2:新たな人生
ゼンが邪竜との戦いを引き受けてから数時間後、ダンジョンには冒険者達が戻って来ていた。それぞれ傷を癒し、装備を整え、再起不能になっていた者達も何とか戦える状態となっていた。更に共に戦ってくれるという勇士達も集まってくれた。ゼンが紡いでくれた時間を無駄にしない為に、彼らは戦力を整えてもう一度邪竜に挑みに来たのである。
「はぁ……はぁ……ゼンさん!」
「〈歌姫〉、落ち着け! 邪竜に気づかれるぞ……!」
「分かってるけど……でも、ゼンさんが……!!」
普段はしっかり者の〈歌姫〉すら、慌てている程の緊急事態。
自分達が逃げる為の時間を稼いでくれた〈鬼刃〉のゼンは今も邪竜と戦ってくれているかも知れない。もしかしたら傷を負っているかも知れない。そう思うと心が落ち着かなかった。
そして彼らは遂に邪竜と対峙した空間へと辿り着いた。するとそこには、冒険者達が予想していなかった光景が広がっていた。
「ッ……こ、これは……!?」
つい数時間前までは、そこには空間を埋め尽くす程巨大な邪竜が居たはずであった。だが今は肉塊のような、かろうじて形を保っている異物が転がっているだけ。更にその周りには邪竜の首と思わしきものが散乱している。とても正気とは思えない光景であった。
冒険者達は困惑し、動悸が激しくなる。まさか、邪竜が死んでいる? 一体何故?
すぐに答えは出た。〈鬼刃〉のゼンだ。こんなことが出来るのは邪竜と戦っていた彼しかあり得ない。ならば、彼はどこに?
「……ゼンさん!!」
冒険者達が視線を動かした先には、血だらけのゼンが倒れていた。かなり負傷しており、いつも肌身離さず持っていた刀も二本とも折れて地面に突き刺さっている。
冒険者達は慌てて彼の元へと走り寄る。まだ生きてるならば助けられるかも知れない。そんな希望を抱いて状態を確認するが、残念ながら、彼の瞳に光は灯っていなかった。
「そ、そんな……ゼンさん……!」
歌姫はゼンを抱え、悲しみの涙を漏らす。他の冒険者達も、あのゼンが死んでしまったという事実にショックを受けていた。
「……彼は、たった一人で邪竜を倒したのか……」
「な、なんて人だ……やっぱり、ゼンさんは凄い……」
冒険者達は、ただただゼンに感謝するしかなかった。
自分達を逃がしてくれたこと、邪竜を倒してくれたこと、世界を救ってくれたこと、その全てに感謝するしかなかった。
「すいませんゼンさん……俺が不甲斐ないばかりに……」
〈剣聖〉の二つ名を持つ若い男の冒険者は、ゼンの冷たい手を取り、寂しそうに言葉を零した。
もしもあの時、自分が邪竜を倒せるくらいの実力があれば、もしもあの時、自分が残ると言える勇気があれば。そう後悔してしまう。だが全ては流水の如く、全て過ぎ去ってしまった過去。嘆いたところで、悲しんだところで、起こってしまった事実を変えることは出来ない。
気付けば、剣聖の目からは一筋の涙が流れ落ちていた。
「ちくしょぅ……ちくしょぉお!!」
この日、〈鬼刃〉ゼンは死んだ。仲間を逃がす為にたった一人で邪竜に挑み、見事その刃で相打ちへと持ち込んだ。
そして〈鬼刃〉の功績は瞬く間に街中、国中に広がり、彼を英雄と称えた。冒険者は惜しい人を亡くしたと悲しみ、彼を慕っていた多くの者が涙を流した。
こうして刀を極める為に、刀と生き、刀を振り続けた男の物語は幕を閉じるーーーーはずであった。
◇
それから十四年の月日が流れた。〈鬼刃〉ゼンは英雄として語り継がれ、他の二つ名持ち冒険者達も伝説の戦士と呼ばれようになった。今では〈八英雄〉と数えられ、多くの戦士達が、街の人達が彼らを尊敬している。
本来なら国の予備戦力に過ぎなかった彼らが、今では城でもある程度の自由行動が許される権利を与えられている程、その実力は評価され、信頼されている。遂に彼らは本物の英雄となったのだ。
ただし、八英雄が〈八人〉集まることは、二度とないが。
「おらー行くぞー! 〈剣聖〉サマのお通りだー!」
「うわー、乱暴者が現れたぞー! 皆逃げろー!」
辺境の土地にある小さな村、そこでは原っぱで子供達が元気よく走り回っていた。彼らはその辺から拾ってきた木の枝を剣に見立て、斬り合ったりして賑やかに遊んでいる。どうやら八英雄のごっこ遊びをしているようだ。
「そらそらー、剣聖は八英雄の中で一番強いんだぞ! 参ったかぁ!」
「くそー、三人がかりで、卑怯だぞ!」
「ハハハ! 強者は何をしても良いのだー!」
よく見ると剣聖役の子は子分らしき男の子を二人従えており、数の有利を利用しているらしい。流石に相手が三人ともなると他の子供達も立ち打ち出来ず、悔しそうに歯を食いしばる。すると、原っぱの中央に立っていたある女の子が、ユラリと動いた。
その女の子は一瞬で剣聖役の子供の所まで距離を詰めると、手に持っていた二本の枝を振るう。
「うぇっ!?」
「あぐぁ!?」
バキンと音が鳴ると共に子供達が持っていた枝が宙を舞う。子供達は何が起こったのか分からず、声を上げてその場に尻餅をついてしまった。
「やばっ……イツだ!」
「----未熟」
その女の子が現れたことに剣聖役の子供は不味いと判断し、すぐに逃げようとする。だがそれよりも早く女の子は動き、あっという間に男の子へと距離を詰める。
「くそ、負けるかぁぁあ!」
逃げられないならばやるしかないと腹を括り、男の子は太い枝を構える。しかし気づけば、目の前から女の子の姿は消えていた。同時に鋭い衝撃が身体に走り、男の子の視界はいつの間にか天を向いていた。
「おわぁぁぁあ!?」
自分が吹っ飛ばされたことに気づいたのは男の子が地面に倒れ込んでからだった。痛みが走る身体を動かして顔だけ起こすと、目の前には二本の枝を振り払っている女の子の姿がある。それを見て男の子は信じられなさそうに口をパクパクと動かした。
女の子は紅色の長い髪を後ろで一本に結い、色白の肌に、蒼い瞳をしている。可愛らしい印象を受けるが、その表情は何を考えているのか読み取れない程無感情で、整った容姿と相まってまるで人形のようにも見える。腕は細く、吹けば飛んで行ってしまいそうな華奢な身体。一体その身体のどこに子供を吹き飛ばす程の力が秘められているのかと疑いたくなる程、力仕事とは無縁そうな見た目をしている。
そんな彼女の名はイツ。この辺境の小さな村に住む、普通の少女である。
「コージス、剣聖は人数差を利用して一人を追い詰めるような卑怯な戦い方はしない……彼は、真面目で誠実な性格である」
「うぅ……う、うるせー。俺の場合はこういう剣聖なんだよ!」
鈴のような美しい声色をしながら、少女イツはどこか硬い喋り方をする。あまり子供らしくなく、どこか会話は得意ではなさそうな雰囲気であった。だが周りの子供達は気にしている様子はなかった。
「わー、また〈鬼刃〉役のイツが勝ったぞ! 凄いよイツ、コージスは村の男の子の中で一番強いのに!」
「流石イツだなー、剣聖役は力が強いコージスかも知れないけど、やっぱ英雄の〈鬼刃〉役はイツだな!」
遊びは終わり、子供達がイツの元へと駆け寄って来る。皆イツがやんちゃ坊主のコージスに勝った事を喜び、なおかつ女の子でありながら男の子に勝ったことを賛辞していた。
「うるさいぞお前ら! 俺は認めないからなっ。大体鬼刃様は老齢の男だろ! だったら女のイツはふさわしくないじゃねーか!」
そんな中、たった今負かされたコージスだけはイツのことを喜んでいなかった。彼は起き上がり、服に付いた土を払いながらジロリとイツの事を睨み付けて不満をぶつける。
「うわー、負けたからってその屁理屈はみっともないぞ。コージス」
「そうだそうだー、そんなこと言ったらごっこ遊びが成立しないじゃんか!」
当然子供達はそれに賛同することもなく、コージスに反論を述べた。そもそも自分達が行っているのは遊び。今更それを最初から否定されてはたまったものではない。
「まぁまぁ」
そんな彼らの様子を見てイツが間に入り、両者を落ち着かせる。その行動は子供とは思えない程しっかりしており、まるで大人のようであった。
「コージスは、私に負けて悔しがってるんだ。彼はプライドが高いから、少女に負けるのは何より許せないのだろう。だから、そっとしておいてやれ」
コージスの傍に寄ってポンと肩に手を置きながら、イツは居たって真面目な様子でそう言い放つ。だがそれは要するにコージスが気にしている全てであり、言い方を一歩間違えれば悪口に近いものであった。
ふと気がつけば、コージスの顔は林檎のように真っ赤に染まっていた。
「うるせーーー!! ばーかばーか!!」
コージスはイツの手を振り払い、力では敵わないからとそんな台詞を吐き、子分達を連れて走り去ってしまった。その姿を見てイツは困ったように首を傾げた。
「……私は、何かコージスの気に触るようなことを言ってしまっただろうか?」
「えっと……その、イツは相変わらずだね」
「うん……正直者って言うか、裏表がないと言うか……」
イツからすれば、至って事実を述べただけのつもりであった。男の子であるコージスが女の子に負けるのを恥ずかしがるのは明白。そんなのは見ていれば分かるし、彼のプライドが高いことは村の皆も分かっている。ならば導き出される結論は、負けて悔しがっている、のはずなのだ。イツはそう思考していた。だからこそ気づけない。〈普通の子供〉ではないからこそ、彼女は子供の羞恥心を察することが出来なかった。
(ふむ……やはり今時の子供と言うのは、いまいち分からんな)
イツは表情を変えないまま、心の中でそんなことを呟く。
そう、彼女は普通の子供ではない。彼女の前世の名はゼン。あの伝説の〈鬼刃〉の生まれ変わりである。
何故、どうしてこのようになったのかは分からない。だが恐らく、死に際に現れたあの謎の女性によってこうなったのだろう。記憶はそのままに、かつてゼンであった老齢の冒険者は少女となって第二の人生を手に入れたのである。
(まさか、女に生まれ変わるとは思わなかったがな……まぁ、これも人生か。あの者も〈賭け〉と言っていたし)
子供達と別れた後、イツは帰り道を歩きながら自分の細い手を見つめ、何度か握ったり開いたりを繰り返す。
まだ成人もしていない十四歳の手。かつての自分の手とは似ても似つかない形状。きっとこの手では前世で使っていた頃の刀など、持ち上げることすら出来ないだろう。そのことに少し寂しさを覚えながらも、イツはもう一度だけチャンスを与えられたのだと前向きに考える。
「もう一度生きて良いと言うのならば、甘えさせてもらおう。そして今度こそ、私は刀を極める」
イツは立ち止まり、胸元に手を当てて自身の鼓動を感じながらそう呟く。
あの時、自分は本当に死んでしまうと思った。そして身体から力が抜けていき、絶望と悲しみだけが広がった。このまま終わってしまう。刀を極めることなく、自分は死んでしまう。それがどうしようもなく悔しかった。するとその願いが神に伝わったのか、自分に奇跡が起こった。もう一度、やり直して良いとチャンスを与えてくれたのだ。
イツは地面に落ちていた木の枝を手に取る。前世の時にしていたように強く握り締め、何もない目の前の空間に突きつけた。
「我が名はイツ。我が刃は悪を討ち、邪を滅する。我が刃に一点の曇りもなし……今一度、参る」
渾身の力を込め、勢いよく木の枝を振るう。辺りに空気を斬り裂く音が鳴り、イツの紅の髪が揺れた。
ふと見てみると、木の枝はあまりの速さに耐え切れず、半分折れかかっていた。イツはそれを見て小さく笑う。
今はこれが限界だろう。今はまだ、子供を吹き飛ばす程度の力しかない。だがいずれ、〈鬼刃〉と呼ばれたあの頃の自分に追いついてやろう。そうイツは心の中で誓い、再び帰り道を歩き始めた。