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(1)

 暑さもひとまずの落ち着きを見せ始めた秋の初め。

 昇りかけの日の光が木々の間から差し込む森の中。

 小鳥のさえずりや、葉が風に揺られて擦れる音に混じって聞こえてくるのは、地を駆ける足音だった。

 それも複数。四肢を使い軽やかに土を蹴るその音は、軍隊のように規則的で無駄がない。

 この森は、彼らのテリトリーだ。木々に道を遮られることも、足を取られることもなく、狩人は淡々と円を描くようにして逃げ道を奪っていく。


「……五匹、ってところか」


 その円の中心。すなわち彼らに狙われた獲物は、一人の青年だった。

 森の中の、少しだけ開けた場所に立つ彼の齢は、二十に満たない程度だろうか。明るい赤毛混じりの髪が、場所が場所なだけあって特に目についた。

 麻布の服の上から革鎧を着け、右手には剣を携えている。

 腰に巻かれたベルトには、左手側に剣の鞘、右手側には小さなポーチが二つほどと、その裏に短刀が差されていた。

 大きめの鞄を下ろして邪魔にならないところに置き、辺りへと静かに視線を巡らせる様子からして、獣の襲来に気づいていないというわけではないようだが、余裕ぶった笑みさえ見せるその表情から、危機感は窺えない。


「さて」


 ふと、足音が止んだ。

 一瞬呼吸を整えるような間があって、それからあたりの空気がざわめき出す。

 それは獣たちの、狩猟開始の合図だった。

 合わせるように、青年は静かに手にした剣を構える。


「──っ」


 まずは正面。一際足の速いものが一体、木の間を縫うようにして突進してくる音が聞こえてきた。

 姿は見えない。この森を知り尽くした獣には、身を木の影に隠しながら駆ける事など造作もないことだった。

 だが、だからこそ、青年もその姿を捉えようとはしていなかった。

 注意するべきは音。踊るように軽やかで、風に掻き消えてしまいそうなほど小さなものではあるが、おおよその方向と距離さえつかめれば、彼にとっては充分だった。

 瞬く間に互いの距離は縮まり、そうしてついに、青年の真正面にある木の影から、その獰猛な狩人が姿を現した瞬間。


「ふッ──」


 青年は、獣よりも先に最後の一歩を詰めた。

 正確に言うなら、獣の突進から軸をずらすような、斜め前への踏み込み。

 結果として、獣が最後の一歩を踏み切り、その身を宙に躍らせた時には、青年の姿はその真横にあった。

 そこでようやく、青年は自身を狙うその獣の姿をはっきりと見た。

 獣は一見すると、黒い狼のようにも見える。一メートルを優に超える体躯に、鋭く剥き出された爪と牙。それらはまさに、狩人の得物だった。

 しかしそれを狼と呼ぶ事を憚らせるものが、ただ一つ。目だ。

 瞳に湛えられた禍々しい光。そこには、獣としての理性さえも存在していない。


「ちっ、やっぱり魔獣か!」


 すれ違いざまに、青年の手にした剣が振るわれる。

 骨の間を正確に切り裂いた一撃に、獣、魔獣は反応を示す間も無く地面に落ちた。

 鳥や狼、時には巨大な虫のような姿さえ見せることもある魔獣。

 獣と魔獣の違いはいくつか存在するが、もっとも単純で大きな違いが、その凶暴性だろう。

 本来獣が他の生き物を襲うのは、縄張りを守るためか、それを餌とするためだ。その行為は、自分や仲間を生かすためと言える。

 だが魔力によって狂化された魔獣は襲う事、それ自体を目的としている。ただ獲物を弄び、殺し尽くす。そうして楽しんだ後で偶々腹が減っていたなら、その時初めて喰らうことを考えるような、そんな生き物だ。


「こりゃ、備えといて正解だったな」


 地面に転がった魔獣が動かないことを確認してから、青年は改めて周囲に意識を向ける。

 感じられる気配は、減った様子もない。

 これが単なる獣であったなら、二匹も仕留めれば敵わないと判断して残りは逃げていくだろうが、生憎魔獣はそんな感性など持ち合わせていなかった。

 殺すか殺されるか。一度目を付けた獲物は、最期の最期まで逃そうとはしない。それが、魔獣という存在。

 けれどもこの場においては、それこそが魔獣たちの致命的な過ちだ。


 ──瞬間。耳を劈くような破裂音が、辺りに響き渡った。


 それは銃声だった。

 青年の視野外、そう遠くはないどこかで、魔獣の一匹が鋭い刺突めいた一撃を受けて声もなく絶命する。


「……流石」


 青年は、小さく感嘆の声を漏らした。

 そうして残った魔獣が向かってくる足音に、青年は手にした剣を地面に突き刺して、ポーチの裏に差された短刀を引き抜く。

 ほぼ同時に、左右から魔獣が飛び掛かってきた。

 目を向けるよりも早く、青年は右手側の魔獣へと短刀を投げつける。短刀は真っ直ぐに、魔獣の眉間へと突き刺さる。

 瞬きの間、という表現が比喩にもならないほどの内に一体を仕留めた青年は、その背へと無防備に飛び掛かるもう一体に、あろうことか振り向きざまに回し蹴りを放った。

 顔面を真横から蹴りつけられて、魔獣は短い悲鳴と共に地面を転げる。

 その首元に剣が突き刺さるのも、ほとんど一瞬のことだった。

 地面に刺していた剣を引き抜いて、突き刺す。それ自体はそう大したことでもないというのに、短刀の投擲からの一連の動きはあまりにも鮮やかで無駄がなく、魔獣たちはまるで、じゃれつく子犬が適当にあしらわれているかのようにあっさりと、地面に倒れ伏していた。


「よし、っと」


 剣を突き刺した魔獣を見下ろして、青年は息を吐く。

 と、残った最後の魔獣が、その無防備な背中へと木の影から跳躍した。

 青年は驚いた様子もなく、気の抜けた顔をそちらへと向ける。

 魔獣の牙が青年に届く寸前のところで、銃声とともに魔獣の身は真横へと弾き飛ばされた。

 距離が近かったためだろう。血しぶきの一部が、青年の服にも飛び散る。


「……あいつ、わざとやりやがったな」


 赤黒く染まった服を見下ろして、青年は呆れ交じりの声を漏らす。

 それから青年は、魔獣に刺さった短刀を回収したり、刃物についた魔獣の血をポーチから取り出したボロ布で拭い取ったりと、その場で後始末を始めた。

 数分ほどそうしていると、再び足音が聞こえてくる。ただし今度は敵意をはらんではいない、ゆったりとしたものだ。


「よう。……あのな、リラ。いくら不機嫌だからって、なにも返り血を吹っ掛けることはないだろ」


 青年は足音の方へと顔を向けて、不満混じりののんびりとした声を上げる。

 その声に釣られるように木の影から出てきたのは、幼い少女だった。

 細い手足に、小さな顔。白い上質な絹糸を、煤に塗れさせてから洗い流したようにくすんだ灰白色の髪を、背中の辺りまで伸ばしている。

 見つめられると吸い込まれてしまいそうなほど透き通った、金色の瞳が特徴的な容姿から窺える年齢は、精々十二歳ほどといったところだろう。

 目立たない色合いの簡素なシャツと、厚手のハーフパンツという服装の上からフード付きの薄汚れた布を外套代わりに纏い、肩からは幼い見た目には不釣り合いな、狙撃用のライフル銃が下げられている。

 少女、リラは、感情の伺えないぼんやりとした表情で、青年へと顔を向けた。


「……あのくらい、一人で何とかするべき」

「そう言うなって。打てる手があるのにわざわざ危ない橋を渡るなんて、馬鹿みたいだろ?」

「でもウィル、馬鹿」

「そんなことはないぞ。普通くらいだ」


 ウィルと呼ばれた青年はさして気にする様子もなくそう返して、リラの頭をポンポンと軽く叩いてみせる。

 リラはそれを、煩わしそうに首を振るって払いのけた。


「今だって魔獣の縄張りだってことにいち早く気づいて、魔獣除けの匂い袋を持たせたお前を、狙撃しやすい位置に配置してみせたじゃないか。褒めてくれて構わんよ」

「この匂い、鼻に刺さる。私も魔獣」

「この匂いが好きな奴はそうそう居ないから安心しろー。お前は間違いなく人間だ」


 あくまでマイペースにぼそぼそと口を開くリラに、ウィルは呆れ交じりの笑みを浮かべた。触れられなかった冗談は蒸し返さずに流す。それがウィルの会得した、リラとの会話術の一つだった。

 それからウィルは傍に置いていた鞄を拾い上げて、肩に掛ける。

 それを出発の合図と受け取ったのか、リラはウィルの少し後ろの辺りにそっと移動した。


「ともあれ、もう少しで森を抜ける。順調に行けば昼過ぎには町だ。久々に、蓄えを気にせず飯が食えるぞ」

「うん」


 振り返ってリラを見下ろしつつ笑いかけると、リラは変わらずのぼんやりとした無表情で頷いてみせた。

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