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 手を揚げたまま先頭を歩くヤトに連れられ辿り着いたのは、廊下を真っ直ぐ行った突き当りの部屋だった。当初の予定通りの、大部屋だ。


「開けても?」

「ああ」


 短く訊ねてから、ヤトはようやくと手を下ろしてそのドアを開けた。

 その背に続いて入った部屋は、さながら謁見室のようだった。

 家具や装飾品などもあるにはあるが、そのほとんどが部屋の壁側の方に配置されていて、中央部分は広々とスペースが空けられている。

 その先に置かれたソファーの上に、乳白色のローブを身に纏った男が座っていた。


「やはり、貴方でしたか。この屋敷を抑えるならば、クレイグ・オズワルド准将自らが来るものと思っていましたよ」

「セルヴィン・ロウリー。やはり生きていたか」


 ところどころに白髪の混じった、五十過ぎの男だ。右頬の辺りから首元、おそらくはそのローブの下にまで火傷の跡が広がっているが、ウィルが想像していたよりもずっと、温和そうな風貌をしている。

 セルヴィンはそれからヤトの方へと目を向けて、ほっとしたような笑みを浮かべた。


「ヤト君も、無事に戻ってきてくれてよかった。君には関係のない騒ぎなのだから、あまり無茶はしないで欲しいな」

「心に留めておくとしよう。まあ、どうやら次はなさそうだがな」


 優しげな言葉に、ヤトは苦笑で返した。その親しげな様子は、傭兵と雇い主というよりも、気の合う友人という風に映る。

 魔術師との戦闘になるものと、顔には出さずとも警戒をしていたウィルも、その雰囲気に毒されて気が緩んでしまう。


「随分と余裕そうだな。あんたの魔術には準備がいるって話だったが、それはもう済んでるのか?」

「ええ、まずはその話からでしょうね。安心してください。準備も何も、今の私は魔術を使いません。この通り、もう使えませんので」


 言って、セルヴィンはローブを捲り上げて右腕を見せた。

 右腕は顔に見えるそれと同様、酷い火傷の跡で覆われている。


「戦争の際に受けた砲撃で、この通りです。命こそ取り留めましたが、全身のほとんどを焼かれてしまいましてね。肌で空気を感じられないというのは、風を操る魔術師としては致命的です。私の力を信じて、ここに残ってくれた同胞には申し訳ない限りですが」

「……だったら尚更、なんでそう余裕でいられる? 打つ手がないって自白してるようなもんじゃないか」


 怪訝な顔で訊ねると、セルヴィンは少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべた。


「そうですね。あるいは貴方がたを……、特に准将、貴方を前にすれば、もはや力を持たぬ私にも、戦う意思が生まれるかと思っていたのですが。この平穏を保ってしまっている心こそが、私という人間の答えなのでしょうね」


 一人だけで納得したように胸に手を当てるセルヴィンに、怪訝の色は深まるばかりだ。

 それを理解しているのだろう。セルヴィンは「少し話をさせて下さい」とオズワルドを見た。

 オズワルドは、無言でいることでそれを承知する。


「戦争で一命を取り留め、どうにか動けるようになった頃には、終戦を迎えていました。その後私は、二十名ほどの同胞と共に、レジスタンスを立ち上げたのです。念のためにと隠し持っていた私財を持ち寄り、少しずつ武器や人員を集め、計画を練っていった。全ては、亡き同胞のため、リトシアの復権のためです」


 何処までも穏やかに凪いだセルヴィンの表情に、僅かばかりの熱が浮かんだように感じられた。


「元宮廷魔術師としての知名度もあり、私はレジスタンスの代表として、皆の上に立つ存在となりました。あの頃の私は確かに、未来のリトシアへの憧憬と、テイルノートへの義憤に燃えていたはずです」

「……今は違うって?」


 ウィルが静かに訊ねる。セルヴィンは、いっそ清々しそうな表情さえ浮かべて、小さく頷いた。


「……きっと私は、人の上に立てるような人間ではなかったのでしょう。椅子に座り、成果を聞くだけの日々の中で、私の抱いていた熱は、少しずつ冷めていきました。同胞が嬉々として作戦の成功を伝えてきても、それに伴った犠牲に目がいってしまうんです。亡き同胞のためにと、今いる同胞たちがさらに犠牲になっていく。そのことに僅かでも疑問を抱いてしまった時から、私の復讐心は、心のどこかを彷徨い続けていたように、今となっては思います」

「今更、後悔してるってか? 一般市民にまで被害を出しておいて、都合のいい話だ」


 ウィルはにべもなくそう吐き捨てる。

 セルヴィンの感情も分からなくはない。おそらく彼は、物事を冷静に捉えて、より大切なものは何かを考えられる人間なのだろう。

 だというのに、レジスタンスの行いを止めるでもなく、傍観を続けたセルヴィンに、ウィルは内心の憤りを感じていた。


「その通りですね。私は狡い人間です。ここに至るまで、何の選択もしてこなかった。そして今も、捕らえられることによって、この席を降りようとしている。……本当に、狡い人間です」


 ただただ悲しそうに、セルヴィンは呟く。

 それからセルヴィンは、縋るようにオズワルドを見上げた。


「准将。私は、どうすれば良かったのでしょう? 何処で誤ったのでしょう? 私のリトシアへの想いは、間違いなく本物でした。かの国を取り戻したいと、本気で思っていました。そのはずなのに……。オズワルド准将、貴方ならば。もし、貴方ほどのが私の立場だったなら。一体どこに、正しい道を見出したのでしょうか」


 レジスタンスとして、リトシアを取り戻そうとしたこと。それ自体はきっと、セルヴィンにとって『正しい』行いだった。

 そのはずなのに今、セルヴィンが後悔をしているというのなら。

 その原因を、本来進むべきだった道を、オズワルドなら知っているだろうか。


「……戯言だな」


 そんな思いを、オズワルドは冷たく一蹴した。


「貴様の意志は、貴様の人生によって培われたものであり、私の意志もまた、私の人生によって培われたものだ。一定の場面のみを選び取っての立場を変えた仮定など、絵空事にすらならん」


 オズワルドの考え方は、オズワルドの生まれ、成り立ち、その人生全てによって培われてきたもの。

 もしもオズワルドが、セルヴィンの立場になるのであれば、そもそもの考え方が今のオズワルドとは異なったものになっているのは間違いない。

 答えてすらくれないというその答えに、セルヴィンは静かに頭を落とす。

 オズワルドはそれを見下ろしながら、続けた。


「だが。貴様は自分の意思を持ち、それによって疑念を抱いたはずだ。だというのにその疑念を精査することなく、振り返ることもなく、流されるままに進み続けた。その先にある道が、正しいものであるわけがないことくらい、誰にでも分かることであろう」


 重々しくもその声は、静かに部屋に響いて。

 セルヴィンは顔を上げて、弱弱しく笑顔を作った。


「……そう、ですね。そんな簡単なことにすら、私は……。気づけないフリを、していたのでしょう」


 ゆっくりと立ち上がり、セルヴィンは両手をオズワルドへと差し出した。

 オズワルドは片手でその腕を掴む。


「抵抗はしません。その代わり一つだけ、お願いしたい。ヤト君は、レジスタンスとは関係のない一般人です。レジスタンスの活動に参加したこともないし、私が知る以上の情報も持ち合わせていません。だからどうか、彼は見逃してあげてもらえませんか?」


 その齢以上に老け込んだ様子の、弱弱しい立ち姿を見せながら、セルヴィンは最後にそう懇願した。

 視線を向けられたヤトは、小さく肩を竦めてみせる。


「そうもいくまい。俺は准将に刃を向けたのだからな。敗軍の兵として、相応の処罰は受けよう」


 本気で逃げようと思えば、一人で逃げるくらいは出来るだろうに、ヤトは潔くそう答えた。それもまた、彼なりの義理なのだろうか。

 そんなヤトを一瞥した後、オズワルドは短く鼻を鳴らしてからウィルの方を見た。


「傭兵の処遇になど興味はない。その男に関しては貴様に一任しておく。対処が済み次第、部隊と合流せよ」

「あー、えっと、はい。分かりました」

「……感謝します」


 都合よく使われたなと思いつつ、ウィルは頷く。

 それを確認して、オズワルドは静かに安堵の表情を浮かべるセルヴィンの腕を引いて、部屋を出ていった。

 残されたのは、ウィルとヤトの二人。ウィルは少し悩んで、手にしていた刀をヤトへと差し出す。


「ほれ」

「かたじけない。やはり、噂というものはアテにならないな。クレイグ・オズワルド、なかなかどうして、話の分かる御仁だ」

「否定はしないでおくよ。けど、そんな保証もなかったのに、よくもまあ逃げずにいたもんだ」


 ウィルとヤトが知り合いであることはオズワルドも承知していたし、その上でウィルに任せるというのは、言外にこうしろということに違いない。

 とはいえヤトからすれば、オズワルドがそんな判断を下すと確信出来るものはなかったはずだ。その上でオズワルドに刃を向けたというのは、場合によっては、本当に捕まってしまうことさえ了承していたということになる。


「お前が義理堅い性格なのは知ってるが、あの男にそこまでする義理があったのか?」

「ふっ。あの男に憤るお前の気持ちも分かるがな。俺とお前も、立場が違うということだ」


 刀を鞘に納め直しつつ、ヤトは楽しげに答えた。


「一週間ほど前か。旅の最中に、偶然この拠点を見つけてしまってな。ちょうどここの存在が軍に気づかれたと神経を尖らせていた頃だったらしく、問答無用の大騒ぎよ。それを止めに入ってくれたのが、あのセルヴィンという男だった」

「それで助かったのは、むしろレジスタンスの方だと思うが」

「さてな。まあともあれ、それから今日まで、セルヴィンとは友人として接してきた。あのような悩みを抱いていた人間だ。活動とは関わりのない話し相手が欲しかったというところか。俺としても、彼の話は興味深かった。元とはいえ宮廷魔術師の話など、俺には新鮮なものばかりだった」


 その口ぶりからだけでも、そこにあった会話がどれほど穏やかで有意義なものであったかが見て取れるようだった。

 そこに生まれるであろう感情は、ウィルにも分かる。


「……友達の為なら、命くらいは張るか」

「そういうことだ。俺からすればあの男は、仲間からの期待と、自身の中に眠る罪悪感とに押し潰されそうになっている、優しくて弱い男で。同時に、よき友であったというだけのことよ」


 ウィルからすれば共感のしようもない男であったが、ヤトにとっては守るべき友人の一人であった。

 結局はこれも、セルヴィンという男をどちら側から見たかというだけの話なのだろう。

 はっきりと残るのは、この晩の出来事によって、レジスタンスという存在が根幹から揺らいだという事実だけだった。

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