96.避難地
「まさか、こんな大事になってるとはね……」
野外に設置されたキャンプで、フレイは夜空を見上げた。
「そうだね。ウルクも屋敷に置いてきちゃったのは、心配だけど」
「俺は少し安心してるけどね。ウルクが戦場に来るのは……嫌だし」
フレイは心配しているからこそ、ウルクが来なかったことに安堵しているのだろう。
俺は……ウルクが傍に居て欲しいと願っている。そう口に出して言えないのは、恥ずかしいからだ。
だけど、フレイの言う通り危険な目にあったら……と考えると心がざわつく。
でも、別館に呼び出され、国王陛下に頼まれたら断る訳にも行かなかった。
『平民にとって希望の星であり、英雄に値する君へ……私からの頼みだ。王国の民を助けて欲しい』
そう言って、深々と頭を下げられた。
どうやらレア王女殿下から俺の話は聞いていたらしく、俺の人となりや能力は元から把握していたらしい。
「まさか、伝承のみ伝えられていた【精霊樹ファルブラヴ】に張り巡らされていた結界が破れ、魔物が溢れ出しているなんて……最悪な状況だね」
「そうだね。でもレーモンさん……こうなること、分かってたのかな」
俺は後ろを振り向く。
この野外キャンプには、【精霊樹ファルブラヴ】から放たれた魔物に襲われ、そこから逃げてきた人々がいる。
近くにあった街はほぼ壊滅状態、辛うじて住民はこうして逃げ出すことができた。
前線では戦っているらしいが……俺たちが派遣されたのは、この場所だ。
急遽、王国は冒険者や王国騎士団を動員し、戦線を維持するために膨大な人員を派遣していた。
元より王国はレーモンさんから警告を受けていたこともあり、迅速に動くことができた。
「さぁね、おじいちゃんは常に『最悪を想定して、気楽に動く』って言ってたからね。それよりも……前線が気になる」
フレイが僅かに奥歯を噛み締める。
本当はフレイも前線に立つつもりでいたが、レーモンさんは許さなかった。
自分たちが任されている場所の重要性は理解している。
「フレイ、その気持ちは分かるけど……今はこの人たちの安全が最優先だよ」
俺たちの背中には、街を襲われて逃げた人々が居る。彼らが二度も恐怖を感じないように、この場所を守らなければならない。
大勢の人々が身を寄せ合って、テントを張り、キャンプ場で休んでいる。彼らは昨日まで普通に暮らしていたはずだ。
それがいきなりよく分からない魔物に襲われ、住む場所を奪われた。
親子の姿が目に入る。
「ママ……怖いよ。お家に帰りたい……」
「怖くない、怖くないからね……ちゃんと帰れるからね……」
それはおそらく難しい、とは言えない。
簡単な魔物の大群であれば、とっくに制圧できているはずだ。
前線にはレイン、カリンさんも居る。
その二人が居て苦戦しているということは……相当、まずい状況だ。
俺が行って戦況を変えられるのならば……いや、難しい。
レーモンさんは考えがあって、俺をここへ派遣した。
きっと、それには意味がある。
俺は親子に近づいて、視線を合わせた。
「大丈夫、ちゃんと帰れるよ」
少女が言う。
「本当……?」
「うん、約束だ」
俺に今できることを、するしかないんだ。
「フレイ、食料は持って来てたよね?」
「一応、かなりの量は積んできたね」
「じゃあ、俺が何か作るよ」
こういう時こそ、俺の役目なんだ。
*
キャンプ場は重く、胃の痛くなるような空気だったが、料理を振舞うと明るさを取り戻していた。
「ちゃんと並んでください~!」
そう声を掛けて、順番に野菜スープを渡していく。
野菜が苦手な子どももいるだろう、と苦い野菜は細かく……スープが染みるように工夫した。
「おいしい……!」
「簡単なスープだけど、気に入ってもらえたなら良かったです! あっ、熱いのでゆっくり飲んでくださいね」
周囲の顔色が明るくなり、次第に人々が集まってくる。
不安な気持を紛らされるには、暖かい物が一番だ。
辛い時こそ、しっかりと食べなきゃ。
「な、なぁ……あんた、もしかして貴族様か?」
「えーっと……まぁ、一代限りですけど……アハハ。元は平民ですし、今もたいして変わりません」
そういうと、ざわつく声が響いた。
えっ……なんかまずいこと言ったかな。
「貴族が、私たちみたいなのに料理を作って渡してくれるなんて……」
「貴族だろうと関係ありませんよ。困ってたら助け合う、当然のことです」
誰だって一人で生きてはいないんだ。
こんな時に貴族がどうだの、権力がどうだの言ってる暇はない。
当たり前のことなのに、感心した表情をされる。
「お、俺聞いたことある……! 確か、平民から貴族になった英雄がいるって……!」
「へっ?」
英雄って……いや、流石に俺のことじゃないよな。
「じゃあ、この人が!」
あれ……なんか盛大に勘違いされている気がする。
止めないと危険な空気かも。
「あ、あの……」
「俺たち、英雄に守られてるんだ!」
「うおおおっ!」
「安心だ!」
誤解を説こうにも、完全に歓喜に溢れ雄叫びが聞こえる。
もう魔物に怯える必要がないことに対する安堵だろう。
そりゃあ、怖かったとは思うけど……。
「えーっと……」
フレイが俺の肩に手を乗せる。
「アルトくん、諦めなよ。みんなの不安を一瞬で消し去るなんて、フフッ」
「フレイ、わざと笑ってるよね……英雄なんて柄じゃないのに」
「良いじゃないか。おじいちゃんがアルトくんをここに呼んだ理由が分かった気がするよ」
なるほど……。
レーモンさんはこれを狙っていたのか。
確かに、学園でもヴェインから『アルトは平民の学生にとって、希望の星』って言われたことがある。
俺は人々から自分がどう見られているか知らない。
自分のやってきたことが、大勢の人を救っている。
それを実感できて、少し嬉しかった。
「ウルクにも見せたかったな……」
きっと、俺と同じように嬉しいと感じてくれたはずだ。
俺がこの場に立っていられるのも、ウルクのお陰なんだ。
「なーんだ……強そうなの居ないじゃん」
チャランッ……と鈴の音が響く。
────ッ!!
嫌に耳に残る声音に、俺とフレイが振り向く。
人々の歓喜で、偶然にも視線は集まらない。
戦いの勘、ただそれだけで身を構える。
自分たちに発した声の主は、長い黒髪を揺らし……口角を歪めると鋭い犬歯が見えた。
「誰、ですか」
「誰でも良くな~い? 人名なんて重要? あ、でもそっか。人間って名前で個体を識別するんだっけ」
明らかに異様な雰囲気に、フレイが剣を抜こうとする。
俺はそれを制止する。
「フレイ、剣を抜いちゃダメ。抜いたら、攻撃してくる」
「へぇ……賢い奴もいるんだ~」
そう言うと、彼女は恍惚とした表情をする。
……この人からは血の匂いがする。
この周辺にはAランクの冒険者が哨戒していたはずだ。
彼らの包囲網を潜り抜けてここまで来ることはまず不可能、できない。
つまり……。
そこまで思考すると、兵士がキャンプへ駆けこんで来る。
「フレイ様! 冒険者が負傷しております! 敵襲です!」
この人は、背後を取ったのに攻撃を仕掛けてこなかった。
余裕がある……? それとも、戦う意思がない?
だけど、本能が危険信号を発している。
それに従うのであれば、彼女は敵だ。
彼女が鼻を鳴らすと、唸る。
「うーん、考えてる匂いがする。じゃあ教えてあげる……私は【精霊樹ファルブラヴ】の六天魔、猟犬フェノーラ」
「フェノーラさん……なんの用ですか。理由次第では穏便に済ませたいんですけど」
「敵だって分かってる相手に聞く? 戦いに理由が必要なんて、随分と甘いのね」
「理由次第では、戦わなくても良い筈です」
そういうと、フェノーラがムッとする。
俺の物言いに腹が立ったようで、眉を顰めていた。
「まるで戦ったら『僕が勝つよー』って言い方、かなり気に食わないんだけど。理由は単純よ……せっかく街を襲ったのに、得物を取り逃がしたから」
街を襲った?
俺は魔物の大群だと聞いていた。その指揮を人間が執っていたのか?
どういうことだろう……。
魔物は人の言語を話せないはず。なのに、目の前に居る人間は流暢に言葉を使い、俺と会話をしている。
「【精霊樹ファルブラヴ】……お父様は世界を滅ぼせとご命じになられた。私はそれに従うまで」
まずい……なぜだか、とてつもなく嫌な予感がする。
こちらの情報が全く足りていない気がする。
【精霊樹ファルブラヴ】って、なんなんだ。この人は一体……。
レインやカリンさんなら、何か知っているかもしれない。
「はぁ……雑魚共殺しても意味ないんだけどなぁ……最前線はリリアーネたちに取られちゃったし。さっさと終わらせて帰ろっと」
のんびりとした歩調で、フェノーラは歩き出す。
俺はその前に出た。
「なに?」
緊張が走る。
この人たちはやっと笑顔になったんだ。それに約束もした。
俺が戦う理由はそれで充分だろう。
アルトが己の魔剣をゆっくりと抜く。
「この人たちに、危害は加えさせません。これ以上、怖い思いはさせたくないので」
「じゃあ止めてみなよ────っ!!」
その瞬間、強風が吹く。





