9:剣士と剣士
「----しっ!」
「そいやっ!!」
イツとシエンが交差し、刀同士がぶつかり合うと火花が散る。二人の戦いはまるで舞踏のように華麗で、嵐のように激しいものであった。どちらも息も吐かせぬ勢いで刃を振るい、己の技を振るう。
「ふっ……!」
「おっとぉ?」
一気に距離を詰めてシエンの懐に入り込むと、イツは刃の舞を振るう。だがシエンは奇怪な動きで身体を捩じり、それを回避してみせた。
「良い動きだ。だったら俺も、もうちょい踏み込むぜ!」
真剣で命の取り合いをしているというのにシエンは楽しそうに笑い、クルリと回転する。そして次の瞬間、思い切り刀を振りぬいた。
「せい!!」
「----くっ」
すかさずイツは日門の方の黒刀でそれを受け止める。すると凄まじい衝撃音が鳴り、一瞬イツは音が聞こえなくなった。それ程シエンの一撃は重く、イツの小さな身体は簡単に吹き飛ばされてしまった。すぐさま壁を蹴り、イツは地面に着地する。腕の痺れは己の非力さを伝えるように痛みが走った。
(今の一撃……〈日門〉で防がなければやられていた……ッ)
震える手を握りしめ、イツは黒刀を構え直して走り出す。同時にシエンの走り出し、二人は再び交差すると激しく刃を交り合わせた。
「はっはぁ! やっぱやるなぁ嬢ちゃん! こりゃ歌姫とやるより面白いかもしれんな!!」
「……相変わらず、よく喋る男だ」
シエンの刀は見るからに斬れ味の悪そうな刃部分が欠けている刀。だがその一撃を受け止める為にイツの腕には凄まじい圧が掛かり、痺れを覚える。何度も受け止めていれば腕が使い物にならなくなってしまうだろう。
(……〈刀喰い〉。以前会った時は戦場の中だったが、やはり力が増している)
一度距離を取り、迂闊に攻撃を喰らわないように警戒しながらイツはかつての事を思い出す。あの時は大規模な戦いの中だった為、僅かに刃を交らせただけだった。だがそれでも十分奴の実力の高さは伺えた。だからこそ分かる。今のシエンは恐ろしい程強い。
(この数十年間、こいつはどれ程の剣士の刀を喰らって来た?)
もしもあの戦いの後も、シエンが剣士を葬ってきたのならば、多くの死闘を斬り抜けて来たのならば、奴はどれ程強くなっている? あの刀はかつて見た刀と同じ物だ。ならば、あそこまで消耗する程刀を破壊して来たという事だろうか? 想像するだけで恐ろしい。
(今の私では、まだ押し切れぬか……)
イツの額から一筋の汗が流れ落ちる。
今の自分の実力は全盛期とは程遠い。この華奢な女の身体では全力の一撃を振るえず、シエンの攻撃も正面から受け止め続ける事は出来ないだろう。強敵だ。だがそれでも完全に勝機がない訳ではない。イツは黒刀を強く握り、気を引き締め直した。
「な、なんだこの戦いは……?」
「俺らには付いていけねぇ……逃げないと!」
一方でイツとシエンの戦いを見ていた盗賊達の何人かはその次元の違う戦いに慄き、我先にと逃げ出していた。だがイツは彼らを追う事は出来ない。今背を向ければ、間違いなく自分の身体はシエンの刀に破壊される。それが分かっているからこそ、彼女は彼を向かい合い、黒刀を構えていた。
「さぁて、そろそろ身体も温まってきた頃だ。ここらで一発、かますかね」
ヌラリとシエンの動きが変わる。不規則な移動でイツを翻弄し、突如懐まで入り込むと両手で刃を思い切り振り抜いた。
「獣ノ業----〈牙狩り〉!」
「がっ……!?」
凄まじい速度の斬撃。すぐさまイツは日門を構え、防御の体勢を取る。だが訪れた衝撃は想定以上のもので、彼女は吹き飛ばされ、近くの壁に激突した。
(一瞬の内に三度も刃を叩き込まれた……これでは私の腕が持たない……ッ)
イツが使う連刃一刀と似た技。一度の斬撃の内に複数の斬撃を放つ。流石に長年戦い続け、鍛えて来たシエンなだけあってその重みと衝撃は比べ物にならない。
「はっはぁ! 壊れてくれるなよ、嬢ちゃん。久々に楽しい戦いなんだ。もっと俺を熱くさせてくれ!!」
更にシエンは走り出し、壁際に居るイツを追い詰める。イツもすぐさま刀を振るい、距離を詰められないようにするが、シエンはそれを不規則な動きで回避し、刃を近づけた。
「そら、どんどん行くぞ!!」
「----ッ!」
次の技が来る。ただ受け止めるだけではこちらの分が悪い。そう判断したイツは足に力を込め、勢いよく地面を蹴ると刃を振り上げた。同時にシエンも技を放つ。
「獣ノ業----〈爪砕き〉!」
「無国刀流----〈刃の舞〉!」
イツとシエンの技が真正面から衝突し、凄まじい衝撃音が響き渡る。どうやらお互いの技で威力が相殺されたようだ。
「……なんだとっ?」
その光景を見てシエンは黒髪の隙間から目を見開く。そして一旦イツから距離を取ると、何かを確かめるように自身の刃こぼれしている刀を見つめた。
「嬢ちゃん、お前その太刀筋、まさか……いや、俺が見間違うはずがない……」
何かに気が付いたのか、シエンはイツの方に顔を向けると問いを投げかけようとする。だがまだ確証がないのか、額に手を当てて息を吐き出した後、ようやく口を開いた。
「お前、あの〈鬼刃〉と関わりがある者か? 何故嬢ちゃんなんかが伝説の流派、〈無国刀流〉を使える?」
「…………」
シエンはイツが無国刀流を使っている事に気が付いていた。流石はかつて一度戦った事がある剣士と言うべきか、彼はしっかりとあの伝説の流派を覚えていたのだ。だが、イツは答えない。
「其方に、教える義理はない」
「はっ……何だ嬢ちゃん、お前、俺の知ってる奴に似てるな」
イツの返事にシエンは吹き出し、笑いながらもどこか不愉快そうに頭を掻く。そして刀を握りしめると、勢いよく走り出した。
「それが気にくわねぇ!!」
急接近し、再び技の構えを取る。それを見てイツは刀を鞘に収め、シエンを迎え撃つ。
「獣ノ業ーーーー〈牙狩り〉!!」
シエンが放った技は敵を貫く事を目的とした突き技。これを防ぐのは難しい。だがイツは静かに刀を抜くと流水のように払い、シエンの刀を受け止めてみせた。
「無国刀流ーーーー〈転身抜刀〉」
次の瞬間イツは身体を回転させて刃を勢よく払う。するとシエンは突風にでも遭ったかのように吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がった。
「うがっ……!?」
すぐさま起き上がるが、シエンは自身の渾身の技が不発になった事に衝撃を受ける。
(俺の技を跳ね返された……!? 間違いない。これはあの時の、奴と同じ技……!)
転身抜刀。無国刀流唯一のカウンター技であり、相手のどんな攻撃もそのまま跳ね返すという強力な技。刀を鞘に収めた状態で放つ技であり、その難易度は高い。
イツも今の身体で成功するかは分からなかったが、何とか放つ事が出来た。する彼女は感触を確かめるように黒刀を払う。そしてコクンと頷くと、満足そうな表情を浮かべてシエンの方に顔を向けた。
「感謝する。この刀はまだ貰ったばかりで使い慣れてなかったが……今ようやく、手に馴染んだ」
ユラリ、とイツが黒刀を構え直す。その動きを見てシエンは一瞬恐怖を覚えた。気のせいか、かつて自身が対峙した刀鬼ゼンの姿と重なったのだ。
「詰め手は整った。今から其方は四手で詰む」
突如イツがそう宣言する。その言葉を聞いてシエンはポカンと口を開け、呆然としてしまった。そしておもむろに立ち上がると、刀を握り直す。
「はっ、本当に面白い嬢ちゃんだ。俺が四手で詰むだと……?」
「…………」
イツは答えない。だがその澄んだ蒼い瞳は、彼女の強い意志を現している。それが煩わしく、振り払うかのようにシエンは走り出した。
「やれるものなら、やってみろ!!」
ここからは単純な力で押し潰す。そう決めてシエンは刀を振り上げ、イツの目の前まで接近すると勢いよく刃を振り下ろした。
「せぇぁあああ!!」
「一手、〈刃の舞〉」
イツは刃を振り上げ、シエンのその一撃を弾き返してみせる。
刃の舞。どんな敵にも対応し、どんな状況でも放てる理想の刃を追求した技。攻撃にも防御にも、時には技を受け流す為にも使える臨機応変な使い方が出来る。
「くっ……ぉぉおおおお!!」
「二手、〈双綾の一閃〉」
シエンは引かず、このまま押し切ってみせようと再び刃を振るう。だがその前にイツの鋭い突き技が放たれ、シエンは両肩を貫かれた。
双綾の一閃。必ず敵に致命傷を与える為に作られた技。突き技の究極系であり、二本の刀から放たれる突きは岩をも砕く。
「ぬぐっ……ぁ、ぁああああ!!」
「三手、〈連刃一刀〉」
腕が言う通りに動かず、刀を振るえなくなったシエンは無理やり身体を捩じり、勢いを利用して刃を振るおうとした。だがその前にイツは技を放ち、逆にシエンの刀を砕いてみせた。
連刃一刀。一度の斬撃で複数の斬撃を放つ、無国刀流の代表的な技。極めれば山をも斬り裂くことが出来る。
(ば、馬鹿な……俺の太刀筋を全て読まれている!? こ、こんな芸当、奴しか……!?」
シエンは混乱する。先程から自分の攻撃が全て読まれ、先手を取られている。技を放とうにも先に技を放たれてしまう為、行動を制限されてしまうのだ。そんな事不可能なはずなのに、目の前の少女はそれを実現してしまっている。それが、恐ろしい。
そして遂に、イツは宣言通りの最後の技、四手目の技を放つ。
「四手、詰み……〈半歩居合い〉」
一度刀を鞘に収め、次の瞬間勢いよく飛び出してシエンの背後へと移動する。気が付いた時にはシエンはもう斬られており、口の中には血が溜まり、吹き出してその場に崩れ落ちてしまった。
半歩居合い。半歩の範囲内から放つ居合い斬り。抜刀術に特化した技であり、脱力すればする程威力が上がる。
「かっ……ぁ……鬼、刃……」
シエンは倒れながら必死にイツに手を伸ばす。そして何かを言おうとしたが、その前に力尽きてしまい、伸ばしていた腕はパタリと地面に落ちた。
その様子を見ていたイツは黒刀を払い、付着していた血を拭うと静かに鞘に収める。
「感謝する。其方のおかげで私はまた強くなる事が出来た。其方の技は、我が刃の血肉となるだろう」
イツはそうお礼を言った後、大きく息を吐き出した。
この身体になってからの、刀を持つ同じ剣士との初めての戦い。それも命のやり取りを前提として、本気の死合い。流石のイツでもかなりの気力を消費し、身体には未だに痺れの披露が残っていた。
「こ、こいつ、先生まで倒しやがった……!」
「なんなんだ!? 本当にガキなのか……!?」
「う、うろたえるな! この数で掛かれば何とか倒せるはずだ!」
すると、まだ残っていた盗賊達が再びイツを囲い始める。流石にイツ達の戦いを見ても逃げ出さなかっただけあり、まだ戦うつもりらしい。
(引かぬか……少々数が多いな)
それならばイツも刃を振るうしかない。再び刀の柄に手を添える。だがその時、洞窟内に美しい歌声が流れて来た。
「--------。------」
「……! この歌は……」
母親が子に聞かせる子守歌のような、優しい音色。それが洞窟内を漂い、盗賊達の意識を惑わす。
「あ? 歌……これ……って……」
「う……ぁ……なんだか、意識……が……」
武器を構えていた盗賊達は段々と力が入らなくなり、遂には武器を落としてしまう。そして瞼を閉じると、その場に倒れこんで眠りに付いてしまった。やがて、洞窟内に一人の美しい女性が現れる。
「-----……お眠りなさい。罪深き者達よ」
それは歌姫のサファイアであった。
今のは彼女の歌の一つ、眠りの歌。他者を惑わし、眠りの世界へと誘う歌。その事を知っていたイツは久方振りに聞いた彼女の歌に心を和ませる。すると、サファイアはイツの存在に気が付き、慌てて駆け寄って来る。
「歌姫殿……」
「イツちゃん! 大丈夫だった? 子供達から騒ぎを聞いて……まさかこんな事になってるなんて……!」
イツの事を抱き上げ、サファイアは怪我をしていないか確認する。そしてイツが無事だと知ると、心底安心したように表情を和らげた。
「私は大丈夫だ。ありがとう、来てくれて」
「もう、いくらイツちゃんが強いからって、子供がこんな事しなくて良いのよ」
サファイアはイツを下し、注意する。それはつい先日イツが家族から言われた事と同じ内容であり、また皆に怒られてしまうな、と彼女は気まずそうに肩を竦めた。
「でもありがとう、あの子を助けてくれたのよね。イツちゃんは勇敢だわ」
それでもサファイアはイツに感謝する。彼女が迅速に動き、逃げた盗賊を追ってくれたからこそ、自分はすぐに駆け付ける事が出来たのだ。もしもあのまま子供が攫われていれば、自分は盗賊達の罠に掛かっていただろう。だからこそ、イツの行動は賞賛すべきものである。
「まるで本当に、あの人みたい……」
サファイアは少し寂しそうな瞳をしながらイツの事を見つめた。彼女の姿は自分の慕っている人とは程遠い程小さく、可憐な姿だ。だがそれでも、何故だろう? 彼女の事を見ていると、ついあの人の事を思い出してしまう。本当に、不思議な少女だ。
そうサファイアは思いながら、イツと共に洞窟を後にするのだった。