12:アリスの弱さ
「二手で詰むですって? あんた、本気?」
「………」
アリスは鼻で笑いながらそう問いかける。だがイツは刀を鞘に収めたまま、全く反応を示さなかった。まるで決着はもう付いたかのような態度だ。それがアリスには気に入らず、手にしていた槍を強く握りしめる。
「ふん、そんな事……出来る訳がない!!」
ダンと地面を踏み、槍を真っすぐ伸ばして構えを取る。そして槍先をイツに向けると、アリスはゆっくりと深呼吸した。
(私の動きを見切ったなんて言うけど……なら反応できない程速く、真正面から最大級の一撃を打ち込んでやる……!)
イツが待ちに入ったというのなら、こちらは出来る限り最善な動きが出来るように力を溜めれば良い。アリスはそう判断し、槍を低く構えた。そして次の瞬間、地面を思い切り振り抜く。
「〈閃光の一撃〉!!」
眩い閃光が放たれると同時に一瞬でイツの目の前まで移動する。そして槍を真っ直ぐ突いた。だがイツはその攻撃にまるで来るのが分かっていたかのように反応し、素早く技を放つ体勢へと入った。
「一手、〈転身抜刀〉」
「ぐっ……!?」
イツは最小限の動きで刀を鞘から引き抜き、振り抜く。キン、と小さな金属音が鳴ってアリスの最大級の一撃は簡単に弾かれた。それに衝撃を受けながらも、彼女は冷静に次の一手を踏もうとする。
(まだ……! ここまでは私だって想定してた。弾かれても、私には体術がある!)
槍を上に打ち上げられて体勢を崩したが、その勢いを利用して足蹴りを繰り出せば良い。そう判断してアリスは思い切り身体を捩じり、素早い一撃をイツに叩き込もうとする。
「はぁぁぁあああああ!!」
ブゥン、と力強い音を立ててアリスの長い脚が振るわれる。だがそこにイツの姿はなかった。
(-----消えた……?)
目標を見失った事で力一杯振り抜いた脚に引っ張られ、アリスはバランスを崩す。その間も必死に彼女の姿を探したが、視界には一切それらしき影がなかった。
「二手、詰み……〈刃の舞〉」
次の瞬間、アリスの背後から凛とした声が聞こえて来る。続けて冷たい感触が、首筋に当たった。それが刀だと分かったのは目でしっかりと確認してからだった。
「……ッ!!」
「これで投了だ。私がこの刀を振り抜けば、其方の首は飛んでいた」
首に触れていた刀をパッと離し、いつの間にか背後に居たイツはそう言う。その姿を振り返って確認し、アリスは改めて自分が敗北したのだという事を実感した。
「すごーい! イツが勝った!」
「剣聖の子供にも勝つなんてイツすっげー!」
二人の戦いを見ていた子供達からは歓声が上がる。だがイツはそれに反応を示さず、項垂れているアリスの事を静かに見つめていた。
「ま、負けた……私、が……?」
彼女は信じられなさそうに手を振るわせながらポツリと呟き、手にしていた槍を落とす。そしてその場に膝を付き、肩を落とした。イツはそんな彼女に一歩歩み寄る。
「其方の身体能力は素晴らしい。だがそれ故に体術でも戦えると過信し、槍術を疎かにしている。武器を手放し過ぎだ。武器は己の命と思え」
「……!」
戦いで体術を利用するのは賢い。だがアリスの身体はまだ幼く細い。彼女の体術では威力のある攻撃を繰り出す事は出来ないだろう。武器での攻撃よりも優先してする行動ではない。
「それに其方の動きは槍のリーチを活かさず、常に攻め続ける戦い方……さては、其方の本来の得物は剣だな?」
「なっ……」
イツが尋ねると、アリスは目を見開いてイツの事を見上げた。その表情はまるで嘘を見抜かれた子供のように不安そうで、儚げだった。
「何故剣を使わぬ? そこまでして槍術を極めたいのか?」
「ち、ちがっ……私は……」
「ああ……そうか」
イツの問いかけにアリスは何かを隠すように首を横に振るう。その反応を見てイツは目を細め、思った事を口にした。
「父親と比べられるのが怖かったか?」
「----ー!」
ピシリ、とアリスの中で何か嫌な音が響いた。その瞬間アリスは俯き、イツから逃げるように顔を隠してしまう。
「……くっ!」
「あ、アリス様!!」
アリスは立ち上がると槍を回収せずにその場から逃げ去った。付き人のマーシュが呼び止めるが、その声も聞かず、彼女は広場の方へと走って行ってしまった。
「……いかん。また思った事を口に出し過ぎてしまったか」
そんな彼女の後ろ姿を見ながらイツは自身の口元を抑え、後悔するように小さくため息を吐いた。
「ご、ごめんね、イツちゃん。ちょっとアリス様の様子を見てくる」
「うむ、そうしてやってくれ」
マーシュはそう言って落ちていた槍を回収し、慌ててアリスを追い掛けた。それを見届け、イツは刀を払うとゆっくりと鞘に収めた。すると彼女の周りに子供達がわーっとやって来る。
「イツすごかったなー。まさか剣聖様の子供に勝っちゃうなんて」
「やっぱイツは強いんだねー」
「いつも鬼刃役やるだけあってさすがだな」
あれだけの戦いをしたのだから当然子供達は魅了され、イツを褒め称えた。するとその中からコージスが現れ、イツの近くへと歩み寄る。
「お疲れさん。イツ」
「うむ、中々骨のある相手だった」
イツの肩をポンと叩きながらコージスは声を掛け、イツもそれに頷く。
実際アリスは中々の実力を持っていた。マーシュの言う通り才能豊富で、動きの一つ一つにキレがあった。技も十分な強力なものだったし、もう少し成長すれば凄腕の槍の使い手となるだろう。
「剣聖様の子と何を話してたんだ? なんか、やたら驚いた顔をしてたけど」
「ああ、うむ……少し、言わなくて良い事を口にしてしまっただけだ」
あまり内容は他言しない方が良いと考え、イツは深く説明しなかった。ただ自分の言葉がアリスを傷つけてしまったかもしれないと思い、イツはもどかしそうに柄を指で叩いた。
「さて、どうしたものか」
◇
イツ達の元から逃げ出した後、アリスは土地勘のない村の中を走り、ちょうど木々が生い茂っている場所を見つけるとそこに隠れた。彼女を追い掛けていたマーシュはそれに気付かず、別の方向へと走っていってしまう。それを確認してからアリスは木陰の中に入り込み、その場に座り込んで俯いてしまった。
(見透かされた……誰にも気づかれたくなかったことを……)
アリスは先程のイツから言われた言葉を思い出し、唇を噛み締める。
彼女が剣聖の子でありながら槍を使う理由は、イツが言った通りだ。アリスは剣聖である父親と自身の剣術を比べられる事を恐れている。
かつては彼女も父親に憧れ、剣術を極めようとした事もあった。才能もあり、多くの冒険者から褒められた。周りは「流石は剣聖の娘」と彼女をもてはやし、アリスもそれを誇りとしていた。
だが彼女は賢かった。観察眼にも長ける彼女は嫌でも分かってしまったのだ。剣聖である父親の次元の違う強さを。どれだけその剣術が研ぎ澄まされ、才能と努力で築き上げたものかを。
自分の剣では父親に届かない。アリスはそう痛感してしまった。それから彼女は剣ではなく槍を使うようになり、真似ていた父親の戦い方もやめるようにした。別の道ならば、父親の居る場所に辿り着けるかもしれないと思ったのだ。
(でも……きっとそれは逃げていただけなんだ。父さんの剣術と、比べられるのが嫌だったから……)
アリスはぎゅっと拳を握り締める。
心のどこかでは分かっているつもりだった。でもそれを認めるのが悔しかった。だから本音を悟られないよう、少しでも槍術を極めて大義名分を用意しようとした。結局それも簡単に剥がされてしまった訳だが。
「成程、やはりここか」
「ひぁ……!?」
突如アリスの頭上の木が揺れ、目の前にイツがスタンと舞い降りる。予想以外の登場にアリスは驚き、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「な、なんであんた、ここが分かったの……?」
「木々が生い茂っている場所で何かを探す時は、探し物を探すより違和感を見つけると良い。覚えておけ」
どうやらイツは木の上に登ってアリスを探していたらしい。女の子でありながら随分と思い切った行動力だとアリスは呆れてしまった。
「先程はすまなかった。私は喋るのがあまり得意ではなくてな。失礼な事を言ってしまった」
「……別に、あんたは間違った事言ってないわ」
イツが素直に頭を下げて先程の失態を謝ると、アリスはまた表情を暗くしながらもどこか悟った表情を浮かべた。
「私が父さんの剣術を比べられるのが嫌で槍を使ってるのは事実よ……私は、逃げたの」
彼女はそっと自身の手の平を広げ、宙へと掲げる。そして何かを掴むような仕草をしたが、その動きはとても弱々しく、今にも途切れてしまいそうな儚さがあった。
「周りのプレッシャーから、憧れの父親から、何より……弱い自分自身から、逃げた」
アリスには耐えられなかった。どれだけ鍛錬しても父親に追いつけない自分に。何より自分を信じられない心の弱さに。だから剣を持ち続ける事をやめたのだ。
「笑ってくれて良いのよ? むしろその方が気が楽だわ」
「はっはっはー」
「……あんた、笑うの下手ね」
「ああ、よく言われる」
イツの表情筋は中々に頑固である為、大きく表情を変化させる事が出来ない。その為豪快に笑おうとしても、梟でも鳴いているかのような微妙な笑い方になってしまうのである。
「別に私は、其方のやり方を乏しめるつもりはない」
「……え?」
ふとイツからの予想していなかった言葉にアリスは顔を上げる。てっきり卑怯や弱虫と罵られると思っていたのだ。
「敵わぬから得物を変えるのは一つの立派な戦術だ。使える物は何でも使う。ありとあらゆる物を利用し、勝ち筋を手繰り寄せる。それが戦いというものだ」
イツだってかつて冒険者だった頃、鬼刃と呼ばれながらも刀以外の武器を使った事はあった。戦いなど常に何が起きるか分からない混沌の世界。一辺倒で突き進められる程優しいものではない。時には臨機応変に対応し、どんな手段を使ってでも生き抜かなければならない。
「あんた……さっきも思ったけど、私の父さんと同じような事言うわね」
「む、そうか……?」
アリスはイツの言葉が気になったように目を細める。
イツの発言は所々自身の父親である剣聖と似ている部分があった。戦い方を指摘した時もその節は感じられ、アリスは疑問に思っていたのだ。
(そう言えば、レイヴが戦い方で迷っている時もこんな事を言ったか。懐かしいな)
かつてレイヴも武器の選別でゼンに頼ったことがあった。強敵との戦いで今までの戦い方では勝てないと伸び悩んでいたのだ。それを思い出し、親子揃って同じような事で悩んでいるとは微笑ましいと、彼女は少し愉快そうに頬を緩めた。
「ただ、其方は迷い過ぎだ。だから一歩踏み込んだ戦いが出来んのだ」
だからと言ってイツはアリスの戦い方を完全に肯定する訳ではない。迷いがあるせいで動きに僅かなブレがあるのは事実だし、槍での攻撃に剣術が所々混じってしまっている。つまり中途半端な実力しか出せない。一番良くない事態であった。
「そんな事言っても、簡単には決断出来ないわよ……」
「そうだろうな。ならばしっかりと悩み、考え、決断せよ。それが若者に許された権利だ」
答えが出せないのならば、悩み続けるしかない。必ずしも答えが一つとは限らないのだ。イツはそう励ましの言葉を掛ける。すると暗かったアリスの表情が僅かに光を取り戻し、彼女はおずおずと顔をあげた。
「あんた……変わってるけど良い奴ね」
「ああ。家族からもよく変わり者と言われている」
「ふふ、そうなんだ」
やはり変わっている、と思いながらアリスはゆっくりと立ち上がった。そして少し躊躇うように自身の金色の髪を弄りながら口を開いた。
「ねぇ、私もう少しだけこの村に居たいの……ちゃんと、答えを出したいから」
「構わん。この村の者は客人が大好きだからな。気が済むまで居れば良い」
まだ答えを出す事は出来ない。ならばイツの言う通り考えるしかない。その為には落ち着ける場所が必要だ。アリスはこの村で、もう少しだけ悩み考える事にした。
「それとさ、友達になってくれない? 私、同年代の友達が居なくて……」
彼女はもう一つ言いたかった事を口にする。
今までは剣聖の娘という立場もあり、周りに子供が寄って来る事がなかった。時には村の子供達のように羨望の眼差しを向けて寄って来る者達は居るが、当然彼らが友となる事はなかった。それがよりアリスを追い詰めた要因の一つであった。
「それも構わん。それに刃を交えたのなら、既に私と其方は友さ」
イツは笑みを浮かべながらアリスの申し出を受け入れた。その自然な笑顔は優しく、アリスには心の拠り所となる希望のように思えた。