第二話 リコちゃんの正体
都会の小学生である僕にとって、川遊びなんてファンタジーのようなものだ。
ギラギラと照りつける太陽に焼かれた蝉が、あちこちで絶叫を上げる夏休み。可愛い女の子と二人、浅い川にやってきてパシャパシャと水遊びをする……なんて、少し前の僕に言えば「ちょっと夢を見すぎなんじゃ」「叶わない妄想は虚しいよ」などと言われてしまっていただろう。
リコちゃんは僕に力を分け与えた結果、僕と一緒になら家の外へと出られるようになっていた。彼女いわく、家に憑きながら僕にも憑いている状態、なんだって。
「最後に川遊びしたのなんて、キミエちゃんがいた時だったもんなぁ……あれはもう何年前になるんだろ」
「そっか。座敷わらしってやっぱり家に縛られるの?」
「そうなんだよねぇ。しかも、私は大人には見えないし、憑けないでしょ? 昔と比べれば、このあたりは子どももすっかり減っちゃったから、憑く相手もずっといなくてさぁ……ふふ、川遊びなんて夢みたい。これもアキトのおかげだね!」
なるほどなぁ。何年も外に出られなかったのなら、リコちゃんがこんなに楽しそうに遊んでいる理由にも納得がいく。こうして見ていると、なんだか普通の女の子のようにしか見えないなぁ。
僕もなんだか楽しくなってきて、川の中へと進む。
すると、足下の石にツルッと滑って転びそうになる。
「危ない!」
僕を神通力で助けてくれたのは、リコちゃんだった。
「まったくもう、気をつけて歩いてよね」
「ごめんごめん」
「夏休みには川の事故も多いんだから。私はこう見えて、子どもを守る座敷わらしだから。そういうのはホント気をつけて欲しいと思うわけで。っていうか、せっかく座敷わらしの力を分けてあげたんだから、アキトも自分で浮いたりできたはずなのに」
そうやってグチグチ言われながら、僕はリコちゃんに座敷わらしの力の使い方を習うことになったのだった。
座敷わらしの力には、大きく分けて三つの種類ある。モノに干渉する力と、ココロに干渉する力、そして運命に干渉する力だ。
このうち、ココロと運命についてはちょっと難しいから後回しにして、まずはモノに干渉する力についてリコちゃんに教えてもらうことになった。
家の中にはたくさんの古い玩具が転がっていたので、神通力を鍛えがてら、リコちゃんに昔の遊びを教えてもらったのだ。
「お手玉へたっぴー、本当にキミエちゃんの息子?」
「いやいや、さすがにお母さんみたいに八個同時とかはいきなり無理でしょ」
しかもさ。歌いながらリズミカルにお手玉をしなきゃいけなくて、そこに慣れない神通力も合わせろと? なんというか、いきなり難しすぎやしないだろうか。
リコちゃんは座敷わらしだからお手玉なんて慣れたものだと思うけど、残念ながら僕はそこまで器用な人間じゃないのだ。
「まったくもう……もうちょっと真面目に頑張ってよぅ。コトリがすぐ近くにいるかもしれないんだからさぁ」
「うん……でも、もう少し簡単なヤツないの?」
「えー、もう仕方ないなぁ」
リコちゃんはため息をつくと、おもむろに古い独楽を取り出した。木製の大きなもので、絵本なんかでしか見たことのないヤツだ。そして、彼女はそれに紐をぐるぐると巻きつけると、力強く床に叩きつける。独楽はギュンと回転して、まっすぐに立った。
「じゃあ簡単なのから。この独楽が倒れないように神通力で支えてみてね。ちなみにキミエちゃんは片手間でやってたよ」
「お母さんと比べないでよ……まぁ、やってみる」
「もし失敗したら、おやつ抜きだからね☆」
「えぇー……」
どうやらお母さんは、神通力の使い方がかなり上手だったみたい。僕の記憶では、お母さんは器用な人ではあったけど、何か不思議な力を使っている場面なんてなかった気はするが……まぁ、やたらお手玉とかが上手かったのは、もしかするとこっそり力を使っていたのかもしれないな。
結局その後、独楽のバランスをキープしきれなかった僕はチャレンジに失敗し、お祖母ちゃんお手製の干し餅を献上することになった。リコちゃんは「コレ大好きなんだよねぇ」と言って、美味しそうに頬張っている。ちくしょう。
昔の遊びを教えてもらっているお礼として、僕からも新しい遊びをリコちゃんに教えることにした。といっても、持ってきたゲーム機を貸してあげるくらいなんだけど。
「アキト……ヒゲのおじさんがまた死んだよ?」
「だからさ。このキノコみたいなヤツはジャンプして踏み潰さないといけないんだって。ていうか最初のステージじゃん」
「だって。なんかこのキノコ可愛いんだもん」
リコちゃんはアクション要素のあるゲームは基本的に苦手なようだった。
それでも、とりあえずいろいろなモノに手を出してみた結果、最終的には「島を開拓して自分の家を建てたりする系のゆるゆるクラフトゲーム」みたいなのが気に入ったらしい。
――そんな風にして、リコちゃんと遊んだり神通力を鍛えたりしながら、田舎の夏休みは退屈する暇もなくどんどん過ぎていった。
お父さんの迎えが来るまであと一週間という頃。
お祖母ちゃんに呼ばれて夕食を取るために居間に向かうと、そこには初日に出会った怪しいオジサンが食卓についていた。相変わらず卵の腐ったような、鼻の曲がりそうなほどの異臭を放っている。そして、まるで僕を吸い込もうとでもしてるように、闇穴のような目をこちらに向けてきた。
なぜこのオジサンはニヤニヤと笑っているのか。
あまりに薄気味悪くて、背筋がゾワゾワする。
リコちゃんに教えてもらった、幸運の神通力は既に使用している。しかし、これはあくまで運を引き寄せやすくなるおまじない程度の効果しかないから、確固たる意志を持って行動する人を完全に避けることはできないのだという。
……コトリとは、子どもをさらう隠し神の一種。
「アキトくん。君はキミエの子どもだと言ったね」
「はい」
「座るといい。ちょうど君と話がしたかったんだ」
オジサンは口の端を持ち上げながらそう言うと、有無を言わさぬ雰囲気で僕に椅子を勧める。本当は今すぐ立ち去りたいのだけれど……変に刺激するのも危ないかもしれない。
お祖母ちゃんがわざわざお茶を出してくれたのもあって、僕は渋々ながらオジサンの対面に腰かけた。とにかく神通力だけはいつでも使えるように準備しておこう。
「私の名前は鬼ヶ原レンという。すまないね……私は臭いし、汚いだろう?」
「あ……いえ」
「実はわざとそうしているのさ。魔除けというか、低級な怪異を私に近づけさせないようにするためもものなんだがね。常に笑顔をしていなきゃいけないのも、その一環なんだが……あまり細かい話を君にしても仕方ないか」
そう言って、オジサンはお茶を啜る。
僕はなんだかワケが分からなくなって、とにかく黙りこみ、オジサンが話した言葉を頭の中で繰り返してきた。
隠し神、コトリ。
てっきりオジサンはそっち側だと思ってたけど。
いや、怪しい人の言葉をそう簡単に信用してはいけない。そう思う自分がいる一方で、なぜかこの臭いオジサンに想像していたものとは違う何かを感じて、脳が混乱する。もしかして、僕は何か……大きな思い違いをしているのではないだろうか。
「実は私はキミエとは保育園の頃からの付き合いでね。いわゆる幼馴染というやつさ。小学生の頃、悪ガキだった私は、この家にもしょっちゅう遊びに来ていたものだ」
「……そうだったんですね」
「私の記憶の中のキミエは、かなり手先が器用だった記憶がある。お手玉なんかが得意でね」
なるほど。これは確かにお母さんのことを知っている人の口ぶりだ。お母さんは本当に色々なことに器用な人だったから……そう考えながら、お茶を一口啜った。
「キミエは明るい性格でね。新しいものが好きだった。魚はあまり好まなかったから、おばさんも肉料理ばかり作ってね。あと箸の使い方が汚いとよく怒られていた」
「ん……?」
「どうだ。何か違和感を覚えたかい?」
違和感どころか、明らかにおかしいところだらけだ。
お母さんは古いものが大好きだったし、内向的な性格で、料理だって魚を中心とした和食ばかり。箸使いだってとても綺麗でお手本のようだった。オジサンの話すお母さん像とは似ても似つかない。一体誰の話をしているのか、分からなくなってくる。
混乱した頭のまま、オジサンの暗い瞳をじっと見つめ返す。
「ちょうど小学校高学年……君と同じくらいの年の頃だったかな。キミエは突然性格がガラリと変わってしまってね。しかし、そのことに違和感を覚えたのは、私やおばさんを含めた少数だけだった」
お母さんの性格が大きく変わった。
もしかしたらその頃にリコちゃんと出会って、何かしら影響を受けたのかもしれないけれど……そんなに大きく性格が変わるものかな。
「あの時は、脳内で古いキミエの記憶と新しいキミエの記憶がごちゃごちゃに混じり合って大変だったんだよ。でも周囲の皆は“昔からそういう子だったよ”と気にもしていない……頭が変になりそうだった。いや、既に頭が変になっていたのかもしれない。私はその頃には狂人というあだ名で呼ばれるようになってしまっていたから」
「そう……ですか」
「その後、私は大学で民俗学を学びながら、教授の紹介で怪異狩りを生業としている怪しげな一門に入ることになった」
オジサンの話が怪しい方向へと突き進んでいく、
頭では「そんな馬鹿な」と思っているのに……それなのに、あまりにもオジサンが真に迫った話し方をするので、つい聞き入ってしまっていた。もう一度お茶を口に含んで、気持ちを落ち着ける。
怪異狩り。そんなものが実在するのか。
疑いたくはなるが、現にリコちゃんという存在がいたり、僕自身が神通力なんてものを扱えてしまっているのだから、なんでもかんでも頭ごなしに否定はできないだろう。
「子盗りとは……子どもを盗む、と書いてコトリと読む。隠し神の一種だと思ってくれて良い。そんな怪異のことを、君は誰かから聞いたことがあるかな」
「それは……まぁ」
「アキトくん。もしかして君は、この家に来てから何かしらの怪異と接触を持ったのではないか?」
そう言われて思い当たるのは、リコちゃんのことだけだ。でも彼女は、子どもをさらうような悪い怪異ではないように思うのだけれど。
実際、お母さんと一緒に遊んだ昔話はたくさん聞いているし、それは僕の中のお母さん像とも完全に一致していた。その上で、お母さんは隠し神に拐われることなく大人になったのだから、リコちゃんは危険な存在ではないはずだ。
オジサンの話の中のお母さんは、僕の知っているものからかけ離れていて、違和感しかない。リコちゃんとオジサン、どちらを信用すべきかは明らかだ。明らかだと、思いたい。
「たぶん……オジサンの探してる怪異とは違うと思います」
「そうかね。これは基本的なことだが……怪異はよく人を騙すのだ。本当に違うと、君は言い切れるのかい?」
そう聞いて、何だか分からないが叫び出したくなる。
リコちゃんのことを何も知らないくせに!
だいたいちょっと考えてみれば分かることなのだ。リコちゃんは昔お母さんとよく遊んでいた。でもお母さんはこの家で普通に育って、大学生になると同時に上京して、大人になってからお父さんと結婚して、僕を産んでいる。交通事故の件を除けば、順風満帆な人生だろう。リコちゃんがコトリなわけがない。
僕が少々感情的になっているのを察知したのだろう、オジサンは「また君の様子を見に来るよ」とだけ言って立ち上がると、お祖母ちゃんに一声かけて立ち去っていった。残ったのは、卵の腐ったような独特の嫌な臭いだけ。
「お祖母ちゃん……僕、ちょっと食欲ないから部屋で休んでることにする」
そんな風に言い訳をして、僕は臭気に満ちた居間を後にした。そして、まるで何かに追われているような妙な焦燥感に駆られながらリコちゃんのいる部屋へと急いだ。
* * *
部屋に着くと、リコちゃんは僕のスポーツバッグの前で静かに座り込んでいた。
「アキト……」
「リコちゃん? どうしたの」
「ごめんね。私……アキトに取り返しのつかないことをしちゃうところだった。でも、未遂だから許してね?」
テヘッと作り笑顔をするリコちゃんは、なんだか少し落ち込んでいるようだった。
「全部話すね。本当のこと」
「……リコちゃん?」
リコちゃんはいつもの快活さを忘れてしまったかのように、沈んだ声で話す。
「コトリと呼ばれる怪異の正体は座敷わらし……つまり私なの。私はずっと、アキトの人生をそっくりそのまま、全て盗もうとしていたんだよ」
そうして、ポツリポツリと説明を始めた。