第三話 リコちゃんの結末
私、市松リコには幼い頃から他人の目には見えない不思議な友達がいた。
それが座敷わらしのキミエちゃん。
私の家に憑いているらしい彼女は、いちいち価値観が古かった。かなり昔に流行ったらしい「あったり前田のクラッカー」みたいな変な言葉を口癖のように言ったり、ゲーム機はぜんぶ「ピコピコ」と呼んで区別もしないような変わった子だったのだ。気づいたら私も、キミエちゃんの口癖が伝染っちゃってたんだよね。
「リコは私と力の波長が合うみたい」
キミエちゃんはそう言って、嫌なことがあった日は私を宙に浮かべて笑わせてくれたり、お手玉や独楽回しなんかの古い遊びをたくさん教えてくれたりした。
波長が合わない人に、キミエちゃんを見ることはできない。それと大人になれば見えなくなってしまうため、自分は「子ども時代限定の友達」なのだと常々語っていた。
私は基本的に気楽で物事をあまり深く考えないで過ごしていたから、キミエちゃんのことは性格こそ正反対だけれど頼りになる親友のように思っていた。
あれは小学四年生の頃、幼馴染の鬼ヶ原レンくんが私に告白してきた時も、何日も私の悩みを聞いて一緒に考えてくれたっけ。
他の女友達がレンくんのことを好きだという話を既に聞いている状態だったから、私としては「友達関係を考えると、お付き合いはちょっと遠慮したい」って気持ちがあった。一方で「別にレンくんなら、付き合ってもいいかなぁ」という感覚もあったりして、私にしては珍しくかなり真剣に悩んだりしたものだ。今思えば、小学生の恋愛なんてそんな深刻に考えるほどのものでもないんだけれど。
結局レンくんの告白は断って、それからも彼とは友達みたいな感覚でなんやかんや遊んだりしていて、まだ好かれているんだろうなとは思いながら、私たちの仲がそれ以上発展することはなかった。
――それは小学五年生の夏休みのことだった。
私の体つきも少し女っぽくなり、ちょうどキミエちゃんと同じくらいの背格好になった頃、彼女はビー玉のようなものを手にとって見せてくれた。それはキラキラ輝いていて、触るとちょっと暖かい。
「リコ、これ欲しい?」
キミエちゃんはそう言って微笑む。私はこれが何なのか全く分からなかったので、首を傾げながら彼女に説明を求めた。
「座敷わらしの力の塊って言えばいいかな」
「力の塊?」
「そう。私がいつも使っている神通力だったり、幸運を引き寄せる力だったり……そういうものを使うための、力の核になるモノだよ」
その時の私は、人生で一番キョトンとした顔をしていたと思う。
「これをリコにも分けてあげようかなと思って。もちろん全部の力をあげるわけじゃないよ? ほんの一部だけ。リコは私と波長が合うし、体も同じくらいに育ってきたから、たぶん今のリコなら神通力を使いこなせるようになると思うんだ」
なるほど、それは便利だろう。
実はちょっと「魔法少女」みたいなものに憧れを持っていた私は、だいぶ熟考するフリをしながら、実のところ心の中では即決していた。超欲しい。
「別に無理強いはしないよ」
「待って待って、いる! いります! 私もずっと神通力を使ってみたかったんだよ!」
そんな風にして、私は座敷わらしの力の“核”を口に含んでしまった。
そこから先は、アキトの時と流れは同じ。
キミエちゃんに力の使い方を教えてもらって、訓練していくうちにだんだん上手に扱えるようになっていって。毎日がすごく楽しくて……あの頃は、人生で一番興奮していた時期だったと思う。
そんなある日、キミエちゃんに言われたんだ。
「リコの今着てる服を着てみたいんだけど」
私はちょっと訝しく思いながら、言われた通りに服を脱いで……そうして、キミエちゃんに私の全てを盗まれた。
子どもの全てを盗む怪異。
それが子盗りなんだよ。
不思議だったよ。昨日までは私のことを「リコ」って呼んでいたお母さんが、「キミエ」って呼びながらキミエちゃんを実の娘として扱うんだよ。レンくんも「キミエ、なんか雰囲気変わったか」なんて言っててさ。もう誰も私のことを見ることもできないし、「リコ」って呼んでくれない。そのうちキミエちゃん本人も座敷わらしの力を失って、徐々に私のことが見えなくなっていったんだ。私は一人、裸のままこの家に取り残されてたんだ。そう――
アキトが来るまではね。
* * *
「……そんなわけで、私はアキトから全てを盗もうとしていた。かつてキミエちゃんにそうされたように。でも」
できなかった。
リコちゃんはそれだけ言うと黙り込んだ。
キミエ……お母さんはかつて座敷わらしであり、リコちゃんの人生を盗んで、のうのうと大人になって僕を産んだ。あぁ、リコちゃんがどんな辛い思いをしたんだろうと、想像するだけでも震えが来るほどなのに……それでも彼女は、僕から人生を奪おうとしなかったのだ。
どこまでも優しいリコちゃんを見て、胸の奥に熱が灯る。
「待ってて。僕が何か方法を探してくるから」
「無理だよ。私は……」
「諦めるのはまだ早いって。僕の人生をあげるのは無理だけど……考えようよ。何かあるはずだ。リコちゃんが幸せになれる方法が」
僕はそう答え、とにかく動き始めることにした。
お祖母ちゃんに事情を話すと、目を丸くして慌てたようにどこかに連絡する。少しして、怪異狩りのおじさん……鬼ヶ原レンさんが家に現れた。
彼は何やら表情を硬くして、僕の説明を聞く。そして、リコちゃんを救う方法に一つだけ心あたりがあるのだと僕に告げた。あまりにも呆気なく方法が見つかったことに、少し拍子抜けしてしまったけれど。
レンさんが次に現れたのは、三日後のことだった。
「アキトくん……リコちゃんを連れてきてくれるかい?」
そうしてリコちゃんを呼びに、いつもの部屋に行ってみれば。
待っていたのは、女の子らしい白いワンピースに身を包み、穏やかに微笑むリコちゃんの姿であった。
このワンピースは、事情を知ったお祖母ちゃんが用意したものである。座敷わらしの制約として、通常は他人の服などには触れないリコちゃんだけど、僕から手渡すことでそれを身につけることが可能なのだ。こう見ると、同年代の可愛い女の子としか思えない。
「リコちゃん、レンさんが来たよ」
「そう。ありがとね、アキト」
「さっそく行こう」
僕はリコちゃんの手を掴んで歩き出す。やってきたのは、お祖母ちゃんの家の中庭……今にも壊れてしまいそうな、古びた祠がある一角であった。
レンさんは三人ほどの同業者を連れ、この祠の周囲に何やら御札のようなものを貼ったり、よく分からない青白い粉状のものを皿に盛ったりして儀式の準備をしていた。何をしているのか、僕には理解できなかったけれど。
ロウソクの火がゆらりと揺れ、レンさんが何か聞き取れない言葉を話し始めると、強い風が渦を巻くようにしてリコちゃんのもとに集まっていき――
『……ひさしぶり、お母さん』
リコちゃんは泣きそうな顔で、お祖母ちゃんにそう言った。
* * *
お父さんが迎えに来て、自宅に帰った僕は、しばらく呆然としたまま日々を過ごしていた。
あの日、レンさんのおこなった儀式によって母親と再会したリコちゃんだったけれど。しばらく会話を続けた後で、満足したように、跡形もなく消えてしまった。
その場には一時的にリコちゃんの依り代になったらしい青白い粉だけが地面に残されていたが、後でレンさんに聞いたところ、どうやら彼女は「母親と話す」ことを通して心残りを解消して輪廻の輪に戻っていったのだという。つまり、事実を簡潔に表現するのなら……リコちゃんは死んでしまった、といういことだ。
レンさんが祠を解体して回収していくと、僕の神通力も消えた。リコちゃんとの思い出には現実感がなくて……時間が経つうちに、あれは僕が頭の中で空想した出来事だったんじゃないか、なんてことを考えるようにもなった。
「アキト。お父さんな……再婚しようと思って」
「うん」
「新しいお母さんは、会社の人なんだ」
知ってるよ。
いつも僕を放って家に帰らなかったのは、デートをするのに忙しかったからだ。お祖母ちゃんの家に僕を預けたのだって、新しい恋人と仲を深めたかったんだろう。そのことについて、僕から何か文句を言おうとは思ってないけど。
僕にとってのお母さんは一人しかいない。だから新しい母親のことは「母さん」と少しだけ呼び方を変えることにした。
母さんが家に来て一緒に暮らし始めてからも、僕が思い出すのはリコちゃんのことばかりだった。僕とリコちゃんの間にあった「縁」のようなもの……今はもう神通力を失って感じ取ることのできなくなった不思議な感覚を、ふとした瞬間に感じたような気がして。僕は部屋の中をキョロキョロと、つい彼女の姿を探してしまう。
新しい母さんは優しい人だった。面影がちょっとだけリコちゃんに似てる、と思ってしまうのは僕の願望だろうか。
夕飯の準備を手伝って、一緒に食事をとっていると、母さんは嬉しそうに微笑んだ。
「どうなることかと思ったけど……アキトみたいな良い子が息子になって嬉しいな。家事のお手伝い、いつもありがとね」
「別に……妊婦に無理はさせられないってだけだよ」
「ふふ。本当に、良いお兄ちゃんになってくれそうね」
母さんはそう言って、以前よりも丸く大きくなったお腹を優しく撫でる。そう、僕はもうすぐお兄ちゃんになる予定なのである。
今、母さんのお腹の中では女の子……僕にとっての妹が、毎日少しずつ成長している。臨月も近づいてきたから、エコー写真でも顔がしっかり分かるようになってきた。母さんは「私に似てるわね」なんて言っているけれど、僕はリコちゃんに似ているなぁなんて密かに思っている。
そして、ふと感じる。
母さんのお腹から、僕に繋がる「縁」の存在。
「そうそう。アキトの妹の名前なんだけどね……寝てる時にパッと頭に浮かんで。リコって名前にしようと思うの」
「……うん。すごく良いと思う」
「でしょ!? もうこれ以外は考えられないってくらい、なんだかしっくり来ちゃってね――」
平静を装ってコクコクと頷きながら、僕は何だか胸の奥が熱くなるような、根拠のない予感めいたものを感じて……そして、妹の「リコちゃん」に会える日が、以前よりもずっと楽しみになったのだった。
というわけで、ハッピーエンド(ですよね!)になりました。
リクエストありがとうございます。