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 なんとなく煩わしく感じられて、近場にある魔石灯の明かりを全部消す。

 そうして薄暗くなった二階のバルコニーから外へと出ると、月明かりと夜風が柔らかく出迎えてくれた。

 レティシアはバルコニーの手すりに腕を置いて、さらにその上に頭を乗せる。

 夜風が頬をくすぐり、髪を撫でて通り過ぎていく。

 気分は、晴れない。


「よう。風情があるな」


 どれくらい、そうしてぼんやりしていただろうか。後ろから軽薄な声が聞こえてきて振り返る。

 ウィルは相も変わらず、飄々とした笑顔を浮かべながら、手をひらひらと振ってみせた。

 レティシアは呆れのこもった視線をウィルへと向ける。


「……自分で言うものでもないでしょうけど。私、一人にしてくれって雰囲気をしているつもりだったのだけれど」

「ああ。そう思ったから声をかけたんだ」

「そういうの、嫌われると思うわよ」

「嫌われるのが怖かったら、こんな性格にはなってないさ」


 改めて、一番面倒くさいタイプだなと確信して、レティシアはそれ以上の抵抗を諦める。

 それを許可を得たと解釈して、ウィルはレティシアの横に立つと、同じように手すりに手をかけた。


「……馬鹿みたいな話よね」


 しばらくして、腕の上に顔を乗せたまま、レティシアが呟く。


「村が襲われてるって聞いて怒って。そんなことは許せない、理由を問いただしてやるって勇んで。救助の場に割り込んでまで犯人に会いに行って。……それで結局、言い負かされて」


 レティシアはあの村での男との会話の結末を、敗北と受け取ったか。

 なるほど、返す言葉を失ってしまったという意味でいえば、レティシアの思考は相手に及ばなかった。これを敗北と取ることは間違いではないだろう。


「私は、正しいことを言ってると思った。今でも、言ったと思ってる。村を襲うなんていう行動が正しいわけがなくて、それをした奴の言葉なんて、体のいい言い訳でしかないってそう思ってるのに」

「………………」

「……私が、間違ってるの? こんなところでのうのうと生きているうちに、平和ボケして正しいことが分からなくなってしまったの? 私はあの時、なんて答えれば良かったの……?」


 レティシアには、何も分からない。

 何が正しいのか、何が間違っているのか。それを誰が決めるのか。

 何一つ、分からなくなってしまった。

 風と時間だけが、二人の間に流れていく。


「……レティシアの言ったことは、正しいよ」


 その言葉は自然と、この場の空気に溶けていった。

 もしもその言葉だけであったなら、それは普段のウィルの軽口にすら劣る、気休めにもならない言葉であっただろう。

 けれどもウィルがこういう時において、そんなレティシアを貶すような発言をする訳がないだろうということは、レティシアにも分かっていた。


「だけど。あいつの言ったことも正しかった。今回のは、それだけの話だ」

「ぇ……?」


 それでも、続いたウィルの言葉はレティシアの予想からは大きく外れていて、思わず声が漏れ出てしまった。

 失望にも似た戸惑いの瞳で、レティシアはウィルを見上げる。


「何よそれ……。貴方も、あいつのしたことは正しいって言うの? ああやって村を襲うことは、正しい事なの?」

「まさか。あいつらのしたことは俺だって許せない。……魔獣を撃退してる時に、子どもを魔獣から庇ってる父親を見つけてさ。助けられたから良かったようなもので、もしも間に合ってなかったらって思うと、はらわたが煮えくり返りそうになる」

「だったら、どうして……」


 ウィルの意図が読み取れずに、レティシアは訊ねた。


「それでも、だ。俺やレティシア、あるいは大多数の人間から見たら許せない悪事でも。少なくとも、あいつらにとっては正しい行いだった。あいつらの中で正しかったのなら、それは他の誰が何と言っても、正しいことなんだよ」

「そんなの……」

「おかしいと思うか? 俺も思う。けど、世の中の悪事や、他人に非難されるような行動をする奴の中でも、特に何かしらの理念、信念を抱いているようなのは、自分なりに考えた結果の『正しさ』を持って行動してるんだ。普通、自分が悪だと思うものに、信念なんか抱けないからな」


 その言葉を短絡的に否定するほど、レティシアも考えなしではない。

 それは何も、悪事に限った話ではないだろう。レティシアだって、自分の行いを悪だと思いながら行動することなど、そうはない。そして正しいと思っての行動が、結果として間違っていたという経験は、きっと誰しもに心当たりのあるものに違いない。


「でもって、そいつが『自分の行動は正しい』と判断するまでに通る理屈や理論には、やっぱりどこかに、正しいと思わせるだけの力がある。だから、そういう奴の言葉を、丸っきり全部否定するってことは難しくなるのさ。昼間のレティシアみたいにな」

「……そう、ね。私は、あいつの言葉を否定できなかった。あいつの言葉が、正しかったとは思わない。けど、あいつもあいつなりの理屈を持っていた。……理解は、したくないけれど」


 あの男の行動が、単なる復讐心、自分の中で消化することの出来なかった怒りの発露によるものであったなら、レティシアも怯みはしなかった。

 その主張の中に、ある種の『力強さ』を感じてしまったのは、それが感情任せのものではなく、彼なりの理屈があったからこそなのだろう。たとえそれが、レティシアには認められぬ理屈であったとしても。


「言い合いでも戦争でも、大抵の争いってのはそんなもんだよ。どっちともが正しくて、どっちともが間違ってる。見る方向が違うだけでな。そんなこと、傭兵なんて仕事をしてるとしょっちゅうだ。どっちともが正しいことを言い合って、争ってるなんてのは」


 どちらか一方が明確な悪であり、それを正義の側が打ち倒す。世の中がそんな御伽噺のようには出来ていないことくらい、レティシアも理解しているつもりだ。

 けれど、そうであるならば。


「……だったら。そんな時、貴方はどうするの? どっちともが正しくても、貴方はどちらかに付いて、戦わなくちゃいけないのに」


 どちらともが正しいというのならば、一体どうしろというのか。

 考えたところで、いや、考えれば考えるほど、レティシアにはその答えが分からなくなってしまった。

 そんな問いが来ることを分かっていたのか、ウィルは考える素振りもなく答えてくれた。


「俺も、傭兵になったばかりの頃は悩んだよ。どっちも正しいなら、どっちを選んでも間違いってことにもなる。……けど、それは悩んだって答えの出るものじゃない。だからそういう選択を迫られた時には、俺は俺が『正しい』と思った方に付くよ。どっちともに正しい部分があったとしても、自分なりに考えて、自分なりの正しさを貫く。俺には、それしか出来ないからな」

「……でも、それじゃああいつと……レジスタンスと同じじゃない。自分なりに考えて、正しいと思って行動して。そうして正しいと信じたまま、誰かを傷つけてしまうかもしれない。……それが、怖くはないの?」


 狡い質問だ。自分でもそう思った。

 ウィルはレティシアから見ても、常識を持った人間だ。正しさの溢れる世の中でも、きちんと考えて、より最良と思える選択肢を選べる人間だろう。

 だが、そうして選んだ選択が、常に最善で、誰も傷つけることのないものであるはずがない。それは、ここまでの話でレティシアにもよく分かっていた。

 だからこそ、レティシアが知りたいのは、その先だった。


「ああ。怖いよ」


 それに対して、ウィルはレティシアの想定通りの答えを返した。


「お前の言う通り、俺も結局はレジスタンスと同類だ。俺の考える『正しさ』が、たまたまレティシアのそれと似通っていたから、今こうして話が通じているだけで。どこかに少しでもかけ違えがあったなら、俺たちは敵同士だったかもしれない。俺の考え方は、そんな曖昧なものだよ」


 どこまでも偽ることなく、ウィルはそう答える。

 何かが少しでも違っていたら。あるいは不当とも思える戦争を起こしたテイルノートに、義憤を抱いていたら。あるいは国を奪われたレジスタンスに、同情を抱いていたら。

 その時傭兵としてウィルの立っていた場所は、全く逆のものであったかもしれない。

 それほどまでに曖昧なものを頼りに行動すること。それに恐怖を抱くことは、当り前だ。


「けど、だからといって、何もせずに動かないわけにもいかない。そうしたら無関係ではいられるだろうが、守れたはずのものが守れなくなる。そんなのは御免だ」


 それが、ウィルの意思。

 誰も傷つけることのない、けれど誰を守ることも出来ない傍観者でいることより、誰かのために行動する。

 それが傭兵としての、ウィルの在り方だった。


「それに何より。俺は一人じゃないからな」

「……それって、リラのこと?」

「ああ。もしも俺が間違った方に進みそうになったら、きっとリラが止めてくれる。もちろん、リラが間違えそうになったら俺が止める。リラだけじゃなく、今だったら准将や、レティシアだっているしな。自分を信じきれない分は、信頼できる誰かを信じればいいのさ。……こう言うと、他人任せに聞こえるかもしれんが」


 冗談めかした調子でウィルは言うが、きっとそれは本心からの言葉なのだろう。

 自分が間違えそうになったら、止めてくれる誰かがいる。その信頼関係は、自分の行動を決める際の大事な支えとなるに違いない。

 澱むことのないウィルの様子は、そんな風に思わせた。


「……そう。あの子を引き合いに出されると、それも間違いじゃないのかもって思えてしまうのは、私のエゴかしらね」

「何が正しいかは人それぞれで、最後には自分の信じたいものを信じる。誰だってそんなもんさ。そうやって、一度立ち止まって考えられるだけ、レティシアは誠実だよ」


 それこそがこの話の結論だ、とでもいうようにウィルは笑って言った。

 それは慰めの言葉とも取れただろうが、今のレティシアの胸には不思議と違和感なく溶け込んでいった。

 小さくため息を吐いて、レティシアもウィルへと笑顔を返す。


「……そういうことなら。私も、貴方のその言葉を信じてみることにするわ。悩んだところで、答えが出るものでもないって分かったし」

「それは良かった。レティシアに元気が無いと、リラも心配するしな」

「そうね。……あの子は、自分の事よりも先に、私のことを心配してくれてしまう子だから」


 嬉しそうに、けれども同時に寂しそうに、レティシアは言った。

 その相反する感情の正体は、とっくに理解している。それは思いを返せば、リラと出会ってからずっとレティシアの中にあって、けれども言葉にするだけの勇気が無かっただけのもの。


「ねえ、ウィル。あの子はどうして……」


 溢しかけて、レティシアは口を噤んだ。

 それは、訊ねるべき相手が違う。そう思った。

 リラはいつでも真っ直ぐに、レティシアを見てくれている。ならばレティシアも、きちんとそれに向き合わなければならない時が来たのかも知れない。


「……ううん、何でもない。もう部屋に戻るわ。話、聞いてくれてありがとう」


 たっぷりと落ち込んで、少しだけ気分が晴れた後だからだろうか。

 その程度の勇気なら、簡単に抱けるような気がした。

 心地の良い風が頬を撫でるのを感じながら、レティシアはウィルを見上げて微笑む。


「ああ。リラによろしくな」


 そんなレティシアの小さな決意に、あるいは気づいたのだろうか。

 いつも通りの軽薄な笑みを浮かべて、ウィルはそう言った。

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