(16)
馬を駆って、ウィルとオズワルドを合わせて七人からなる小隊は、南西にある村の中心部付近にまでやって来た。
周囲には魔獣の気配もなく、一見する限りでは異変の様子は感じられない。
「っ、准将!?」
村の広場で一人、馬を束ねていた兵士が小隊の来訪に気づいて、驚き交じりの声を上げた。
先頭を走っていたオズワルドは馬を止め、他の小隊員たちにも止まるよう手で示しながら、馬を降りる。
「手短に状況を報告しろ」
「は、はっ! 現在、村民たちには屋内に避難するよう呼びかけつつ、魔獣の掃討に向かっております。……ただ、農作業等で外に出ていた村民も多いようで、安否の確認は出来ておりません」
そんな兵士の報告を背中越しに聞きながら、ウィルは傍にしゃがみ込み、腰に付けたポーチに手を伸ばす。
取り出したのは手の平サイズの、黒く平べったい板のような物体。
それを地面に置いて、上に着火用の魔石の欠片を乗せると、ウィルは短刀の柄で魔石を砕く。
軽い火花と共に発生した火が黒い板に燃え移り、そこからもくもくと白い、微かな異臭を放つ煙が立ち上った。
「何をしている?」
「魔獣をおびき寄せる時に使う香料だ。まだ獲物の狙いを付けてない魔獣なら、これで引き寄せられる」
オズワルドの声に答えつつ、ウィルは立ち上がる。その顔に、いつもの軽薄な笑みはない。
それにオズワルドは小さく頷いて、後ろの小隊員へと声を上げる。
「では、二名は私とここに残り、おびき寄せられた魔獣を迎撃する。残りは散開し魔獣を撃破しつつ、村民の保護を行え」
「はっ!」
「傭兵。貴様も遊撃だ。その方が得意だろう?」
「ああ、分かってる」
オズワルドの返答を求めていない問いに、頷いて返すが早いか、ウィルは走り出した。
広場から畑に面した道を、周囲に警戒しつつ駆け抜ける。
と、物置小屋の陰から一匹の魔獣が飛び出してきた。いつか森の中で出くわした、狼の姿に似た魔獣だ。
「邪魔だ」
魔獣が動くよりも早く、ウィルはポーチから何かの詰まった小さな布袋を取り出し、投げつける。
袋は魔獣の頭にぶつかり、その衝撃で袋から煙が撒き散らされる。いくつかの刺激物を混ぜ合わせて粉にした特性の催涙弾は、この手の鼻が利く魔獣には特に有効だ。魔獣は悲鳴に似た鳴き声を上げながらその場でのたうち回った。
その隙に、ウィルは魔獣の横を抜ける。周囲をうろついているだけの魔獣なら、今はこうして撃退するだけで充分だろう。
急を要するのは、村民を襲おうとしている魔獣だ。
そのままウィルは走って、いくつかの民家がある場所にたどり着いた。
「うわぁあああ! 来るな、来るなぁああああああ!」
左手にある民家の裏の方から、男の叫び声が聞こえてきた。
ウィルがそちらへと向かうと、目に入ってきたのは背を向けて蹲る男と、その前に立ち粗末な木のこん棒を振り下ろす小型の魔獣の姿。
小さな子供ほどのやせ細った体躯のそれは、小鬼とでも表現するのがしっくりくる。小柄とはいえ、凶暴さは他の魔獣と変わりなく、力も成人男性に匹敵するくらいに強い種だ。
魔獣が再び、男へとこん棒を振り上げるのを見て、ウィルは咄嗟にポーチから細長い指先サイズの笛を取り出して吹いた。
甲高く、どこか歪な音。
この手の魔獣が仲間を呼ぶときの鳴き声を模したその音に、魔獣は一瞬、振り上げた手を止める。
その隙に距離を詰めたウィルが、魔獣を蹴り飛ばした。短い悲鳴と共に地面に転がった魔獣に、追撃の剣が突き刺さる。
「大丈夫か?」
動かなくなった魔獣の首から剣を引き抜いて、ウィルは男へと声をかける。
「あ、ああ……、ぐ……っ。ありがとう、助かったよ」
男は苦しげに声を漏らしながらも、振り返って答えた。男の左肩の辺りには血が滲んでいる。恐らく骨が折れてしまっているのだろう。
と、男が身体を動かしたことで、彼の陰に守られていたものが目に入った。
それは五、六歳ほどの小さな男の子だった。怯えた瞳で、男の肩越しにウィルの方を見ている。
ウィルは剣を収めて屈みこむと、男の子へと彼らしい笑みを浮かべた。
「もう大丈夫だからな。これを持って、家の中に入っているんだ。すぐに兄ちゃんたちが魔獣なんて退治しちまうから、その間、父ちゃんを守ってやるんだぞ。出来るよな?」
そう言いつつ、ウィルは魔獣除けの匂い袋を男の子へと手渡す。
男の子は恐る恐るといった様子でそれを受け取って、けれどもはっきりと頷いて見せた。
父親の手を握って近くの民家に入る男の子を見送って、ウィルは一度息を吐く。
「……本当に、嫌な感じだ」
吐き捨てるように呟いて、ウィルは再び駆け出した。




