18:邪竜との再会
「白翼の騎士団」は森へ訪れていた。彼らは今回の邪竜と思わしき魔物の目撃情報が出たことにより、その調査を任された一団であった。
団長はレオノ・ホーク。かつては冒険者だった〈八英雄〉とも共に戦った経験があり、思慮深く、仲間思いな人物。部下からの信頼も厚く、確かな実力と経験を持つ騎士だ。
レオノはこの調査を任されるなり、部下を連れてすぐに一番目撃情報の多かった場所へと向かった。
邪竜はかつて世界を滅ぼしかけた程凶悪な存在。その片鱗と思わしき存在は断固として無視する訳にはいかず、力が強大になる前に必ず討伐しなければならないと彼は判断したのだ。頼りの八英雄も簡単に動ける訳ではない為少しでも迅速に解決出来るよう、自分達がいち早く邪竜を見つけ、その成長を食い止める必要があった。故に彼は邪竜本体、もしくはその住処と思わしき場所の発見を最優先し、自ら先陣を切って団を動かしたのである。
その考えは確かに正しかった。被害を最小限に抑える為に、一刻も早く事態を解決する為に最善の行動だったと言える。だがレオノは一つだけ読み間違えていた。
ーーーーーー邪竜のその、異常な成長速度を。
「グギギギギイィアァァァアアァアア!!!」
「伝説の竜、邪竜……ここまでの、化け物だったとは」
洞窟内部。そこはダンジョンと呼ぶには少し狭く、かと言って洞穴にしては随分と大きな場所であった。元は巨大な魔物の住処だったのか、鳥の羽らしきものが周囲には散らばっている。だがその主の存在は伺えない。既にもう食われてしまったのか、今この洞窟の主となっているのは、巨大な肉塊となり、既に四本もの首を生やしている怪物、邪竜であった。
(迅速に発見出来たのは良かったが、こんなに成長しているとは想定外だった……!)
レオノの迅速な判断により、僅かな目撃情報から彼は部下を総動員し、邪竜の足跡を見つけることが出来た。そして遂にこの洞窟まで辿り着いたのだが、問題はそこからだった。
運悪く邪竜本体と遭遇。そのまま戦闘となってしまい、かなりの部下が負傷してしまった。報告係は逃すことは出来たが、自分達の命を守れる保証はない。
「団長、指示を……! このままでは全滅です……!」
「て、撤退を! こんな化け物に勝てる訳……ッ」
「撤退なんて無理だろ。出口まで陣形が保つ訳ない……!」
幾つもの危機を乗り越えてきた部下達も今回ばかりは情けない声で団長へと助けを求める。
撤退は限りなく困難だ。対峙しているだけで押し潰れそうな邪竜のプレッシャー。一度の攻撃が嵐のように周囲の壁を抉り、周りに爪痕を残す。こんなものに背を向けるなど、自殺行為だ。
まだ僅かに冷静さが残っているレオノは短く息を吐き出し、思わず口元を引き攣らせた。
「ゼンさん……この状況、よく貴方は仲間の為に立ち向かえましたね」
レオノは旧友であるゼンのことを思い出す。心の師匠でもあり、友人であり、憧れの存在であった鬼刃ゼン。
レオノもゼンからは様々なことを学び、戦いの時には何度も命を助けられた。彼のおかげで騎士になることが出来たとも言える。
彼が死んで数年、レオノは改めてゼンの偉大さを思い知った。
彼はこんな化け物を前にして、仲間を逃す為に一人立ち向かった。年長者として、若者に次を託す為に、世界を守る為に。己の命を差し出したのだ。
「今度は、俺の番か」
怖い。半世紀近く生きているレオノは久方振りに純粋な恐怖を思い出す。
孤独が頭を支配する。今から自分は部下を逃がす為に一人邪竜に立ち向かわなくてはならない。それはあまりにも無慈悲で、どうしても怖くて、今にも泣いてしまいそうな程、残酷な決断であった。
だが自分の憧れであったゼンはそれを実行した。ならば自分も同じように仲間を守らなくては。その責任が騎士団の長として、自分にはある。
レオノは小さく深呼吸をした後、覚悟を決めて口を開いた。
「全員撤退だ! 私が時間を稼ぐ。一人でも多く逃げ、この事を〈八英雄〉に知らせるのだ!」
自らを鼓舞する為に凄まじい大声でそう指示を出し、剣を手にして邪竜へと一歩近づく。邪竜も明確な敵意を持っている存在に気が付き、不気味な四つの目玉をレオノへと向ける。
「なっ……そんな、団長! 無茶です!!」
「わ、我々を逃がす為に……団長!!」
躊躇する騎士団のメンバー。だが団長の命令に逆らう訳にもいかず、動けない仲間を引きずりながら撤退を始める。それを見て邪竜は不愉快そうに咆哮を上げ、首を伸ばして喰らおうとした。
「グィィァイアァァアアアアア!!!」
「部下には手を出させんぞ……邪竜!!」
その動きをレオノが制止する。剣を突き立て、鋭い一撃を邪竜へと撃ち込む。
「白翼流剣術ーーーー〈鷹の一矢〉!!」
閃光と共に邪竜の首は吹き飛ばされた。だがすぐに新しい首が生え、ギョロギョロと目玉がレオノのことを睨み付けると、別の首がレオノを弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
地面へと叩き落とされ、更に別の首が迫ってくる。レオノはすぐに起き上がり、もう一度技を放とうとするが、身体に力が入らない。邪竜に噛みつかれ、片腕を負傷してしまう。攻撃が止まず、彼は血だらけになる。
それでもレオノは諦めず、剣を振り続けた。すると邪竜は攻撃方法を変え、首を死角から伸ばしてまずは彼の剣を弾き飛ばした。
(強すぎる。俺なんかでは、時間稼ぎにもならないか……ッ)
視界が赤く染まり、フラつきながらもレオノは倒れない。せめて一人でも多くの仲間が逃げられるよう、邪竜の注意を自分へと向けされる。
そして邪竜もまずはレオノを食らってしまおうと考えたらしく、肉塊を動かして彼の前まで移動すると、四つの口を開いて涎を垂らした。気味の悪い息が聞こえて来る。レオノは死を覚悟した。だがその時、トンと地面を軽く蹴る音が洞窟内に響いた。
「無国刀流ーーーー〈刃の舞〉」
次に彼が目にしたのは、目の前で邪竜の四つの首が同時に宙を舞う光景だった。
何が起こったのかが全く理解出来ず、力が抜けて彼はその場に膝を付く。そして周りを見てみれば、邪竜の横に少女が立っていることに気が付いた。
「えっ……」
「相変わらず仲間思いだな。其方は……」
まだ幼い、自分の娘よりも小さな女の子。紅色の髪を一本に結き、白い花の髪留めをしている。見れば彼女はその顔に面を被っていた。鬼の面だ。二本の角を生やし、赤黒い色をした鬼の面。何故少女がそのような姿をしているのかは分からない。だがレオノは今にも気絶しそうになりながらも、必死に少女に手を伸ばした。
「き、君は一体……? よせ……邪竜は君のような子供が敵う相手では……ッ」
子供がこんな所に居てはならない。相手はあの伝説の竜だと、伝えようとする。だが鬼の面をした少女は気にすることなく、手にしていた二本の黒刀を握りしめ、首を再生した邪竜と対峙した。
「下がっていろ。奴を斬るのは……私の役目だ」
◇
鬼の面をした少女イツは面に空いている小さな覗き穴越しに邪竜を見る。数年振りに再会した自身を殺した相手は、以前とは随分と姿形が変わっていた。
「ギギイィィイイァアアアアアッ!!!」
「久しいな邪竜……お互い、随分と小さくなったものだ」
語りかけてみると、意外にも邪竜はすぐに襲って来ようとはせず、イツのことを何やら警戒するように首を荒々しく動かしている。
「ギギ、ギギギギィィィ……!!」
「あの時の続きをしたいか? 私もだ。死してなお生へ縋り付く者同士、決着を付けよう」
伝わっているのかは分からない。だがそんなことどうでも良い。ここへは全ての決着を付ける為に来た。鬼刃ゼンが残したものを終わらせる為に、過ちを償う為に。もう一度刃を振ろう。
「我が名はイツ……我が刃は悪を討ち、邪を滅する。我が刃に一点の曇りもなし……いざ尋常に、勝負!!」
邪竜が叫ぶ。イツも駆け出す。洞窟内が揺れ、邪竜の四本の首が勢いよく伸びた。その砲弾のように迫って来る首を避けながらイツは刀を合わせ、跳躍すると同時に技を放つ。
「無国刀流ーーーー〈連刃一刀〉!!」
「ガァアアアッ!!」
凄まじい斬撃で二本の首を斬り飛ばす。更にイツは止まらず、壁を蹴って方向転換すると、残りの首に向かって技を放つ。
「無国刀流ーーーー〈双綾の一閃〉!!」
「ギィィィイ……ッ!!!」
二つの突きによって邪竜の残っていた首が吹き飛ばされる。赤黒い血が飛び散り鬼の面に掛かった。だがイツは気にすることなく、更に刃を胴体部分に振るい、追撃を行う。そしてゴロンと地面に転がった肉塊から距離を取り、目を細める。
「さぁ……どうだ?」
ピクリと肉塊が動き出す。通常の魔物ならば致命傷のはずなのに、邪竜の身体は首を失ってなお脈打ち、新たな首が生え出した。更に数を増やして。
「グピ……グィ、ギギギアアアアアアアアアアアアァァァ!!!」
「八本か……羨ましい成長速度だな」
切断面から更に新たな首が生え、よりかつての姿へ近くなった邪竜。驚異的な生命力により、その身体は更に強力なものへと進化していく。
「ギャァァイアァァアアアアアッ!!!」
「ーーーーむっ」
邪竜は先程よりも速度を上げて首を伸ばす。八本の首がイツを囲んだ。素早く彼女は跳躍し、技を放ちながら脱出を試みる。だが邪竜の攻撃は激しく、刃を弾かれて片腕を切り裂かれた。
「がっ……は……!」
深い傷ではない。だが無視出来る程の怪我とは言えない。久方振りに鋭い痛みを感じ、イツは思わず声を漏らした。すぐさま邪竜の首を蹴ってその場から離脱し、距離を取る。
ふと傷ついた腕を見てみる。服が破れてしまった。姉上に叱れるな、とイツはため息を吐いた。
(やはり……今の私では削り切れんか)
改めて邪竜の姿を確認する。
全ての首を斬り落とし、致命傷となる一撃を与えた。それなのにも関わらず奴はまだ生きている。それは即ちイツ自身の力不足を意味していた。
(奴の命を刈り取るには力が足りない。この身体では、鬼刃だった頃のようには……)
前回邪竜を倒した時は、再生力がなくなるまで首を斬り続けた。いくら竜とは言え無限に再生出来る訳ではないのだ。再生する際には大量のエネルギーを消費している。つまりそのエネルギー消費を何度も行わせれば邪竜もいずれは力尽きる。問題は、今のイツにその戦法が出来るかどうかだが。
「グギギギイイイァァアアアア!!!」
「ーーーーちっ」
邪竜は咆哮を上げ、八本の首纏めてイツへと襲い掛かった。避けられないと判断した彼女はその攻撃を刀で受け止める。
「くっ……!」
強い衝撃が腕に伝わり、今にも吹き飛ばされそうになる。だがイツはそのまま横へといなした。邪竜の首は壁へと激突し、洞窟内を激しく揺らす。
なんとかやり過ごせたイツは息を大きく吐き出すが、完全に無事という訳ではなかった。ピキリ、と刀から嫌な音が鳴る。
(〈日門〉にヒビが……力が上がっている……)
見れば、竜の鱗のように硬いはずの日門の刀身が僅かに欠けていた。
それ程強力な攻撃だったということだ。竜の攻撃を受けているのだから、耐えられなくても不思議ではないか。イツはそんなことを考えながら無理やり笑み作った。表情筋が動かない彼女なので随分と下手な笑顔だ。
「こうなれば、〈奥義〉を使うしかないな」
イツは覚悟を決め、今一度奥義の発動を試みる。
まだこの身体になってからは一度も成功していない無国刀流の奥義。あの技さえ使えれば、この状況を一変することが出来る。
もちろん、簡単にはいかないだろう。ましてや片腕を負傷し、刀の一本に亀裂が入っているような状態では。
「保ってくれよ。日門と、我が身体」
イツは二本の刀を広げ邪竜を見据える。
邪竜は少しずつかつての力を取り戻しつつある。予想よりも成長速度が凄まじいのだ。一刻も早く討伐しなければ。
イツの腕から垂れている血が、ポタリと地面に零れ落ちた。