。
「さて」
声がして、我に返る。
女の背中を見送っていて、思わず元凶に背を向けていた。慌てて向きを変える。
さっきの位置から動かずに、男はこちらを向いて立っていた。
「高校生?」
自分に向けて発せられた声を聞き、現実だと思い知る。
「は、い」
普通の声を出せるように、腹に力を入れたので上ずることはなかったが、震えているのは隠せなかった。
「怖い?」
口元は微笑っているように見えるけど、残念ながら目は微笑っていない。
射られるようだ。金縛りにあったかのように動けない。
怖いかと訊かれたら、怖いと答えるべきだろうかと考えた。
声は震えるし、異様なものを見てしまったという認識はしているけれど、まるでドラマのワンシーンを見ているようで、自分に関係している状況には思えなかった。
黙っていると男は短く息を吐いた。
「君も、もうお帰り」
それで呪縛が解けたわけではないけれど、初めて一歩足を踏み出す事が出来た。
「遅くまで出歩いてたら、勉強に差し支えるよ」
塾の講師に言われるような言葉を背中で聞いた。
気が付いたら俺は一生懸命走っていた。
息をするのも忘れる程綺麗だけど、人間ではないものから、必死で逃げていた。
数年前に出した薄い本を加筆・修正してぼちぼちと投稿させて頂くことにしました。
元々は男女の恋愛で考えていましたが、ある時BL視点の方がキャラクターを動かしやすいと気付いてしまい、それ以降私の脳はBLでしか話が作れなくなりました。
ということで実際、この話が私のBLの原点ではないかと思います。
暫くお付き合い頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。




