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(13)

 屋敷にリラがやってきてから、一週間が経った。

 身だしなみを整えたり、朝食を摂ったりという決まった行動を終えた後の、自由な時間。

 レティシアはというと、自分の部屋のベッドに腰掛け、静かに本へと視線を傾けていた。

 元々レティシアは、あまり外を出歩く方ではない。外出が嫌いというわけでもないが、かれこれ七年近くを過ごしているこの町で、目的もなく散策するような気もそうは起きない。

 リラが来て最初の数日は、案内という名目もあって町を見て回るのも新鮮なものだったが、主だった場所を一通りを見終えてしまえばそこまでだ。

 そうして勝手知ったる屋敷内での活動が主となると、自然とリラが傍にいる生活に対する特別感も薄れてくる。


 それは、レティシアにとっても驚くべきことだった。

 オズワルドの屋敷で暮らすにあたって、レティシアは自分の立場相応の礼儀やマナーを身に付けてきた。ほとんどがオズワルドに対する反発心からの当てつけに近いものとはいえ、客人に対する距離の取り方は、心得ているはずだというのに。

 けれども、その感覚は決して悪いものではない。

 本のページをめくる。かさり、と乾いた紙の音が部屋に響く。

 レティシアが読書に耽るなか、リラはというとそのすぐ隣、同じくレティシアのベッドの上で、静かな寝息を立てていた。

 体を抱え込むように丸まった寝姿は、ただでさえ小柄なリラの体が、余計に小さく見える。


 護衛という立場はあれ、そもそも屋敷の中から出ないレティシアの傍にいて、いつでも気を張り続けるものでもないと判断したのだろうか。リラも最初の頃よりはずっと自由に行動をするようになっていた。と言っても、その行動のほとんどは銃の整備か、横になるかではあったが。

 特に、リラにとっては唯一趣味とでも呼べるものなのか、今のように丸まって睡眠をとることはよくあった。

 リラは一度横になると、ものの一分もしないうちに眠りについてしまう。それでいて、レティシアが起こそうとすると、声をかけるよりも先にスッと目を覚ますのだから驚きだ。


「……ふぅ」


 丁度区切りがきて、レティシアは本に栞を挟んで閉じると、吐息をひとつ吐いた。

 本を膝の上に置いて、音を立てないように腕を伸ばす。それから文字を追った後の程よい疲労を感じながら、視線をリラへと落とす。

 細くしなやかな手足が、今は小さく折りたたまれている。

 微かに開いた口元で、音もなくゆっくりと繰り返される呼吸と、それに合わせて小さく上下する肩の動きがなければ、精巧な人形なのではないかと思わせるほどに整えられた姿は、柔らかくも、触れれば壊れてしまいそうな繊細さが感じられた。


「ん……」


 そんなつもりはなかったが、無遠慮に眺め過ぎただろうか。小さな身じろぎと共に、リラの目が開く。

 寝姿の体勢のまま、瞳だけが動いてレティシアを捉える。


「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」

「……平気。起きようと思ったから起きただけ」


 寝ぼけた様子もなく、リラはいつもの調子で返してきた。

 それからリラはゆっくりと身体を起こす。溶けるように柔らかな髪が、その動きに合わせて流れた。


「そう。何かしたいことでも思いついた?」

「別に、特に思いついたりはしない」

「でしょうね。……私が言うのも何だけれど、したいことがたくさんあった方が、きっと楽しいと思うわよ」


 ため息交じりに言ってみるが、やはりリラは小首を傾げるだけだった。

 リラが何かしらの行動を起こすのは、ほぼ確実にしなければならないことをする場合か、誰かにそれをするよう言われた場合かのどちらかだ。


「例えば……、そうね。読書とかしてみる気はない?」

「……文字は、あまり読めない。ウィルが読めるから、読めなくても困らない」

「困る、困らないの話でもないのだけれど……」


 リラくらいの歳の子が、文字の読み書きが出来ないというのは、そう珍しい話でもない。

 アルガスは比較的裕福な家庭の多い町であるが、ここよりも小規模な町であったり、農村地であったりという場所に住まう人々は、子供に読み書きなどの教育を受けさせる余裕もないという場合も多いだろう。


「レティシアは、よく本を読んでる」

「んー、確かに、あえて言うならこれが私の趣味かしらね。……この屋敷に来なかったら、本を読むなんてしなかったかもしれないと思うと、少し複雑だけれど」


 村に住んでいた頃のレティシアも、例に漏れず文字の読み書きなど出来なかったし、そのまま暮らしていた場合、最低限以上には学ぶ機会など訪れなかったに違いない。

 オズワルドの屋敷に迎え入れられ、学ぶ機会を与えられたお陰、というのは認めたくない部分もあるのだろうが、けれどもそこに浮かぶ苦笑いの色は柔らかかった。


「ま、無理強いするようなものでもないわね。そのうち興味が出たら言って頂戴。リラならきっと、読み書きなんてすぐに覚えられるもの」

「…………考えとく」


 困惑交じりにリラが呟く。

 こう言ったからには、真面目なリラは真剣に考えを巡らせるのだろう。

 それが、レティシアに教えを乞う、という行動に移ることはきっとないだろうが、その一考という動作は、こそばゆい嬉しさを感じさせる。

 綻ぶ顔を誤魔化すように、レティシアはベッドから立ち上がった。


「となると、今日のところはどうしましょうか? 何か目新しことでもあればいいのだけれど」

「今日は……、ウィルが戻ってくる予定の日」


 提案のつもりだろうか。リラは思案するように少しだけ顔を俯かせつつ言った。

 言われて、レティシアははたとその名前を思い出す。

 一週間前、リラがやって来た日に同じく屋敷に来て、翌日には森の調査へと出向させられた憐れな青年。

 レティシアが彼と顔を合わせたのは数時間程度のことだったが、リラの方はそれなりに付き合いが長い。帰還の予定くらいはしっかり覚えていたようだ。


「ああ、そういえばそうだったわね。なら……、うん。折角だし、迎えにでも行ってあげましょうか」


 レティシアは悪戯を仕掛ける子供のような笑みで言った。

 計画も何もない行き当たりばったりの思い付きだが、それも悪くない。

 リラと一緒ならば、アテのない散策もきっと楽しいものになるに違いないと、そう思えた。

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