77.愛する者
セシリアの自宅に居たラズヴェリーは、まるで武勇伝を語るように出来事を自分語りをしていた。
イスフィール家のお茶会の帰り道で、自身の乗っている馬車が故障し、偶然通りがかったユフィに助けてもらったこと。
ラズヴェリー侯爵は金髪を揺らし、俺へ向かって優雅に言う。
「私はユフィに言われたのだ。外で『働かざる者食うべからず』とな、衝撃だったよ」
「いや別に……衝撃と言うほどではないと思うんだが……働くのは当然だろ」
ウルクが呆れた様子を見せる。
貴族の仕事といえば、基本的に書類関係の仕事が多い。特に上の階級になればなるほどだ。だから、肉体労働というものが目新しかったのだろう。
ウルクは冒険者をやってるから、きっと肉体労働というものをきちんと理解している。
そこで住む人々がどのようにして生きているのか。冒険者になるというのは、それを学べることにも繋がる。
ウルクが誰に対しても平等というのは、働く楽しさもあれば、辛さも知っているからなんだ。
そもそも……セシリアさんの妹さん。ユフィはラズヴェリー侯爵に肉体労働をさせたのか……意外と強かな子なのかもしれない。
「ラズってば、本当に何もできなかったもんねー。人にお世話になるのなら、手伝いくらいは当然だもん」
「そうだな、ユフィ。君の言う通りだ」
ラズヴェリーが微笑む。
ウルクが言う。
「ラ、ラズヴェリー侯爵……少し変わりすぎで私は怖いぞ」
「ウルク様、少し冷たいですよ。私は感動したのです。農民がどのようにして生きてきたのか、私は本や書類でしか知らなかった。農民が納める税や魔物による被害で人が死んだ数」
ラズヴェリーが少し顔を落とす。
俺には、それに自責の念が籠っているように見えた。
「まとめられた報告書は、いつも数字と一言で済ませて終わり。私はそれに目を通し、印を押す……数字の意味すら、理解できていなかった」
ラズヴェリーが、悔しそうにする。
そうして、大きく笑った。
「ユフィが教えてくれた! 人がどう産まれ、何を育てて暮らしているのか。そして、私が人生で初めて殴られた相手がユフィだ」
「アハハ! ラズってば、子牛の出産で白目剥いちゃってさ。そのまま糞に頭から突っ込んで、目覚めたら子牛がちゃんと産まれたことに感動して私に抱きつこうとしてきたんだよ。そのー……だから思わず、こう……」
ラズヴェリー侯爵を殴ったことを、恥ずかしそうにユフィが言う。
おどおどした様子で、セシリアが問いかける。
「ユ、ユフィ……ラ、ラズヴェリー侯爵を……な、殴ったの?」
「だって、糞臭いの嫌だもん」
セシリアが頬を引き攣らせ、その場で屈む。
頭を押さえて、ブツブツと何かを呟き始めた。
「牛の糞を顔に浴びせた挙句、侯爵家の人を殴った……打首……今度こそ終わりだ……あぎゃあああっ! まだ作品を完結させてないのに死んだら、ファンから罵声が……!」
なんとなく、なぜか俺はこの姉にしてこの妹あり、と思ってしまった。
ウルクも同じように思ったようで、口にしていた。
「なぜだか、この姉妹には罪深さを感じるな……いや、悪い意味ではないのだが」
「ウルク、俺もそう思うよ」
「だ、だろう……?」
ラズヴェリー侯爵もそこまで、殴られたことを気にしていないようでケロッとしている。
それどころか、殴られたことに対して誇りを感じているようにも思える。
初めて人に殴られたとか言ってたしなぁ……。
「そうだ! みなさん、もしかしてセシリアお姉ちゃんのお友達ですか?」
「あ、あぁ、そうだ。私はウルク、こっちはアルトだ」
「よろしく、ユフィさん」
「さんなんてやめてください。ユフィで良いですよ」
溌剌とした表情でユフィが笑うと、台所へと向かう。
どうやら料理の途中だったらしく、火の加減を弱めていた。
「お姉ちゃんの友達なんて初めてですから、これは豪華にしませんとね!」
「そんな気にしなくて良いですよ」
「ダメです。私がそういう訳にはいかないんです。お姉ちゃんの大事な友達ですからね!」
そこまで言われてしまうと、言い返すことができない。
せめて手伝おうとするも、客人は大人しく座っててと言われてしまった。
ラズヴェリーが言う。
「ユフィ、私も手伝おう」
「ラズはダメ。料理下手くそだから」
「そうか……」
明らかに落ち込んだ様子を見せ、俺たちの向かい側に座る。
すると、ラズヴェリーが口を開いた。
「そうだ。実は私、この前ユフィと田植えとやらを行ったのです。そこで……」
数分ほどユフィの話を続けるラズヴェリーを鬱陶しく思ったウルクがいう。
「ラズヴェリー侯爵……確かに、前のあなたより今の方が好きだが、少し煩いから黙っててくれないか。あなたの口からはユフィ以外の単語はないのか」
「……失礼しました。では話題を変えて……ユフィが────」
そこまで言って、ラズヴェリーはウルクとセシリアに家から締め出される。
バタンッ、と強く戸が閉まると、セシリアが言う。
「なんなんですかあの変態侯爵! うちの妹の話しかしてないんですけど!」
「……流石にキツいぞ。いや、前にテッドから『ウルク様の話題はアルト様が多いですな』と言われたことがある。まさか、私もアルトの話をする時はあんな感じなのだろうか……改めよう」
そ、そんなことないと思うけど……と俺は思う。
「アルトは良かったのか?」
「うん? 俺は楽しかったよ。だって、ラズヴェリーさんがユフィの話をしてる時、凄く楽しそうに笑うんだ」
その表情がすごく好きになってしまって、いくらでも話が聞ける気分だった。
誰かの話で笑顔になれるなんて、やっぱり、ラズヴェリーさんは良い人だ。
「……じゃあ、アルト。ラズヴェリー侯爵の相手を頼む」
「へっ?」
「流石に外に放り出したは良いが、一人は……一応は侯爵家の人間だしな」
「あぁ、そういうこと。分かったよ」
確かに、何かあったら大変だもんね。
俺ももう少し話が聞きたいと思ってたからちょうど良いかも。
そう思い、ラズヴェリー侯爵と二人っきりで話をすることにした。
*
すっかり外は暗く、夜風が頬を通り抜ける。
俺が外に出ると、寂しそうにラズヴェリー侯爵が牛小屋を覗き込んでいた。
あぁ、子牛の出産に立ち会ったんだっけ。
隣に立つと、こちらに気づいたラズヴェリーが言う。
「お前か。まぁ、話し相手としては十分だな」
意外な反応だと思った。
前は、男爵なんて話す価値すらないと思われていたような気がするんだけど。
牛小屋にいる一匹にラズヴェリーが指をさす。
「あの小さい子牛がベムだ。私が出産に立ち会い、産まれる時に手助けした」
「へぇ……可愛いですね」
「そうだろう? 私も、時間ができればここに立ち寄って、ベムの成長を眺めているんだ」
そういえば、ラズヴェリー侯爵って国政でもかなりの重役、国防関係の仕事に就いていると言っていた。
間違いなく激務な職場だ。なのに、時間を作ってでも来たいと思えるほど、ここが好きなんだろう。
「産まれた頃は、立つのもやっとだったのにな。今は自分で立って、私の服を汚すことすらあるんだ。困ったやつだよ」
笑いながら言う姿に、怒りはない。
「すべて、ユフィが私に知らないことを教えてくれたお陰だ。机の上では、絶対に知ることのできないことばかりだったからな」
「……世界は、広いですもんね」
「ふっ……なぜだろうな。お前が言うと、重みを感じる。アルト」
ラズヴェリー侯爵は、綺麗な夜空を見上げて息を吐く。
少し気温は冷たく、白い吐息が漏れていた。
「権力や地位。昔の私が見ていたのはそれだけだ。下は見ない。見るのは上だけ。上に行けば、幸せがあると思っていた」
だが、と言って目を細める。
「幸せというのは、常に足元にあるのだな」
俺はふと、ラクスさんたち孤児院やイスフィール家のみんなを思い浮かべた。
当たり前だと思うことが幸せだ。
それが理解できる人間と、できない人間では天と地の差がある。
「まぁ、これはお前に言うことでもないかもしれんが……」
「大丈夫です。なんでもおっしゃってください」
「ふっ……お前は変な奴だ。ただの愚か者の話さ」
そう言って、つぶやいた。
「愛するものが変われば、自然と守るものも変わる。私は権力を愛し、地位を守ろうとした。まぁ、心が満たされることはなかったがな。だが今は……ユフィを愛し、この地を、国を守りたい。それだけで、心がいっぱいになる」
俺はその気持ちをよく分かっていた。
ますます、ラズヴェリー侯爵が良い人だと思う。
「愛国心というのは、こうやって芽生えるのだろうか」
「ええ……そうだと思います」
「お前はもう知っていたようだな。私よりも優秀、というのは正しいのかもしれないな」
ま、まだお茶会でのことを少し根に持っているのかな。
思わず、苦笑いを浮かべる。
「貴様にもあるのだろう? 守りたいものが」
「はい。ありますよ」
ラズヴェリーが瞼を鋭くした。
「それは、ウルク様か?」
*
同時期、セシリアの実家で男子組を追い出したことで女子たちだけが残っていた。
ウルクが問いかける。
「そ、その……ユフィは、ラズヴェリー侯爵が、好きなのか?」
人の恋愛事情に疎く、自身の恋愛事情も疎いウルクでも、恋には興味があった。
「ラズ? ううん、別に。だってラズ、男らしくないもん」
あっさりと言うユフィにセシリアがホッとする。
「格差がありすぎるもんね。貴族と平民の結婚か、修羅の道も良いところだよ」
「うーん、そういう事じゃなくてね。ラズってなんか、たまにキラキラした物とか、綺麗なドレスとかを渡そうとしてくるんだけど。価値分かんないし、食べられないから要らないって返してるんだ」
ラズはユフィのため、必死に特注品のドレスや装飾品を渡そうとしていた。
だが、そんなものに興味がないユフィは突っぱねて返していた。
ラズにとってはユフィの欲しいものが分からず、どんどんユフィに惚れてく原因になっていた。
「金塊とか要らないよねー。それよりも農作物や家畜の餌代を出して欲しいよ」
ふと、ウルクとセシリアは(金塊の方が価値があるのでは……?)と思うも、黙っていた。





