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 同時刻。

 アルガスから南南東に離れた所にある森林地帯。

 その中央には、貴族が別荘として所有していた屋敷が存在している。

 先日の会議によって、レジスタンスの拠点として当たりを付けられた屋敷だ。

 本来はただの別荘であるため、大した防衛策も取られていなかったが、今現在のここはオズワルドたち軍の懸念を裏付けるように補強が成されていた。

 外壁の周囲には一メートルほどの深さの堀が作られていて、侵入を阻んでいる。

 庭園はいくつもの木製の柵が構えられ、常に数人の男が武具を手に見回っている。門の傍にはこれも木製の物見台。その上には男が二人、辺りを取り囲む森へと視線を向けていた。


「軍が会議を開いてから一週間か。未だに向こうの動きは入って来ないな」

「ああ。諜報員によれば、この場所の存在が露呈したという話だが……。まあ、拠点制圧に向けるなら、それなりの時間と人数が必要だろう。今は、あちらの動きを待つのみだ」


 レジスタンスは元を辿れば民衆の集まり。故に町の中に溶け込み、情報を集めることには長けている。

 おかげで軍がこの拠点の存在に気づいたことも、近いうちに攻め込んでくるであろうことも、レジスタンスの面々は既に把握できていた。

 だからこそだろうか。男の一人は弱気な調子で口を開く。


「しかし、主要拠点の一つとはいえ『暴風の主』自らがここに残って下さるとは。いくら情報で先んじられようと、数を集められたなら、ここは……」

「主様は差し違える覚悟でここに残られている。兵器供給に関する隣国との密約は、我々に軍に打撃を与えられるだけの力があることを示すことが条件だ。これが成されたなら、形勢は大きく変わる。勝てぬ戦と二の足を踏んでいた者たちも、立ち上がるに違いない。そうなれば、我々の犠牲など些事に思えるほどの戦力が手に入るのだからな」


 対するもう一人は恐れる様子もなく、むしろ誇らしげにそう返した。

 それに鼓舞されたのか、男は小さく頷いて息を一つ吐く。


「……そうだな。俺たちの犠牲によって、残された者が救われるのなら、これ以上ない誉れだ」


 自分自身に言い聞かせるようにそう呟いて、男は改めてと視線を遠方へと向けた。

 丁度その時だった。

 闇夜を斬り裂くように、発砲音が数発、鳴り響いた。


「っ、なんだ!? 何処からの発砲音だ!?」

「あっちだ! 北北東の方角。森の中からだろうが、姿は見えん!」


 突然の出来事に、物見台の男たちはもちろん、庭園にて見回りをしていた者たちも皆、音のした方へと意識を向ける。

 しかしそれが過ちであったことを、彼らはすぐに理解する。

 発砲音とは真逆の方向。その上空から風切り音が耳につく。


「なんだ、今度は何が……」


 それに気づいて振り返った時には、音を発していた物体、十数個にも及ぶこぶし大の黒い球体は地面へと着地し砕け散っていた。

 それが燃焼用の魔石であることを彼らが知るよりも早く、魔石は庭園の草木や木製の柵に着火し、一気に燃え広がっていく。


「くそっ、敵襲だ!」


 ここでようやく事態を察知した男が、敵襲を告げる鐘を鳴らす。

 だがそれすらも、もはや遅まきに失していた。

 鐘の音を掻き消すように、爆音が鳴り響く。それは門が爆破され、打ち破られた音だった。


「門が……!? まずい、攻め込んでくるぞ!」


 誰かが上げたその声が早いか、爆破によって立ち上る煙の中からいくつもの人影が駆け込んでくる。

 その煙から覗いた鎧姿に、物見台にいた男は呆気に取られて声を漏らす。


「馬鹿な……何故、軍がここに……。出兵どころか、準備を終えたという情報さえ届いていないぞ……!」


 その鎧は間違いなく、アルガス軍のものだ。陽動からの流れるような攻勢を鑑みても、疑いようはない。

 疑いようがないからこその疑問。いるはずがない者たちの存在に、男の思考は追い付かなかった。


「おい、こっちにも火の手が!」

「く、そ……『暴風の主』よ、どうか我らを……!」


 支柱に炎が燃え移った物見台は呆気なく崩れ、そこにいた男たちもその崩落に飲み込まれていった。

 それを気にも留めず、煙の引いた門から覗くのは、オズワルドの姿。


「一斑から三班は速やかに所定のポイントを押さえ、陽動班の侵入を補佐。四班は裏口を確保せよ。残りは敵対勢力の無力化だ。この場にいる者は貴重な情報源となり得る。出来る限り生かして捕えよ」


 混乱しきったこの場において、荒げているわけでもないのに良く通る声で、オズワルドは兵士たちへと指示を飛ばす。


「唐突に集められて、そのまますぐ出立ってのには驚いたが、ここまであんたの作戦通りか」


 オズワルドの傍には、ウィルの姿もあった。

 周囲へと視線を巡らし、すぐにでも剣を抜けるよう身構えているが、状況はその必要もなさそうに映っている。


「や、屋敷に入れさせるな! ここで迎撃を!」

「そんなことをしても持つものか! 一旦退いて体勢を立て直せ!」

「裏手にも軍が回ってる! このままだと挟まれるぞ!」


 今この場にいる兵士の数は二十弱。陽動に動いた兵を合わせても三十と少しであり、数の上でならレジスタンスの方が上であったろう。

 しかし予期せぬ襲撃に際して、彼らは指揮も連携もままならず、それぞれ単独で逃げるなり立ち向かうなりを強いられた。

 速やかな連携を取る兵士たちに、レジスタンスはほとんど太刀打ちすることも出来ずに一人ずつ無力化されていく。


「こちらの動きがレジスタンスに漏れ出ていることは把握していた。それ自体はいい。が、今回に限っては、敵に『暴風の主』がいる可能性がある。もし奴に一時間も準備の時間を与えたなら、この辺り一帯を吹き飛ばすことも可能であろう」


 『暴風の主』と呼ばれた魔術師、セルヴィン・ロウリー。

 たった一人で戦争を数ヶ月も長引かせたと言われるその強大な力は、同じく先の戦争で活躍したオズワルドが、最も理解しているに違いない。

 そんな彼が言うのだ。セルヴィンにとって、その程度は容易いことなのだろう。


「故に、本作戦についてはギリギリまで情報を伏せ、また伝える人間もごく少数に絞らせてもらった。それ以外の者は、我々が出兵した後にこの事実を知ることとなる」

「なるほど。どんなに優秀な諜報員がいようと、あんたの頭の中にしかない情報は聞き出しようがないってわけだ」


 とんでもない荒業だが、それを成せるだけの能力がオズワルドにはあり、それに応えられるだけの人員が彼の元には集っていたというだけのことだ。

 感心とも呆れともつかぬウィルの声を背に、オズワルドは屋敷を見据える。


「道中、この屋敷の間取りは把握しているな。『暴風の主』が魔術を行使するには、空気の流れを正確に読む必要がある。籠城するにも、地下などの密閉された空間は使えまい。この点を踏まえ、奴の居る可能性が最も高いのは……」

「……テラス付きの書斎。三階の奥にある大部屋か」


 空気の流れが読める、つまりは外と繋がっていて、かつ接敵までの時間を最大限稼げる場所。この屋敷の間取りでその二点を満たす場所は、そこくらいしか思い浮かばなかった。

 オズワルドも同じ考えだったのだろう。小さく頷き、腰の剣をゆったりと引き抜いた。


「制圧は部下に任せ、私は速やかにそこを押さえる。貴様も同行し、私の補助に回れ」


 有無を言わさずそう命令を残し、オズワルドは駆け出す。


「こりゃまた大役だ。ま、期待には答えさせてもらうさ」


 それを期待によるものと受け取って、ウィルもまたその背を追って駆け出した。

 屋敷の中には既に兵士たちも入り込みだしていて、あちこちから混乱混じりの怒号が聞こえてくる。

 廊下にはいくつかバリケードが作られているのが見て取れるが、どれも椅子やテーブルなどの家具を使った即席のものだ。

 ウィルの頭の中にある間取り図では、三階の書斎へと続く階段は一つ。

 元はといえば貴族の別荘だった屋敷である以上、バリケードがあろうと階段までの距離はさほどない。


「クレイグ・オズワルドだ! こちらから侵入しているぞ!」

「感づかれたか。このまま三階まで駆け抜ける。その後、背後からの襲撃は貴様に任せよう」

「ああ。時間もないし、囲まれる前に突っ切っちまったほうが良いだろうな」


 階段が見えてきた辺りで、後ろからレジスタンスの声が響いてくるが、上りきる方が早い。

 二階を抜けそのまま三階へ。真っ直ぐに伸びる廊下へと入ったところでウィルは振り返ると、階段の踊り場あたりへ何かを投げつけた。

 黒い球が床に転がり、異臭のする薄煙を巻き上げる。


「っ、毒か!? みんな下がれ!」


 ウィルたちを追っていたレジスタンスもその匂いに感づき、咄嗟に鼻と口を抑えて二階へと下がっていった。

 実際には、色と匂いを付けただけの煙玉なのだが、そうと知らなければ迂闊に突っ込んでくることも出来まい。

 これでしばらくは持つだろうと、ウィルは廊下へと目を向ける。


「さてと……。で、何でお前が居るんだ? ヤト」


 そうしてオズワルドのさらに向こう。廊下の先に立っている一人の男に、ウィルは声をかけた。

 そこにいたのは、短めの黒髪を無造作に流した、三十歳ほどの男だ。足元までの長さがある、藍色の織物を服状にした着物を、帯で巻き付けた独特の風体をしている。

 その帯元に差された、漆黒の鞘に納まる刀も、緩やかな曲線を描いたこの辺りではあまり目にすることの無い代物だ。


「ウィルか、久しいな。何、ただの仕事だとも。お前もそうだろう?」


 ヤトと呼ばれた男は、涼しげな様子でウィルの声に答える。

 軍による侵攻の渦中にあるこの屋敷にあって、随分と悠長な雰囲気ではあるが、緩やかに控えるその佇まいには、僅かな隙も感じられない。


「貴様の知り合いか?」

「ああ。傭兵仲間だ。敵になったことも味方になったこともあるが、かなりのやり手だよ。俺が真正面からやり合った場合……五回に一回も勝てたら、自分を褒めてやりたいね」


 ヤトを見据えながら短く問いかけてくるオズワルドに、ウィルも静かに答えた。

 冗談交じりながらも、その分析に偽りはない。戦うとなれば、それなりの覚悟と準備を要する相手だ。


「ふっ、よく言う。そもそも真正面からやり合わないように動くのが、お前の戦い方だろうに」


 ヤトは口の端を歪めながら親しげに呟き、ゆっくりと音も無く刀を鞘から抜き放った。


「さて、ウィル。何人たりともここを通さぬのが、今の俺の仕事だ。お前とは、立ち位置が違ってしまったようだな?」

「……まさに、真正面からしかやり合えないような場所で待ってるのは、ズルいだろ」


 分かっていたことではあるが、先を越してここまでたどり着いていた援軍というわけではないらしい。

 ウィルは苦笑いを一つ浮かべてから、とりあえずと剣を抜こうとした。

 けれどもそれを、オズワルドが手で制する。


「貴様はそのまま背後の警戒を続けよ。この男は私が相手をしよう」

「え!? いやいや、いくら准将でもそれは……。援護くらいはさせてもらうって」


 思わぬ提案に、流石のウィルも慌ててオズワルドを止めに入った。

 オズワルドの力を侮るわけではないが、ヤトもまた侮ることの出来ない強者だ。万が一のことを考えずにはいられまい。

 しかしオズワルドは、ウィルの方を見ることすらなく、


「この狭い通路での拙い連携など、却って互いの足を引きあうだけだ。貴様では力量不足である以上、私が対応させてもらう」

「あー……。はい、分かりました……」


 言外に足手まといだと言われている気がしたのは、間違いではないのだろう。

 とはいえオズワルドの言っていることはもっともだ。廊下の横幅は精々三メートル程度。混戦になれば、互いの動きを制限し合う結果にもなりかねない。

 である以上、真正面からヤトに勝てる可能性の低いウィルに出来ることは、さらなる敵の増援を防ぐことだけであろう。


「なるほど、オズワルド准将。噂に違わぬ傑物のようだ」


 楽しげに言って、ヤトは刀を正眼に構えた。

 柔らかな笑みを浮かべるその立ち姿は、悟れぬものが見たなら子供の稽古にでも付き合うかのように穏やかなもので。

 しかしそこに忍ばせる僅かな殺気は、刃のように鋭くオズワルドへと向けられている。

 それを意に介する様子もなく、オズワルドはただ剣を抜き、ヤトへと対峙した。

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