15:心を決める時
アリスにとって魔物との戦闘は初めてではない。むしろ他の子供達と比べてそれは身近な存在にあり、経験もあった。
初めて倒した魔物はスライムだった。何度斬っても再生する為、剣の腹で叩きつけて倒した。大人の兵士が参加する魔物討伐に同行したこともあった。彼女は剣聖の父親からも訓練を受け、既に大人と同じ扱いを受けていたのだ。だからアリスには覚悟もあり、実力もある。なのにどうしてだろうか? どうして今、こんなにも怖いのだろう、とアリスは心の中で嘆いた。
「ッ……!!」
「ゴァオァァァアアアアア!!!」
仲間意識があるのか、同胞を倒された鎧トロールは牙で歯並びが悪くなっている口を開け、咆哮を上げる。手に同化している武器はメイス。錆び付いた棘には誰のものか分からない黒い血が付着している。それを地面に叩きつけ、鎧トロールは怒りをぶつける。
「やれる……私だってやれるんだから!」
アリスは自分の言葉で己を鼓舞する。
トロールとの戦闘経験はある。大型で力もある強敵だが、当然その分俊敏性に欠ける。攻撃パターンを見切れば問題なく倒せる敵だ。アリスはそう自分に言い聞かせるが、何故か槍を握っている自身の手は絶えず震えている。
「グォォォオオオオオ!!」
「くっ……!」
鎧トロールが動き出す。いちいち咆哮を上げ、力一杯腕を振り上げてメイスをアリスに叩きつけようとする。破壊することだけを目的としたなんとも愚鈍な動き。イツだったらこの間に十回は斬っている。だが今のアリスにとっては避けるのに精一杯であった。
振り下ろされるメイスを横へ転がることでアリスは回避する。そのまま攻撃に転じようとするが、目の前に居る鎧トロールの姿を見て何故か怯んでしまう。
(身体が鈍い……! どうして!?)
アリスは走ったまま自分の不調に疑問を抱く。何故か足が鉛のように重い。思うように身体が動いてくれない。だがそれでも戦うしかない。アリスは鎧トロールの懐に入ると、槍を突き放つ。
「〈閃光の一撃〉!!」
眩い閃光と共に鋭い一閃が放たれる。イツとの戦いでも使ったアリスの技。ちょっとした岩なら簡単に破壊する威力を持っている。だが槍を刺された鎧トロールは、無傷であった。
「グゴォオオオ!!」
「き、効いてない……!?」
咆哮を上げ、鎧トロールは真下にメイスを叩きつける。反応が遅れたアリスはそれをギリギリで回避するが、衝撃波と地面から抉れた土と共に吹き飛ばされてしまう。
「うぁあッ……!!」
ゴロゴロと地面を転がり、小さなうめき声を上げなる。何とか身体を起こして槍を構えるが、手は未だに震えたままだった。ここでようやくアリスは何かがおかしいことに気がつく。
(技の威力が十分に出てない……力が、発揮出来てないの?)
どう考えても今の自分は本調子ではない。模擬戦でイツと戦った時よりも格段に弱くなっている。
この世界において〈技〉は人の心と構えによって成り立ち、全てが合わさった時に〈奇跡〉が起こる。技のイメージを強く持てば持つ程その完成度は高まるのだ。そしてその逆もまた然り。
「まさか、私に迷いがあるから……?」
アリスは自身の震える手を見つめ、あり得ないと思っていたことを口にする。
否、最早これは気のせいではない。アリスの中には迷いが生まれている。それが戦うことに恐怖を抱かせ、魔物を恐れ、実力を発揮出来なくなっている。それ故にアリスの技も本来の威力が出なくなっているのだ。
「そ、そんなはずはない! 私は戦える!」
認めたくないアリスは槍を握り締め、走り出す。そして今度こそ技を叩きつけてやろうと、鎧トロールに向かって行った。
「もう一度! 〈閃光の一撃〉!!」
アリスは鎧トロールの腕に向かって槍を突き放つ。だが今度は光すら纏わず、槍はただ腕にぶつかっただけだった。そこには何の破壊力もなく、アリスの腕から力が抜けて行ってしまう。
「そ、そんな……!!」
「グォォオオオオオオオ!!!」
鎧トロールは鬱陶しそうに腕を払い、アリスを弾く。小柄なアリスはその衝撃だけで紙屑のように宙を舞い、ドサリと音を立てて地面に落ちた。
「ぐっ……ぅ……!」
痛みが身体中に伝わる。アリスは呻いた。その時彼女の視線の先にカランと何かが落ちてきた。見てみるとそれは錆び付いた剣。どうやら先程鎧トロールがアリスを吹き飛ばした時、槍に引っ掛かって偶々鎧トロールと完全に同化していなかった剣が取れてしまったらしい。それがアリスと共に飛ばされたのだ。
「け、剣……」
アリスは思わずその剣から目が背けられなくなる。
剣。アリスにとって複雑な気持ちを抱かざる得ない武器。憧憬、畏怖、苦悩、渇望、様々な感情が彼女の中で渦巻く。気が付けば、アリスは槍を離して手を伸ばし掛けていた。
「それもまた良きかな」
「……! イツ!」
頭上からイツの声が聞こえてくる。アリスが見上げると、イツは木の枝に乗ってアリスの様子を伺っていた。
「イ、イツ、他のトロール達は!?」
「既に倒した」
「ええ!? もう?」
見てみるとイツが戦っていたはずの残りの鎧トロール達はいずれも斬られ、地面に伏していた。
ほんの少し目を離していただけでなのに、とアリスは驚嘆する。
「だったら……!」
「残りの一匹は少し動きを止めておいた。だがいずれ動き出すぞ」
「え……?」
イツが助けてくれる、最初アリスはそう思った。だがそうではなかった。イツが視線を向けた方を見ると、アリスが戦っていた鎧トロールが震えたまま動かなくなっていた。何らかの技で動きを一時的に止めているようだ。
「さぁ、心を決める時だ。剣聖の娘よ」
「ーーーー!」
ドクン、とアリスの心臓が強く脈打つ。
心を決める時、それが何を意味しているのかはアリスもよく分かっている。だからこそ怖い。アリスは自然と拳を握り締めた。
「父親と同じ道を進むもまた良し。其方には素質がある。この状況を打開するだけの力はあるはずだ」
「わ、私は……」
イツは別の可能性を模索するアリスを認めた。その上でもう一度剣の道に戻ろうとするアリスのことも咎めなかった。正しい道など誰にも分からない。問題は選んだ道を進み続けられるかどうかなのだ。
「それとも其方には、剣から逃げる以外に槍を使い続ける理由があるのか?」
アリスは項垂れ地面を見つめながら思考する。
何をすれば良いのか、自分はこれからどうすれば良いのか考える。そこでふと自分が槍を使うようになった時のことを思い出した。
「私が……剣の道から逃げた時……物陰で一人泣いてた時、マーシュだけが私に気づいてくれたの……」
自分の専属従者であるマーシュの姿を思い出しながら、アリスはふらふらと立ち上がる。その手にはまだ剣も槍も握られていない。
「それで、私に自分が持ってた槍を貸してくれたのよ……戦い方は一つじゃないって、父さんを追いかける必要はないって、教えてくれたの」
それはマーシュの一時的な優しさだったのかもしれない。落ち込んでいたアリスを慰める為の方便だったのかもしれない。だがそれでもアリスはその言葉を信じた。
「だから私は槍を使い続けた。マーシュに褒められたくて、頑張ってるねって言ってもらいたくて!」
「ゴァオォアアアアアアアアア!!!」
アリスは槍を手にする。そして動き出した鎧トロールと対峙すると、低く構えを取って力を解放した。
「少なくとも私の槍は、ピンチになったからって剣に鞍替えする程、ヤワじゃない!!」
槍が再び光を纏い始める。それは今までの光よりも強く、アリスの身体にも力が巡った。そして向かってくる鎧トロールに向け、槍を放つ。
「〈白閃光の飛翔〉!!!」
槍を真っ直ぐ向けたままアリスは突進する。鎧トロールもまたメイスを振り下ろし、その光の槍を叩き潰そうとする。
槍とメイスが衝突し、凄まじい衝撃音と共に火花が散った。地面が揺れ動き、鎧トロールは咆哮を上げる。だが打ち砕かれたのは、メイスの方だった。
「グゴゴォァァァアァァァアァ……ッ!!?」
そのまま鎧トロールは同化していた鎧となっていた自身の武器すらも打ち砕かれ、身体が崩壊していく。アリスは勢いを殺してトンと地面に着地すると、槍を地面に置き、大きく肩を落とした。
「はぁ……はぁ……やった」
今のはアリスの限界を超えた一撃だった。恐らく今までの技の中で最大級の威力を持っていただろう。それだけアリスの覚悟が固かった証拠でもある。
「うむ、中々良き一撃だった」
「イツ……!」
木の上から降りたイツはアリスの近くに寄りながらその健闘を讃える。そして彼女と手にしている槍を交互に見ると、首を傾げながら尋ねた。
「アリスは、槍の道に決めたのか?」
「……ううん、まだそこまでは決めきれてないよ」
アリスは大きく息を吐き出して笑いながら答えた。
簡単には決断出来ない。今回はあくまでも迷いを晴らせただけだ。だがアリスの表情は明るく、もうその目に迷いはなかった。
「でも私が槍を選んだ理由は思い出せた。私はここから歩き出す」
ニコッと満面の笑みを浮かべ、槍を手にしながらアリスはそう言う。その答えにイツも満足そうに頷いた。
「ふっ……良き顔になった」
最初はどうなるかと思ったが、結果的にアリスは成長出来た。むしろイツが予想していたよりも彼女は迷いを捨て、以前の自分を超えた一撃を放った。その姿にイツは素直に感心した。
「それにしてもイツひどいわよ! ただ見てるだけなんて。手伝ってくれるくらい良かったじゃん」
「それでは其方の為にならん。現に迷いを捨てることは出来ただろう?」
「それはそうだけどー」
まだ納得いかなそうに頬を膨らませるアリスだが、イツは表情を和らげるだけで特に気にした素振りを見せなかった。
「いや、実際助かった。これで今回の件はアリスが対処したことに出来る」
「へ? どういうこと?」
イツは周りに転がっている鎧トロールを見ながら刀の柄をトントンと指で叩いた。そして彼女は少しだけ悪戯っ子のような表情をし、アリスの方に視線を向ける。
「ただの村娘の私が魔物を倒したでは、姉上に怒られるだろう? あれは心配性だからな。だが剣聖の娘であるアリスなら、一人で魔物を倒しても誰も不思議には思うまい」
今回のイツはある考えがあった。
鎧トロールのことはいずれにせよ村に報告しなければならない。だがイツが倒したことを報告すれば、当然いつものように姉のイウェンに叱られる。そうならない為にイツは全てアリスの仕業にしようと考えたのだ。その為にもアリスにはさっさと迷いを捨ててもらい、本来の実力を取り戻して欲しかったのである。
「まさかイツ、最初からそうする為に私に決断させたの?」
「誰も傷付かず、お互いに得もある。我ながら良い案だ」
「むー、なにそれひどいー!」
思わぬ策略にアリスは利用されたと怒り、イツの肩をポカポカと叩いた。イツはすまんすまんと謝るが、その表情は笑っているように見える。実際アリスも自身の迷いを捨てることが出来た為、強く恨んでいることもなかった。
「さ、帰ろう。アリス。皆が待っているぞ」
「うん……そうだね」
イツとアリスは来た道を戻り始め、村へと帰る。アリスの足取りは森に入った時よりも軽やかであった。
◇
〈牙の山〉。そこはイツ達が住むカルの村からは少し離れた場所に存在する小さな山。
遠くから見ると獣の牙のように見えるということから牙の山と名付けられた。獣型の魔物が多く住んでいるが、それ程凶暴という訳もなく、危険視されていない場所であった。
その日、とあるギルド冒険者がこの牙の山へと訪れていた。人数は四人。頼りになるリーダーに、前衛二人、後衛一人のバランスが取れたパーティ。彼らはこの山に関連するとある依頼を受けていた。
「ふぁ〜、暇だなぁ。なんにも起こりゃしねぇじゃねえか」
「本当なんすかね? リーダー。最近この山の魔物が減ってるなんて」
「さぁな。それを調べる為に俺達が来たんだろ」
冒険者の一人が面倒くさそうな口調で尋ね、リーダーの男が辺りを警戒しながら返事をする。
常に注意を怠らず、何が起きてもいつでも対処出来るようにしている辺り、リーダーの男はかなりの経験を積んでいる事が伺える。
「でも確かに、さっきから一度も魔物に襲われていないわよね」
「はっ、俺達の実力が高過ぎて近づいて来ないんじゃないか?」
他の仲間達はあまり緊張感がなく、警戒も怠っているようであった。なまじ実力のあるパーティの為、危険視されていない牙の山で神経を使うような警戒は必要ないと思っているのだろう。
それがこの弱肉強食の世界に置いて、致命的な命取りであるという事を知らず。
「あまり油断するなよ。何が起きるか分からないんだからな」
リーダーは緊張感のない仲間達を注意し、自身もその緩い空気に飲まれないよう、頬を叩く。
魔物の出現が減っている事例は大まかに二つだ。一つは時期による影響。繁殖期や冬眠期で魔物達は巣に籠るようになる。だが牙の山が生息地の魔物達は現在どちらの時期とも一致しない。となればもう一つの何らかの異常事態によって魔物達が消えたというもの。例えば感染や自然災害、あとは別種の魔物が紛れ込み、元の生息していた魔物達を食らってしまったというもの。
(どの理由にせよ面倒なことには変わりない……早く解明して、ギルドに報告出来れば良いんだが)
明確な目標がある訳ではない今回の依頼内容。戦うことばかりして来た仲間達には実感が湧かず、だからこそ緊張感も持てないのかもしれない。仕方がないことだとリーダーはため息を吐いた。早くこの依頼を終えてベッドで一日中眠れますように、と願った。
「……ん?」
その時、周囲が木々に囲まれた道を歩いていると辺りから生き物が動く音が聞こえて来た。すぐさまリーダーは立ち止まり、後方に居る仲間達にも合図を送って陣形を整える。
「おっと、ようやく魔物のお出ましか? 牙の山の魔物はどんな見た目だぁ?」
「でも今の音、何か這いずってるような音だったわよ。ひょっとして蛇型の魔物とか? 私蛇苦手なのよね」
ようやく現れた獲物に喜びの声を上げる仲間達。だが何か妙なことに気がつく。先程の周囲の草を退かすような移動音。冒険者達のリーダーは剣を手にしながら不可解そうな表情を浮かべる。
「馬鹿な。牙の山に蛇型の魔物は居ないはず……」
存在しないはずの魔物。ならばそれが紛れ込んだ魔物だろうか? それが原因でこの山の魔物が減った。ならば、不味い。リーダーがそこまで考えたところで、時は既に遅かった。草むらの中から突如魔物が現れ、鋭い牙を開いた口の周りにいっぱいに生やし、冒険者達に襲い掛かる。
「ギギァイアアァァアァアアッ!!!」
「えっ……うわぁああぁぁぁあ!!?」
急襲に反応出来ず、一番若い冒険者の男が腕に噛み付かれた。武器を手にしていながら片腕を塞がれた為、反撃することも出来ず彼は地面に倒れ込む。そして魔物は身体をうねらせ、その男を引きずってパーティから距離を取ろうとする。
「なっ、今のは……!」
「た、助けないと……! こいつ……!」
「よせ、やめろ!!」
魔法使いの女が仲間を助けようと杖を振り上げる。だがそれを見て魔物は攻撃しようとしていると判断し、男を放り捨てると飛び上がって女へ襲い掛かった。
「ギギグィァァアアアアアアッ!!!!」
「きゃあああぁぁぁあぁあ!!」
「ぁ、ああっ……!」
女の首へと噛みつき、一瞬で骨をへし折る。彼女は杖を落とし、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。更に魔物はもう一人の冒険者へと噛み付き、一瞬で絶命させる。残されたのはパーティのリーダーだけであった。
「そ、そんな……嘘だ……! こんなこと、あるはずがない……貴様は、鬼刃ゼン様が倒したはず……っ!」
リーダーは目の前の光景が信じられず、剣を手にしていながら腕を震わせ、戦う意思を失くしていた。それくらい彼にとって、目の前の魔物は存在することが受け入れられないものだったのだ。
「何故〈邪竜〉が……ッ!!?」
気が付いた時には、リーダーの視線の先には口を開いた魔物の顔が。ギョロギョロとした気持ち悪い一つ目が、彼が見た最後の光景だった。