62.凍りつく
ラズヴェリー侯爵はウェンティの事を知っていた。
ウェンティに詰め寄る。
「なぜお前のような者がここにいる……!」
「……っ! な、なんで私のことを知ってるの!」
ラズヴェリー侯爵は国防を担当する前、国外の貿易関係の役職をしていた。
その際、誰かが密貿易をしていたことを知っていたが、犯人を特定することができなかった。巧妙かつ、悪質な手口を使われていたためだった。
それを王女の才覚を見せ始めたレア王女によって摘発され、ルーベド家が捕らえられることとなった。
「没落した貴族がイスフィール家の屋敷にいるなど……お前もあの男のように何かセコいことをしたのか!」
「あの男……? 痛っ!」
当時のラズヴェリー侯爵は、自分が密貿易の犯人を捕らえるのだと躍起になっていたが、その手柄をレア王女に持っていかれたことを根に持っていた。
ウェンティの腕を強く掴む。
「ゴミ共の巣窟で暮らしていると聞いたが、どうやって抜け出した」
「離してよ! あんたに関係ないでしょ!」
「イスフィール家は私が昔から目を付けていた場所だ! 汚点のない美しき家と繋がることができれば、ラズヴェリー家は安泰だ。なのに、お前のようなドブネズミが入り込んで汚すつもりか! 犯罪者の娘が、恥を知れ!」
ラズヴェリー侯爵がウェンティを知っていたのは、王都の地下牢で捕らえられていたのを見たからだ。
「犯罪者の、娘……」
そう言われ、ウェンティは目を見開く。
自分の立場を再確認させられたような気持ちになる。
(そっか……そういえば、私は犯罪者の娘……よね。なんで忘れていたんだろう……)
最近はずっと、アルトの傍にいることができて楽しかった。
初めての経験や、誰かに褒められることがただ嬉しかっただけだ。
浮かれていた。
それだけのこと。
「今すぐ、失せろ」
そういうラズヴェリー侯爵に、ウェンティは黙っていた。
何も言い返す言葉がない。
その時、声が響く。
「何をしているのですか」
声がした方へ向く。
「……ウルク様?」
そこにはウルクが立っていた。
「我が屋敷のメイドが失礼を働いたそうなので、謝りに来たのですが。これは、どういった状況ですか」
少し前にラズヴェリー侯爵を拒絶したにもかかわらず、ウルクは凛とした様子だった。
怖い物などない。
そう言っているように見える。
ラズヴェリー侯爵は取り繕うように笑う。
「いえ、なんでもありませんよ。ところで、アルト卿は?」
「婦人方の相手をしています……その者が何か?」
ラズヴェリー侯爵が言い淀む。
「その、ウルク様はご存じですか? この者は犯罪者の娘で没落した貴族なのです。穢れは今すぐこの屋敷から追い出すべきかと」
「……そうなのですか」
「えぇ! 犯罪者の娘を使用人などにしていては、他の貴族の方々からどう思われるか……いやはや、私が居て良かった」
自慢げに語るラズヴェリー侯爵に、ウルクが言う。
「知っています。そのことは」
「……なんですと?」
「ウェンティが没落した貴族で、犯罪者の娘であることは知っているのです」
「……犯罪者を使用人にするなど、言語道断ですよ」
「罪を犯したのはウェンティの父親であって、彼女ではない。親の罪を子にまで背負わせるのは酷というもの」
「……なぜ、このような者にまで情けをかけるのです!」
ラズヴェリー侯爵はどこか苛立っていた。今まで自分が積み上げて来た常識が通用しない。
どこまで行っても自分の思い通りにならない。
それどころか、平然と否定してくる。
「情けではない。大事な人が、その者を家族だと言った。ならば、守るだけのこと。例え、嫌いな相手であっても」
真っ直ぐと、透き通るような蒼い瞳がウェンティを見る。
そこでウェンティは、初めて気づく。
ずっとウェンティはアルトを奪われたと思っていた。
それは没落した後も変わらなかった。
ウルクという女性が、アルトを変えてしまった。
だが、初めて違うのだと気づく。
(アルトは何も変わっていない。きっと、コイツに救われたんだ)
「正気ですか。それほど、平民上がりの男爵が大事なのですか。ご自身の家がどう思われるかも考えず」
「イスフィール家が消えようとも、アルトにはそれだけの価値がある」
「……馬鹿が」
ラズヴェリー侯爵は堪忍袋の緒が切れたように言う。
「大事な人、大事な人と……正気じゃない! 我々は選ばれた民だ! 高潔さと権威を持っている! それをたった一人の男のために捨てる覚悟など、馬鹿馬鹿しい!」
ラズヴェリー侯爵は、蔑んだような目をウルクへ向ける。
ウルクが拳を握る。
「あなたは変わった、ウルク様」
「私は何も変わってなどいない。ラズヴェリー侯爵が何も理解しようとしないだけだ」
ウルクがラズヴェリー侯爵の傍へ歩き出す。
「あなたが褒めた料理はすべてアルトが作った物です」
「っ……! 田舎の運で成り上がった男が、あの料理を……?」
「アルトはあなたから酷い言葉を掛けられたのに、料理を褒めてもらえたと喜んでいた」
思わずウルクが微笑む。
自分で言って、アルトらしいなと思ってしまったのだ。
ラズヴェリー侯爵の横をウルクが通る。
「私があなたを嫌いなのは、ラズヴェリー侯爵が見ているのは私ではなくイスフィール家だからだ」
嫌い。
その言葉がラズヴェリー侯爵の中でこだまする。
ウルクがウェンティの前に立つ。
「行くぞ」
「え、えぇ……」
その場を去る二人の後ろ姿を、ラズヴェリー侯爵は睨んでいた。
*
社交場に戻るも、料理の話やアルトが婦人たちに用意した美容品の話で盛り上がっていた。
何処に行っても『アルト』と聞こえてくる。
その居心地の悪さに、ラズヴェリー侯爵は馬車を用意させ帰ろうとする。
馬車に乗り込もうとすると、レーモンが近寄った。
「おや、もうお帰りですかの」
「……レーモン様、あなたはお孫様を、少し甘やかしすぎでは?」
怒りの籠った発言に、レーモンは平然と髭を撫でながら言う。
「ふむ……可愛い孫娘ですからのぉ、大層甘やかしてはおりますな」
「貴族と平民は分けるべき。その高貴なる考えを否定されている。謀反の可能性があると疑われても文句は言えますまい」
「ほっほっほ! 謀反とな! 随分と物騒な言葉が出てきますのぉ」
遠回しに脅されているが、レーモンは余裕を崩すことはなかった。
「精霊樹ファルブラヴ森林への軍の手配も、少しばかり見直す必要があるかもしれませんね」
「おや? さきほど公の場で『国の大事に協力しない者は臣下ではない』と申していたような気がするのじゃが……」
「……聞いていたのですか」
「儂以外の者共も、しっかりと耳に。もしも、軍の手配が遅れれば、それこそ謀反と疑われるかもしれませぬぞ? 例えば、反乱のために準備しているとか……まぁ、ラズヴェリー侯爵にはあり得ぬ話ですな」
そうか、とラズヴェリー侯爵は気づく。
(この人は、ウルク様の考えも私の怒りも、どうでも良いのだ)
レーモンが言う。
「良い余興ではありましたのぉ」
「……は?」
「どうやら、社交場では『ラズヴェリー侯爵は料理を素晴らしいと褒め、それをアルトだと知ると立派だと言った』と伝えられておりますぞ」
「一体何の話を……」
「地位の低い者を公正に評価する人物として、国王陛下にも伝わることでしょう」
そういうことか、と納得する。
「……それで許せと」
「はて、なんのことやら」
ラズヴェリー侯爵が溜め息を漏らす。
(どこまでも食えない爺だ、流石は元宰相か)
「……忘れることなぞ、有り得ぬ話だ。だが、レーモン様の気遣いに免じて今は黙っておきましょう」
ラズヴェリー侯爵は馬車へ乗り込み、イスフィール家に一瞥もくれることなく帰った。
その馬車の中で、一人呟いていた。
「平民などと肩を並べるなど……屈辱以外の何があるか。覚えておくがいい」
怒りを抱えたままのラズヴェリー侯爵だったが、道中で馬車が故障し、近くを通りかかった村娘に救われることになる。
馬車が直るまで田舎村で生活するが、初めて農作物を育てたりして徐々に平民の暮らしを知る。
そうして平民の暮らしも悪くないと思い、助けてくれた村娘に片思いをするのだが、本人はまだそのことを知らない。
ラズヴェリーくんはまた再登場します。





