(19)
夜の屋敷内を、リラはアテもなく散策していた。
使用人たちの仕事もそろそろ一段落着く頃合いだろうか。すれ違う使用人の数は少ない。
リラが屋敷の中にいることも既に日常風景となっているのか、使用人たちは不審がる様子もなく、会釈をしてくれたり、中には休憩室から菓子を持ってきてくれる者さえいた。
そうして、図らずも夕食後の小腹を満たしつつ、一階の廊下の辺りを歩いていると。
「あら、リラさん?」
声を掛けられて、リラは後ろを振り返る。
そこにいたのは、よくレティシアの世話をしている、若いメイドだった。
「お一人なんて珍しいですね。どなたかにご用事ですか?」
「そういうわけじゃない。レティシアが、少し一人にして欲しいらしいから、散歩」
「そうでしたか。……確かに、お出かけから戻られた後のレティシア様は、少し元気がなさそうでしたね。大丈夫だと良いのですが」
「うん」
心配そうなメイドの声に、リラは頷いて答える。
それっきり、会話が途切れる。
やはりレティシアやウィルのように、その気になればほとんど一人でも会話を回せるくらい饒舌な人間でなければ、リラの話し相手は難しいようだ。
「……その、リラさん」
それでもメイドは、戸惑いを見せつつも果敢に会話を試みる。
リラも別に、会話をすることが嫌なわけではない。話しかけてさえやれば。答えてはくれる。
少しの間、言葉を組み上げる時間を作るために視線を揺らしてから、メイドは改めて口を開く。
「あの、リラさんが来てから、レティシア様は明るくなられました。そのことに、改めて感謝を申し上げたくて」
「……レティシアは、いつも明るい」
「ふふ。そうかもしれませんね」
リラの言葉に、メイドは思わずといった様子で笑みを漏らした。
「レティシア様はよく笑い、よく怒る方です。このお屋敷に来たばかりの頃は、呼び方に慣れずついお嬢様と呼んでしまっては、不機嫌になられました。気まぐれに使用人の仕事を手伝って服を汚したり、調理師に作り方を教わってお菓子を振舞ってくれたり。レティシア様はいつでも明るく、元気に振舞われる方です」
どちらかというと控え目で、大人しい印象を受けるメイドは、けれども楽しげにレティシアのことを語る。
それは使用人としてというよりはむしろ、手のかかる自慢の妹について語る姉のようで。
しかし、メイドは「けれど」と続けて表情を曇らせる。
「以前のレティシア様は時折、使用人の存在に気付いていない時や、ふとした瞬間に、酷く寂しげな表情をなさることがありました。レティシア様の境遇を思えば、無理からぬことですけれど。私たちには、それをどうしてあげることも出来ませんでした」
それはきっと、レティシアとの付き合いが長いこのメイドだからこそ気づけた、表情の変化だったのだろう。
少なくともレティシアは、そんな姿を他人に見られることを嫌うに違いないのだから。
「それでもリラさんが来てからは、そんな表情を見せることはなくなったように思います。いつでも楽しげに、貴女のことを楽しそうに語って下さいます。だから、本当に、ありがとうございます」
そう言って、メイドは深々と頭を下げた。
「……私は、何もしてない」
「貴女は、レティシア様の傍にいてくださっています。それがレティシア様を、何よりも勇気づけているのだと、私は思います」
「……よく分からない」
呟いて、考えるようにリラは顔を俯かせる。
少しして、リラは顔を上げた。
「あなたも、レティシアの傍にいる」
「私……私は、メイドとして以上のことはしてあげられません。私は他の人よりも少しだけレティシア様との付き合いが長い、それだけの、使用人の一人でしかありませんから」
「それは違う」
躊躇いがちに吐き出されるメイドの言葉を、遮るようにリラは短く言った。
そのぼんやりとした金色の瞳が、しかしはっきりとメイドを見つめる。
「あなたの事を話すときも、レティシアは楽しそう。だから、それは違う」
「レティシア様が……」
本人の前で当人の話をすることも無いので、気が付けなかったのだろうか。
自分もまた、レティシアの支えとなっている存在だということを。
メイドは、胸に片手を置いて、その手をぎゅっと握りしめる。
そうしてから浮かべた笑顔は、痛みを堪えるように悲しげでもあり、滲み出る喜びが綻ぶようでもある、儚い笑顔だった。
「……もし、そうであるのなら。私にとってこの上なくありがたいことであると。そう、思います」
メイドは、ただただメイドとしてあるべき言葉を、型にはめ込むように口にした。




