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17:未熟なり


 場所は広場へと移り変わる。そこではちょっとした騒ぎが起こっており、集まっている村人達はそれぞれ不安の色を顔に浮かべた。ある者には目から光が失われ、ある者は恐怖からその場に崩れ落ちてしまう。


「ほ、本当なのか? あの〈邪竜〉が再び現れたというのは?」

「まだそうと決まった訳じゃないだろう。そ、そういう噂があるだけで……」

「でも確かに最近魔物達の様子がおかしいような……」


 かつて世界を崩壊させ掛けた悪魔が復活したという情報に村人達は混乱していた。

 中には噂話に過ぎないと信じないようにするが、どうしても頭の中にかつての邪竜の恐怖が蘇ってしまい、恐怖から逃れられずにまた混乱してしまう。


「こ、こうしちゃいられない! 早く避難しないと!」

「でも避難するなんてどこに!?」

「どこでも良い! とにかく遠くへ……!!」


 まだ確定した情報ではないのに、村人達は既に邪竜が復活したと考えて行動しようとしている。それ程邪竜が残した爪痕は根深いということだ。

 このままでは村人達は自分達の幻想に飲み込まれてしまう。そう思われた時、一人の女性が前に出ると声を上げた。


「皆、まずは落ち着こうよ!」

「ッ……イ、イウェン」

「今私達が混乱してもしょうがないでしょう。まずは情報を整理して、もしもの時は逃げられるように準備をしておかないと」


 イツの姉であるイウェンの言葉によって村人達は正気を取り戻す。

 まだ若くはあるがイウェンはしっかり者であり、ある程度魔法の心得もある。故に彼女はこの状況でも冷静に物事を考えることが出来ていた。


「そ、そうだな。イウェンの言う通りだ」

「よし、それじゃ早速取り掛かろう」


 何とか冷静になった村人達はそれぞれ行動へと移る。そして騒ぎになっていた広場から人が居なくなり、残ったのはイウェンとイツだけになった。


「姉上……」

「イツ」


 イツが歩み寄って声を掛けると、イウェンも振り返る。その表情は先程の毅然な態度を取っていた時とは違い、不安な瞳をしていた。彼女も本当は怖かったのだ。だが皆が恐怖に飲み込まれてしまう訳にはいかず、勇敢に声を上げた。立派な行いである。

 そしてイウェンは震える腕でイツのことを強く抱きしめた。


「私も父さんと一緒に行かなくちゃいけないから、家で母さんをお願い。すぐ戻るから」

「うむ、承知した」


 僅かに声が震えているが、イウェンはしっかりとそう言い腕をはなした。イツも彼女を不安にさせないよう、素直に頷く。

 そしてイウェンは自分の役目を全うする為に立ち去っていった。そんな姉の後ろ姿を見送りながら、イツはその瞳に迷いを残し、静かに瞼を閉じた。







 その日の夜、イツは自室のベッドの上で静かに瞑想をしていた。心を落ち着かせ、状況を冷静に分析する。


 アリスが持ってきた情報は隣町の兵士の話を偶然聞いたらしいものらしい。剣聖の娘だからということで、兵士達もつい口が滑ってしまったようだ。


 始まりは〈牙の山〉で魔物が減っているという異変。更にはその山の調査に向かった何人かの冒険者が行方不明になっており、唯一生き残った者が謎の魔物を目撃したらしい。

 これを聞いたギルドや兵士団は本格的な調査を始めた。だが牙の山には既にその魔物の姿はなく、生き物も一匹も居なかった。つまり、移動したという訳である。


 そこで調査範囲は広がり、イツ達が住んでいるカルの村周辺の森も兵士達が調査することになったのだ。そして段々とその魔物の正体が分かっていく。

 忘れたくても忘れられない異形の姿。人の心に一生植えつく一つ目。耳に残る悲鳴のような鳴き声。人々は皆こう口にした。

 ーーーーーーーーーー〈邪竜〉と。


「あの時、斬り落とし損ねた〈首〉があったか……」


 ゆっくりと目を開き、イツはそう口にする。

 新たな邪竜が以前の邪竜と同個体とは限らない。だが一番可能性の高い出現理由はこれだ。鬼刃ゼンが邪竜を倒し損ね、残っていた首が再生して復活した。


「不覚……未熟なり」


 血が滲みそうな程拳を強く握りしめる。

 恥だ。一生の恥だ。既に一度死んでいるが。

 倒したと思っていた怪物が生きていた。皆を守れたと思っていたのに、守れていなかった。仮初の平和を作り出しただけで、自分は何も成し遂げていなかったのだ。


「これは偶然か……? それとも、未だ生へ縋り付く私への咎か?」


 これは罰なのかもしれないと思える程、この状況は最悪だ。

 恐らく生き残った邪竜はまだ幼体の状態。でなければ被害がこんな小さな状態で済んでいるはずがない。つまり奴もまた以前の身体を失い、力を蓄えている状態。もう一度世界に絶望を振りまく為に、魔物を食い散らかしている。


「どちらでも、良い。私のすべきことは……一つ」


 イツは立ち上がり、窓の外を見た。青白い月が不気味な程輝いている。

 邪竜を絶対に止めなくてはならない。成体になる前にその首を今一度、斬り落とさなければならない。

 だから兵士達も血眼になって邪竜を探しているのだ。だが向こうも愚かではない。一度敗北し、力を失った邪竜は慎重だ。十分な力を得る前に討伐されないよう、隠れながら捕食している。どこを探せば良いか分からない兵士達は苦戦するだろう。しかし、イツにはあることが分かっていた。

 

 昼間感じたあの気配、あれは邪竜のものだ。

 つまり奴は既に、この村に狙いを付けている。生き物がどれくらい居るかを確認し、自身が捕食出来るかを計算している。奴はもうこの山のどこかに居るのだ。ならば、行かねば。


 イツは音を立てないように部屋の中を歩き、支度をする。紐を繋げた刀を肩からぶら下げ、匂い消しの葉も懐に入れておく。そして家族が全員眠っていることを確認すると、玄関まで移動してそっと家を後にした。だがそこで、彼女は思わぬ人物と遭遇する。


「イツ」

「……! アリス」


 夜道に立っていたのは、アリスだった。月夜の光に当てられ、彼女の金色の髪が美しく輝いている。綺麗な茶色の瞳は全てを飲み込みそうだ。何とも幻想的な光景である。

 イツはアリスの前で立ち止まり、一度息を吐き出してから口を開いた。


「驚いた……私がこうすると予測していたのか?」

「ううん。何となく、心配になっただけ……イツならもしかしたら、と思って」


 アリスは自身の腕をもう片方の手で握りながらどこか不安そうに視線を左右に動かしている。何かを迷っているような、落ち着かない動作だ。

 すると彼女は何かを決心したように真剣な表情になり、イツの表情を真っ直ぐ見つめた。


「だめだよイツ。いくらイツが強くて、無国刀流が使えても、邪竜に勝てるはずがない……だって邪竜は、あの鬼刃様が命を落としても倒しきれなかったんだよ!?」


 アリスはイツがこれから何をするつもりなのか分かっていた。薄らと予見していたのだろう。だから止めに来た。友人として。自ら情報を与えてしまったが為に、教えてしまった責任を果たす為に。だがイツの心は揺らがない。


「……左様、鬼刃は過ちを犯した。世界を守った気になり、英雄へと祭り上げられた。本当は何も成し遂げていなかったのに……愚かな男だ」

「そ、そこまでは言ってないよ……」


 イツの紅の髪が夜風に当てられて靡く。コージスから貰った花の髪飾りが揺れた。顔に掛かった前髪をずらし、イツはアリスの目を見つめ返す。その蒼い瞳には強い意思が込められていた。


「邪竜を止められるのは今だけだ。奴は当時の力を失っている。まだ幼体の内に倒しておかなければ、手遅れになる」

「だからって、イツがする必要はないでしょ! このことは〈八英雄〉にも報せが行ってる……父さんもきっと来てくれるから」

「否、それでは遅い」


 アリスの縋り付くような願いは、イツの言葉でばっさりと切り捨てられてしまう。

 本来ならはそれが最善手だろう。だがイツの中では違う。自分は既に邪竜がこの村の近くに居ることを知っている。恐らくは調査している兵士達の誰かは遭遇するだろうが、その度に捕食され、邪竜は成長する。運良く生き残れた者が邪竜の居場所を知らせてくれるのを待っている時間はない。自ら、討ちに行かねば。

 

「そこを退け。アリス。私は既に、心を決めた」

「……ッ!」


 例えアリスが今ここで大声を上げ、大人達の力を借りたとしてもイツは止まる気はない。自分の速さなら問題なく大人達に捕まらずに村の外へ行くことが出来る。

 それが分かっているからこそ、アリスも拳を握りしめて覚悟を決めた。そして彼女は背負っていた槍を、手に取って構えを取る。


「だ、だったら……私を倒してから、行って……!!」

「…………」


 言葉で駄目ならば、人は力を行使するしかない。その仕組みは古来より変わらない。例えイツの方が数段実力が上だと分かっていても、アリスは抵抗を選んだ。そうしなければならなかった。

 イツもアリスの覚悟を受け止め、静かに息を吐き出す。そして刀の柄にそっと手を置いた。


「其方は一手で詰む」

「え……ッ」


 次の瞬間、イツの姿はアリスの目の前に移動していた。アリスは反射的に槍を振ろうとするが、イツは刀を抜く事なく、鞘だけでアリスの槍を弾き飛ばし、彼女をその場に押し倒した。

 気が付けば夜空を見上げていたアリスは何が起こったのか分からず、身体が痺れて動けない自身の状態に困惑する。そんな彼女をイツは見下ろし、乱れた前髪を直した。


「あ、ぅ、あ……」

「すまんな、アリス。必ず戻ってくるから、その時は好きなだけ私を殴ると良い」


 最後にそう謝罪の言葉を残し、イツは村の門を目指して走っていく。アリスはただ飲み込まれそうな程美しい星空を見上げていることしか出来ず、悔しさから嗚咽を漏らした。


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