3:カルの村
少女イツは辺境の土地にある〈カルの村〉の中でも変わり者の女の子として知られている。
容姿は美しいが、表情を変えない妙な落ち着きがあり、男の子と混ざって外遊びをするのを好む少し変わった性格をしている。何よりもどこで覚えたのか、大人顔負けの剣術を習得しており、村の子供達とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。
だが心優しい村人達はそのことに疑問を抱かず、ただちょっと変わっている子供程度なのだと思っている。故に今日も少女イツは、普段と変わらず穏やかな時間を過ごしていた。
「さて今日は……少し鍛錬でもするか」
村のはずれにある木々に覆われた場所、そこには大きな岩と池がある空間があり、イツはそこに訪れていた。
ここは彼女の修練場。刀を極めることを目的とするイツは、時折村人達から隠れてこっそりと鍛錬を行っているのである。
「まずは、〈無国刀流〉を使えるかどうかだな……」
イツは近くに転がっていた丁度良い形の枝を二本手に取り、軽く振って手に馴染ませる。そして深呼吸して意識を集中させた後、彼女は池の方に身体を向けて構えを取った。
「無国刀流……〈刃の舞〉」
姿勢を低くし、二本の枝を下から上へと振り払う。すると凄まじい剣圧によって池の水面が揺れ動き、水しぶきが起こった。
「無国刀流……〈双綾の一閃〉」
更にイツは振り上げた枝を手元まで寄せ、次の瞬間二本の棒を合わせて勢いよく前方に突きを放った。それだけで再び水面が揺らぎ、かなり離れている場所の木々の枝が僅かに揺れた。
「む、基本は使えるようだな……だが当然、威力は前の時と比べれば格段に落ちるか」
放った技の感触を確かめ、イツは何度か頷く。そして手元を見てみると、先ほどまで振っていた枝が折れてしまっていた。イツはそれを見てやれやれと枝をその場に捨てる。
〈無国刀流〉、それはイツが〈鬼刃〉だった頃から使っている流派。
あらゆる敵を刀で倒し、剣で打ちのめし、刺し、斬り捨てることだけに特化した究極の戦闘流派。当然普通の流派ではなく、師範や道場がある訳でもない一人歩きしている流派であった。だがイツは前世でこの流派に出会い、この流派で刀を極めると誓っていたのだ。
「技は舞い……儀式となる。それが成り立った時、刀は刃へと変わり、火花は炎へと、刀身は水のごとく揺らめき、斬撃は遠方のものすら斬り裂く……」
この世界には魔物や魔法と言った神秘的なものが存在する。魔物は口から火を吹き、時にはその姿を自在に変える。それと同じように、人も魔法で物を浮かせたり、空を飛ぶことだって出来る。
そしてもう一つ、〈奇跡〉が存在する。それは人が武器を手にした時、そこには神々の恩恵によって力が宿るのである。剣は炎を纏い、斧はダイヤモンドのように硬くなり、弓からは光の矢が放たれる。やがてそのような加護によって得た力を〈技〉へと変え、人々は魔物に対抗する術にしたのである。
イツの流派である〈無国刀流〉もその一つ。刀に与えられた加護を生かし、それを技へと昇華させて流派が生まれたのだ。
故にもし今イツが前世の力を持っていれば、〈刃の舞〉は火花を撒き散らし、〈双綾の一閃〉は鋭い突きの衝撃が実体化して放たれていただろう。それがこの世界で戦う者に与えられた〈奇跡〉である。
「早くあの時のように強くならねば……私の刀の道は、まだ始まってすら居ないのだから」
イツは拳を握り締め、歯痒い感情を噛みしめる。
自分はまだ弱い。当然だ。十四の少女の身体なのだから。この細い腕では自身よりも重たいものなど満足に持つことすら出来ないだろう。このままでは前世の〈鬼刃〉になるなど夢のまた夢。もっと鍛えなくてはならない。
そんなことをイツが考えていると、ふと背後から足音が聞こえてきた。大人のものではない。だが子供程軽い足音でもない。イツはその気配を感じ取り、後ろを振り返った。
「イツー、またこんな所に居たの? 駄目じゃない。女の子が一人で出歩いちゃ」
「姉上」
現れたのは、イツよりも少し薄い紅の髪を肩まで伸ばし、長いまつ毛、ぱっちりと開けた目、女性らしい整ったスタイルをした年上の女性であった。
彼女の名はイウェン。イツより三つ上の実の姉である。
「お母さんが心配してたわよ。早く帰ろう」
「うむ、相分かった」
どうやら自分を探してここまでやって来たらしい。姉が来てしまった以上修行を続ける訳にはいかない為、イツは素直に従ってイウェンと共に木々を抜ける。
「イツは本当変わってるわねー。また修行ごっこしてたんでしょ? 村の男の子達みたいに」
「ごっこではない。本物の修行である」
「もぅ……せっかくイツは綺麗な容姿してるんだから、もっと女の子らしくして欲しいんだけどなぁ」
イウェンはイツが男の子のように戦いごっこをし、枝を使って剣術の真似をするのに困っていた。
もちろん子供にはそれぞれ個性がある為、それを尊重したいと思っているのだが、イツの場合は見た目とのギャップがあり過ぎるのだ。いつかは誰かの家に嫁ぐのだから、出来ればもう少しだけ女性らしくして欲しい。イウェンはそんな淡い願いを抱いていた。
「何か欲しいものとかないの? リボンとか、お花とか……」
「ふむ……」
試しにイウェンがそう尋ねてみると、イツは何か心当たりがあるのか、顎に手を置いて思考した。
何か女の子らしいものが手に入れば、イツももう少しお洒落や化粧を気にしてくれるかも知れない。そう考えたのだ。
やがてイツは閃いたように目をぱちりと開け、イウェンの方に顔を向けて口を開く。
「ならば、刀を所望したい。二本」
「ばか」
イツに聞いた自分が馬鹿だった、とイウェンは顔を覆いながら後悔する。その様子を見てイツは何故彼女がこんな暗い表情をしているのか理解出来ず、首を傾げていた。
それから二人は家の方まで戻ると、広場が騒がしいことに気がついた。なにやら村人達が集まり、焦った表情で何か話し合いをしているのだ。
「なんだろう? 何かあったのかな?」
「……む」
村人達の様子を見てイウェンは不安そうな表情を浮かべ、イツも不穏な気配を感じ取って目を細めた。何か、嫌な予感がする。
イウェンはイツの手を引きながら集まっている村人達の元に向かい、一人の男性に話しかける。
「おじさん、どうかしたの?」
「おぉ、イウェンとイツか。大変なんじゃよ。コージスの奴が村の外にある〈獣の森〉に入ってしまったらしいんじゃ!」
男性はワタワタと手を動かしながら説明する。その言葉を聞いた瞬間、イウェンは驚愕し、普段は無表情なイツも目を見開いて固まってしまった。
「ええっ? 一人で?」
「うむ。何でも自分が一人前であることを証明する為に、魔物を倒してくると子供達に言っていたらしい。皆は止めたんじゃが、あいつはあの性格じゃからな……」
あまりにも無謀過ぎる行動。普通の子供ならば外に居る魔物を怖がり、森など近づきもしないだろう。だがコージスのようなプライドが高く、なおかつ怖いもの知らずだと、自分の行動を客観的に見ることが出来ずに突き進んでしまうのだ。
イウェンは顔を青くし、戸惑うように冷や汗を流した。
「まずいよ。今の時期〈獣の森〉は〈沼蛇〉が出るんだよ? 早く連れ戻さないと……!」
「既に大人達が探しておる……じゃが、全然見つからんらしい。コージスの奴、ひょっとしたら大人すら近寄らない森の奥に行ってしまったのかもしれん」
「……ッ!」
獣の森は更に深い森へと続く場所があり、そこには凶悪な魔物が潜んでいる。森で迷ってしまった者や、誤って足を踏み入れた旅人がそこから戻ることが出来ず、二度と姿を現さなかったこともあるくらいだ。もしもそこにコージスが行ってしまったというのならば、生還は絶望的だろう。
「イツ、あんたは一人で家に戻ってて。良い? 大人しく家で待ってるんだよ?」
「……承知した」
イウェンは悩むように眉を潜めた後、イツの方を向いて腰を下ろし、目線を合わせながら指示を与えた。イツも頷いて素直にそれに従い、それ以上は何も言わない。それを見て満足そうに頷き、イウェンは大人達の中へと混ざっていった。
「……ふむ」
残されたイツは、しばらく何かを考えるように俯いていた。そして何かを決心したように顔を上げると、家の角を曲がり、広場から離れていく。だがその方向は自分の家がある方向ではなかった。
◇
〈獣の森〉。そこは名の通り獣が生息している森。だが潜んでいるのは獣だけではない。低級とはいえ多くの魔物がそこには生息しており、カルの村では近づいてはならないと厳しく言い渡されている。例え森に行くことがあったとしても、その時は必ず大人の男性が同伴することを義務付けられている。
そんな禁じられた森の中を、臆することなく進み続ける一人の少年が居た。
「くそくそくそ! どいつもこいつもイツ、イツって……! 何が〈鬼刃〉役にぴったりだ!」
ブツブツと不満を零しながら乱暴な足取りで進み続けるコージス。時折地面に転がっている石ころや枝の破片を蹴っては、胸の奥に溜まっている怒りを何とか発散させようとしていた。
「イツは女の子だろう! それに負けて悔しくないのかよ!? ……俺は認めないぞ。絶対に!」
コージスが何よりも怒っていること。それは村の子供達が女の子であるイツをもてはやしていることであった。
もちろんイツが凄いことは分かっている。同い年でありながら、女の子でありながら、彼女は大人顔負けの剣術を有している。だがだからといって、それで簡単に認めることは出来ない。同じ子供ならば、同じ強さのはずなのだ。コージス自身も鍛錬はしたことがある。いつかは〈剣聖〉のような立派な剣士になる為に、彼も彼なりに努力しているのである。なのに敵わない。他の子供達もイツを賞賛する。
(証明してやる。俺が一人でも魔物を倒せるってことを……!)
こうなったらコージスには例え乱暴な方法でも子供達に見せ付けるしかなかった。自分だって強いということを。イツには敵わないかもしれないが、それでも魔物を一人で倒せるだけの強さはあるのだと、証明するしかなかった。
コージスは父親の部屋からこっそり拝借してきた短剣を握り締める。魔物相手には少々心もとない武器ではあるが、それでも子供のコージスが振り回せそうな武器はこれしかなかった為、仕方なく短剣を選んだ。これで戦うしかない。
「----ひっ!?」
その時、コージスの背後で草むらが揺れ動く音が聞こえた。変な声を出しながら彼は慌てて振り向き、短剣を突きつける。だがその手はガタガタと振るえ、剣先が定まっていなかった。
草むらはなお揺れ、そこから緑色の液状の何かが現れた。定まった形状をしておらず、草葉の合間を通り抜けながら〈ソレ〉はコージスの前へと現れる。
「な、なんだ……スライムかよ」
姿を見せたのは緑色の小さなスライム。魔物の中では比較的可愛らしい見た目にをした種族である。子供達も絵本の中で何度か見たことがある為、正体さえ分かってしまえばそこまで恐怖を感じない魔物であった。
「ビビらせんな!」
コージスは笑みを浮かべ、先ほどまでの恐怖を忘れてスライムに短剣を振り下ろす。だが剣先がスライムの身体を斬ったのにも関わらず、その液状の身体は元通りになってしまった。そのことにコージスが驚いていると、スライムは彼を敵と認識したらしく、身体の一部を棘のように伸ばし、コージスの服の袖を貫いた。するとその部分がジワジワと音を立てながら溶け始める。
「うわーーーー!? な、な、なんだこれぇぇぇ!?」
予想もしていなかった事態にコージスは驚き、その場を転げまわってしまう。
触れたのは袖の部分だけだが、その部分は完全に溶けてしまっている。もしもこれが身体だったのなら、とコージスは嫌なことを想像してしまった。
「ひぃぃ、助けっ……!」
短剣を落とし、コージスは助けを求める。だが魔物のスライムにその言葉が通じることはなく、スライムはジリジリとコージスへと近づいていった。そして目の前まで来ると、まるで口を開けるように身体を広げ、容赦なくコージスへと襲い掛かった。だが、次の瞬間、突如コージスの前にイツが舞い降りた。
「----無国刀流、〈刃の舞〉」
イツは手にしていた二本の木剣を振り上げ、スライムを吹き飛ばす。その衝撃波は凄まじく、そのままスライムは身体がバラバラになりながら遠くへと飛んでいってしまった。
「無事か? コージス」
イツはスライムに触れてしまったことで溶け始めている木剣を捨て、倒れているコージスの元へと歩み寄る。そして手を差し伸べるが、コージスはそれを振り払って立ち上がった。
「イ、イツ……! なんで、お前ここに……!?」
「……コージス。スライムは物理攻撃が利かない厄介な魔物である。対抗手段がない場合は、今のように無理やり吹き飛ばすか、瞬時に撤退するのが賢いやり方だ」
「いや、今はそんなこと聞いてるんじゃなくて……!!」
「否、聞け」
コージスは何故ここに居るのかと問いただしたかったが、イツの言葉によって口を閉じてしまった。それくらいイツの瞳が真剣であり、いつになくピリピリとした雰囲気を感じ取ったのだ。
「今のスライムみたいな魔物が、この森にはごまんと居る。ここは森の中で一番深い場所。良いか? 心しておけ」
イツは周りに散らばっているスライムの身体の一部を指差しながらそう言葉を続ける。その喋り方は普段よりもどこか、焦っているようであった。
「生きてこの森を出たければ、黙って私の後に付いて来い」
それはふざけているとは到底思えない程真面目な声で、コージスは黙って頷くことしか出来なかった。そしてイツはコージスが落としていた短剣を拾い上げ、握り締める。
子供達の無謀な脱出劇が、幕を開けた。