(36)
銃声が響いたこともあってか、十分もかからず町を巡回していた衛兵たちが集まり、オズワルドの指示のもとレジスタンスを拘束し、連行していった。
ウィルがそれを見送っていると、警戒を解いた様子でリラが歩いてくるのが見えた。
「よう。屋根の上でなんか動いた気がしたから時間を稼いでみたけど、正解だったみたいでよかったよ」
「ん。危なかったから、助かった」
いつもならばウィルの軽口には素っ気なく返すリラだが、レティシアが危なかったということもあってか、素直な様子で返事をした。
「にしても、よくここが分かったな。いくらレティシアを助けるためっていったって、当てずっぽうで来れる場所じゃないだろ」
「教えてもらった」
「教えて、って……?」
当たり前のように答えるリラに、ウィルが聞き返す。
それにリラが返すよりも先に、ウィルの視界にこの場には似つかわしくないメイド服が映った。
「……レティシア様」
「あら。貴女、どうしてここに?」
視線を横に逸らしながら声を掛けてきたメイドに気づいて、レティシアは目を丸くした。こんなところに出向いてくるなど、思いもしていなかっただろう。
メイドはさらに何かを言葉にしようと口を開きかけるが、その口は苦しげに閉じられてしまう。今にも崩れ去りそうな、悲痛の表情を浮かべている。
「この場に赴いたということは、レジスタンスを手引きしていたのは貴様か」
衛兵たちへの指示を出し終えたのか、レティシアの後ろからオズワルドの冷たい声が飛んできた。
その言葉は、しかしメイドにとっては救いでもあっただろうか。小さく、メイドは頷く。
「……はい。私が、全ての手はずを整えました。主様をここへ呼び出すための手紙も……レティシア様を、人質にするための誘導も、全て私の手によるものです」
「は……? 貴女、何、言って……」
苦しげながらも、はっきりと答えるメイドの言葉が理解できず、レティシアは言葉を詰まらせた。
それには構わず、オズワルドが再度問いかける。
「いつから、レジスタンスに所属していた?」
「……主様に使用人として雇っていただいた、すぐ後には。レジスタンスから接触を受けて、お屋敷で知り得る情報を流していました。お屋敷を訪れる兵士の方たちから漏れ聞こえるものだけでも、レジスタンスにとっては有益な情報であったと思います」
吐き出すようにそう語って、それからメイドはレティシアへと視線を移す。寂しげな瞳だった。
そうしてメイドは地面へと膝をつき、レティシアへと向けて深々と頭を下げた。
「何一つ、弁明する余地はありません。私は、私の個人的感情からレジスタンスに入り、主様を……、レティシア様を裏切り続けていました。許されることでないことも分かっています。どのような罰も、受け入れるつもりです」
「そんな、こと……」
レティシアは戸惑いの表情のまま、頭に手を当てる。
未だに信じられないことであろうと、そんな姿を見せられては否定も出来まい。レティシアは、メイドに騙され続けていたのだと。
頭を下げたまま動かないメイドをしばらく見下ろし続けて、それからレティシアはふいと視線をオズワルドへと向ける。
「……その前に。私は、こいつに聞くべきことがある。貴女のことを判断するにも、私は全てを知る必要があるわ。……答えてくれるわよね? あんたがどうして、私を養子にしたのか」
睨むような、しかし真っ直ぐな視線。
オズワルドは小さく息を吐いて一度目を閉じ、ゆっくりと語りだした。
「私がお前の存在を知ったのは、戦争終結後、復興の支援策を打ち立てるため、お前の村へと視察に赴いた時だった」
オズワルドの部隊に所属していた傭兵による、レティシアの村に対する蛮行。それに対する救援は、オズワルドが執り行っていた。
「私の提案した支援策に対する住人の反応は様々あり、渋々ながらも受け入れようという者もいれば、私への怒りや恨みから納得を拒む者、聞き入れる素振りすら示さぬ者もいた。だがその中でレティシア、お前だけは違っていた」
「違った? 私が、どうだったっていうのよ?」
「私の提案に、お前は『何の反応も示さなかった』。納得も否定も、無視すらもなく、ただ一人、どうでもいいと生きることそのものを諦めていた」
オズワルドの言葉に、レティシアは図星を突かれたように息を詰まらせた。
脳裏に、当時の記憶が蘇ってくる。今となっては遠い昔のようで、しかしいつでも頭の片隅にこびり付いていた、あの頃の記憶。
父親と母親。レティシアにとって世界の全てと言っても過言ではなかった、大切な存在を失った絶望と虚無感。
「お前はあの村でも唯一、肉親を二人とも失い、身寄りを失くした娘だった。まだ七歳であったお前には到底受け入れられぬ現実であり、両親のいない生よりも、死に引かれるのは無理もないことだ。そのような状態のお前には、金も娯楽も、新たな居場所も、無価値でしかあるまい。だから私は……、まずお前に『生きる理由』を与えようと考えた」
「生きる理由……っ、あんた、まさか……」
レティシアの頭の中に、一つの答えが浮かび上がった。
失意の底に居たはずのレティシアが、どうして今こうして生きているのか。
あの時、レティシアが生きようと思った原因は。
「両親がなくなる原因を作った男、クレイグ・オズワルドがお前を養子にすることを申し出る。お前にとって、これ以上の侮辱はあるまい。絶望も失意も、全て私への恨みと、怒りへと変貌する。この男がのうのうと生きているのに、死んでたまるものかと再起する。そう思った」
「私に、あんたを恨ませること自体が、目的だったっていうの……?」
「怒りのままに、私の提案を蹴るのならばそれでもよかった。それでも、私への復讐心さえあれば生きていけるだろうと。だが、お前は私が想像していたよりも賢しく、深く物事を考えられる娘だった。私の行動に、道理に沿った理由を見出し、あえてそれに従うことで反発してみせた。おかげで、新たな使用人の雇用や家財の新調、教育係の用意など、随分と苦労をかけさせられたものだ」
口の端を歪めて言いながら、オズワルドはちらりとメイドのほうを見た。彼女こそが、オズワルドがレティシアの為に雇用した使用人だったに違いない。
レティシアはゆっくりと首を横に振りながら、言葉を漏らす。
「何よ、それ……。そんなことして、あんたに何の得があるのよ? 私に怒りの感情を植え付けて、養子にして、そうまでして私を生かして、それが何になるのよ!?」
オズワルドは、一瞬の思案もなくそれに答えた。
「先ほども言ったはずだ。私の行動は、私の意志によってのみ決定づけられる。お前は、私の失態によって生きる理由を失った被害者であり、私にはその責任を取る義務がある。そこに理屈や道理などは存在しない。お前が自由に、幸せに生きること。そしてその生活を守ることは、私の責務だ」
「っ……」
その堂々たる宣言のどこに、嘘を見出せばいいというのか。
冷静で、冷徹で、他人を顧みずただ利用する。理屈と道理に沿った計画を無機質に実行する血の通っていない人間。それがレティシアの抱く、オズワルドの人物像だ。
けれどオズワルドは、レティシアを救うためその命を投げ出そうとまでした。その事実を踏まえた上で、その人物像は、はたして本当に本人のそれと合致しているのだろうか。
レティシアは、ふらりと頭を伏せる。
出てくる答えは、今までの自分を根底から覆さなければならないもので。認めずにいたほうが、ずっと楽だっただろう。
だから。
「──ああ、もう、馬っ鹿馬鹿しい!!」
レティシアは、空を見上げて大きく叫んだ。
頭を覆う雲を吹き飛ばすような、感情任せの声だった。
「本当は、私だって考えたわよ! あんたが本当は、ただ私を守ろうとしてくれてるんじゃないかってことくらい! ……でも、それを認めたくなくて、賢しらに体のよさげな理屈を繕って見ないふりをしてた。あんたへの怒りを消さないように。それが、あんたの掌の上だってことも知らずに」
オズワルドは冷徹な人間であるから。自分を利用しようとしているだけだから。
だから、そんな奴を許すことは出来ず、自分の怒りは正当なものだと思い込んでいた。
時間とともに薄れゆくその感情を、絶やさぬように。
「……何やってんのかしらね。誰よりも自分が、過去の恨みに縋って生きていたなんて。これじゃ、レジスタンスの奴らと変わらないじゃない。……でも、おかげでようやくふり切れた」
人のことを言えた立場ではない。程度の違いこそあれど、レティシアの根底にあったものも、レジスタンスの抱いたものとさほど変わらなかった。
けれど、だからこそ。それを正す方法が、今のレティシアにははっきりと分かった。
「クレイグ・オズワルド。あんたが母さんと父さんを奪ったこと、絶対に許せないって、そう思ってきた。でも、あの時から今まで、私はあんたのおかげで生きてこられて、大切なことに気づけて、大切な人に出会えた。私は今、幸せに生きている。だから私は……あんたを許すわ」
相手を許す。ただそれだけのことが、どれほど難しいか。
父と母のことを思えば、今も胸が痛む。暗い感情が沸き上がりそうになる。
それでも、許す。正しく事実を見つめ直したなら、それに足るだけのものを、レティシアは受け取っていたのだから。
オズワルドは珍しく、少しだけ言葉に迷って、それから変わらぬ重苦しい声を上げた。
「……お前が許そうと許すまいと、私の責務は変わらん」
「そんなことはどうでもいいわよ。これは私の感情の問題。私はもう、あんたを恨まずとも生きていける。だから、そうね。今まで、恨ませてくれてありがとう」
その返答で、今度こそオズワルドは言葉を失った。
そんな過去との決別の言葉は、レティシアの心から重しを綺麗に取り除いてくれるようで。
清々しい心持ちのまま、レティシアは未だ蹲るように頭を下げ続けているメイドへと向き直る。
「それから、貴女のこともよ」
「……ぇ?」
その声で、ようやくメイドが顔を上げた。
真っ赤に泣き腫らしたその表情だけでも、レティシアは自分の判断が間違いではないことを悟る。
「貴女がどうしてレジスタンスに入ったのかも、どうして私を騙していたのかも、どうでもいい。ただ私は、貴女に助けられて生きてきた。ずっと一緒に居たんだもの。何があったって、嫌いになんてなってあげられない。だから、貴女のことも、私は許す」
「で、でも……私は……レティシア様を……っ」
「あー、もう、ごちゃごちゃ言わない。……私が許したところで、貴女の罪は変わらないでしょうけれど。その分の罰をきちんと受けて、罪を償ったら、また私の傍に戻ってきて。私は、いつまでだって待っているから」
レティシアは、メイドの頭を優しく撫でる。
何しろ長い付き合いだ。彼女が今、どんな心境であるかは、手に取るように分かる。
「ぅ、ぁ……っ、申し、訳……申し訳、ございません…………本当に……本当に……っ!」
涙と嗚咽を交えながら、メイドは再び頭を下げて、泣き叫ぶように言葉を繰り返す。
彼女はこれからずっと、後悔の中で自分を責め続けることだろう。レティシアを騙し続けていたという、自らの罪を抱えながら。
ならばせめて。自分を許すことの出来ない本人の代わりに、レティシアくらいは、彼女を許してあげよう。ただただ、そう思った。
これで今度こそ、レティシアの中につっかえていたものは全て取りされた。レティシアは、ウィルのほうへと向き直る。
「これが、私の考えた正しさよ。……世界がこんな単純に出来てないってことは、分かってるけど。それでも、許すべきと感じたなら、私はその感情を見なかったことにはしない。許さないなんて安易な選択肢に逃げるのは、もう止めにするわ」
その考え方が、万人に通用するとは思わない。それはレティシアが恵まれていて、今を幸せに生きているからこそ得られた答えだったかもしれない。
けれども正しさが人それぞれであるならば、レティシアのそれもまた、誰にも否定することは出来ない正しさの一つで。
「なるほど。許すべきは許す、か。良いんじゃないか? そういう考え方、少なくとも俺は、嫌いじゃないぜ」
ウィルが笑いながら同意を示す。
隣にいるリラのほうを見ると、リラは無表情のまま見つめ返して、こくりと頷いて見せた。
そうして、レティシアの正しさを認めてくれる人たちがいるのなら、何も迷う事はないだろう。
レティシアは自信に満たされた様子で、晴れやかな満面の笑みを作った。




