13:鍛錬
その後、アリス達はしばらく村へ滞在する事となった。子供達は新しい仲間が増えたという事で喜び、大人達も久々の客人を歓迎した。そして翌日、イツは普段通りに家族と朝食を取っていた。
「……イツ、また刀で戦ったみたいね。それも剣聖の娘さんと」
「うむ」
カチャン、とフォークをテーブルの上に置きながら姉のイウェンがそう切り出す。イツはパンを口にしながら頷き、隠すことなく肯定した。
「案ずるな。あれはただの模擬戦。危険ではない」
「でも刀使ってるでしょ! 十分危ないわ!」
イウェンからすれば真剣で戦っている以上十分危険な行為であり、突っ込まなくては気が済まない話であった。だが当のイツはそれが何の問題なのか分からず、咀嚼していたパンを飲み込みながら首を傾げた。
「しかも相手が剣聖の娘って……それに勝つウチの妹も意味分からないしっ……うわぁぁ~~!」
「姉上が徐々におかしくなっていくな」
「誰のせいだと思ってるの!」
自身の妹の異常な強さが逆に不安になり、イウェンはパタリとテーブルに顔を伏せてしまう。彼女なりに心配しているのだろう。その事はイツも申し訳ないと思った。だがこの生き方だけは変える事は出来ない。刀の道を極めると決めた以上、刀を手放す訳にはいかないのだ。
「うふふふ、友達が増えて良かったわね。イツ」
「うむ」
「……母さん~」
一方で母親と父親はイツが刀で戦う事をあまり心配していないらしい。放任主義なのか、子供がのびのびと成長してくれる事を願っているのか、いずれにせよイツからすれば有難い話だった。だからこそ、怪我をして絶対に心配させないよう、より強くなろうと気を引き締める。
「イツー」
「あら、早速お迎えに来たらしいわよ」
「む、では行ってくる」
扉の方から聞き覚えのある声が聞こえて来ると、イツは食べ終えた食器を台所に戻す。そして玄関に向かい、扉を開けた。するとそこには美しい金髪の少女が立っていた。今日も制服のようなピシッとした白い服を着こなし、ウェーブの掛かった長髪を払って悠然とした立ち振る舞いを見せる。
「おはよう、イツ」
「ああ、おはようアリス。早起きだな」
「えへへ」
少し吹っ切れたのか、昨日よりも和らげな表情をアリスは見せる。と言うより心を開いてくれたのか、最初の尖った態度は全く見られなくなった。
「私、イツから色々学びたいんだ。修行するんでしょ? 私も付いて行って良い?」
「無論、構わん」
昨日の内に修行をしている事は伝えていた為、アリスは自身の答えを見つける為にもそれに同行する事にした。それからイツはアリスを連れて早速いつもの修練場へと向かった。
「へー、村にこんな場所があったんだ」
「うむ、穴場というやつだ」
今日も変わらず木々に覆われたその場所は静かで、アリスもどこか心地よさそうに笑みを浮かべる。
「大体朝はここで鍛錬している。ただやり過ぎもよくない。特に子供の身体では、余計な筋肉は身体に負荷をかける」
イツは早速アリスと共に修行を開始する事にした。模擬戦は昨日やった為、今回は単純な素振りや基礎鍛錬。アリスはまだ己の得物を決断出来ていない為、基礎鍛錬を中心的に行った。そして大分汗を掻き、腕が痺れてくると一度休息を取った。イツは岩の上で座禅を組み、疲れ切ったアリスは草の上にゴロンと転がる。
「……ねぇ、イツは何で無国刀流を使えるの?」
「……む」
ふとアリスは顔を上げ、そう問いかけた。当然の疑問だ。こんな辺境の村の小娘が伝説の流派を使えるなど違和感しかない。
「父さんから昔聞いたわ。鬼刃様が使っている流派は何にも染まらぬ無色の流派。道場とか組織とかもなく、限られた者しか使えない流派だって」
アリスも父親を通じて無国刀流の事は何となく知っていた。だからこそ、表舞台に滅多に出てこない流派を何故イツが使えるのかと疑問に思ったのだ。無国刀流が流派である以上、習得するには必ず師範という存在が必要なのだから。
「イツは誰からその流派を継承したの? 鬼刃様の訳はないし……」
「…………」
イツもすぐには答えはない。何かを考えこむように目を細めると、おもむろに岩の上から立ち上がって息を零した。
「悪いがそれは答えられん。無国刀流の詳しい話は、力を認めた弟子にしか話せんのだ」
「そっか」
結局のところイツはこう説明するしかなかった。
自身が鬼刃ゼンの生まれ変わりなどと話す訳にはいかないし、実際のところ嘘は吐いていない。無国刀流にも掟はあるのだ。するとアリスもそれで納得したのか、深くは言及して来なかった。
「じゃぁ私がイツの弟子になれば、聞けたりするのかな?」
「……継承したいのか? 無国刀流を」
ふと彼女の何気なく言った言葉にイツは面食らい、目を見開いた。流石に予想していなかった言葉だった為、思わずアリスの事を凝視する。
「ううん、ごめん冗談。私にそこまでの度胸はないよ」
すると彼女は慌てて首を横に振り、本気ではなかった事を意思表示する。それを聞いてイツは少しだけ安堵した。流石にこの見た目で弟子を取るのは早すぎる。それに今の自分はまだ未熟な為、弟子を取る資格もないだろう。
「ただイツは凄いなぁって思っただけ。父さんが言っていた通り、無国刀流はとても強く、美しい刃だった……父さんが魅了されるはずだよ」
アリスも最初はイツが無国刀流の使い手だとは信じていなかった。だが実際に対峙し、技を見たからこそ、それが本物だと思えた。父親から聞いていた通りその刃は圧倒的で、思わず見惚れてしまう程だったのだ。
「別に、ただ刀馬鹿の流派なだけさ。それ程大それたものではない」
イツは少し照れるように顔を背ける。
よく無国刀流は伝説の流派と言われているが、イツ自身はそう思っていない。あくまでも小規模な刀好きの者達が極めているだけで、むしろ独り歩きしている事から変わった流派とさえ思っていた。実際誰がこの流派を生み出したのかも分かっていない為、謎の多い流派と言えるだろう。
「おーい、イツー。あ、やっぱりここか……って、剣聖様の子も居るのかよ」
「ぬ……」
「む、コージスか」
ふと草むらをかき分けてコージスが現れる。突然の来訪者にアリスは少し警戒するように眉間にしわを寄せた。そしてイツの側に寄ると、小声で話しかける。
「イツ、こいつ誰?」
「幼馴染のコージスだ。村のガキ大将といったところかな」
「なんだよその紹介の仕方……」
イツの簡素な説明の仕方にコージスは呆れながらも、実際間違ってはいないので気まずそうに頭を描いた。
そしてアリスは目の前の男がイツの友人だと分かると、まるで品定をするようにコージスの身体をジロジロと見つめた。
「ふーん、イツと仲良いんだ?」
「まぁ、そうだな」
何か気に食わないことでもあったのか、アリスは目を細めてコージスから距離を取った。イツにはその態度の変化が分からず、首を傾げる。
「おいイツ、何で剣聖様の子と一緒に居るんだよ?」
コージスは疑問に思っていたことを口にした。その瞬間、アリスがコージスの元まで歩いて近づくと、鋭い形相でビシリと指を突きつけた。
「剣聖様の子、じゃないわよ。私の名前はアリス・レイハーツ。イツの友達なら、特別に名前で呼ばせてあげるわ」
「お、おぉ……そりゃどーも」
あまりの剣幕に普段強気なコージスも臆してしまい、素直に頷いておく。意外と押しには弱いコージスであった。そしてアリスから離れてイツの側まで来ると、彼はコソコソとイツに耳打ちした。
「……何だか生意気な奴だな」
「ふ、コージスと良い勝負さ」
珍しくイツは一瞬だけ笑い、面白そうに二人のことを見た。コージスにはその意味が分からずはぁ? と疑問を口にし、アリスも何がおかしいのか分からず不満げな表情を浮かべる。
やはり子供は面白い。イツは愉快そうに頬を緩めた。
◇
月に数度行われる〈協議会〉。そこでは様々な立場の者が集まり、意見交換を行う。また邪竜のような世界を危機に陥れる存在を迅速に対処出来るよう、情報交換も行われている。現在は専らそちらの方が主体となっている程。何分この世界には危険が多い。
「おやおや、せっかくの協議会と言うのに、〈剣聖様〉は今回もお休みですか」
「貴重な情報共有の場だと言うのに、不真面目なものですな」
テーブルを囲む者達の一部が嫌味たらしくそう口にする。
ここに居る者達は皆高い地位の者達であり、それぞれの責任者が集まっていた。そして本来この場には剣聖も来るはずだったのだ。
「剣聖様は〈八英雄〉としての仕事で忙しい。しょうがなかろう」
「いくら彼が英雄とは言え、特別扱いは困りますな。物事にはルールというものがあるのですから」
剣聖を擁護する者に、非難する者。
例え剣聖が英雄とは言えども、その存在を快く思わない者達も居る。特に世界が平和だと懐が暖まらない者達は。
上に立つ者達にはそう言った灰色の存在も居る。部屋の中はピリピリとした空気が流れていた。すると、パンと手を叩いてその緊迫した場を破った者が居た。
「まあまあ、居ない人の話をしていてもしょうがないでしょう。早く議題に入ろうじゃありませんか」
集まっている者達の中では比較的若い、羽帽子を被り笑顔が特徴的な男がそう言う。彼は商会長であった。厄介な相手だと思い、剣聖の悪口を言っていた者達は口を閉ざす。そしてようやく話し合いが始まった。
「えー、冒険者ギルドの報告ですが、先日ゴーレムの大移動が確認されました。調査規模が大きい為、協力を願います」
「では兵団から何人か回しておきましょう。情報はこちらにも回しておいてください」
「あと商会連合からの報告ですが、最近質の悪い武具を無理やり売りつける輩が多いようです。こちらの対処については……」
情報の共有と、問題があった場合はその対処法を話し合う。そして方針が決まるとまた次の議題へと移る。特に世界を揺るがすような不穏分子はなく、話し合いはスムーズに進んでいった。
「最後に、八英雄の〈賢者〉様からの報告です。近頃一部地域で魔物達の様子がおかしく、数の微妙な変化が見られるようです」
「ただの誤差ではないのかね? 所詮獣だろう」
最後の議題に一人があまり問題視していないように言葉を返す。だが向かい側の席に座っている男が立ち上がり、資料を手にしながら口を開いた。
「いや、先日冒険者ギルドでも魔物の減少を感じたという報告があった。地域が一致するか調べておいた方が良いだろう」
「場所はどこだったかな……確か、〈牙の山〉だったか?」
魔物の数が変化するのは珍しいことではない。問題はその原因だ。ただの誤差なのかどうかを確認する為に皆はさっさと調査方針を決めていく。
「〈歌姫〉様が住む街も同じ地域だったな」
「ならば彼女に調査を任せれば良い」
「八英雄にそのような些細なことを頼める訳がないだろう。まずはギルドの冒険者を使えば良い」
八英雄は気軽に扱える存在ではない。もうかつて冒険者だった頃とは違うのだ。それぞれが別々の地位を持っている。ましてや歌姫は教会のマザーとして静かに暮らしている。あまり接触するのも良くないだろう。その判断の元、皆の調査方針は一つに固まっていった。だがそれを一人だけ、良しとしない人物が居た。
(良いのかなぁ。そん悠長な対応で)
その人物は商会長。今の今まで特に会話には入らず、報告は秘書に任せて皆の話し合いを眺めていただけの彼は、その細い目で周りの男達を見つめ、心の中で大きくため息を零した。
(繁殖期でも何でもないこの時期に魔物の数の変動は異常だ。せっかく人員が有り余っているんだから、気になることはお金使ってさっさと調べちゃえば良いのに)
小さな亀裂は放っておくとやがて大きな亀裂へと広がっていく。その時にはもう遅く、取り返しのつかないことになる。だが商会長はそのことを口には出さなかった。
(まぁお偉いさんにはこの感覚が言っても分からないんだろうな〜。しょうがないしょうがない)
彼は意見を言うこともなく、ただ面白がりながら周りの話を聞くだけ。
どうせ問題が起こっても、自分にはどちらに転んでも美味しいように事は進めている。
灰色の存在は、大抵どこにでも混ざっている。