20:散り花
邪竜に慈悲というものはない。ただ破壊と捕食を繰り返す為だけに生まれた絶対悪。それが邪竜という生き物だ。
だが邪竜にも一つだけ覚えているものがあった。それは自身を一度殺した男の姿。老いて枯れ果て、他の人間と比べれば筋肉も細く、何から何まで劣っているはずの取るに足らない人間。だがそいつは己の再生する首を何度も斬り裂き、遂には己が命まで刈り取った。
その時の痛みと屈辱は邪竜の中では絶対に忘れられない。そして何故か、今目の前に居る少女を見ると同じ痛みと怒りが蘇ってくる。
ーーーー絶対に、喰らう。
それが少女イツを見た時に最初に抱いた邪竜の感情だった。
「グギィィォァァオオオオオオッ!!!」
「一手、〈連刃一刀〉」
邪竜は咆哮を上げて再びイツへと八本の首を放つ。上下左右からの同時攻撃。これを防ぎ切れるはずがない。邪竜はそう思っていた。だがイツは冷静に対処し、二本の刀を振るっただけで四つの斬撃を放った。八本の首はその斬撃に弾かれる。
ならばと今度は近くの岩を咥え、イツに向かって投げ飛ばす。次々と投げ込んでくる無数の岩。小さな人間の姿をしているイツならば一つでも当たれば全身が潰される。
「二手、〈刃の舞〉」
「ガッ……!?」
だがこれもイツは全て一度の斬撃で撃ち落としてしまう。その動きを見て邪竜は確信した。
動きが明らかに違う。先程までは己を殺した男と同じ動きをしていた。刀の振り方も構え方も全てが重なって見えていた。だが今は違う。同じ雰囲気は残しつつも新しい動き方をしている。
「やはり、この方が合うな……考えれば当然のことだった。今は少女の姿をしている私が、体格も何もかも違う鬼刃の頃と同じ振り方をしても全力を出せるはずがない」
イツは感触を確かめるように刀を横に軽く払い、何かに納得するように頷く。
彼女がしたことは単純だった。鬼刃の頃の戦い方をやめたのだ。前世の記憶が残っていたからイツはそれに頼ってきたが、この少女の身体にその戦い方は適していないと気付いたのである。そして今の斬撃はこの身体に馴染むと思った動きで行った攻撃。結果は一目瞭然。イツは新たな道を歩み出した。
「三手、〈双綾の一閃〉」
「ゴァアアァァッ!!?」
今度はイツの方が先に動き出し、怯んでいる邪竜の首に向かって突き技を放った。その攻撃は衝撃波となってさながら大砲のように飛んでいき、並んでいた邪竜の首を数本吹き飛ばした。
「これが今の私の、最良の刃だ」
イツは刀を邪竜へと向け、堂々とそう言い放つ。その瞳には強い光が灯っており、自身の敗北など全く想定していないようだった。
邪竜は怒りを覚える。何故己はこんな小さく、弱い人間に押されている? 何故己の首を何度も斬られる? これではまるで、あの時と同じではないか。
「ゴォォァアアアアアアアアアアッ!!!」
許せない、許せない! 必ず喰らう。その四肢を裂き、頭を潰し、骨を砕く。邪竜は怒りの咆哮を上げ、周囲の木々を薙ぎ倒しながらイツへと向かっていった。大地を抉り、岩を粉砕し、その勢いのまま棒立ち状態のイツの身体を、その牙で噛み砕く。
「きゃあああぁ!! イツ!!?」
木の陰に隠れていたアリスの口から悲鳴が上がった。目の前でイツが邪竜に噛み砕かれたのだ。その身体はへし折れ、噛みつかれた部分の身体がなくなってしまっている。だが何かおかしい。イツの表情は変わっておらず、血すらも流れていない。邪竜も確かに噛み砕いたはずなのに手応えがないことに気が付き、違和感を覚えた。
「四手、〈転身抜刀〉」
邪竜の背後からイツの声が聞こえてきた。気が付いた時には邪竜の首が全て一度の斬撃で斬り飛ばされており、刀を振り終えたイツが邪竜の後ろに立っていた。代わりに噛み砕いたはずのイツの姿が散っていく。
「え、イツ? なんで? 今邪竜に噛まれちゃったはずじゃ……」
「ど、どういうことだよ? イツが二人に見えるぞ……ッ!?」
アリスとコージスは混乱する。目の前でイツが邪竜にやられてしまったと思ったら、もう一人のイツが邪竜の後ろに現れたのだ。そんな疑問の表情を浮かべている二人にイツはそっと笑みを浮かべ、口元に人差し指を当てた。
「其方の敗因は二つだ。邪竜よ」
「ゴァッ……!?」
必死に再生し、新たな首を生やした邪竜は反撃をしようと背後に居るイツへと首を向ける。そして今度は口から炎の息吹を吐き出し、イツを炎で包み込んだ。だが再び、イツの身体が花びらのように散っていった。
「五手、〈半歩居合い〉。一つは其方が成長を急いだこと。かつての力を取り戻す為に暴れ過ぎた」
再びイツの姿が別の所から現れる。そして気付かぬ間に邪竜の首を斬り飛ばした。すぐに邪竜は再生を試みるが、その動きは先程よりも遅い。生えてきた首は前よりも細い首だった。
「もう一つはコージスとアリスを私に引き合わせてしまったこと。おかげで完成した……」
「ゴアアアアアアァァァッ!!!」
このままでは不味いと本能的に察知した邪竜は辺り一帯に破滅の光を放ち始めた。眩い紫色の光が周囲を崩壊させていく。当然その光にイツも飲み込まれるが、やはりその姿は本物ではなく、散っていった。
「六手、詰み、無国刀流奥義ーーーー〈散り花〉」
そして次の瞬間、イツの姿が邪竜の前に現れたと思ったらまた散り、邪竜の後ろへと移動していた。そして振り払った刀を止め、トンと地面に着地する。
「クカッ……ガ……!?」
「懐かしいか? 邪竜よ。鬼刃だった頃、其方にとどめを刺す時に使った奥義だ。まぁ少しだけ、変えてはいるがな」
邪竜の首が全て斬り落とされる。だが今度はすぐに再生することはなく、邪竜の肉塊のような胴体はピクピクと脈打ち、やがてゴロンと地面を転がった。
「だがこれは技として昇華された。なればこそ、これは私の新たな奥義と成ったということだ……感謝する。其方との戦いは、我が刃の血肉となるだろう」
自身の新たな奥義が完成したことを確認すると、イツは片方の黒刀を静かに鞘に収めた。そしてもう一本の黒刀を横に向ける。するとその刀は亀裂が入っていた部分が更に広がり、ペキリと折れてしまった。
「そして、其方にも感謝を……済まぬ。私が未熟なばかりに其方を活かしきれなかった。必ず墓は建てよう」
折れた刀〈日門〉を拾い上げ、イツは目を瞑って感謝を伝える。
奥義は完成したが、やはり亀裂の入っていた刀ではその衝撃に耐えきれなかったのだ。邪竜を倒す為だったとはいえ、最初に奥義を使いこなせなかった自身の未熟さをイツは恥じた。
「イツー!」
「すげぇじゃねえかイツ! まさか邪竜を倒しちまうなんて!」
勝敗が決したのを見てアリスとコージスも隠れていた木から飛び出してイツの元へと駆け寄る。そしてイツの勝利を讃えた。
「一体どうやったの? あの消えちゃうのがイツの奥義?」
「うむ。無国刀流奥義、散り花だ」
アリスは奥義が完成したという事で興奮した様子で尋ね、イツは折れた刀を自身の破れていた服の一部で包みながらそれに答えた。
「端的に言ってしまえば瞬間的な超加速。それが散り花の正体だ」
無国刀流の奥義、散り花は攻撃でも防御でもなく、移動に主軸を置いた技。残像が残る程の加速によってあらゆる攻撃を回避し、その加速力をそのまま斬撃へと乗せる万能な技であった。だからこそ習得してしまえば全ての動きが飛躍的に上昇し、基本の五つの技も攻撃力が格段に上がるのである。
イツもそれを知っていたからこそ早めの習得を願っていたのだが、それが簡単にはいかない理由があった。
「でもイツは習得に苦労していたよね? どうして?」
「簡単な話だ。今の私の身体ではその加速について行けない。ただでさえ重たい刀を二本持って加速するのだからな。腕の方が持っていかれる」
本来無国刀流の奥義は十分な身体作りと刀への理解を深めた上で習得するもの。一度習得していたからと言って少女の姿になったイツが簡単にもう一度扱える代物ではなかった。
「じゃぁどうやってその問題を克服したの?」
「抵抗するのを辞めた。刀の遠心力を利用してそのまま〈散り花〉を発動し続けたんだ」
イツが散り花を自身の技として新しく昇華した方法は単純。刀に振り回されてしまうのならば、そのまま振り回せば良い。加速が止まらないならばそのまま加速し、奥義を発動し続ければ良いとイツは考えたのだ。
言うは簡単だが実際にこの方法は現実的ではない。加速に耐えられないから刀に振り回されてしまうというのに、その暴走状態を無理やり続けているのである。イツの天才的なセンスによって何とかコントロール出来ているが、一歩間違えればイツの身体の方が壊れてしまうようなやり方なのだ。
「……やっぱりイツって、規格外だよね」
「変わってると思ってたけど、やっぱりお前とんでもないぜ。イツ」
「む? 何がだ?」
イツの説明を聞いてどれだけ無茶なことをしているのか理解した二人は小さくため息を吐いた。とうのイツはまだ奥義を完全に自分の物に出来ている訳ではない為、なお精進しようと考えている所であった。
「さて二人とも、助けてくれたのは本当に感謝しかないが、子供がこんな危険なことをしていると知られれば事だ。後のことは私に任せて帰ってくれ」
「えー、イツだけで大丈夫なの?」
「騎士達の安否を確認するだけだ。私もすぐに帰るさ」
そう言うとイツは鬼の面を被り直し、洞窟に残していたレオノの様子を確認しに行く。アリスとコージスもいつまでも邪竜の死体がある場所には居座りたくない為、イツに言われた通りそのまま村へと戻ることにした。
そしてイツは気絶しているレオノを村まで運ぶと、自身も何事もなかったかのように家へ戻るのであった。
◇
邪竜の死体が転がる森の中で、月夜に照らしたその場所に人影があった。ローブを羽織っていて顔もフードで隠しており、何やら人間離れした雰囲気を放っている。
その人物は死体とは言え世界を滅ぼす力を持っている邪竜の近くに躊躇せず近づくと、何やら不機嫌そうにため息を吐いた。
「せっかく二度目の生を与えてやったというのに……同じ相手に倒されるとはな。所詮は竜のはぐれ者か」
何やら意味ありげなことを言い、ローブの人物は転がっていた邪竜の首を蹴飛ばす。
「まぁ構わん……駒は他にもたくさんある。ゲームはまだまだ始まったばかりだ」
そう言うとクルリと後ろを向き、ローブの人物は歩き出す。そして木の影に入り込むと、その姿を闇へと溶け込ませた。
「次はもっと面白くなるぞ」
最後にそう言い残し、ローブの人物は完全に闇の中へと姿を消してしまう。