其の三 最初の分岐
時は流れて一年が経った。いや、実際に一年が経ったかは記録してないからわからないけど、体感ではそのくらい経ったような気がする。体を鍛えて、瞑想し、温泉で身も心もスッキリさせる。その繰り返しだった。
未だに魔力と呼んでいるあの力はまるで使えるようにならないけどかつての焦りはもうありはしない。焦ってどうこうなる問題じゃないというのと、この体はまだまだ成長途中だと受け入れたからだ。
最初にこの世界に訪れたあの日、私はまだ3歳で、身長だってそのくらいだった。けど今は同じ幼稚園児でも年中か年長さんくらいはあると思う。だからこの身体でもちゃんと成長はする。なら、魔力が使えないのはまだ体が発達途上だからではないか、そうも思う。
そんなわけで、最近は随分と気を楽にして修行に励んでいる。
「ぷはぁ〜」
最近のお気に入りは疲れ切った身体で温泉を泳ぐことだ。マナー的にしちゃいけないことをやるというのはストレス解消にいい。そして一頻り水泳を楽しんだら今度は陸に上がって夜闇の中を駆け回る。今夜は緑月。綺麗な満月に照らされながら夜風が茹だった体を冷ましていく。
そんな私の精神療養法だが、強いて困ったことを挙げれば服がないことだろうか。最初に着ていた一着以外に持っている服はないし、服の代わりになるようなものもない。だから大抵は濡れた服を着るか裸で走ることになるのは問題かもしれない。
まぁ、この場所にいるのは私一人だし、幼い体だし、もはや羞恥心など捨ててしまえと言ったところで気にしないと言えば気にしないのだけど。
(服に邪魔されずに動けるのも楽だし、好きにさせてもらお、う…?)
一瞬。遠くのクレーターの一つで淡い光がきらめいたような気がする。こんな事、これまで生きてきて初めてのことだ。
「行ってみるか」
どうにもこうにも無性に気になってしまう。もしかしたら、この停滞した日常に変化を齎す何かがあるのかもしれない。そう思ったら見に行かずにはいられない。
走って謎の光が煌めいた場所に向かうと、だんだんと光の輪郭がわかってくる。淡い光で作られた人型。それはまるで亡霊のような。
「行く、か」
亡霊。もしかしたら私から生気を奪い取って死に至らしめるかもしれないし、物理攻撃は効かず魔法攻撃しか効かないかもしれない。あるいはそもそも存在しているだけで特にこちらに介入できる力を持たないのかもしれない。いろんな推測はできるけど、こういうのは直接確かめてしまうのが早い。その結果死んだとしたら…それは私の人生がここまでだったということで。
私は私を信じる。どれだけ苦しもうと、最後には必ず笑っていると。
さらに謎の光に近づこうとクレーターに一歩足を踏み入れ──
──身体が前にふらついた。
(死ッ!?)
右腕を頭の横に。左手で右腕を殴り飛ばす。
同時、全身に衝撃が走り身体がクレーターの外へと吹き飛ばされた。
(ッガァ!?)
背中を地面に打ち付け、勢い止まらずゴロゴロと転がる。明滅とする視界の中、私は気付けば空を見上げていた。
薄れる意識に抗うように身体の無事を確かめ、て…?
(何が、起こった?)
気付けば踏み出した右足は失われ、頭を庇った右手は斬り飛ばされ、咄嗟にガードした右腕とそれを補助した左腕の骨は粉砕されていた。
「ゴボッゴポッ!」
全身が熱い、寒い。体中の血液が流れ出していくのを感じる。傷だらけで血溜まりに浮かぶ私の姿はどんなものだろうか。そんな事を手首から先を失った右腕を見ながら考える。
(あぁ、ダメだ。私は、魔王…に…)
魔王になれずに、俺は死ぬのか?
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夢を見た。前世の記憶だ。他では俺は赤い髪をしたキャラクターを操っていて、フレンドとモンスター狩りに勤しんでいた。
「よぉ、今日も金策か?」
「いい狩場があるんだが…行くよな?」
「装備試すぞ!バトルしようぜ!」
「うぉぉぉぉ!?これは来るっ!来るっ!?また…負けた…!?」
個性豊かで巫山戯た彼らと遊びながら、魔王を演じるために日々邁進していた。その隣にはいつも何人か、リアルでも友人だった彼女らがいた。
あぁ、そうだ。俺はあの楽しくて、騒がしくて、退屈しない毎日を失ってここに来た。家族も、大事な友人も、知り合いも、みんな。
(あ〜!悔しい、なぁ!)
負けた。負けた。完膚なきまでに。一切の攻撃を見ることもかなわず、運良く生き残ることだけしかできなかった。
今、この胸を焦がすのは圧倒的な敗北感。あれほどまでの死の気配を感じたのは初めてで、恐怖はある。今だって震えは止まらないし、あんな怪我をして痛くなかったわけもない。だけど、それを飲み干して余りあるほどに、勝利を渇望する心がある。
私は龍の力に知らず知らずのうちに慢心していた。何かあってもなんとかなる。きっと、生き残れる。そして、こうなった。
(恥ずかしい)
わかってたはずだ。この程度の力じゃ一般人にも負けるかもしれないって。この程度の力はそこそこ止まりだって。焦りはなかった。あったのは、油断と慢心。
受け入れろ。俺に才能はない。物語の主人公足り得る力はない。でも、私には龍の力がある。
(決別しろ。今、ここで)
前世の常識にとらわれるな。
今私が生きているのは異世界で、ファンタジーだ。
妄想でしかなかった理想が、近くにある。
(奇跡は、もう起こった)
もう奇跡は起こらない。もう、止まれない。私の目指す理想まで、私は止まらない。夢を叶えるのは、私だ。
(諦められないなら、意地を見せろ)
私の憧れた彼らなら、最後の瞬間まで命を燃やし、花を咲かせようとするはずだ。そのために世界を敵に回し、勇者と争うんだから。
(足掻け、ダサくとも、少しでも彼らに近づくために!)
無様でも、滑稽でも、突如現れた理不尽に、あの亡霊のような不条理に打ち克て!
(私は、魔王になる)
魔王シオン・セレスティンになるために。必ずなると、自分だけは自分を信じて、生きろ。
大丈夫。私は生き残る。だって、魔王は勇者に殺される存在だ。だから、言い換えれば。
(魔王は勇者以外に殺されない。そうでしょ?)
だから…こんなとこで死なないよ。
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暁光が差し、取り残された緑月がその影を薄くしだした頃、私は目を覚ました。
「まだ、生きてる」
時間にして数時間。あの量の出血をしながら、私はまだ生きている。右手を見れば、再生こそしていないものの切り離された断面が閉じている。
(本当に龍という種族の生命力は素晴らしい)
「さぁ、やろうか」
傷は治った。けど、それだけじゃまだあの亡霊には勝てない。もう夢の中で決意した。私は奴に勝つ。この借りは、いつか必ず返すと決めた。だから、そのために。
自身の体内に、お腹の内側に溜まる魔力に目を向ける。今まで動くことのなかったそれが、全身に巡っているのを感じる。量が減っているようにも感じるあたり、傷の修復に使われているのだろう。
(今なら、できる)
今までできなかったことが、無意識にできている。生存本能が魔力の使用を可能とし、手本を見せてくれた。
試しに、未だ腹に溜まって動かない魔力を全身に巡らせてみる。それだけで全身がポカポカと温かくなり、力が漲ってくる。
(再生しろ)
イメージする。失った四肢を再生させるイメージ。
しばらくの間、ぐったりと身を休め、日が昇りだした頃に起き上がる。無くなったままの右足に気をつけて、両手を使って立ち上がる。
太陽の眩しさに右手を翳し、ふと後ろを振り返る。既に緑月は沈み、昨夜の亡霊は消えている。しかし光を反射する血の池と、無くなったこの足がその存在を確かなものとしていた。
(いつか、必ず)
決意を新たに、ふらつきながらも確かな足取りで歩き出した。




