(11)
回り道という言葉の通り、リラは入り組んだ道の間を、レティシアの手を引きつつふらふらと歩いて行った。
唐突に左の道へと行ったかと思えば、ふらりと右へと曲がって、迂回した末に元の道へと戻ったり、ずっと真っ直ぐに進んでいたかと思えばジグザグに入り組んだ道へと入っていったりと、道を把握しているレティシアでなくとも分かるほどにおかしな動きだ。
けれどもその迷走じみた動きとは裏腹に、リラの足取りには迷いがなく、それが確信を持っての歩みなのだということを感じさせる。
さらに、これはしばらく歩いてから気づいたのだが、リラの選ぶ道はどれもそれなりの広さがある歩きやすい道のようだった。
これだけ入り組んだところをうろついているのだから、普段人の通らないような裏の細道を歩いているのかと思いきや、通った道にはどこかしらに通行人の姿が見て取れた。大通りとは言えないまでも、誰かが日常的に使用している道を選んでいるらしい。
そんなどうでもいいような考察が出来てしまうくらいの時間。リラに任せるという嬉しさも徐々に薄れ、戸惑いと僅かばかりの不安が顔を覗かせ始めた頃。
リラが足を止めた。
「………………」
そこは通りの中ほどにある、細い十字路になっている場所。
正面に見える太陽はだいぶ傾きを増していて、辺りが暗くなるまであと一時間ほどといったところだろうか。燃え尽きる直前の炎のように、太陽は景色を夕色に染めている。
「……持ってて」
「え?」
リラはしばらく、それをぼんやりと眺めつつ思考を巡らせていたようだったが、レティシアの方へ振り返ると手にしていた布袋を差し出してきた。
戸惑いを覚えながらも、レティシアはリラに握られていないほうの手でそれを受け取る。
「こっち」
それから、リラは再びレティシアの手を引いて、今度は裏路地へと入っていった。
「ちょ、ちょっと……!」
レティシアは思わず抗議の声を上げた。
先ほどまでの歩みと違い、小走りのような速度。力強く手を引かれるレティシアも、自然と駆け足になる。
住宅の側面に挟まれた構造の道は細く、人通りもない。微かに散らばっているゴミが、人の手が入っていないことを示していた。
「……大丈夫だから」
レティシアの声に、リラは語り掛けるように呟いた。
そうして、細道を十メートルほども駆けたところで、
「おい、待ちな」
背後から、下卑た笑み交じりの不快な声に呼び止められた。
リラは素直に立ち止まった。レティシアもそれに合わせて立ち止まり、後ろへと振り返る。
十字路を入ってすぐの位置、道の入り口の辺りに、男が三人、道を塞ぐようにして立っていた。
「ガキがこんな時間にこんな場所うろつくなんざ、感心しねえなぁ。そう不用心だと、俺らみたいなのに目ぇ付けられんだぜ?」
先頭に立つ派手な髪色の男が、こちらへとゆったりと歩み寄りながら、大仰な手ぶりでそんなことを言ってくる。
その後ろには、目つきの悪い痩身の男と、髭を生やしたガタイの良い大柄の男。三人とも体中から酒の匂いを漂わせている。
町中で見かけたなら、何はなくとも近づくことを忌避するだろう男たちだ。
レティシアの手を握っていた、リラの手が離れる。ゆっくりと、自然な動きでリラはレティシアの半歩前へと出た。
そんなリラをちらりと見てから、レティシアは小さく息を吐いて、男へと澄ました笑顔を作る。
「お気遣いどうもありがとう。丁度もう帰るところだったから、心配はいらないわ」
「そうつれないこと言うなよ。身なりの良いガキの姿が見えたから、わざわざこんなとこまで後を追ってきたってのに」
言いながら、男は後ろに控える男に顎で指示をした。
それを受けて、痩身の男が見せびらかすように刃物を取り出す。
一瞬、レティシアの顔が怯んだように歪む。
「……レジスタンス」
リラの無感情な呟きが、裏路地に細く響いた。
それは男の耳にも届いたようで、男は不快げに眉を顰めた。
「レジスタンス? はっ、あんな祖国の為だのなんだの、訳の分からねえこと言ってるおかしな連中と一緒にすんなよ。……ま、あいつらが騒いでくれりゃ、警備の連中も忙しくなる。お陰で、こっちも好き勝手やれてるんだがな」
嘲るように、男は笑う。
レジスタンスの活動の余波、というべきだろうか。国や町の情勢が不安定になると、連鎖するようにして混乱や犯罪の類も増えてくる。
昼間、町を見て回っている時にはそんな様子は見受けられなかったが、それはあくまで表側の姿。普通に暮らしている人間ならば関わりあうことも無い裏側。そこに燻ぶる火種は、この町にも確かに存在しているようだ。
リラは言葉を返すことなく、男たちに気付かれぬよう左右へと瞳を揺らす。
「俺らはあいつらと違って、まともで単純だ。金が欲しい。楽に、大量に。実に人間的だろ?」
「……その方法が、これだって言うのかしら?」
「ああ。……今日のところは家を把握するだけ、とも思っていたが、どうぞ捕まえてくださいってな具合にこんなとこに入り込まれちゃあな。大人しくしてりゃ、俺らは金が手に入り、お前らは無事に帰れる。大人しくしねえなら……、大人しくなってもらうだけの話か」
ゆったりとした静かな口調だが、その言葉はうっすらとした狂気を孕んでいた。酒で理性が麻痺しているためか、あるいは元々の性質か。どちらにせよ、男たちは軽率であり、それ故に躊躇いなどという言葉を持ち合わせてはいない。
そんな男たちにレティシアが出来ることと言えば、気丈に笑みを返すことくらいだった。
「残念だけれど、それは上手くいかないわね。あいつは私が捕まったからって、お金を出すような人間じゃないもの。もしそうなったら……そうね、世間体良く私を切り捨てるための口実でも、考え始めるんじゃないかしら?」
レティシアは世間の一般市民よりも、自身の保護者であるクレイグ・オズワルドという人間を知っているつもりだった。
冷酷なほどに理屈的で、合理性の塊のような男。それがレティシアの抱く、オズワルドの人物像だ。
そんな男がこの小悪党に、ましてや情を掛ける理由もないレティシアのために金を払うなどあり得ない。駒を動かすように一つ一つ着実に行動し、最後には自身の被害が最小限になる形で、問題を解決するのだろう。
レティシアの安否は関係なしに。
それを踏まえたレティシアの嘲笑交じりの声を、けれども男たちは意に介さない。
「クク、気の強い嬢ちゃんだ。面白い冗談だが、正直なところ、お前さんの家庭事情なんざどうでもいいのさ」
「……どういう意味よ?」
「身代金、なんてのは確証はないのに危険だけ馬鹿高い大博打だからなぁ。そんな話にゃ流石の俺らも乗りたくねえ。……が、そんな手間を掛けずとも、今の世にはレジスタンスって買い手がいる。この町に住むお偉いさんの娘だと言えば、あの狂人どもも良い商売相手になるだろうよ。そうして代金を受け取っちまった後は、お前の家がどう動こうが、お前に価値があろうが無かろうが、俺らには関係ねえ。そうは思わねえか、嬢ちゃん?」
「っ……」
男は行動こそ短慮ではあるが、決して頭が回らないわけではなかった。
レジスタンスのような反抗勢力にとって、人質というのは間違いなく有益な手段の一つだ。それが転がり込んでくるとなれば、レジスタンスも相応の対価を用意するだろう。
ましてや、男自身も気づいていないが、レティシアはこの町の軍を率いるオズワルド准将の娘という立場にある。
もしそれに気付いたならば、レジスタンスは是が非でもレティシアを手に入れようとするに違いない。
その意味では、男は千載一遇の大当たりを引き当てたと言えるだろう。
そんな男のまとわりつくような悪意に中てられて、レティシアは張り詰めた表情で思わず一歩、後ずさりをしていた。
しかし。
「……リラ?」
男との間を遮るように、リラが無言でレティシアの前に立った。
「あ?」
それまでほとんど言葉を発することもなく、文字通り眼中になかったリラの行動に、男は怪訝そうに眉を顰める。
そんなレティシアや男の反応をよそに、リラはすっとその場にしゃがみこんだ。
一瞬の戸惑いの後、男はせせら笑いを浮かべる。
「はっ、何かと思えば、命乞いか? いいぜ、好きにしろよ。友達だけは助けてってお涙ものか、自分だけは助けてってお笑いものか、どっちでもいい見世物だ」
そう発する男の目は、けれどもリラのことなど注視していない。
それもそうだろう。男の頭はすでに、この後のことしか考えていないのだ。
ここに至るまで、他人に顔を覚えられるヘマもしていなければ、この場を目撃される可能性がないことも確認した。
故に警戒するべきは、この後。二人を捕え、誰にも気取られぬうちに町を出て、レジスタンスとコンタクトを取る。その一連の行程を滞りなく済ませることこそ、男にとって頭を働かせるべき問題だった。
それは自分こそが狩る側であり、絶対的に強者の側であるという、無意識下での油断。
とはいえ、この場に関していえば、この男でなくとも結末は同じだっただろう。
しゃがみこんだリラのその右手が、ふんわりと伸びるジャンパースカートの裏。太ももに巻き付けたベルトに、こっそりと忍ばせていたナイフに伸びることなど、一体誰が気づけたというのだろうか。
そうして、男の瞬きよりも速く、リラは地を蹴った。
この場の地形、対象との距離、対象それぞれの脅威度、増援の可能性。男とレティシアの会話は、リラがレティシアを護るために必要な情報を把握するのに、充分すぎるほどの時間だった。
男たちとの距離は十メートル弱。リラにとってそれは、距離のうちには入らない。
「ぃづ……っ!?」
最初は、レティシアと話していた男の後ろに居る、刃物を持った痩身の男。すり抜けるように、右足のすねの辺りが切りつけられた。
決して深い傷ではない。しかし予期していなかった突然の痛みに、男は刃物を取り落とし、思わずその傷を押さえようと屈みこんでしまう。
その下がった頭を、壁を蹴り跳んだリラは容赦なく踏みつける。重心の崩れた身体は受け身を取ることも叶わず、顔から地面に激突した男は声もなく意識を失った。
「な……うご……っ?!」
一呼吸のうちに一人を沈めたリラに、隣にいた大柄な男がようやくの反応を示すが、遅い。
その頃には、硬い革靴のつま先が大柄の男の鳩尾に突き刺さっていた。小柄な少女のものでありながら、急所を狙いすました回し蹴りは、それだけで男の意識を刈り取る。
「へぁ……?」
残った男が、素っ頓狂な声を上げながら振り返る。
困惑を表す時間さえも無い。男の思考が動くには、事態はあまりにも速く、唐突だった。
リラはするりと呆けた男の後ろへと回り込み、負ぶさるようにその背にしがみ付く。
男は首元に、冷たい刃が突き付けられる感覚を味わった。
「動くと、怪我する」
「ひ──」
無感情な声。もっとも、そんな声がなくとも男は動けなかっただろうが。
石像のように固まった男に、リラは突き付けていたナイフをくるりと反転させ、その柄を首筋に叩きつけた。
男が崩れ落ちる。その意識が完全に無いことを確認してから、リラは立ち上がる。
その一部始終を、レティシアは言葉もなくただ茫然と眺めていた。
振り返ったリラと目が合う。
金色に光る、透き通った空っぽの瞳。
普段と同じもののはずのそれは、この異質の場においてはどこまでも妖しく映って。
そこに抱いた感情の色も分からぬまま、レティシアは立ち尽くしていた。
「もう大丈夫」
「ぇ、あ……」
けれど、それも一瞬のこと。
リラの声に、夢から覚めるようにリラは現実へと引き戻される。
息が漏れ出ると同時に、張り詰めていた緊張の糸が切れるのを感じた。
足の力が抜けて、その場にへたり込む。
忘れていたかのように息苦しさが込み上げてきて、レティシアは胸に手を当てながら荒い呼吸を繰り返した。
「……レティシア」
傍へと戻ってきたリラが、声をかける。
それから少し考えるように瞳を揺らして、リラはレティシアへと手を差し出した。
動揺の抜けきらない様子のまま、レティシアはその手を取った。
「あ、ありがとう」
リラの小さな手は、それでもしっかりと支えてくれて、レティシアはゆっくりと立ち上がった。
それを確認してから、リラは奥で倒れる男たちへと目をやる。
「……起きる前に、人を呼んだ方が良い」
「ええ、そうね……。そのくらいは、私がやれるわ」
普段と変わらぬ調子で発したつもりの声は、疲労にも似たふらつきのせいで、酷く弱弱しいものに感じられた。




