(8)
オズワルドの屋敷で簡単に朝食を摂ったウィルは、のんびりする間もなく基地へと出向く準備を済ませていた。
ウィルに宛がわれた部屋は来客用というだけあって、日用的な家具は少ない。目立つものはベッドと小さなテーブルくらいという様相だが、そのさっぱりとした雰囲気は、ウィルの好みには合っていた。なのだが。
「……この部屋とも、しばらくお別れか」
「一晩しかいなかったのに、思い出の場所みたいな言い草ね」
朝食の後、おそらくは暇だったのだろう。ウィルについてきたレティシアが、ベッドの上から律義に反応を返してきた。
ベッドにはまずリラが腰かけていて、その後ろにレティシアは膝立ちをするようにしながら、リラの髪を櫛で梳かしていた。二人ともまだ寝間着のままだ。
「街道沿いとはいえ、森林地帯の調査任務なら、下手すりゃ野営生活だ。一晩でもこれだけ良い部屋に泊まっちまったら、惜しみもするさ」
テーブルの上に乗せたリュックの中身を確かめつつ、ウィルも律義に返してやる。
昨日一日は、基地の把握という散歩じみた任務に励んでいたウィルだが、オズワルドもそう遊ばせてくれるほど甘くはない。
一日の間で行動に問題なしと判断したのか、オズワルドは早速ウィルへと新たな任務を告げてきた。
「南にある森ねぇ……。ま、あそこには定期的に見回りが行くから、市民への仕事してますアピールに付き合わされたってところかしら」
「俺、准将に嫌われてるのか……?」
「出会ってすぐに、剣を向けられてた」
「俺、准将に嫌われてるのか……」
南方にある森林地帯に小隊規模で向かい、調査及び必要に応じた戦闘を行うという任務。
この調査は本来、森林に生息する魔獣の数や生態を調べ、街道へと迷い出てくる魔獣を抑えるために、半年に一度ほどの頻度で行っているらしい。
しかしレジスタンス活動が活発になっている今、こういった人間が隠れ潜みやすい場所は、今一度厳重な警戒が必要になってくる。
定期の調査ではレジスタンスも対策を取り得る可能性があるので、突発的な調査は効果的だろう。
という理屈は分かるのだが、来て早々町の外に派遣されるとなれば、気も重くなる。
「……しゃーない。不憫な俺の分まで、リラはこの街を満喫するんだぞ」
そんな気分をひとまずため息一つで吹き消して、ウィルはリラに尤もらしく笑いかけた。
当然のように、リラはウィルの方を真っ直ぐに見て、不満げにほんの微かに眉を顰める。
「……私にも仕事がある」
「そこはまあ、雇用主と要相談だな」
言いつつちらりとレティシアの方を見ると、レティシアはにやりと口元だけで笑い返して見せた。
とりあえずレティシアに任せておけば、リラの方は問題なさそうだ。ウィルの憂鬱の種が一つ消えた。
「ウィルさん。少々よろしいでしょうか?」
と。ドアの方からノックの音が響き、それからメイドのそんな声が聞こえてきた。
「ん? ああ、大丈夫だ」
ウィルが答えると、レティシアにいつも付いている若いメイドが、おずおずといった様子で部屋に入ってくる。
「あ、レティシア様たちもこちらにいらっしゃったのですね」
それからふと、ベッドの上に居るレティシアとリラを認めて、安堵にも似た笑みを浮かべた。あまり人慣れしにくいタイプなのだろう。
そのことを分かっているだろうに、レティシアはメイドへと意地悪げな表情を作る。
「あら、お邪魔だったかしら?」
「い、いえ、そんなことは」
はにかみながら返して、メイドは小さく深呼吸をするように息を吐く。
「ええと、ウィルさんがしばらく森の調査に出られるということでしたので、お食事等の準備の兼ね合いもありますし、お帰りの予定の確認をと思いまして。軍の公布ですと、調査期間は一週間ということでしたが……」
「なるほど、そりゃ大事だな。あーっと、知らされてる通り、帰りは一週間後の予定だ。帰ってきたらそのまま基地で報告をするから、ここに戻ってくるのは夜になるかな。まあ、あくまで予定だから、ずれる可能性もあるが」
「いえ、助かります。……お食事を楽しみにされていたようですから、その日の夕食は腕によりをかけるよう、調理師に申し付けておきますね」
「そうか。なら、是が非でも予定通りに済ませないといけないな」
ウィルの軽口に、メイドは最初よりは柔らかくなったように感じられる笑みで返して、頭を下げてから部屋を出て行った。
「やれやれ。思いがけず発破をかけられたな」
「食べ物でやる気を出すっていうのも、どうなのかしらね?」
「単純」
「……ひょっとして、俺はお前らにも嫌われてるのか?」
言ってみるものの、それにはレティシアが肩をすくめて見せるだけだった。
とはいえこういった悪言を交えた冗談の言い合いも、友好の証だろう。
これも彼女たちなりの見送りの言葉だ。と、前向きに捉えることにして、ウィルは整理を終えたリュックを肩に担ぐ。
「んじゃ、遅刻しないよう、そろそろ出るとしますか」
「そう。玄関までお見送りしましょうか?」
「それには及ばんよ。リラのこと、よろしく頼むな」
リラの相手となれば、本来ならもう少し細かに伝えておくべきこともあるだろうが、レティシアであればこれで充分だろう。
それを証明するかのように、レティシアは自信に満ちた顔で鼻を鳴らした。
「ええ。言われなくとも」
「……護衛を頼まれたのは私の方」
リラの不満げな声には答えずに、ウィルはリラの頭をぽんぽんと叩く。
そうしてリラの顔が不機嫌そうなものに変わったのを見届けてから、ウィルは部屋を出て行った。
「……ほんと、仲が良いのね。嫉妬しちゃうわ」
「………………」
冗談ぶったレティシアの言葉に、リラはウィルへと向けていた顔のままにレティシアを睨んだ。
動じる様子もなく息をひとつ吐いて、レティシアはベッドから降りてリラの前に立つ。
「それじゃあ、私たちも着替えて準備しましょうか」
「……準備」
リラは小さく首を傾ける。
「ええ。貴女は護衛と言ったけれど、もう一つのお仕事もちゃんとこなしてもらわないと。ね」




