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 アルガスにある軍事基地の、指令室。

 決して狭いわけではないはずの室内は、簡単な会議も行えるように設置された大テーブルや、雑多な資料の納められた棚に場所を取られて、慣れない者には実際の広さに見合わぬ窮屈さを感じさせる。

 そこに置かれた執務机に、オズワルドの姿はあった。

 物こそ多いものの綺麗に整理のされた卓上に積まれた書類を、一枚一枚取り上げては目を通し、ペンを走らせるその表情からは、相変わらず一切の感情が窺い知れない。

 重苦しくも静謐な空気の漂う空間に、扉を叩く乾いた音が小さく響く。


「……構わん。入れ」


 オズワルドは書類から目を離し、扉の方へと顔を向けつつ声を上げた。


「や、どうも准将殿。雇われ兵士のウィル、ただいま任務より帰還いたしました」


 入ってきたのはウィルだった。相も変らぬ軽薄そうな笑みとよく回る舌からは、粛々としていた空気を読もうという意思は全く感じられない。

 それを歓迎するでも侮蔑の目で見るでもなく、オズワルドはただ口を開く。


「……貴様か。一体何の用だ?」

「はは、顔は憶えてくれていたようで何よりだ。いや何、ようやっと長旅から帰ってこられたから取り急ぎ報告でもと思ってな。道すがら聞いたとこじゃ、あんたのとこの娘さんが誘拐されかけた、なんてこともあったって話だが、大丈夫だったか?」

「その件であれば犯人の身柄も確保し、取り調べも済んでいる。レジスタンスとは関わりのないゴロツキの犯行だ。これ以上得られるものはあるまい。貴様の連れが想定通りの仕事をこなしたことについては、一定の評価をしよう」

「……さいで。大事にはならなかったってことが分かって良かったよ」


 予想できていたことではあるが、仮にも自分の娘の身にかかった一大事件に対して、随分とあっさりした反応だと、ウィルは苦笑いを漏らす。


「そんな無駄話をしに来たのなら、早々に立ち去れ。次の仕事は追って伝える」

「おっと、こいつは失礼した。今のはついでの世間話。ちゃんと本題もあるんだ」


 その間にも話を切り上げ、手元の書類へと意識を戻そうとするオズワルドを、ウィルは慌てて引き留めた。

 とりあえずオズワルドが留まってくれたのを確認して、ウィルは少しだけまじめな調子に声を整えなおす。


「──単刀直入に言うと。あの森、季節の割には魔獣の量が少なく感じられた」

「何?」


 小さく、オズワルドの表情が変わる。


「書面上で照らし合わせただけだと、たまたま今回は出くわす機会が少なかった、って程度になるだろうがな。ただ、今の時期は魔獣にとっても食事と蓄えの時期だ。冬に備えて、あいつらもいつも以上に活発になる。平常時の定期調査は五月と十一月だったか。その時期よりも発見数があれだけ減るってのは、偶然で片づけるには違和感が残る」


 もちろんそれは違和感、という程度の些細なものだ。本当にただの偶然という可能性も充分にあり得る。

 これを違和感と受け取った根拠は、これまでの人生における経験と勘だけ。杞憂と言われても反論は出来ない。

 だがオズワルドならば、この話を単なる杞憂と切り捨てはしないだろうという、不思議な確証がウィルの中にはあった。

 事実オズワルドは、頭ごなしに否定の言葉を吐くことはなく、短く思案してから口を開いた。


「……その指摘が正しかった場合、原因は何になる?」

「魔獣の代わりに死骸の数が増えたって訳でもないから、魔獣の移動が起こったと考えるのが自然だろう。あいつらが住処を変える原因は、普通に考えるならより強い魔獣が住み着いちまったか、気候の変化があった、ってパターンだろうが……」

「あの森にそのような様子は見受けられなかった、か」

「調べた限りではな。こうなってくると、自然に起きた現象とは考えにくい。これが人為的なものだとして、考えられる理由は……」


 いつになく淡々と続くウィルの声が、しかし唐突に開かれるドアの音に掻き消される。

 焦燥を体現するかのようなその音を鳴らしたのは、一人の兵士だった。


「准将に緊急の報告です! 哨戒中の部隊より、南西に二十キロの地点で魔獣の群れを観測。街道に沿って真っ直ぐこちらを目指しているとの連絡が!」

「魔獣の群れだと? 数は?」

「観測した限りでは三十ほどとのことです!」

「……街道にそれほどの数の魔獣が自然に出てくるとは考えられん。となれば」

「レジスタンスの仕業か」


 ウィルが呟く。その声に、兵士もオズワルドもウィルの方を向いた。


「恐らく、その辺の魔獣を捕まえて、調教して操ってるんだろう。この辺りの魔獣なら、ある程度の心得と時間があれば、専門の調教師が居なくても操れるはずだ」

「軍用魔獣の真似事か。奴らにそれほどの数の魔獣を手懐ける余裕があるとはな」

「いや、多分だが群れの中でも調教されてるのは二,三匹だ。それだけいれば、野生の魔獣を上手いこと引き寄せて数を増やせる。細かい指示は効かなくなるが、暴れさせるだけなら充分だから、山賊なんかがよく使う手だよ」


 魔獣を調教し戦力とする術は、広く実用化がされている。レジスタンスのような、多くが元々ただの民衆だった人間によって構成されている組織であっても、いや、戦力の不足しているレジスタンスだからこそ、その技術を用いることは時間の問題だったに違いない。


「……けど、この行動の目的はなんだ? 三十匹程度じゃ、この町の門は突破できないだろう?」

「目的は、この町ではあるまい」


 ウィルの疑問に、オズワルドは短く答える。それに兵士の、焦燥を孕んだ声が続いた。


「アルガスから南西に五キロほど行ったところには、村があります。魔獣がこのままのルートで進むと、おそらく……」

「その村を襲うってのか……!」


 ウィルは舌打ち交じりに声を荒げる。

 自体は想像していたよりもずっと急を要するらしい。兵士の見せる焦燥感が、ようやくウィルにも伝わってきた。


「派兵状況はどうなっている?」

「それが、丁度先の調査から帰還した兵との引継ぎ作業を行っていたため、招集に遅れが出ていまして……。現在はひとまず集められた者で二個小隊を編成し、急行させました。また、魔獣を発見した哨戒部隊も一部が村へと向かい、避難誘導を行うとのことです。ただ状況からみて、魔獣の襲撃までに村民全員の避難は、困難かと……」


 村まで五キロとなれば、今から馬を使って向かったとしても二十分近くはかかる。魔獣の足の速さを考えると、急行させたという小隊の到着は魔獣たちが村へ辿り着くのとほとんど同時か、僅かに間に合わないかというタイミングになるだろう。

 オズワルドはその報告に、それでも顔色を変える様子もなく、粛々と兵士へと顔を向けた。


「状況は把握した。では、私も小隊を率いて村へ向かおう。お前は基地に残り、編成指揮と各部への連絡を行え」

「は、はっ! 直ちに!」


 端的な指示ではあったが、それでも充分だったのだろう。兵士はそれほど取り乱すこともなく、一礼と共に走り去っていった。

 それを見届けて、オズワルドはウィルへと振り返る。


「貴様は私と共に来い。次の仕事だ」

「……ああ、言われなくとも」


 オズワルドの声に、ウィルは珍しく笑顔も無く答えた。

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