(12)
「お二人を襲った男たちは、こちらで確保しました。帰りには護衛を付けますので、ご安心ください」
「……そう、ありがとう」
町の中にいくつか点在している、衛兵の詰所。そこにある客間へと通されたレティシアは、衛兵の説明をぼんやりとした様子で聞いていた。
レティシアから人づてに裏通りの現場へと呼ばれた衛兵は、無傷の少女二人と倒れた男たちという状況に、最初こそ困惑交じりの怪訝そうな表情を浮かべていたが、レティシアがオズワルドの娘と知るや否や、これは大事件だと言わんばかりにてきぱきと行動を始めた。
仲間の衛兵への応援要請に、男たちの確保と二人の保護、屋敷への連絡と、レティシアたちが詰所へと案内される間にあれよあれよと事が進み、一時間もする頃にはどうやら大方のことは済んでしまったらしい。
「今はお屋敷の方に事の次第を伝えていますので、もうしばらくこちらでお待ちを。何か必要なものがあれば用意させますが……」
「いいえ、大丈夫。大人しく待っているわ」
「分かりました。では、私はこれで」
そう言って、衛兵は立ち去った。
それを見送って、レティシアは窓際に置かれた長椅子にそっと腰かける。
客間とは言っても、元々そう広くはない詰所のもの。テーブルの上に申し訳程度の花が飾られているだけの殺風景な石造りの部屋を、レティシアは静かに眺めた。
レティシアの横に、リラが並ぶように腰かける。
何か声をかけようかとも思ったが、何故だかそんな気分にはなれず、レティシアは構わず視線を宙に漂わせた。
「……ごめんなさい」
「え?」
唐突な声。
リラの方から言葉を発することも、その内容も思ってもいなくて、レティシアは困惑の声を上げる。
「どうして、貴女が謝るのよ? 貴女は私を助けてくれたんじゃない」
リラはゆっくりと首を横に振った。
少しだけの沈黙の後、リラが口を開く。
「家を知られて、私が居ない時を狙われるわけにはいかないと判断して、あそこでわざと見つかるようにした。けど……そのせいで、レティシアを怖がらせた」
「っ、そんな、私は……」
咄嗟に否定しようとした口は、けれども力なく言葉を取り落とした。
リラの言葉はいつも端的で、真っ直ぐで、嘘が無い。
だから、それを否定するということは、ひどく無意味なことに思われた。
「……そうよね。私、怖がっていたのよね」
確かめるように、ゆっくりと呟く。
一呼吸。胸に手を当ててそれを感じる。気分は晴れなかったが、決心は付いた。
レティシアは傍に置かれていたリラの手に、そっと握るように触れた。リラの手の温かさが、頼もしい。
「リラ。……少しだけ、昔の話をさせて頂戴。聞き流してくれて構わないから」
「うん」
リラは頷いて答えた。その即答が心地よくて、レティシアはようやく小さく笑みを浮かべる。
それからレティシアは、静かに語り始めた。
「私はね、あの屋敷の……、クレイグ・オズワルドの娘じゃないの」
レティシアの方を見て、リラは首を傾げる。
「あくまで書類上は、そうなっているけれど。あいつとは血の繋がりもなければ、本来なら関わり合うこともないような間柄よ」
嘯くような、楽しげにさえ聞こえる声色。
「私は、元々はリトシアに住んでいたの」
「……リトシア」
それは、リラがレティシアからこの国の情勢を聞いたときに出てきた名前だ。
現アルガス周辺、つまりはこの辺り一帯を領地としていた小国。
七年前の戦争により地図から名前を消し、レジスタンスが生まれる要因ともなった国だ。
「ええ。まあ、それ自体は珍しいことでもないわ。この辺も、元はリトシアだった土地だもの。周辺の村や町も合わせれば、人口の六割くらいは元リトシア国民よ」
リラは言葉を返さない。
それがこれからの話にとって、無意味な前置きであることが分かっているのだろう。
「だとしても、それと私の立ち位置は別問題。自分が特殊な立ち位置に居るってことくらい、分かっているわ」
それからレティシアは、もたれかかるように壁に背を預けた。宙を見上げ、言葉を整理する。
「私はリトシアの、小さな農村の生まれよ。農家の一人娘、という以上に語るところも無いわね。近くにあった森や川で遊んで、畑で助けにもならないような手伝いをして、七歳くらいまでは、そうやって暮らしていたわ」
「………………」
「七年前の戦争の時も、私は戦争のことなんてほとんど知らずにのんびり暮らしてた。幼かったっていうのもあるけれど、私の村は当時のテイルノートとはリトシアの王都を挟んで反対側にあったから。村の大人たちもさほど不安視はしていなかったみたいね」
リラは黙ったままだ。
けれどもその沈黙は、不快なものではない。
レティシアは続ける。
「……そんな村が襲われたのは、戦争が終わるほんの一ヶ月前のことよ。王都を攻め落とすために、包囲しようと回り込んでいた部隊があってね。そこに配属されていた傭兵部隊の一部が暴走した、っていうのが原因らしいわ」
戦争に際して、兵力を持たない農村が襲われるという事例はままあることだ。
もちろん人道的には間違った行いであるが、農村で収穫される農作物は敵国の生命線となり得る上、上手く奪えれば貴重な補給物資となる。余裕の無い戦争時には、そういった行いもまかり通ってしまう。
だが、行いに正当性があろうとなかろうと、それは些末な事だろう。
「原因が何であれ、私の村は一夜のうちに壊滅した。……私は、納屋の床下にあった物置に入れられて無事だったけれど、父さんと母さんは……」
その行いが正しかろうと間違っていようと、奪われる側からすれば同じことだ。
リラの手を握るレティシアの手に、微かに力が入るのを感じだ。
「その、傭兵たちの配属されていた部隊を指揮していたのがあいつ……クレイグ・オズワルドだった。戦争が終わった後、傭兵の暴走を止められなかったことに対する責任を追及する声もあったらしいけれど、あいつは戦争を終わらせた英雄だもの。碌な罰を受けることもなく、今もああして、軍の准将なんてやっている」
「……それが、どうして今のレティシアに繋がるのか、分からない」
全くその通りだと、リラの呟きを聞いたレティシアも思う。
そうであっても、今はただ自身に起こった事実を語るのみだ。
「…………生き残った村の人たちは、私も含めてテイルノート軍、今のアルガス軍に保護という形で匿われて、そこで終戦を迎えたわ。大人たちは村に戻って……。身寄りのない私は、どこかの孤児院にでも入れられるものだと思っていた。けど、そんな時あいつが、私に養子になるよう持ち掛けてきたの」
「……養子」
「つまりはオズワルド家の、あいつの娘になるってことよ。馬鹿馬鹿しい話だと思ったけれど、私にはそれ以外の選択肢は無かった」
小首を傾げたリラに、レティシアはそう付け加える。
「あの准将に、そんなことをする理由は無い」
子宝に恵まれなかった貴族や高官が、後継ぎのために養子をとるという話は確かにある。
しかしその場合、基本的には男子を養子とするものであるし、何より養子自体も親戚や遠縁の家の子どもといった、身元や血筋がはっきりとした子が選ばれるはずだ。
少なくとも敵国の、名も知らぬ村娘を養子にするなどという話は聞いたこともない。
そう言った旨の疑問をリラが一言にして口にすると、レティシアは首を縦に振って同意を示した。
「確かに客観的に見て、あいつが私を養子にする理由はないわ。でも、だからこそあいつは、あえてそうしたのよ」
「……よく分からない」
「あいつは狡猾で、他人に付け入る隙なんて見せない男よ。そんなあいつの唯一の失態と言っていいのが、私の村を襲った傭兵たちの暴走。その悪評が後々枷になった時、それを払拭出来るだけの駒が、あいつには必要だったの」
分析したものを解説するような淡々とした口調で、レティシアは続ける。
「『部下の暴走を止められなかった事を悔い、身寄りを失った村娘を養子として立派に育てあげた』……そんな美談の一つでもあれば、部下の、それも雇われ兵の失態なんて悪評、簡単に覆る。それどころか、却って評判が上がるくらいかもしれないわね」
悪評、などという外聞は、結局のところ大衆の抱く印象に過ぎない。そしてそれは、ほんの少しの事実と、ある程度の力があれば如何様にも操ることが出来るものだ。
レティシアの存在は、その事実を作り上げるためにうってつけだった。
「……それで、レティシアはここにいる」
「ええ。あいつの思惑通りにね」
自嘲するように、レティシアが笑う。
けれどもその笑みは、日が陰るように弱弱しく消えていった。
「……だから、私はずっと、私のことなんてどうでもいいと思ってた。どうせあの時、父さんや母さんと一緒になくなってたはずの命だもの。駒になる代わりに、あいつへの子どもみたいな当てつけに、ひと時の夢を好きに過ごして。それでいつか覚める時が来たらおしまい。それでいいと思ってた」
諦観というには、いささか卑屈な考え方。しかし、そう考えてしまうのも無理はないくらいに、レティシアの人生は大きく揺れ動き、多くを失ってきた。
それ故に、もう失って困るものなどないのだと思っていた。
「なのにね。……あの時。あの男たちに悪意を向けられた時、私は怖かった。周りが見えなくなって、傍に貴女が居てくれてたことも忘れて。……本当に、自分じゃどうしようもないくらい、怖かったのよ」
自分自身へと突き付けるような言葉は、一度口にしてしまえばストンと心の中に落ちていく。
「情けない話。父さんと母さんが死んだと知った時には、私も一緒に死んでいたらどれほど良かっただろうって思ったのに。あの頃の私が今の私を知ったら、きっと失望するわ。二人のいない人生に、僅かにでも名残を感じているなんて知ったら」
大切だった、大好きだった両親を失った、そんな後に残ったちっぽけな人生。
だがそれでも、その人生が全くの虚無であったかと問われれば、答えはきっと否なのだろう。
ただそれを認めたくなくて、気づきたくなくて、どうでもいいと心に蓋を被せていた。
そんな事実がどうしようもなく情けなくて、気づけばレティシアは、消え入りそうな笑みを浮かべて俯いていた。
けれど。
「……情けなくない」
レティシアが顔を上げる。その目を、リラが真っ直ぐに見つめていた。
「死ぬのが怖いのは、当り前だから。誰でも同じ。だから、レティシアは情けなくない」
「……貴女も、そうなの?」
か細く、レティシアが問いかける。リラは、こくりと頷いた。
「死ぬのは怖い。死にたくないから、私は戦っている。レティシアと同じ」
「私は……、貴女ほど強くないわ。ただ、流されているだけよ」
「なら、私が守るから平気」
無機質で、それ故に混じりけのない声。
何でもないことのように告げられたその言葉に、レティシアは虚をつかれたように目を見開く。
理屈を語るわけでもない。諭すわけでも、ましてや慰めるわけでもない、短い言葉の連続。
だというのに、どうしてこうもリラの言葉は、レティシアの心に落ち着きをもたらすのだろうか。
レティシアの口元にはいつの間にか、綻びでるような微笑みが浮かんでいた。
「本当に、貴女っておかしな子ね。……ありがとう。少し、気持ちが軽くなった気がする」
誰にも話していないような心の内を吐き出したからか、それともリラの言葉のお陰か。レティシアの中にあった捉えようのないモヤモヤとした感情が、どことなく薄らいだように感じられた。
触れていたリラの手を、一度だけ確かめるように握って、それからそっと離す。
「なら、よかった」
変わらぬ抑揚の無い声が、けれども少し柔らかく感じられるのは、レティシアがそうであってほしいと思っただけのことだろうか。
少なくとも、魔石灯の人工的なに照らされた明るい室内に流れるその空気が、居心地のよいものに変わったことは確かだった。
「レティシア様!」
そんな時。悲鳴のようなその声が速いか、部屋の戸が音を立てて開かれ、見慣れたメイド服姿が目に飛び込んでくる。
「貴女……どうしたのよ、その格好」
戸に寄りかかるように肩で息をするメイドは、髪も乱れて今にも泣きだしそうな表情でレティシアの方を見ていた。
そんな姿に、レティシアは驚きと戸惑い交じりの表情で立ち上がる。
「あぁ、レティシア様……よかっ……わた、私、レティシア様が……っ」
レティシアの声に安心したのか、メイドはその場に崩れ落ちて本格的に泣き出してしまった。
「ああ、もう、こんなところで泣かないの」
「も、申し訳、ありません……。でも、レティシア様に何かあったら、私……私は……!」
「分かった。分かったわよ。……そんな風に泣かれたら、死んでもいいなんて、言えなくなっちゃうじゃない」
子どものようにしゃくりあげるメイドの頭を撫でながら、レティシアは静かな苦笑を浮かべる。
どうでもいいなどと悲観していた人生でも、少なくとも一人、こうして心配をかけてしまう人間がいる。そんな事実を目の前で突き付けられてしまっては、もはや笑うことしか出来まい。
「……ええ。私なら大丈夫よ。私には、とても素敵な護衛が、付いていてくれるんだもの」
そう言って、レティシアは後ろを振り返る。
リラの透き通るような金色の瞳は、それをしっかりと見つめ返してくれていた。




