5:二本の黒刀
イツが沼蛇を倒し、コージスと途中で出会った騎士と共に森を出てからはそれはもう大騒ぎであった。
まずコージスは盛大に怒られた。両親から雷が落ちるような勢いで叱られ、更には拳骨も食らわされた。コージスは涙目になって顔を真っ赤にしていたが、素直に謝罪し、己の軽率な行動を反省した。
そして当然イツも叱られた。姉の言うことを守らず、勝手にコージスを助けに森へ入ったことを怒られた。ついでに沼蛇と戦ったことも、騎士の刀を勝手に使ったことも無茶をし過ぎだと注意された。
「本当にもう……! 心配したんだからね! いくらイツが強いからって、限度ってものがあるでしょ! よりにもよって沼蛇と戦っちゃうなんて……!」
「相すまぬ。軽率な行動を取ってしまった」
家では姉のイウェンが両腕を組み、これでもかというくらい顔を真っ赤にしてイツの行動を叱っていた。あまりにも考えなしの、人様に迷惑な行動だと指摘する。だがそれはイツの身を案じてのことだからであって、イツ自身もそれが分かっているからこそ、反論することなく謝罪した。
「まぁまぁ、良いじゃないのイウェン。イツは無事だったんだから」
「それは結果論でしょう……! 母さんは甘く考えすぎ!」
楽観的な母親はイウェンのことをなだめようとするが、その考え方は間違っているとイウェンはなお怒りを露にした。すると、その言葉に同意する者が現れる。
「うん、確かにイツの行動は軽率だ。イツが村の男より強いとは言え、無謀な行動だと俺も思う」
「父さん……」
今まで黙っていた父親が、腕を組んで大きく頷きながらイウェンの言葉を肯定する。イツはただ黙ってその様子を眺めていた。
「だがそれはイツ自身もよく分かっているはずだ。それでも友達を救う為に行動したのは、それはイツに勇気があったからだ。それは、褒めるべき点だと俺は思う」
父親は真剣な目つきでイツの目を真っ直ぐ見つめながらそう言う。その言葉にイツは少しだけ笑みを浮かべ、横ではイウェンが額を抑えて呆れたようにため息を吐いていた。
「だからイツ、次は絶対に皆に心配を掛けさせるな。分かったか?」
「相分かった。心に刻もう」
「うん、なら良し」
父の問いかけに対し、イツはいつも通りの口調で頷く。そしてトンと自身の胸元を拳で叩き、覚悟の固さを主張した。それを見て父親は満足そうに頷き、それで話を切り上げてしまう。
「もー、父さんも母さんも相変わらずなんだから……! イツのことを甘やかしすぎ!」
父親と母親が部屋を出て行った後、残されたイウェンはせっかくの美しい紅の髪をくしゃくしゃにしながらそう不満を叫んだ。
母はまったりとした性格のせいで物事を楽観的に考え、父はしっかりしているが前向きに全てを捕らえる為、イツの行動を尊重してしまう。妹の心配をしているイウェンからそんなのたまったものではなかった。
「とにかくイツ! 次からはこんなことしちゃ駄目だからね? 今回コージスのことを助けられたのは運が良かっただけなんだから! 調子に乗っちゃ駄目よ!」
「うむ、分かっている。心配掛けさせてすまなかった。姉上」
「はぁ、本当に……あんたは賢い癖に、時々無茶をするんだから、心配させないでよ」
イウェンは最後にそう言うと、イツの小さな身体をぎゅっと抱き締めた。その手は僅かに震えており、本当に心配していたことが伝わる。イツは姉の胸に埋もれながら、申し訳ないことをしてしまったな、と改めて反省した。
それからようやく解放された後、イウェンは部屋を去っていく。そして残されたイツは、ひとまず外へ出かけることにした。
「皆を心配させてしまった……私が未熟だからだ。もっと精進しなければ」
扉を閉めた後、イツはイウェンの不安そうな顔を思い出して胸が痛くなった。普段は可憐な姉に、あんな顔をさせてしまったのだ。もう二度と、そんなことはないようにしよう。その為にはもっと強くならなければならない、とイツは決心する。
それからイツはコージスの様子を確認する為に広場へと向かった。どうせ家で怒られ続けただろうから、外に出ていると予測したのだ。そして案の定、広場に着くとそこにはベンチに座っているコージスの姿があった。
「コージス」
「……! イツ」
近づいてみてみると、彼の頭には小さくコブが出来ており、更に目は真っ赤に腫れていた。この様子ではかなり注意を受けたらしい。普段の横暴な態度も全く見られず、どこか意気消沈としていた。
「ひどい顔だな。父君に大分絞られたようだ」
「ああ……馬鹿息子って殴られたよ。いてて」
コージスはまだ痛む頭を抑えながら弱々しく笑う。やはり両親からかなり叱られたようだ。だがそれも当然であろう。自分の子供が魔物の森に一人で入っていったのだから。それは言わば死にに行くようなものである。心配し、不安になり、心が張り裂けそうな思いであっただろう。だから叱るのである。こんなことが二度と起こらないように。
「私も叱られた。軽率な行動を取ったと」
「イツも怒られることってあるのか」
「無論。私もまだ子供だからな」
正確には中身は子供ではないのだが、そんなこと言ってもしょうがないのでイツは隠しておく。
今のイツはまだ子供だ。肉体も以前のように強靭ではないし、動きも全く研ぎ澄まされていない。今回沼蛇に勝てたのはあの騎士が持っていた二本の刀のおかげだろう。故にきちんと親の言いつけを守り、言われた通りのことをしなければならない。それが守ってもらう子供の義務なのだ。
「……その、悪かった。勝手に森に入って」
「む?」
ふとコージスは頬を掻きながら小さな声で言葉を述べる。イツはその言葉が聞こえていたが、何を意図してそう言ったのか分からず、首を傾げた。
「俺が一人で森に入ったから、イツが追いかけてきた……そのせいでイツも危ない目にあったし、親にも怒られた。だから、ごめん」
どうやらコージスは本当に反省しているらしい。自身がどれだけ危険な行動をし、周りに迷惑を掛けたか理解しているようだ。ならば、イツから言うことなどもう何もない。
「気にするな。私は強い。勝算があって森へ入った。コージスを助けられる自信があったから、追いかけたのだ」
コージスを励ますように彼の肩をポンと叩き、イツは言葉を掛ける。
あの時、イツはコージスを無事に助けられる自信があった。獣の森に生息している魔物達、沼蛇の活動範囲を考慮し、頭の中で作戦を立てていたのだ。その上で、コージスを助けられる可能性が高いと判断し、救出に向かった。無論、可能性が低かったとしても彼女は森に入っていただろうが。
「だが存外、苦戦した。やはり私もまだ未熟だ」
しかし現実はそう甘くなく、沼蛇はイツの予想以上に活動範囲を広げていた。何より武器を調達出来ていなかったのも痛い。今回はたまたま騎士が通りかかったから良かったが、もしもあのままだったならばかなりの痛手を負っただろう。
「だから共に強くなろう。コージス、其方も、〈剣聖〉のようになりたいのだろう?」
「お、おう……もちろんだ!」
イツはコージスにそう言ってを手を差し伸べる。コージスは瞳を揺らした後、今度はその手を掴み、立ち上がった。彼は照れくさそうに笑い、決意を固めた。
「あ、コージス居たー!」
「うわー、大丈夫かよコージス、頭にすげーコブ出来てるじゃん。魔物にやられたのか?」
「ばか。父親に殴られただけだろ」
すると村の子供達が集まってくる。彼らはコージスの状態を見て驚き、心配したり、森では大丈夫だったかと彼に声を掛けた。それを見てコージスは意外そうな表情を浮かべる。
「み、皆……」
「ほら、嫌われてなんかないだろう?」
「う……」
こんなものを見せられてしまってはコージスも否定する訳にはいかず、弱った表情を見せた。イツはそんな彼の背中を叩き、子供達の方へと近づける。すると子供達はあっという間にコージスのことを囲み、彼を質問攻めにした。
その後、コージスは子供達と打ち解け、ようやく家へ帰る決断をする。それを見届けてイツも満足し、その場を立ち去ることにした。すると、そんな彼女に声を掛ける人物が現れる。
「あ、居た居た。そこのお嬢さん」
「む?」
聞きなれない声に呼び止められ、イツは振り返る。するとそこには森で出会った騎士の男が居た。
「其方は、あの時の……」
「ああ、森では助けられたね。まだちゃんとお礼を言ってなかったから、探したよ」
彼はイツ達と共に村へ来た後、馬車を預け、その修復を行っていた。馬も落ち着かせる必要があった為、ひとまずカルの村で休息を取ることにしたのだ。
「本当にあの時は有難う。僕も積荷を運んでいる最中に魔物に襲われちゃってね。馬が動揺して操縦出来なくなっちゃったんだ」
「気にする必要はない。私も其方の刀を勝手に使ってしまった」
「あはは、アレはただの荷物だから、全然大丈夫だよ」
イツは勝手に荷物であろう刀を使ってしまったことを謝罪する。武器は持ち主にとって命と同等、もしくはそれ以上に大切なもの。それを許可なく他者が使うことはあまり喜ばれるものではない。だが騎士は気にした素振りは見せず、笑って手を振った。
「それにしても君、強いんだね。確かイツちゃんって言うんだっけ? 何歳なんだい?」
「十四である。まだ若輩の身だ」
「へー、凄いねぇ。その年であんな剣術を使えるなんて」
騎士はイツの年齢を知って驚く。何せ森の中で彼女の強さを間近で見た為、その実力が本物であることは分かっていた。ひょっとしたら騎士の自分よりも強いのではないかと思う程だったのだ。だがイツは首を左右に振り、口を開いた。
「剣術ではない。〈無国刀流〉だ」
ここで無国刀流のことを口にしても面倒なことになるだけだというのに、自身の流派に誇りを持っているイツはそれを勘違いされたままにしておくことは出来なかった。
すると案の定、イツの言葉を聞いた騎士は驚いたように目を見開いた。
「え、無国刀流……? それって〈八英雄〉の〈鬼刃〉様が使っていた?」
「うむ」
「いやいや、冗談言っちゃ駄目だよ。あれは伝説の流派で、君みたいな子供が……」
騎士は子供がただ冗談を張っているのだと高をくくる。何せ無国刀流と言えば騎士や冒険者の間では伝説の流派とされており、刀を扱う者なら知らない者は居ない、誰もが憧れる幻の流派であるからだ。
その流派を使う者として一番有名なのが、八英雄の〈鬼刃〉ゼン。まるで舞のようにその技は見る者を魅了し、そしてあらゆる敵を斬り裂くどこまでも残酷な刃。だがその使い手だったゼンは数十年前の〈邪竜事件〉によって亡くなってしまった。以降、無国刀流が表舞台で見られることはなくなってしまった。故にもうこの世に無国刀流を使う者は居ないとすら噂されている程だった。
(でも確かに、この子は鬼刃様と似た太刀筋で戦っていた……まさか本当に……?)
騎士は改めて森での出来事を思い出し、記憶の中にある無国刀流を思い出す。
まだ新米の剣士であった頃、騎士は一度だけ鬼刃ゼンの技を見たことがあるのだ。その時の技とイツの技は、威力は段違いだが確かに似ている。
騎士は迷うように瞳を揺らした後、どこか焦っているようにイツのことを見た。
「た、例えそれが本当だったとしても、君は誰にそれを教わったんだい? 親御さんからとか?」
「否、無国刀流は何にも染まらぬ無色の流派。その流派は一人歩きし、組織を持たず、ただ刃を極め続ける」
当然ながらイツは本当のことは明かさない。前世の記憶があり、自分が〈鬼刃〉の生まれ変わりと説明したところで信じてもらえるはずがないからだ。
それに、無国刀流にはある決まりがある。それは無国刀流は集団を作らず、師が認めた弟子だけに技を学ばせる、という掟であった。故にイツ自身も兄弟子や弟弟子などおらず、師一人だけから技を学んだのである。
「故に、秘密だ。無国刀流のことを存じているなら、そのくらい分かるだろう?」
「……ッ」
その噂は騎士も少しだけなら知っていた。一人歩きする流派。道場も、組織も、何も作らず、ただその流派だけが人から人へと伝わっていき、極め続ける不滅の刃。
だからこそ無国刀流が広まることはないし、幻の流派として人々の間で囁き続けられるのである。
騎士もイツの言葉を聞き、例え彼女が習得しているのが事実だろうと虚実だとしても、詳細を知ることは出来ないのだと悟り、素直に引き下がることにした。
「そうか、分かったよ……なら深く言及しないようにしよう。ただそれなら、今度君に会わせたい人が居るんだけど、良いかな? 僕が仕えてる人なんだ」
「その程度なら、何ら問題はない。」
代わりと言わんばかりに騎士はそうお願いをし、イツもその程度なら断る理由はない為、頷いて承諾する。
「良かった。ああ、後これ、忘れる前に渡しておかなくちゃ。助けてくれたお礼だよ」
騎士は思い出したようにポンと手を叩き、背負っていた荷物を下ろしてある物を取り出した。それは風呂敷に包まれた長い物体であった。そして騎士がその風呂敷を丁寧に広げると、イツはその中身を見て目を輝かせた。
「これは……!」
それは彼女が沼蛇と戦った時に使った二本の黒い刀であった。鞘から引き抜くと深い漆黒色の刀身に日差しが当たり、鋭く光り輝いている。
「黒刀〈夜匙〉と、その兄弟刀〈日門〉。夜匙は鋼鉄をも斬り裂く斬れ味を誇り、日門は竜の鱗と同等の硬さを持つと言われている」
夜匙に日門。同じ刀職人によって二刀流を前提に造られた刀。通常の刀よりも軽く、扱いやすく、二対の刀を駆使してあらゆる敵を斬り裂くことが出来る。まさに今のイツにはぴったりの刀であった。
「うちのご主人様が武器庫の整理で幾つか売り払うことになってね。今回はそれを市場に運びに行く予定だったんだ。だけどこれは、君に受け取って欲しい」
「良いのか? これは名刀だぞ……?」
「お、流石。よく分かるね。でもだからこそ、イツちゃんに使って欲しいんだ」
流石にイツも簡単に受け取れと言われても躊躇する。だが騎士は中々引き下がらなかった。
彼からすれば助けるべき子供達に助けられ、ただ見ていることしか出来なかったのを後悔しているのだ。何の恩にも報いることが出来ないのは、騎士の誇りとして許されない。故に、何としても刀を渡したい。ついでに、イツが本物の刀を持つことによってより成長して欲しいと思っていた。
そこまで言われてしまえばイツも無碍にする訳にはいかない為、渋々二本の黒刀を受け取った。
「では……ありがたく頂戴する」
鞘に収められている状態でも、それを手にしているだけで刀の気が漏れている。イツにはそれを感じ取ることが出来た。今までどのような死闘を行い、この刀達がどのような敵を斬ってきたかを。
「うん、大事に使ってあげてね。それじゃ、僕はもう行くから……また会おう。未来の〈鬼刃〉様」
「うむ。其方も達者でな」
最後に騎士はそう言うと満足そうに笑い、手を振りながら去っていった。その姿を見送り、イツは改めて手に持っている刀を握り締める。その感触は懐かしく、イツに不思議な高揚感を与えてくれた。