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ベタならせめて!

作者: 枕元

 最近、ベタな作品が増えたなって思う。


 正確にはずっとずっと思っている。仮に画期的で斬新で、全く見たことのない作品が出てきたって、10年もすれば「ベタだ」と、ありふれた設定として群衆に塗りつぶされていく。


 そして誰もが忘れた頃に掘り起こされて、画期的だのなんだの言われて再流行。その遷移に気づいた人の主張は、主語の大きな大人たちに踏み潰されてゆく。


 ここまでベタなことに対して、どこか否定的なニュアンスに聞こえたかもだが、俺はベタな作品は大好きだ。


 王道のバトル漫画もいい。個人的には、コメディ要素はスパイス程度がありがたい。特に甘々なラブコメは大好きだ。


 難しい線引きだ。あまりにありふれたものでは目立たない。だけど奇をてらうあまり、関心を引かぬ作品はただ埋もれていくばかりだ。


 ベタであり()()()()()


 その唯一を作り出すのが難しい。


 だからベタでいいのだ。


 ありふれた物語でいいのだ。


 だけどせめて、何か一つだけ。


 その人にとって、特別な何かを生み出したい。



ーーーー


 

 朝、教室。


 「おはよ、ハカセ」


 ホームルームまではあと15分ほど。生徒が全員揃うにはまだ少し早い頃、窓際から2列目最後尾に座る俺に声がかかった。


 「おーおはよ。悠二ゆうじ


 彼の名前は智也悠二ともやゆうじ。彼とは小学校から、高校生2年の現在からの付き合いで、インドア気味の俺を、よく外に連れ出してくれる素晴らしき友人である。


 「お、今日は何読んでんだ?新しいやつ?」

 「うん。読み切りの作品なんだけど、正直俺はいまいちかなぁ」


 「なるほど。ザ・ラブコメ脳のハカセのお眼鏡にはかからなかったか」


 ちなみにハカセっていうのが俺のあだ名である。


 本名は瑞希智也みずきともやである。博士要素は皆無なのだが、そこは俺の趣味が由来だったりする。


 「まずね、設定盛りすぎ。要素は盛ればいいってわけじゃないわけよ。なんだよテレキネシスサイコメトラーって。片方でいいだろ片方で。そもそも二つは別物だからな?なのにテレポートまで始めるしさぁ。もう超能力者でいいじゃん。サイキッカーでいいじゃん!漫画で文字数稼ぐなよ!!」


 「お、おい。ハカセ」


 「ていうかそもそも高飛車才色兼備お金持ちスーパーお嬢様生徒会長っていうテンプレがね、もうね。いるか?超能力いるか?実は影で努力してます〜ほんとは寂しがりやです〜っていうスパイスで十分だろ!削れ!どっちか削れ!情報過多が許されるのは回収できる凄腕作家だけなんだよ!!」


 「落ち着いてハカセ!聞いた俺が悪かったから!な?」


 別に、僕は、取り乱してなんか、いない。


 ふしゅー。


 と、まぁこのように、少々ラブコメに対する情熱が激しい故にできたあだ名が「(ラブコメ)はかせ」である。とはいえ誰の前でもこうなるわけじゃないから、みんなは由来とか詳しく知らずに、悠二がハカセと呼んでるから呼んでる人もいる。


 否定しないのは、まんざらでもないからである。


 「だってぇ!!ヒロインの子が......!こんな超能力(ちから)無かったら良かったのにとか言うからよぉ...!!ほんとに!ほんとにその通りだよ!!絵はいいのに!絵はいいのに!!絵はッ!!!いいのにッ!!!」


 「まぁ確かに言いたいことはわかるけどさ。俺も組ませたら最強だと思う人いるしなぁ」


 あ、ちなみに悠二くんは洗脳済みです。

 

 ラブコメなしじゃ生きていけない体にされちゃったね...!


 「ベタはともかく、ベタベタは許せないと」

 「そういうこと!突如地主の娘なのに、親元を離れて転校してくる悲しきモンスターに、俺は引導を渡してやらねばならないのだ...」


 隣町の地主の娘は、それもうただの小娘なんだよ。


 ええ、気づいていますとも。朝っぱらから騒ぐせいで、女子たちが冷ややかな視線を送ってきてますね。気づいていますとも。


 でも気にしない。俺はともかく悠二(スポーツ万能清潔オシャレマン)は女子からの信頼が厚い。その影に隠れることで、また言ってるよ〜ぐらいの半歩引かれる程度で済むからな。悠二はすごいやつなのだ。それはもうモテる。友達も多いし、


 あれ、悠二って実は敵なのでは...?


 「それより知ってるか?今日転入生来るらしいぜ」

 「貴様ァ、一体何が狙いだ...?」


 俺は凄んだ。こいつは敵だ。オトコノコの敵なのだ。


 「んあ?ネライ?いきなり何言ってんだお前」


 ......まあいいだろう。今しばらくは泳がせておこう。


 それより転入生ね。うん。転入生ね。今は5月。こんなタイミングで転入生とは珍しいな。

 

 「金髪ツインテ高飛車ロリだったりしねぇかな」

 「流石にそれはないだろー。ありゃフィクションだからいいのであって、現実に来たら普通にヤベェやつだぞ。いきなり「席を譲りなさいッ愚民!」とか言うんだろ?」


 あー言うね。そしてきっと俺の隣に座るね。なぜなら俺の隣はいわゆる主人公席だからな。今は人数の関係で机は無いのだが...あれ、机がある。


 「もしかしてここ座るんかな」

 「あー本当だ。昨日の放課後持ってきたんだろうな。良かったじゃん。青春ラブコメの始まりだ」

 

 「まだ女の子かもわからないっつーの」


 ま、実際女の子でも青春ラブコメは始まらないんだろうな。


 なぜって?そんなの経験則だよ言わせんな。


 



ーーーー


 

 「ーー西園寺静音さいおんじしずねです。よろしくお願いします」

 「...わーお」


 残念ながら金髪でもツインテでもロリでも無かったが、えらい美人がそこにいた。


 透き通るような黒髪ロングに、ピシッとした佇まいが只者では無いような、特別感のあるオーラを放っている。


 朝のホームルーム。担任に紹介された彼女ーー西園寺は、一言で挨拶を終えるとこちら側に歩いてくる。


 そして俺の隣に座った。やばっ。一目でわかる。これ違う世界の住人だ。


 いわゆる陽キャとかそんな次元の話ではなくて、これはもうアイドル的な素質を感じると言うか。


 一言で言えば、俺は圧倒されてしまった。一目惚れとかそんな感情では決してないけれど。


 落ち着け。とりあえず普通に挨拶して、普通に過ごせばいいのだ。何も怪獣が隣に座っているわけじゃ無い。人なのだ。大丈夫だ、頑張れ俺。第一印象は命の次に重いぞ。失敗するな...!!


 何かと戦う俺。澄ました顔で窓の外を見ている西園寺。


 こりゃ別世界ですわ。オーラ見えるもん、オーラが。可視化されてるよ。


 横目でちらり。うん、挨拶するのやめとくか。触らぬ神に祟りなし。つまりは触れば祟られる。うん、話しかけられたら答える。それでいーじゃないか。現実世界の失態は、ナイストライじゃ済まないのである。


 (「あなたたちと馴れ合う気なんか無いから」、なんて言ったら物語のヒロインそのものだな。と、いかんいかん。またラブコメ脳が!)


 フィクションだからいいのである。現実とごっちゃにしちゃいかん。


 でもまぁ少しだけだ。


 もしくは「こっち見ないでくれる?」だ。いるよね。話しかけても無いのに、目が合うだけで喧嘩売るやつ。あれ本当やべーよ。テロやん。あんなんテロやろ。


 でも好き。好きだけどね!俺の脳内ではCV付きで脳内再生余裕である。


 そんな風に隣のことを少々見過ぎてしまった。だから、こんなセリフが飛んできたって仕方がないことだ。



 「ーー何か用?」


 

 そうそうこんな感じでね。そちらに興味ありませんよ〜って目でね、それを聞いた俺は驚きで固まってしまってね。

 



 それでこう続くんだ。



 「ーーこんなやつが隣なんて、ついてないわね」



 少々荒々しいが、これが俺と彼女のファーストコンタクト。


 窓から吹き込む風が目に入って痛い。


 それを言い訳に、俺は静かに目を伏せた。





ーーーー



 「ほほう。つまりやつは、今をときめく()()大企業の御令嬢で、容姿端麗文武両道ハイスペックエリートお嬢様だと?」

 「端的に言えばな。なんたって()()大企業様だ。喧嘩を売ったら、きっと社会的に死ぬんだろなぁ」


 ホームルームが終わって休み時間。俺たちは緊急ミーティングを開いていた。


 なるほど、あの異様なオーラはそういうことか...。


 「『()()』大企業なら納得だな」

 「もうお前「あの」って言いたいだけだろ」


 失礼な。そんな薄っぺらい会話などするものか。


 「てかなんでそんなこと知ってるんだよ」

 「や、なんか名前に見覚えがあって、検索したら普通に出てきた」

 

 検索したら普通にヒットしちゃうレベルの人間なのね。


 「去年の弓道の大会、なんかすごいの優勝してるっぽいわ。弓道わからんから大会の規模とか知らんけど、特集組まれるってことはだいぶすごいんだろ」

 「......俺は認めんぞ」


 だって、だって初対面があれじゃなぁ!!


 「ほら、うちって弓道全国レベルじゃん?他の運動部はからっきしだけど、弓道場あるぐらいだし」...

 「それでうちにねぇ...」


 まぁ我が校はそこそこの進学校ではある。とはいえ頭のすごく良い学校でもない、なんというかちょうどいい感じ。ちなみに俺は家が近いという理由でここを選んだ。


 ま、そんなことは別にどうでもいいのだ。


 「これは戦争だぞ!」

 

 よりによって俺の前で、あんなセリフを吐いたのだ。


 「まるで物語のヒロインだな」

 「やめろ。あれは外から眺めてるから耐えられるんだよ。普通に悪口。おーけー?悪口言われたら傷つく。おーけー!?」


 「ま、確かに変に関わらないほうがいいかもな。粗相をしたら、何されるか分かったもんじゃない」

 「その通りだな。よし、俺頑張るよ。もし生きて帰ることができたらーー」


 「いいから行け」

 「あっはい」


 そろそろ授業が始まる。俺は席について準備を始める。


 横目で隣をちらり。西園寺は女子に囲まれて質問責めにされている。そんな暑苦しい状況を、彼女は涼しい顔で捌いていく。


 仲良くはなれないんだろうなぁ。



ーーーー



 「ハカセー。西園寺はまだ教科書持ってないから、お前見せてやってくれな」

 「あ、了解っす」


 授業が始まる直前、教室に戻ってきた担任がそんなことを言う。


 ちなみに担任からも俺はハカセと呼ばれている。大人の教師に言われて嫌じゃないぐらいには、案外自分でもこのあだ名は気に入っていたりするのだろうか。


 (え......!?気まずっ!?)


 そんなことよりだ。西園寺に俺が教科書を見せる!?何それ聞いてない。


 や、別にマイ教科書を独占したいとかじゃなくてね、初対面あれで当然その後の会話も皆無なわけで。出会って間もない初対面(第一印象最悪)コンビにはなかなか辛いものがあるんだが?


 あの一言さえなければ、鼻の下も伸びたものだが。


 「別に見せる必要ないわよ」

 「えっ?見せる必要ない、と言いますと?」


 西園寺は俺の問いかけを無視して、カバンの中から教科書を取り出した。


 「もう借りてるから」

 「......さいですか」


 こちらを一瞥もしようとしない彼女に、何を言っても無駄だろうと前を向く。


 ま、見せる必要がないなら助かる。1時間も机くっつけるとか、普通に耐えられない気がする。うん、これでよかった。


 俺は何にも気にしてない。いいね?






ーーーー



 「ああああああああああ!!!!なんなんあいつ!!なんなんあいつ!!!」

 「落ち着けハカセッ!落ちるから!俺の弁当が落ちるから!!」


 俺は衝動に任せて悠二を揺さぶる。時に大きく、時に小刻みにシェイクする。彼は手に持っているお弁当を落とすまいと必死になっていた。


 「だっでぇ!!あいづ!!おでのごどみぐだじでぎやがっだ!!!おではなでわらわれだ!!!ぐやじいよぉ......!」

 「なんて言ってるかわからんから!!暑苦しい!!」


 「だって!!おかしいでしょ!!こっちはことあるごとに鼻で笑われてんだぞ!!」


 現在時刻はお昼時。4限の授業を終えてお昼休みである。


 俺は屋上にて悠二に愚痴を解き放っていた。


 「興味が無いなら、一切関与してくんなよってこと!」


 西園寺はこの日、余すことなくいちいち余計なことを言ってきた。やれ「私は忘れ物なんてしない」やら、「こんなこともわからないの?」だとか。


 「ま、確かに一理あるけどな。興味ないなら、そんな一言余計でしかない」

 「だろ!?なのに!いちいち含みのある言い方してくんだよ!今日だけで5回!皮肉嘲笑初対面で5回だぞ!?」


 信じられないペースである。余裕で月100回を超える勢いである。ドッキリを疑うレベルだ。


 「まぁまぁ、もしかしたら初日で緊張してるのかもよ?明日には大人しくなってて、謝ってくるかもしれない。ここは大きな心で待ち構えようや」

 「そうなるとは思えないけどなぁ」


 とはいえ、心が広いのがハカセこと俺の長所である。


 他ならぬ親友の提案である。

 ここは一つ、寛大な心を持ってみることにしよう。




ーーーー



 「ちょっと、そこ邪魔なんだけど」

 「あっはい」


 結論から言うと、西園寺はその態度を全く崩さなかった。


 彼女が転入してきてから早くも一ヶ月が経ったのだが、彼女はすでにその立場を確立していた。


 まさしくお嬢様とやらだ。本人にその気があるのかは知らないが、今や全男子の高嶺の花となっているらしい。


 どうやらそんな彼女の進路の妨げになっていたようなので、俺は大人しくその道を譲る。ぐぬぬ。


 正直に言って、もう諦めてる部分もある。試しに謝ってみても取りつく島もないし、そもそも謝るようなことはしてないし。


 (でもなぜか、俺にだけなんだよなぁ)


 一ヶ月の調査(悠二調べ)によると、他の生徒には普通の態度をとるらしい。話しかけられれば普通に会話するし、積極的ではないにせよ、俺に対するような態度は取らないらしい。男子に対しては少し塩対応なぐらい。なぜか俺にだけ厳しいのだ。

 

 俺、何かやっちゃいました...?


 (ま、だからどうだって話ではあるけどな)


 俺が自身の隠された力によって何かしてようと、それは俺の関与するところではない。仲良くしなきゃいけない理由もないし、無理に仲良くしようという気もない。とはいえだ、疎まれてるこの状況を良しともしてないわけで、なんとも難しいものである。


 そんなふうに頭を悩ませている時だった。


 「「ーーっ危ない!!」」

 「ーーえっ?」

 

 教室に響き渡ったのは悠二の声と......もう一つは西園寺か?わからん。いやちがう。大事なのはそうじゃなくてなんでこんなに冷たくて頭が痛くーー


 「お、おい!大丈夫か!?」

 「えっ?あ、うん?だ、大丈夫だと、思うかな?」


 悠二に声をかけられて、俺は少々曖昧な答えを返した。


 遅れて状況に気づく。机の上には割れた破片が散らばっていて、俺は頭から水を滴らせていた。


 つまり......花瓶か?頭に花瓶が降ってきた?


 「ちょ、はかせっ!?本当に大丈夫か?」

 「え、ああ。大丈夫大丈夫。急でびっくりしただけだから?」


 すごい形相で顔を覗き込んでくる悠二。大丈夫と言ったのは強がりではない。最初はめっちゃ痛いと思ったけど、冷静になってみると痛みは全然大したことない。どうやらびっくりを痛みと勘違いしちゃったらしい。


 「いや血!ハカセ頭から血が出てるからっ!!」

 「え......嘘!?頭から!?うわまじじゃん!」


 悠二の指摘に、痛みの中心であった側頭部を触ると、その手には血がついていた。


 「ちょ、これっ!病院か!?」

 

 大袈裟だろと言いかけて、実際頭の怪我って怖いなぁと思い直す。怪我の度合いはともかく、こういうのってちゃんと病院行ったほうがいいか...?


 えーっと、とりあえず止血?綺麗な布?とりあえずハンカチでいいか?えとえと......なんて雄二に釣られて、俺もあたふたしていた時だった。


 

 「ーーさっきからうるさいのよあんた!!」



 不意に大きな声が響く。俺と悠二はその声に、ビクッと体を震わせた。声の主は西園寺だった。


 「そこ邪魔、どいて」


 彼女は俺の前にいる雄二をどかすように、悠二の肩を掴んで俺から引き剥がした。


 その行動に、流石の俺も頭にきた。自分を心配してくれている友人を蔑ろにされた。平時の態度も相まって、これはどう考えたってやりすぎだ。


 そんな彼女を非難しようと声を上げようとしてやめた。何故か彼女はそのまま通り過ぎるのではなく、俺の眼の前で向き合う形で立ち止まったからだ。


 「......動かないで」

 「ーーえっ?」


 すっと、俺との距離を詰める西園寺。その手は優しく患部に当てられた。感触的にハンカチが傷口に当てられているようだ。つまり止血だ。


 「まだ使ってない綺麗なやつだから」

 「え...あー...ありがとう、ございます?」


 全く予想していなかった状況にあたふたする俺。理由は簡単だ。とにかく西園寺との距離が近いからだ。呼吸音すら感じ取れる距離で、西園寺の真剣な表情のせいで俺は全く動けずにいた。


 「おい!何があった!?」


 結局その後、騒ぎを聞きつけて来た先生の指示によって、俺は学校を早退して病院へ行った。教室を出る時、すでに落ち着きを取り戻した悠二が、意味深な笑顔を浮かべていたのを俺は見逃さなかった。



ーーーー



 『ーーで、特に問題は無かったと』

 「おう。ただの切り傷だってさ。縫う必要ももちろんなくて、ほっときゃ治るらしい」


 その日の晩。俺は悠二と電話をしていた。


 病院での検査結果は、全くの問題なしだった。改めて消毒してもらって、薬塗ってガーゼをペタリ。傷跡も残らず綺麗に治るそうだ。共に出張中である両親にはめちゃくちゃ心配されたけど、本当にモーマンタイである。


 『それは何よりだな。そ・れ・は』

 「おい、何だよその言い方。まるで他に良くないことがあったみたいな」


 わざわざこんな言い方をするのだから、「まるで」ではないのだろうが。


 『そうだぞー。ハカセが病院行った後に、ちょっと一悶着あってな......』

 「ええええ。一体何があったん?」


 『それがな......お嬢様が狭山にキレたんだよ』


 狭山と言ったら、クラスメイトの狭山楓さやまかえでか?去年は違うクラスだったし、あんまり接点ないんだが。なんで急に彼女の名前が出てくる?


 「お嬢様ーー西園寺が狭山に......?そりゃなんでまたそんな状況に?」


 繋がりがわからん。え、普通に喧嘩?狭山さんは結構誰にでも優しい印象だし、喧嘩するようなイメージはないんだが。


 『花瓶をぶちまけたのが狭山なんだよ』

 「......なるほど?」


 そうだったのか。確かにどうして花瓶が頭に向かってきたのかは気になっていた。それも聞こうとは思っていたのだが、こんな流れで知らされるとは。

 ともかく狭山の名前が出てきた理由はわかったけど、なんでお嬢様がキレるような事態になったんだ?


 『一応言っとくけど、狭山もわざとじゃないからな?花瓶の水替えしてたら、綺麗に躓いてストライクだ。俺は見てたけど、ありゃ絶対にわざとではなかったよ』

 「別にそれは疑ってないって。結果論だけど何ともなかったし、別に怒ってもないって」


 元々疑ってない上に、悠二がそう言うならそうなのだろう。もともと狭山さんを責めるつもりもないし、明日になれば謝罪の一つもあるのだろう。それで十分である。


 「で、何でそこから西園寺がキレるなんて事態に?」

 『それがな......何でぼーっとしてたの?大怪我だったらどうしてたのよ?って狭山に向かって言い出してな。隣で見てたけどありゃ怖かったよ。静かに諭すように、怒りを滲ませているような感じでな......最終的に狭山は泣いちゃった』


 そ、そんなことが......。


 『確かに狭山は、ハカセに花瓶をぶつけてから完全に棒立ち。その後の対応も何にも無かった。西園寺の言う通り、当事者としては最悪だわな。でもーー』

 「そんな風に言う必要はない、ってことか。んであれか、教室の空気が超気まずくなったりとかそんな感じか」


 『そういうことだね。女子は基本狭山の味方って感じだな。西園寺は狭山を泣かせた意地悪なやつになっちまった』

 「なるほどねぇ......」

 

 自業自得ですな。黙ってればきっと、狭山が俺に謝っておしまい案件だった。波風立てたくない俺も問題なく彼女を許し、この一件で落ち込んでしまった彼女を励ましてハッピーエンドだ。美しい綺麗事。それで良かったのに。


 『別に味方をするわけじゃないけどさ、狭山は完全に頭真っ白だったな。正直気持ちはわかるよ。血見ちゃったらパニクっちゃうよなぁ』

 「あーわかるわ。マジでやらかした時って、本当に何もできない時あるよな。俺小さい頃さーー」


 話題はシリアスな展開からくだらない昔話へ。教室の空気やら状況は、どうせ明日になればわかることばかりだ。

 

 今日は疲れた。


 一抹の不安を残しつつも、電話を切った俺は深く微睡へと沈んでいった。



ーーーー



 「やば、遅刻やん」

 

 翌日、俺は見事に寝坊をかました。時計を見ると時刻は9時を回ったところ。完全に寝坊確定である。


 「おーい咲紀さき。完全に寝坊だぞー」


 俺はのそのそとベットから出ると、自室の隣にある2個下の妹ーー咲紀の部屋をノックする。


 「ええっ!?うそっ!マジじゃんもー!」


 飛び起きたのかドタバタと音が聞こえる。両親が出張で家を開けている今、咲紀は完全に俺を目覚ましにしていたため、俺の寝坊の道連れとなったのだった。


 「起こしてよー!」

 「うっさい。俺も寝坊したんだから仕方ないだろ」


 「むー。せめてお弁当は作ってよ!私はもう3限から出るから!2限は諦めた!」

 「俺は2限から出るつもりだったのに......」


 残念ながら我が家のトップカーストは、このわがままな妹様なため俺は逆らうことはできない。学食で済ませていただきたかったが、ご命令とあれば用意するしかない。


 我が家の料理係は俺なのだ。母は衝撃的に料理ができない。その血が色濃く受け継がれたのか、咲紀もからっきしなので消去法で俺なのだ。


 俺も咲紀も部活はしてないし、普段の素行成績が悪くないからたまの遅刻は正直痛くも痒くもない。だからどうせならゆっくり支度したくなる気持ちもわかる。せいぜいが雄二にからかわれるぐらいだろうしな。


 「てか!自転車パンクしてるから後ろ乗せてね!」

 「この前注意されたばっかだろ」


 「えー。じゃあ一緒に歩いて行こー」

 「しょうがないなぁ」


 徒歩確定である。まぁ学校近いし良いけどさぁ。ちなみに我が母校は中高一貫であり、咲紀も俺と同じ進路を選んだため行き先も同じである。


 「そろそろ行くぞー」

 「はいはーい」


 そろそろ時間なので咲紀にそう呼びかけると、気の抜けた返事が帰ってくる。俺は玄関にて咲紀にお弁当を渡す。


 「ほれ」

 「ん、いつもありがと」


 お弁当を受け取り、お礼を言う咲紀。うむ。こう素直なところがあるから、俺もついつい甘やかしてしまう部分がある。


 「じゃ、行くか」

 「おー」


 俺たちは他愛のない話をしながら歩く。家を出てからおよそ20分ほど、目的地である学校の前で別れた。


 時刻はちょうど2限と3限の間の休み時間だ。職員室に寄って担任に顔を出して、軽くいじられた後に教室へ。


 (なんともありませんよーに!)


 別に俺は何にも悪いことしてないけど、無関係とは言えない。俺の対応次第で、変な方向に状況が悪化してしまうこともあるだろう。


 まぁ狭山さんが泣いたって言っても、軽いすれ違いからきた色々だろうし、そこまで心配することもないだろう。俺が怒っていなくて、快く謝罪を受け入れればそれで良しである。


 

 「ーー何か言いたいことがあるなら言いなさいよ!!!」



 ......おっと?何か怒号のようなものが教室から聞こえてくるぞ?不思議だなー?


 そっと教室を覗いてみる。すると窓際では、座っている西園寺に、詰め寄る形で二人の女子生徒が立っていた。あれは須藤さんと宮永さんか。


 「......別に何もないわよ」

 「じゃあなんでさっきからーー」


 よく分からないけど、何か言い争いになってるらしい。え、これもしかしてしなくても昨日関連のやつですか?あれの中心に今から行かなきゃ行かないんですか?


 よく見ると近くで狭山がオロオロしてる。そういう感じですか...。


 (......あんまり気分は良くないな)


 別に西園寺がどうなっても、俺のせいじゃないし俺の預かり知るところではない。


 でも、なんだかなのだ。


 「その辺にしとけば?」

 「え...あ、ハカセ君。良かった。学校来れたんだね」


 教室に入った俺は、後ろから声をかける。今日は休むと思われていたのか、三人とも驚いた様子で俺を見る。西園寺の視線は、どこかばつの悪そうなものだったが。


 「あ、ごめんね。今、昨日のことで西園寺さんと......」


 宮永が俺にこの状況を説明しようとしてくる。昨日のことね。正直どうでもいいです。何か言い方的に、俺を言い訳に使ってそうだし。


 「だからその辺にしとけば?って言ってるんだけど」


 自分でも驚いたけど、少し語気が強くなってしまった。そんな俺の態度に少し怯みつつ、意外そうな表情を三人は俺に向けてくる。


 「......西園寺さんの味方するの?」


 それは紛れもない非難であり、そして警告だったのだろう。彼女たちは西園寺がどうしても気に食わないらしい。まぁ気持ちはすごいわかるけどね。


 「するよ。どう見ても一方的だしね」


 対して俺の答えは決まってる。正確には西園寺の味方ではない。少数の味方である。


 「どうして?昨日何があったか知らないの?」

 「知ってるよ。全部聞いてるよ。知ってて味方する。正直どうでもいいからね。それでもやるなら、俺は巻き込まないでね」


 西園寺と彼女たちが対立しようが揉めようが、正直俺はどうでもいいのだ。そりゃ仲良くしていただきたいところではあるが、別に無理やりそうさせる気なんて毛頭ない。


 だがそれは、今回のことは抜きにしていただきたい。俺はそんなことに加担したくないし、加担したことにされるのも絶対に嫌なのである。


 「......あっそ。まぁ、それは確かに悪かったわよ」

 

 須藤はバツの悪そうな表情を浮かべると、意外に素直に引き下がった。自分のしていることが俺の迷惑になることが理解できて、なおかつそれは本意では無かったのだろう。


 これは西園寺の敵というより、狭山さんの味方という感じなのだろうな。狭山さんのために(ためになっているのかは別として)怒っただけで、西園寺を貶めようとしたわけではなさそうだ。


 「あ、あの!!」

 

 気まずい雰囲気を変えたのは狭山さんだった。少し離れたところでオロオロとしていた彼女が、俺に向かって声をかけてきた。

 

 「昨日は本当にごめんなさい!!私、頭真っ白になっちゃって......西園寺さんの言う通りで、怪我はもうなんともないの?」

 「もともとただの切り傷だったからね。別に怒ったりしてないから。こうして謝ってくれたわけだしね」

 

 狭山さんはそれでも、と再び謝ってくる。それを俺は快く受け入れた。反省は確かなようだし、そもそも気にしてないのは本当だ。


 「あ、ほら。授業始まるよ。席に着こ?」


 俺は時計を指差して、この場をとりあえず解散させる。ひとまずこれで大丈夫だろう。


 


ーーーー



 「昨日はありがとうな」

 「なによ、急に」


 放課後だ。俺は西園寺が教室を出る前に声をかけた。本当は休み時間にでも話しかけたかったのだが、すぐにいなくなってしまった。端的に言えば分かりやすく避けられていた。やっと訪れた機会だから、言いたいことは全部言っておこう。


 「別に急じゃないさ。止血、ありがとうな。雄二も感謝してた。あいつ、完全にテンパってたからな」

 「......別に。たまたま気が向いただけよ」


 気が向いた時点で俺は普通に感謝しているのだが、礼を素直に受け入れないのは西園寺らしい。


 「心配もかけ「心配なんかしてない」......さいですか」


 態度は相変わらずであるが、いい加減慣れたものでスルーである。


 「で、これ。一応昨日のお礼な」

 

 そう言って俺は、用意していた包みを手渡した。


 「何よこれ」

 「ハンカチだ。西園寺が貸してくれたのは血まみれだったから、一応代わりだよ」


 中身はハンカチ。昨日の病院帰りにたまたまお洒落なお店を見つけて、できるだけ似たようなデザインのものを買ったのだ。


 「お礼ね......」


 彼女はぽつりとつぶやくと、それを意外にも大事そうに鞄にしまった。最悪いらないと突き返されることまで想定していたので、俺は内心ホッとする。


 「どうしてあなたが私に?」


 その問いかけは、お礼をしたことに対してだろうか。それとも俺が西園寺の味方をしたことに対してだろうか。まぁ、どちらにせよ答えは同じだ。


 「別に深い意味はないよ。本当にただのお礼だから」


 どちらの意味でもその通りの答えを返す。


 というか「どうして」と言うからにはだ。普段俺に対する態度が、他のものとは違って冷たい自覚があると言うわけで、せっかくだしそこを追求してやろうかと思った。


 だけどそれは、西園寺の意外な言葉によって遮られる。


 「ーーお願いがあるのだけど」

 「......お願い?」


 西園寺が、俺に?一体何をお願いすると言うのだ?


 「ーー謝りたいのよ」

 「......へ?」


 謝りたい?謝ればいいだろ。まぁ確かに?人に謝るって簡単なことじゃない。仲直りって年を重ねるごとに難しくなるって聞いたことあるし。


 「だから......その......」


 続きを言いづらそうにしている西園寺。少しして決心がついたのか、真っ直ぐに俺を見据えて言った。



 「ーー謝り方を教えてほしいの」



 .......今なんて?




ーーーー



 俺たちはそのままの足で、駅前のファミレスに来ていた。正直あまり目に付くところは嫌だったのだが、西園寺が全く気にしていないようだったので、指摘するのも意識しているみたいで気が引けたのだ。


 「つまり?そんな風に言うつもりはなかったと?ついカッとなってしまっただけと言いたいわけだ」

 「そういうことよ」


 西園寺は昨日の出来事を淡々と話した。それで結論として、「そんなつもりじゃなかった」という言い訳の代名詞を言い放ったのである。


 「つまり狭山に対して言い過ぎた自覚はあると」

 「ええ。狭山さんがわざとじゃないことももちろん分かってた。だから少なくとも、あんな言い方はするべきじゃなかった」


 ほほう。良くわかってらっしゃる。全くもってその通りだよ。


 「そんなにわかってるなら、普通に謝ればいいだろ。言い過ぎてごめんなさいって。そんなつもりじゃなかったってさ」


 別に狭山が悪くなかったわけじゃない。西園寺が狭山に言ったことは間違ってないのだから。だからこそ彼女の反省は受け入れられて然るべしなのだ。


 「......聞いちゃったのよ。彼女たちが私の悪口言ってるのをね」

 「悪口?」


 「ええ。昨日の放課後のことよ。狭山さんはいなかったけれど、あの二人が私のことを悪く言ってたのよ」

 「そんな二人がそばにいて、素直になれなかったと?」


 こくんと、無言の首肯で返事をする西園寺。顔を俯けたままなのは、自分が子供じみたことを言っている自覚があるからだろう。


 自覚があるなら何よりだ。俺も正直に思ったことを言わせてもらおう。


 「そんなの言い訳だろ。本当に申し訳ないと思ってたら、もうきっと謝ってるよ」

 「それは......どういう意味よ」


 俺の言わんとしていることが、その言葉通りの意味でないことが何となくわかったのか、西園寺の口調が強くなった。まぁ、優しい言葉をかけるつもりなんてないからな。


 「自分を悪くないと思ってるから謝りたくないだけだろ」

 「ーーそんなことないっ!!」


 席を勢いよく立ち上がった西園寺は、聞いたことのないような声を挙げた。いや、記憶の片隅には残っている声だ。危ないと、俺に声をかけた時のような勢いだった。


 「私は......ッ」


 何かを言いかけて、やめた。それが何だったのかは分からなかったが、彼女にとって認めたくないことであるのは明白だった。


 「もう帰る。無理やり付き合わせてごめんなさいね」

 「おいおい......」


 有無を言わさない態度のまま、西園寺は去っていってしまった。まさしく嵐だ。制御不能である。


 「言いすぎたかね」


 反省はしても後悔はしないが。彼女にしたって、俺に甘えたくて相談を持ちかけたわけじゃないだろうしな。


 「あ、代金払ってねぇぞあいつ」


 ベタなやつ。俺はそう一言こぼして、俺はジュースを一口に飲み込んだ。



ーーーー



 翌日のことだ。俺は朝から憂鬱な気分だった。原因はもちろん西園寺。自分のことを悪いとは全く思ってないが、それでも後味の悪い最後ではあり、気分は一晩明けても晴れることはなかった。


 (西園寺もこんな気分なのかね)


 図らずもその気持ちがわかった気がして強まる反省。やつぱり相談になんて乗るんじゃなかったな。


 「おはよう、ハカセ」

 「おはよ悠二」


 登校して席に着いた俺に、悠二が話しかけてきた。


 「ハカセ、お前放課後何してた?」

 「昨日??」


 昨日のことは隠すつもりはないので、俺は正直に打ち明ける。


 「西園寺とファミレス行ってた。例のことで相談したいとかで」


 結局相談に乗ることはできなかったけれど。


 「実はさ、あいつら仲直りしたらしいんだよ」

 「へ、まじ?」


 「大マジだよ。しかも西園寺から謝ったらしい」

 「へぇ」


 これは流石に驚きだ。昨日の様子からしてもっと拗らせるかと思っていたけど。


 ちらりと狭山さんの席を見る。そこでは確かに、狭山と西園寺が楽しそうに談笑していた。


 「で、何したん?」

 「いや、本当に俺は何もしてないぞ」


 焚き付けたと言えば、そう捉えることもできるかもしれない。だけど少なくとも相談に乗ったなどとは口が裂けても言えないな。


 「そういうことにしておいてやるか」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる悠二。これはどう見てもわかってない顔だ。


 「まぁ、解決したなら良かったじゃん」

 

 深掘りされるのも癪なので、半ば強引に話題を切る。


 「ねぇ、ちょっといい?」


 そんな企みは、他ならぬ彼女によって阻止された。振り返ると、そこにはいつのまにか西園寺がいた。


 「何でしょうか?」


 「ーー昨日はありがと。それだけ」


 本当に一言。それだけ言って彼女は、狭山さんのもとへ戻っていった。


 「何にもしてねぇっての」

 「ま、どう受け取るかは相手次第ってことだな」


 ほんの短いやり取りで、悠二は全てを悟ったかのようにこちらを覗き込んでくる。


 その後一日過ごしてわかったことは、本当に西園寺が狭山や須藤たちと仲直りしたらしいということ。


 だけど西園寺のお礼の意味は、一晩明けても分からないままだった。


 


ーーーー



 例の一件から1週間がたって、今日は週末金曜日。


 そんな俺の日常に少し変化があった。


 変わったのはお隣さん。西園寺の俺に対する態度である。


 「そんなのもわかんないの?」

 「うるせぇ」


 なんてやりとりが1日に何回もある。


 俺に対して冷たい態度をとるのは相変わらずなのだが、そのニュアンスが少し変わっていた。


 今まではただ馬鹿にしてきていたのが、今はからかってきているというか、少し彼女の表情も柔らかいものとなっていら気がする。


 「かまって欲しいんだろ。ベタ中のベタだろそんなの。お前はそんなのも分からない鈍感野郎なのか?」


 朝のホームルーム前、自意識過剰かもと思いつつも、雄二に恥を忍んで相談したのに返ってきたのはこんな回答。


 「まるで物語のヒロインだな」

 「またそれかよ。あいつがヒロイン、ね」


 転校生で、美人でお嬢様で、なぜか俺にだけ態度がおかしい。これでヒロインなら、流石にベタすぎる。


 「ツンデレってやつだろ」

 「は?ツンデレ?あの西園寺が!?」


 キャラじゃないなんてレベルじゃないだろ。


 「いいじゃん。デレ期だよデレ期。一番ツンデレが輝く瞬間だろ」

 「ーー今なんて?」


 今なんて?


 「......やっべ」


 流石に聞き捨てならない言葉が聞こえた。デレ期がツンデレの最高潮だって...?


 「いいか?ツンデレが一番輝くのはな、デレる前なんだよ!ツンデレが甘えるような行動をするのが良いのは認める。だけどな?ツンデレのツンデレたる所以はツンツンしてるところなんだよ。いいか?安易なデレは許しちゃいけない。開始1話でツンよりもデレの比率が多い奴はツンデレじゃねぇぞ。そんなのはただのかまってちゃんだぞ。ただコミュニケーションが下手なだけだぞ!!!」

 

 「お、おう...そうだな...?」


 「デレなんてたまーにでいいんだよ!お互い言葉にしなくてもわかってるから〜みたいな、二人だけの距離感を楽しみたいんだよこっちは!!」


 「もうそれツンデレ定義じゃなくて願望じゃねぇか。ただのお前の癖じゃねぇか」


 近頃のツンデレは陥落が早すぎるのだ。


 「言いたいことはたくさんあるぞ?ほらあれ。ざまぁ系のラブコメあるじゃん?あれもあんまり好きじゃないぞ。いやまぁスカッとする気持ちはわかるぞ?わかるけどそっちが主な作品多くないか?俺は幸せな二人が見たいだけで、当て馬が不幸になるところを見たいわけじゃないんだよなぁ...」


 もちろんヒロインが複数いて、負けヒロインが産まれてしまうのは許容できるけどね。


 「てかさ、話を戻すけどさ」


 だいぶ脱線してしまった。話を戻すとはどこまでだろうか。


 「ハカセ、西園寺のことどう思ってんの?」


 全然戻ってないだろそれ。どこから飛んできたんだその話題は。


 「どう思ってるって言われてもな」


 一言で言えば「扱いに困る隣人」である。好きでは決してないけど、邪険にするほど嫌いなわけではない。


 「仲良くしたいとは思わないけど、仲良くしたいと言われればまんざらでもない的な」

 「ふーん。嫌いってわけじゃないんだな」


 なんでそんなことを?そう悠二に問いただそうとしたところでやめた。隣人が登校してきたからである。もっとも彼女は部活の朝練に出てるみたいだから、登校自体は彼女のほうが早いのだが。


 「おはよう」

 「......おう、おはよう」


 挨拶された。西蓮寺にされたのは初めてのことだった。


 少し首を傾げてこちらの様子を伺いながらするそれに、俺はつい見惚れて照れてしまった。恥ずい。


 彼女はそんな俺の心境を見透かしたように、小さく笑みを浮かべた。まるで悪戯が成功したかのように。


 ああもう、なんなんだこいつは。




ーーーー



 放課後、雨が降っていた。窓から見下ろす校庭には、鞄を傘がわりに笑いながら帰宅する生徒が見えた。


 俺は天気予報を確認するタイプで、しっかり傘を持って登校してきたけど、ああして濡れながら帰るのも面白かったかななんて、そんなくだらないことを考えていた。


 「よし、終わり!」


 今日は日直だった。日誌を書いたりしていたせいで、帰宅部下校の波には乗り遅れてしまった。


 「私傘忘れちゃった。だから一緒に帰らない?」


 何がだから、なのだろうか。下駄箱でいきなりそんなことを言う西園寺に、俺は何を企んでいるのだと疑いの眼差しを向ける。


 「......だめなの?」


 西園寺の真意を探るべく様子を伺っていたら、彼女は首を傾げてそんなことを聞いてくるではないか。


 それは、さすがに、ずるいのでは?


 「別に、いいけど」


 そっけない返事になったのは、意地と照れが混ざり合った結果で、それをわかっているのだろう西園寺は、意味ありげな微笑を浮かべる。


 悔しいけど、そんな小さな仕草も様になっていて。


 「ありがと」


 俺の目の前には、一歩で俺との距離を詰めた西園寺。隣歩きとも違う距離感が、否応にも彼女の存在を意識させた。


 「帰るか」


 その距離感にいたたまれなくなって、誤魔化すように傘を開いた。


 人生初の相合傘は、憧れていたようなものではなく、望まない緊張感の中実現した。


 二人歩く雨の中。会話はなくて、雨音だけがうるさくて。


 それでもこれはいい機会だと思った。彼女の俺に対する態度のあれこれ。この機会に色々聞いてしまおう。


 「あのさ、西園寺」

 「なに?」


 俺の問いかけに、西園寺は見上げる形で振り返る。


 「あのさ、どうして最初、あんなことを?」


 どうして俺に冷たい態度を?とは聞かなかった。彼女は俺に対する態度を変えた。そこを否定するような質問は、なんだかフェアじゃないと思ったから。


 「ーーごめんなさい」

 「えっ?」


 「本当は私から謝らきゃダメなのに。そんな質問させて、ごめんなさい」


 そう言って少し俯く彼女を見て、俺はある意味で納得した。


 彼女はーー西園寺は致命的に不器用なんだと。


 表情見えないけれどわかる。彼女の胸中に不安が渦巻いているのが。


 「本当にごめんなさい」

 「......おう。別にそれはいいけど」


 俺としては、初対面であの態度だった理由を聞きたかったのだが、少なくとも今彼女は謝った。だから今は追求する必要はないと思った。別に彼女を追い詰めたいわけではないのだから。


 「あのね、私からこんなことを言うのはあれなんだけど、あんなつもりじゃなかった」


 理由は、秘密。


 最後にそう呟いて、彼女は口を閉ざした。

 

 悪気はなかったと彼女は言う。それが本当だということが、俺にはなぜか自然とわかった。


 彼女はチグハグだ。俺は未だ彼女との距離感を測れずにいる。だけど確かに、彼女からの好意は感じていた。それがどの感情に起因するものなのかはわからないけれど。


 振り返れば、あまりいい思い出はないけれど、少なくとも今日の彼女は、俺に対して誠実だったのだと思う。


 信号で止まる。彼女の家は隣駅らしく、駅まで送って別れる予定だった。


 無言で時が過ぎてゆく。だけど不思議と気まずさは無くなっていた。そりゃソワソワとした浮つきは消えてないけれど、それでも意外と心は落ち着いていた。


 彼女に対して思うところはある。だけど、別にそれでもいいかと思えた。今日この日に、彼女との関係が一つリセットされた気がしたから。


 「今日はありがとね」

 「あ、ああ。じゃあ、気をつけて」


 一緒に途中まで帰路を共にしただけ。


 それなのに、なぜかだ。

 

 彼女とのやりとりが、まるでデートを終えたカップルみたいだなんて、俺はこの時思ってしまったんだ。


 思えばこの時が始まりだった。


 『まるで物語のヒロインだな』


 雄二の言葉がフラッシュバックした。そして一度意識したら、それはもう止められなかった。


 「また、明日」


 決まり文句を口にして、彼女は改札へ向かう。


 定期券を取り出そうと開けたカバンから、折り畳み式の何かが見えたけど、俺は気づかないふりをした。



ーーーー



 「今日はデートに行きます。さ、早く起きなさーい!!」

 「デートってお前、それ絶対荷物持ちだろ...」


 悶々とした土曜を挟み、日曜朝。一日だらけで過ごそうと決めていた俺は、妹の咲紀に無理やり起こされることで起床した。


 こいつがデートと言うときは、絶対荷物持ちだ。時期的に夏服か?水着か?ともかす過去の経験から学んでいる俺は、そう簡単に騙されることはない。


 今日は一日、何もしないをする日なのだ...!!


 「ねぇお願い、お兄ちゃん?」

 「......」



 そういうわけでやってきたのは大型ショッピングモール。俺もアニメグッズを買う時とか、映画を観るときとかに、たびたび足を運んでいる馴染みのある場所だ。


 時刻はもう少しで11時になろうという頃。休日ということもあって人が多い。


 「これどう思う〜?」


 咲紀は目についた店全てに突撃しているため、その分試着の数も増えるわけで、今日も長丁場になりそうである。


 「ん、いいんじゃないか?かわいいかわいい」


 俺は咲紀に無難な返事を返しつつも、たまたま目についた白いワンピースを手に取った。視界の端では、ぞんざいな扱いに抗議している妹がいたが、ひとまず流しておく。

 

 ふと、似合いそうだなって思った。


 女子の中では背が高い方で、伸びた黒髪に映えるような気がしたから。


 咲紀曰く、白のワンピースは着こなすのが難しいとか。背の高さとかスタイルとか、俺には難しい話で聞き流していたけれど。


 「え〜。白のワンピースは、私にはあんまりだってば〜」

 「え、ああ。そうだったよな...」


 ふと我にかえる。


 俺は今、一体()を思い浮かべていた?


 「ねぇお兄ちゃん。今別の女のこと考えてたでしょ」

 「ひ、ひぃっ!?ご、ごめんなさい!?」


 咲紀から飛び出したびっくり発言に、俺はつい謝ってしまった。それがいただけなかった。それじゃあまるで、浮気のバレた情けない男そのものだった。自分からそうだと白状したようなものだった。


 「え、なに図星なの!?冗談のつもりだったんだけど?え?誰?同級生!?まじ!!お兄ちゃんについに春がきた!?」

 「おいやめろ。詰め寄ってくるな!抱きついてくるな!!そんなことないから!春なんて訪れてないから!!」


 ああもう最悪だ。なんでこんなことに?


 決まってる。思い浮かべてしまった俺が悪い。


 我ながらどうしてしまったんだと思う。休日にショッピングしてて、西園寺のことを思い浮かべてしまうなんて。


 「そんなんじゃねえって」


 なんの解決にもならない言い訳をひとつ。


 いつまでもニヤニヤと笑ってる咲紀。これはしばらく質問責めに遭うのは確定であった。


 結局その店ではなにも買わず、俺の胸中が荒らされるだけで終わった。




ーーーー



 「で、白いワンピースの似合う素敵な女の子はどこの誰なのかな???」

 「黙秘権「あるわけないでしょ」......はい」


 時刻は12時を少し過ぎた頃。一度買い物は中断して、フードコートにて昼食タイムである。


 周りからは痴話喧嘩にしか見えないであろう。咲紀は身内贔屓を抜きにしたとしても、可愛いと評価せざるをえないため、帰りは嫉妬に燃えた男どもに刺されるかもしれない。


 「はい、現実逃避しないで。私の目をしっかり見なさい」


 どうやら妹様は、簡単には逃がしてくれないようだ。まぁ、逆の立場だったら俺もそうするだろうしなぁ。兄の威厳はどこへやら?


 「別に、本当にそんなんじゃないんだって」


 ただの、隣の席の人。関わりなんて実際ほとんどない。


 日常のサイクルの中で、たった数回会話を交わす程度。しかもそれは一方的なからかいで。


 好きな食べ物も、好きな音楽も、趣味も苦手も何にも知らない。


 ちょっと世間的にも有名で、男子どもから高嶺の花として扱われてて。


 でもその実情は、めちゃくちゃ不器用な女の子で。


 俺に対する態度が、周りとちょっと違うから。


 まるでヒロインだな、なんて身の程知らずに少しだけ。そう、少しだけだ。少しだけ意識してしまっているだけだ。


 認めてしまったら止まらないから。勘違いなんてしたくないから。

 

 そうして想いに理由を求める。


 好意に納得がなければ、臆病な俺は進めない。


 俺は彼女のことを、まだなにも知らないのだから。


 「別にいいんじゃない?そんなんじゃなくたって」

 「え?」


 胸中に渦巻く想いを、俺は口には出してない。


 だけど咲紀は、どこか悟ったような顔をしていて。


 「恋は盲目、だよ?」

 

 キメ顔と共に、咲紀はそう言った。


 多分、背中を押してくれてるんだろう。悩みを解決するような言葉では決してない。的外れもいいところだ。


 それでも嬉しく思った。少し目線を逸らして、照れた様子をする咲紀。自分でも少し恥ずかしいことを言った自覚があるのだろう。


 「ありがとな」

 「わっ、ちょっと!撫でるな!!流石にそれは恥ずかしいってば!!」


 俺は咲紀の頭を少々乱暴に撫でてやった。俺にとっての照れ隠しでもあったが、咲紀には効果抜群であったようで、流石に恥ずかしさが勝ったようだ。


 昔はよくせがまれたんだがなぁ。



 ーーしかし結果として、1番のダメージを負うことになったのは俺であった。


 「「あっ」」


 距離の問題で相手の声は届かなかったが、その惚けたような呟きが、しっかり重なったのがわかってしまった。


 神様がいるのなら、きっとイタズラ好きに違いない。だってこんなシチュエーションで、偶然にも目があってしまったのだから。


 それはまるで物語のようで。


 それを修羅場だと思ってしまった俺は、とっくにその物語に染まってしまっているのかもしれない。


 「西園寺」


 彼女は何も言わなかった。何も言わずにその場を立ち去った。


 清々しいほどの無反応だった。


 距離もある。すでに姿は見えないから、追いかけることもできない。追いかけたとして、何を言い訳するというのか。


 そんなの、自意識過剰がすぎるだろう。


 だからこそ、その無反応が、少し悔しかった。


 「どしたの?お兄ちゃん?」

 「や、なんでもないよ」


 だから。


 俺は思ってしまったんだ。


 少しでも彼女の心に揺らぎがあったらって、そう願ってしまったのだった。



ーーーー



 翌日。少々憂鬱な気持ちでの起床であった。


 というのも、昨日は結局一日中ショッピングに付き合わされた。西園寺の影に怯えながら歩き回ったもんだから、心身共に疲弊しきっていた。


 そのせいか朝から少々元気が出ない。


 「お兄ちゃんー?早くしてよー」


 元凶の咲紀は朝から元気だ。挙句俺の支度を急かしてくる始末。こっちはお弁当とかやることたくさんあるんだよ!


 「ん、お弁当ありがとー」

 「へいへい」


 そんな朝のやりとりもルーティンの一つだと、結局わがままを許してしまうのも、雄二にシスコン呼ばわりされる所以なのだろうか。


 「「行ってきます」」


 二人並んで通学路を歩く。早く咲紀の自転車のパンク直らないかなぁ。


 「パンクいつ直るって?」

 「え?修理出してないよ?お母さん帰ってきたら、新しいの買うことになってるから」


 え、初耳なんだが。


 「もともとお兄ちゃんのおさがりで限界だったし、いい機会だって」

 「あーまぁ確かに。え、てことはしばらく俺歩きなの?」


 「もちろん」

 「もちろんってお前なぁ...」


 何故か強制的に、しばらくの徒歩登校が決定していた。


 「最近わがままが止まらないなぁ」

 「なによー別にいいでしょ?こんな可愛い妹と登校できるんだからー!」


 へいへい。妹様には逆らいませんよ。


 なんていう風に、俺たちはくだらない話をしながら歩いていた。


 兄妹の中でも、結構仲が良い自覚はあった。雄二にもよく言われてるし、言われて悪い気もしないし。


 ともかく会話が弾んでいた。声もそこそこ大きかったと思うし、ボディタッチ(咲紀からの肩パン)もあった。


 端的に言えば、側から見たらカップルみたいに見えてもおかしくはなかったのだろう。



 「朝から、そういうのやめてくれる?」



 校門の前で、咲紀と別れようというタイミングだった。


 その声は、何かを否定するような、非難するような響きを含んでいた。


 「西園寺......?」

 

 そういうの、とは一体なにか。


 そう聞こうとして、やめた。


 それがどんな質問か、俺にはわかっていたから。


 「ーーっなんでもない」


 彼女は我に返ったように、そう誤魔化しの言葉を口にした。それでも彼女の表情には、隠しきれないほどの動揺が明確に浮かんでいた。


 「ーーっ」

 「あっ...西園寺」


 俺の視線から逃れるように、西園寺は校舎の方へ走っていってしまった。


 「お兄ちゃん?今の人って?もしかして???」


 察しのいい妹は、俺の表情を見て色々悟ったらしい。そんな妹の視線から、俺は表情を隠すように顔を逸らした。


 端的に言うとーー俺はホッとしていたのだろう。


 彼女に向けられた感情。


 それはおそらくーー嫉妬だった。


 それが自分に向けられた現実に、俺はどうしようもなく安堵した。

 


 「ねぇお兄ちゃん」

 「なんだよ」


 今質問されたら、変なボロを出しそうで困るのだが、無視するのは流石に憚れる。そのためそっけない返事となった。


 だけどそんな態度も簡単に崩れることとなった。

 

 咲紀の放った一言は、それだけ衝撃的なものだったから。


 

 「あの人って、お兄ちゃんの初恋の人だよね?」



 ーーーーはえ?


 


ーーーー



 「ーー最ッ悪」


 逃げ隠れるようにして校舎に駆け込んだ私は、自分がしてしまったことを深く後悔していた。


 『朝から、そういうのやめてくれる?』


 (何様のつもりよ...)


 彼ーー智也ともや君に彼女がいたって、別に何にもおかしいことじゃない。


 傘に入れてくれたりしたから、私が勝手に勘違いしただけだ。彼は優しい人なのだ。その優しさが、私にもたまたま向いただけ。


 彼にとってそれは、なんら特別なことじゃなかった。


 いい迷惑だろう。勝手に期待して、勝手に失望して。


 朝からあんな言葉を投げかけられて。


 (まぁ、当然の報いね)


 こっちの勝手な想いで、今まで冷たい態度をとっていたのだから。それなのに好意を求めるなんて、浅ましいにも程がある。


 「何やってんだろ、私」 


 小さな声で、ぼやく。 


 願わくば、あの日からやり直したいと思った。


 彼と、瑞希智也君と出会ったあの日にーー



ーーーー



 雨が降っていたのを覚えている。


 お父さんに怒られて、ひどく落ち込んでいたのを覚えている。


 とにかくむしゃくしゃして、家を飛び出して、息が切れるまで走った。


 当時、小学2年生だった私に体力なんてなくて、結局家の近くの公園で身を隠しただけだったけど。


 ドーム型の遊具にの中で、雨音に負けないぐらい泣いた。


 私の家はとても厳しかった。今思い返せば、愛の鞭であったことは間違いないのだが、当時の私には耐え難いものだったのだ。


 泣いて、泣いて、泣き疲れて。


 私は待っていた。お父さんが見つけてくれるのを。仕方ないと、なんだかんだで許してくれて、手を引いてくれるのを。


 もしくは物語に出てくる王子様がいい。私を背にして、お父さんをやっつけてくれるような、素敵な人。


 だけどやってきたのは、決して王子様なんて柄じゃなかった。


 「ーーこんなところで何してるの??」


 知らない男の子だった。背が低くて、傘を持っているのに全身びしょびしょで、なんというか子供っぽさ?が前面に出てるような、そんな男の子。


 彼は私の言葉を待たずに、無遠慮に隣に座った。


 「ーー何の用?」


 そんな風にそっけない態度をとったのは、彼女が女の子の手を引いていたからだろう。孤独感に苛まれていた私は、一人じゃなかった彼に対して、嫉妬していたんだと思う。完全に八つ当たりだった。


 隣に座っているのは、お父さんでも王子様でもなかった。


 「ーーこんなやつが隣なんて、ついてないわね」


 これが彼と私の、ファーストコンタクト。

 彼はきっと覚えてないけれど。


 「えー。なんでそんなこと言うのさー」


 私の言葉に彼は、不満を表すように頬を膨らませた。隣にいる女の子は、興味なさげにドームの外を眺めていた。


 「おれ、みずきともや。きみは?」


 聞いてもないのに名乗った彼は、私に名前を聞いてきた。


 「教えない。別にあなたと仲良くなんてしない」


 どうせ習い事がたくさんあって、友達ができたって遊べない。だったら友達なんて最初から作らない方がいい。捻くれてた私は、そんな風に彼を拒絶した。


 「うぅ」


 だけど本心では、やっぱり友達が欲しかった。そんな風にしか言えない自分に嫌気が差して、なんだか悔しい思いが込み上げてきて、私はまたまた泣き出してしまった。

 

 そんな私を見て、彼は言った。


 「す、すきです!!」

 「......え?」


 「ね?すきだから、すきだからおちこまないで......?」

 「はい?」


 好きだと言った。私のことがすきだと言ったのだ。


 (あぁ、なぐさめようとしてくれてるんだ)


 方法としてはいただけない。そんな言葉は相手を惑わすだけだから。


 だけど、それでも、私には。


 その言葉が、意図して出たものではないことはすぐにわかった。目の前の彼が、自分で言った言葉に驚いていたからだ。


 手を繋いでる女の子がびっくりして、目を見開いていたのをよく覚えている。


 たったそれだけだった。それだけで私は救われた気がした。


 救われるも何も、別に愛に飢えてたわけじゃない。家出しときながら、ちゃんとお父さんからの愛情は感じていた。


 それでも私は彼に救われたのだ。勇気をもらったのだ。手を差し伸ばされた事実が、どうしようもなく嬉しかった。


 「ち、ちがうから!いや、ちがくないけど、ちがうの!」


 こんな風に、初対面の相手に対して、一生懸命になれる優しさがあることを知った。


 我ながらちょろいと思う。こんな会話にもなってないやりとりで、彼の存在は私に心に刻まれたのだ。


 この日、私はーー


 瑞希智也に恋をした。



ーーーー



 彼と会ったのはそれが最初で最後だった。


 一目惚れとは少し違うが、似たようなものだ。彼のことを、私はずっと覚えていた。


 だから転校初日、たまたま彼を見かけた時は心臓が飛び出るかと思った。名簿を確認すると名前も一致している。しかも同じクラスで、隣の席ではないか。


 正直できすぎだ。


 彼はきっと私を覚えていない。きっとあの日の出来事は、彼にとってなんら変わらない日常の一コマだろうから。


 だけどもし、本当にもしかしたら、私のことを覚えてくれているかもしれない。

 

 これはもしかして、運命ってやつなのでは?


 そんな淡い期待を抱いてしまったのが失敗だった。


 『ーー何の用?』


 いざ彼を目の前にして、怖くなってしまったのだ。


 私のことを覚えていないことを、私は認めなくなかったのだ。


 彼にそれを否定されることが嫌だったのだ。


 『ーーこんなやつが隣なんて、ついてないわね』


 だから私は拒絶してしまった。


 彼の瞳を見て察してしまったから。彼は私のことを覚えていないってことを。


 ただの強がりで、ただの八つ当たり。


 私はあの日から、何にも変わっていなかった。


 彼はやはり優しかった。彼が怪我をした時は本当に焦ったけれど。


 私を庇ってくれたし、私の相談に真剣な答えを返してくれた。


 彼は変わっていなかった。あの日の、優しい彼のままだった。


 だから想いを捨てきれなかった。


 彼の優しさに甘えてしまった。謝る機会を貰えて、彼との関係をやり直せると思った。


 「謝らなきゃ...」


 やるべきことは決まってる。


 謝って、謝って、彼の迷惑にならないようにーー


 

ーーーー



 「あれ、妹だから」


 彼が隣に座って、私が何か言う前に、そう一言告げられた。


 私が彼女さんだと思っていたのは、いもうと?


 ただの勘違い?


 「本当にごめんなさい」


 顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのが、見えてないのに分かった。


 そんな勘違い、ただの告白も同然なのだから。


 「いや、朝から()()()()()()ごめんな。ギャーギャーうるさかったよな」

 「それは......」


 そう言う意味じゃない。そう言おうとしてやめた。


 彼はきっとわかってる。私が彼に向けた感情を、きちんと理解している。その上でこうして話をずらしてくれているのだ。


 (ほんとに、やめてよ、もう)


 せっかく覚悟を決めたのに、そんな簡単に揺さぶらないでほしい。


 こんな気持ちを抑えることなんて、私にできるわけがないのに。


 「別に気にしてないから」


 そう言って笑う彼の表情は、どこかイタズラに成功した子供のような、そんな得意げなものだった。


 そんな表情を私に向けてくれている事実が、どうしようもなく想いを増長させる。


 もっと、もっとだ。その笑顔がもっと欲しいと思った。彼はどこまでも私をわがままにさせた。


 特別な理由なんてない。まさに、恋は盲目というやつか。


 二回目だ。私はまた、彼に救われたのだろう。


 ーーこうして私は、彼に二回目の恋をした。



ーーーー



 初恋と聞いて思い浮かんだのは、ある雨の日だ。


 傘を差しながら咲紀の手を引いて、俺は歩いていたら。


 雨の日が好きだった。長靴を履いて、水たまりの上で跳ねるのが楽しかった。


 そんな無邪気だった俺は、ある少女に出会った。


 その子は泣いていた。


 特に理由もなく、慰めてあげたいと思った。


 何を血迷ったか、とんでもないことを言った覚えがある。小学2年生にして、俺は初対面の女の子に愛を叫んだのだった。


 以来咲紀の中では、その子は俺の初恋相手ということになっている。まぁ誰が見てもそう思うだろうから、別に否定したりはしなかった。


 (西園寺が、ねぇ)


 全然気づかなかった。いや、普通は気づかないだろう。名前を教えてもらえなかったのもあるが、成長しすぎである。いろいろと、いろいろとだ。

 

 西園寺は、果たしてあの日のことを覚えているのだろうか。そもそも、咲紀の勘違いということも考えられる。


 (ま、別に気にすることないか)


 仮に彼女があの子だとしても、彼女に対する振る舞いが変わるわけではない。なんなら恥ずかしいだけだ。あれはテンパった結果であって、決して初恋なんてものではないのだから。


 「で、お二人はいつ付き合うん?」

 「なんでそんな話になってるんだよ」


 いつのまにか近寄ってきていた雄二に、俺は当然の疑問を投げかける。


 「えぇ、俺はお前を、鈍感系主人公とは思いたくないが?もしそうなら、ただで帰れると思うなよ?」

 

 お前は一体、鈍感系主人公に何をされたんだよ。


 「でもさ、真面目な話、流石に気づいているよな?」

 「それは」


 彼女からの好意。それには当然気づいていた。


 今朝の出来事が決定的で、まぁそれなりに気にかけられていることは、間違い無いと思う。


 「なんでなんだろうな」

 「なんでなんだろうとは?」


 だって、出会ってまだ少ししか経ってない。彼女が俺を気にかける理由がわからない。


 「うわぉ、そんなこと言っちゃうのかぁ。ハカセも大概めんどくさいな」

 「うるさいな。これはもう、そういう性分なんだよ」


 人の想いに、理由を求めるのは間違っているだろうか。言葉のいらない関係なんて、俺は家族以外には築きえないと思っている。


 だから気になってしまう。彼女が何を思っているのか。


 彼女を知りたいと思った。


 あるいはその気持ちこそが、彼女の抱いている想いなのだろうか。


 だとしたら、俺はーー



ーーーー



 6月における高校の行事の一つに、体育祭という地獄が存在する。


 これ、いる?そりゃ運動が得意な奴は楽しいだろうけどさ、そうじゃない子にはただの苦行なんだが?


 こんな祭りは即刻無くすべきだ。それだけでどれだけの人間が幸せになれるだろうか。


 そんな体育祭はいつか?それは今日である。

 この一週間その事実から逃げていたのだが、無情にもその日はやってきた。


 「おはよう、()()()()

 「......おう、おはよう」


 そんな一週間で、西園寺にもまた変化が。


 俺の呼び方が、ハカセ君になっていた。


 なんだか気恥ずかしいので、これまたそっけない返事になってしまうのだが、そこは目を逸らして誤魔化している。


 彼女はいつもおろしている髪を、今日はポニーテールにしていた。普段体育は男女別々なので、ジャージ姿の彼女がすごい新鮮で、つい目で追ってしまう。


 「なぁ聞いたか?3年の御門みかど先輩が、今日西園寺に告白するらしいぞ」

 「マジで?」


 そんな俺に話しかけてきたのは悠二だ。


 御門先輩といえば、この学校では結構有名だ。何か校外のクラブチームだかでサッカーしてるらしい。勉強もできて、イケメンで、一言で言えば結構モテてるらしい。


 「で、どうすんだ?」

 「どうするって言われてもな」


 どうにも、できないだろそんなの。


 別に俺は西園寺の彼氏じゃない。御門先輩を邪魔する権利なんてないわけだ。


 「ふーん。後悔しても知らないぞ?」

 「......へいへい」


 俺は無理やり悠二の話を切った。悠二の言っていることがどう意味かはわかっていたし、それでいいとも思ってはいなかった。


 「あ、おい。噂をすればだぞ」


 悠二の言葉に視線を校庭にむける。場の空気がどこか浮ついたものに変わったのがわかった。みな、ある人物に注目していた。


 視線を集めているのは、件の御門先輩で、競技は100メートル走。


 一言で言えば、圧勝だった。


 一緒に走っていたメンバーには、陸上部もいたのだが、そんなのお構いなしの一着だった。


 (あいつが、西園寺に...?)


 勝てない。そう、正直に思ってしまった。


 この競技が終われば、2学年、つまり俺も100メートル走に出場する。向こうは俺なんか意識してないだろうけど、俺は言葉に表せない敗北感を味わっていた。


 それでも、俺にだって反抗心ぐらいあった。


 もともとは本気で走る気なんてなかった。


 全力で走るのがカッコ悪いとか、そういう風に思っているのではなくて、ただ単に運動が得意じゃないから。ほどほどに流して終わるつもりだった。


 だけど負けたくないって、そう思ったから。


 スタートラインに立って、深呼吸をした。


 目線を上げて、そしてーー


 

 『がんばれ』



 目が、合った。声は喧騒にかき消されて聞こえなかったけれど、確かにそう彼女の口がそう紡いでいた。


 力が、漲った。今なら風よりも早く走れる気がした。


 そしてスターターによって、パンッと乾いたスタートの合図が響く。


 力強く、一歩を踏み出して、そしてーー



 「あぶっ!?」



 俺は見事にずっこけて、顔から地面に突っ込んだ。




ーーーー



 「最悪だ」


 あそこまで綺麗に転んだのは初めてだった。当然順位はビリで、悠二は俺が大した怪我をしていないのを確認次第、腹を抱えて笑っていた。覚えてろよ悠二め。


 俺は血が出ている膝をハンカチで押さえながら、保健室に来ていた。


 保健の先生は現在、熱中症になってしまった生徒につきっきりであり、幸いにも外傷だけだった俺は一人で保健室を訪れていた。汚れは外の水道で流してきたから、あとは消毒と絆創膏だけだ。


 「えーっと、消毒液は確か...あたたたた」


 大したことないと言っても、痛いもんは痛い。

 

 でもそれよりも、心に負ったダメージの方が大きかった。


 (応援、してくれたのになぁ)


 期待に応えたいと思った。結果はどうあれ、頑張っている姿を見せようと思った。結果は散々だったわけだけど。


 

 「ーーそこ、座りなさいよ」


 「え、西園寺?どうしてここに?」


 

 声のする方へ顔を向けると、そこには西園寺がいた。どうして?今は競技中のはずじゃ。


 「競技なら代わってもらったから。自分の心配してなさいよ」


 わざわざ代わってもらってまで、保健室に来てくれたのか?俺のことを心配して?


 「ほら、早く座りなさいって。消毒してあげるから」

 「お、おう」


 促されるままに、俺はベットに腰掛けた。西園寺は手際よく棚から必要なものを取り出すと、俺の目の前に椅子を持ってきて、座った。


 「ほら、足出して」

 「あ、ああ」


 そこからしばらく、無言が続いた。


 正直恥ずかしかった。ついさっきカッコ悪いところを見せたばかりだし、そもそも俺は汗をかいていて、急に自分の匂いが気になりだしたりした。


 でも目の前の女の子が、真剣な眼差しで俺のために、何かをしてくれているという事実が嬉しくて、表情を取り繕うので精一杯だった。


 「はい、終わり」

 「おお、ありがとうな、西園寺」


 「いいわよ。このぐらい」


 俺のお礼に照れる様子もなく、当たり前だと言い張る彼女。当然この現状は、俺の基準だと当たり前じゃなくて、俺はドギマギしてしまっているのだが。


 「じゃあ、私は戻るから。ハカセ君はもう少し休んでからね」

 「や、もう大丈夫だけど」


 「だめ、もう少し休みなさい。いい?」


 有無を言わさぬ彼女の圧に負けて、俺は頷いてしまった。まるで親に諭される子供のようだった。心配されるのが、どこかむずがゆい気持ちにさせられた。


 「ーーなぁ、西園寺」

 「なに?」


 何でこのタイミングだったかは、自分でもわからない。だけどどうしても気になってしまった。自分の中で、この想いを燻らせたままでいたくなかった。


 「あの噂、知ってるか」

 「ーー知ってるわよ?」


 俺の質問は、要領を得ないものだったにもかかわらず、その意味は正しく伝わったようだ。


 要するに、御門先輩のことだ。


 「西園寺は、その、どうするんだ?」


 我ながら情けないと思った。そんな聞き方、彼女を困らせるだけだった。


 それでも彼女は、どこか楽しげな笑みを浮かべてこう言った。


 「どうしてほしい?」


 まるで仕返しと言わんばかりの返答に、答えに詰まる。


 だけどそんなの決まっている。俺は、俺はーー


 「先、戻ってるね」


 「あっ」


 俺の答えを聞かずに、西園寺は保健室を去ってしまった。


 「何やってんだ俺は」


 情けないにも程がある。あんな質問をしてしまうなんて。


 きっとこの期に及んで、俺は理由を求めたんだ。

 彼女を想う気持ちに、彼女本人に背中を押してもらおうとした。


 たった一人減っただけで、保健室が広く感じた。彼女の存在が、ぽっかりと穴が空いたように感じた。


 答えは出ていた。どうしたいかなんて、そんなの最初から決まってる。


 俺は震える足に、無理やり力を入れて立ち上がった。まだ体育祭は始まったばかりだ。


 決心した。俺は今日、この体育祭のどこかでーー


 彼女に想いを伝えよう。



ーーーー



 「おーおかえりさん、足の調子は?」

 「痛いけど、痛いだけって感じだ」


 クラスに割り当てられた場所に戻ると、悠二が声をかけてきた。散々笑われたの、俺は忘れてないからな?


 「まぁまぁ、そうカリカリすんなって。悪いことばっかじゃなかったんだろ?」

 「知ってんのかよ」


 口ぶりからして、西園寺が保健室まで来てくれたことは知っているようだ。


 「でもいいタイミングだったかもな。午前中最後は三年生の出し物だぜ」


 おおー。我が校の体育祭では、なぜか三年生が仮装大会を行うのだ。それぞれの担任に衣装を着せて、一位を決めるのだが、これがなかなか面白い。去年も大いに盛り上がっていた気がする。体育祭唯一の楽しみだ。

 

 例に漏れず、今年も派手な衣装が多く会場を沸かした。よく見ると去年と違って、生徒たちもちらほらと仮装している。


 「あれ、御門先輩か?」


 よく見ると御門先輩含め、その周辺の人たちが仮装をしている。真ん中にいる御門先輩は、さしずめ王子様のような格好をしていてーー


 嫌な予感がした。そしてそれは、的中した。


 「2年C組の西園寺静音さん!!!前に出てきてくれないか!!!」


 ......は?おいおい、そんなのアリかよ!?


 まさか、この全校生徒の前で?


 会場は大盛り上がりを見せていた。会場全体が、その結末を疑っていないようだった。


 少しして、西園寺が姿を見せた。


 ゆっくりと、しかし真っ直ぐに校庭の中心へ進んでいく。


 その表情は、明らかに曇っていて、これが彼女の望んだ現状じゃないのは明らかだった。


 「ふざけんな!」

 

 一気に怒りが沸点に至った。御門はきっとその申し出が、当たり前のように受け入れられると思っているんだろう。


 そりゃそうだ。こんな風にされて、簡単に断れるわけがない。断ったらどうなる?この場が台無しになって、彼女はどんな目で見られる?


 俺は人混みをかき分けて前に出た。


 決めた。このふざけた舞台をぶち壊す。


 今すぐここを飛び出して、彼女を連れてこの場を離れてーーーー


 「ストップ!ハカセ君ストーップ!!!」

 「えっ、狭山?なんで?」


 一歩踏み出した俺の手を掴んで、その場に引き留めたのは狭山だった。


 「お願い!静音ちゃんに頼まれてるの!ハカセ君を止めておいてって!」

 「静音......西園寺が?俺を?一体どうして?」


 邪魔をするなって、そういうことなのか?


 ここまできて、結局全部が勘違いだったって話なのか?


 いや、違うだろ。勘違いでもいい。勘違いでも、それでも、ここで一歩踏み出さなきゃダメなんだ。じゃなきゃ、絶対に後悔する。


 「ごめん狭山。俺行くよ」


 そう言って狭山の手を振り払おうとする。


 「だーっめっ!伝言あるから、よく聞いて!私には意味がわからなかったけど、これは『質問の返事』なんだって!!」


 質問の返事?それはさっきの保健室での?


 そうこうしているうちに、御門は西園寺に何かを告げている。会場がいちいち騒ぎ立てて、それが俺の焦燥感を駆り立てる。


 「「あっ」」


 目があった。それが偶然かどうかはわからない。だけどしっかり、その視線は重なった。


 その瞬間、彼女は少し笑った。その笑顔には見覚えがあって、それは今まで俺にだけ向けられていたもので。


 イタズラに笑う彼女は、内心で俺の表情を見て得意になっているのだろう。


 それは彼女にとって、ある種の仕返しだったのだろう。



ーーーー



 「私にとって、大切な人だったの」


 西園寺さんーー静音ちゃんはそう言った。


 私がハカセ君に花瓶をぶつけて、怪我させてしまって、私は情けないことに泣いてしまって、それで色々友達が揉めてしまって。


 困り果てていた私に、彼女はそんなことを告白した。


 「彼は覚えてないけど、確かに私の恩人なの」


 だから取り乱した。あなたに冷たく当たってしまったと。そう彼女は私に謝った。


 「うちらも、ごめん。言い過ぎてたかも」

 「うん......。うちも、ごめん」


 元は私が蒔いた種だ。謝らせてしまったのは申し訳ないけど、こうして丸く収まって安心した。仲直りできて、本当に良かった。


 彼女はカッコ良い女の子だ。私たちにその想いを打ち明けるのは、きっと不安だったと思う。


 静音ちゃんとハカセ君。二人は不思議な関係だった。心に何か、埋まらない距離があるのは間違いないのに、どこかそんな距離感も絵になるような。


 そもそも恩人だと言ってただけで、好きな人とは言っていない。


 けど、側から見たらすぐわかる。ふと見る彼女の表情は、素直になれないちょっと不器用な女の子。


 そんな彼女の気持ちを知っていたから、この光景を事前に阻止しようとも思っていた。全校生徒の前で告白なんて、どう転んだって彼女にとっていい結果にならない。


 『ちょっと仕返ししてやるだけだから』


 私はハカセ君を引き留めた。それが彼女の願いだったから。


 その言葉が、一体どういう意味かはわからなかったけれど、二人にはきっと通じるものがあるんだろう。


 「ーー私はあなたとは付き合えません」


 全校生徒に聞こえるように、彼女はそう宣言した。


 その言葉が聞こえて、視線をハカセ君に向ける。


 その表情は安堵はもちろんだが、それ以上にどこか悔しそうというか、してやられたみたいな顔で。ともかくさっきまでのような、鬼気迫るような圧は無くなっていた。


 静まり返った校庭では、その言葉に面食らったように狼狽えていた。


 ああ、空気は最悪だ。この後の競技、ちゃんと進められるのだろうか。


 「まだ私、返事をしていないので」


 そんな静音ちゃんの言葉を聞いて、掴んでいたままのハカセ君の腕に力が入った。ちょっと妬けちゃうな。きっと今の言葉も、彼にだけわかる言葉なのだろう。


 「それでは、私はこれで」


 きっと彼女は、2年生はともかく、3年生の彼の取り巻きのよくない視線に晒されてしまうのだろう。


 だけどそれは、きっと彼が守ってくれる。


 「頑張ってね、ハカセ君」

 「......おう」


 照れつつも否定しないあたり、彼も決心はついているのだろう。


 人混みをかき分けて、彼女の元に向かっていった彼に、私は静かにエールを送るのだった。



ーーーー


 私の歩きに合わせて、まるで腫れ物を扱うかのように道が開く。


 実は私は今日、こんな風に告白されることを知っていた。根回しはすでに終わっていて、今日のはまさに彼のステージだったわけだ。


 あの人は今日知ったみたいだったけど。


 「あんた何考えてんの!?せっかく御門君がああして舞台を整えたのに!!事前に知ってたんでしょ!?」


 取り巻きの一人だろうか。周りのことなどお構いなしにがなり立ててきた。


 「だから、なに?」


 知っていたとも。でも別に、受け入れるなんて言ってない。そもそもあんな大舞台。私は少しも望んでいない。


 だから私は、私のために舞台に上がった。


 これはささやかな仕返しだ。


 主人公を望んだピエロと、私の望む王子様への。


 「人の気持ちを何だと思ってるの!?」


 それはこっちのセリフだ。声を大にして言い返してやりたい。けど、こうも大勢の前で注目されていると、はっきり言って怖かった。少しでも早くこの場から立ち去りたかった。


 それに全校生徒の前で他人を利用したことに、罪悪感がゼロなわけでもなかった。当人をそっちのけで計画されてて、腹が立っていたから実行しただけだ。


 「あっ、待ちなさいよ!!」


 私は走ってその場から逃げ出した。


 彼と話すのはまた今度でも構わない。きっと私のメッセージは届いているから。


 私は走った。行き先は決まっていた。


 途中すれ違った担任に早退を告げた。状況は知っているだろう。そのぐらい許してくれるはずだ。


 少し頑張ったからか、緊張から解き放たれた反動か、今はとにかく一人になりたかった。


 私にとっての大舞台は、こんな場所でないのだから。


ーーーー

 



 本当に、雄二の言う通りベタなやつだ。


 「西園寺なら早退したぞ。お前はどうするんだ?」

 「じゃあ!!俺も!!早退します!!」


 「おうよー。頑張ってこいよ!」


 バシンと、背中を叩かれた反動で俺は走り出す。


 あざっす先生。理解ある人で良かったよ。



 本当に、めんどくさいやつだ。


 捻くれてて、不器用で。


 そのくせ何を考えてるのかも、全然わからない。


 彼女がどこに向かったかはわからない。


 だけど何も言わずに出て行ったんだ。きっと一人になれる場所だ。


 目指す場所は一つ。これは推測でもなんでもない。


 願いだ。そこにいてくれたらっていう、願望だ。


 

 ーー想いを伝えるなら、そこがいい。



 本当に、ベタなやつだ。


 お嬢様で、高飛車で、勉強できて、運動もできて、スタイルがよくて、伸びた黒髪が綺麗で、何より美人で。


 まるで物語のヒロインではないか。


 雨でも降れば完璧だったが、残念ながらそうはいかなかった。これは物語でもなんでもなく、俺は主人公でもなんでもないのだから。


 浮かび上がるありし日の記憶。


 彼女はあの日も、一人でそこにいた。



 「ーーこんなところで何してるんだ?」

 


 改めまして、これが彼女と俺の新たな一歩だ。



ーーーー



 

 「ーー何の用?」


 用件なんてわかってる。私のことを追いかけてきてくれたのだ。


 あの日と同じように、無遠慮に私の隣に座る彼。


 あの日も、今日も、私は変わっていない。


 誰かに見つけてもらえるのを、待っていたんだ。



 「ーーこんなやつが隣なんて、ついてないわね」


 

 嘘。本当はすごく嬉しい。ずっと待ち侘びていた。


 私が手放した。突き放した。彼を傷つけた。


 それなのに、彼はーー見つけてくれた。


 思い出として、この私の居場所を認めてくれた。


 彼はきっとあの日のことを、覚えてなんていないだろうけど。

  

 彼は汗だくだった。きっと全速力で、私が向かった方向に走ってきたのだろう。ここに辿り着けたのは、きっと幸運が重なったものだろう。


 私のためにそこまでしてくれた事実が、私の頬をどうしようもなく緩める。

 

 ああ、これがきっとーー


ーーーー


 

 「そんなこと言うなって...」


 わかりやすい嘘に、あの日のように言い返す。


 俯いたままの彼女の耳が、真っ赤になっているのは気づかないふりをする。指摘したら、手痛いカウンターが待っているだろうから。


 あの日のことは鮮明に思い出せる。彼女とあの子が結びつかなかっただけで、あの日は思い出として記憶に焼き付いていた。


 多分俺たちは、お互いのことをまだまだ理解できていない。こうしてる今だって、きっと何かが食い違っていて、きっと何かを誤解したままで。


 だけど、それでもいいと、そう思えたのならーー


 俺たちはきっと、新しい一歩を踏み出せる。



 「俺は、西園寺が、好きだ」



 一言ずつ、自分に問いかけるように言葉を紡いだ。


 

 「私は、私はーー」


 

 顔を上げた彼女と、視線が重なる。


 きっと彼女は、こんな時の決まり文句を口にする。



 「実は、私はーー」



 彼女は俺のヒロインで、彼女の秘めた想いはこれから、まだ見たことのない景色を見せてくれるのだろう。


 きっと彼女は、秘めた思い出を打ち明けるのだろう。彼女は俺が思い出していることを、きっと気づいていないだろうから。



 ずっと、ずっと、あなたのことがーー



 ベタならせめて、門出ぐらいは華やかに。


 辻褄なんて、後からどうにでも合わせて見せよう。


 あの日告げた想いは、きっとこの瞬間のためだったのだ。


 この日、俺は、二回目の初恋をした。


 

 「「ずっとーーあなたのことが好きでした」」



 重なる言葉。伝わる気持ち。


 そして繋がった、過去と現在。


 彼女は驚いた様子を見せて、そしてあふれる想いを決壊させた。


 この思い出は、二人のものだ。


 独り占めなんて、させてなるものか。


      ーーfinーー

お疲れ様でした!


読んでいたたき、感謝感激です!


評価感想等々、よろしくお願いいたします!

また、どこかでお会いしましょー!

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[一言] 電車の中でニヤニヤしながら読んでましたw
[気になる点] 親友の名前ですが、悠二と雄二の2つが書かれていますので、修整してください。
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