甦った記憶
琥太郎と姫川さんの交際は順調に進んでいるらしい。俺はそれを前世同様なにも言えずに見守っている。
そもそもあの時だって俺はただの傍観者だった。龍之介、虎之介兄弟の間に挟まれた清姫との三角関係、そこに俺の入り込む余地などなかった。ただ一方的に龍之介に焦がれていただけで、俺はその表舞台にすら立ちはしなかったのだ。
そもそも同性、舞台に上がるには立ち位置が微妙過ぎる。これで俺が清姫の妹だったらまだ前世でもワンチャンあったかもしれないのに、弟。しかも同等の立場にと願ってしまったばかりに今生では友人になれはしても、そこどまりだ。
せめて女に生まれ変わっていたら……いや、だがその場合隣に立てていた可能性が低いと考えると、この立ち位置はもうどうにもならない。
「ああ、ホントままならねぇ……」
「どうした、貴澄?」
俺の苦悩など何も知らない琥太郎は、相変わらず呑気な面で俺の隣にいる。姫川さんが他校の生徒で良かったよ、目の前で二人にいちゃつかれたりなんてした日には俺の気が狂う。
放課後、もうほとんどの生徒が帰宅済みか部活に行ってしまって、教室には俺と琥太郎の二人だけだ。何となくだべっていたら日もずいぶん暮れてしまって、もうそろそろ帰らなければと思うのに、この時間を手離したくない俺は机に突っ伏した。
「俺は最近、親友に邪険にされてて拗ねてんだよ」
「あん? 誰? お前、俺以外に、そんなに仲良い友達いたっけ?」
それ素で言うのかよ……分かれよ! この鈍感!
「俺もいっそ恋人でも作るべきか……」
「あ?」
「あ? ってなんだよ、俺が恋人作って何か問題でもあるのかよ?」
「いや、ないな……ないんだけど、ちょっともやった」
「はぁ? 自分はさっさと彼女作って幸せ報告してくるくせにどういう了見だよ」
「ホントそうだよな」と琥太郎は困惑したように苦笑する。
「なんだか俺、貴澄のことはほっとけないんだよな、なんでだろう?」
そう言いながら琥太郎は俺の頭をわしわしと撫でた。
「知るか! ってか、それ止めろって俺、何度も言ってるよな!?」
それは琥太郎の遥か昔からの癖のようなモノで、それこそ前世の頃から俺はこうやって彼に頭を撫でられている。あの頃は自分は年少の少年で、そうされる事にさほどの違和感はなかったけれど、今となっては身長も体重もほぼ互角なのに、琥太郎は俺を無意識で弟分扱いするのだ。本当にこいつはたちが悪い。
にこにこと人好きのする笑みでこちらを見やる琥太郎に、俺はまたため息を零しその腕を払いのける。
「せいぜい今生では幸せに生きろよ」
「俺は前世も幸せだったぞ?」
「ああ、そういえばそうだったな」
現在、琥太郎の記憶は完全に改ざんされ琥太郎は自分を虎之介だと思い込んでいる。恋人と添い遂げる事ができた虎之介の一生など知る由もないけれど、琥太郎がそれを信じる事で幸せだったと思うのなら、俺はそれだけで満足だ。
龍之介は何でも持っていた、持っていたけれど結局何も持たず、何もなせずに死んだのだ。それを思えば、このまま自分が虎之介だと思いこんでいた方がよほど幸せだと思うのだ。
「でもさぁ、最近ちょっと問題があって……」
「あ? なに?」
「姫の弟に滅茶苦茶嫌われてる」
「弟……?」
曰く、姫川さんの弟は相当のシスコンらしく今まで姉である姫川さんにべったりだったらしいのだ。そんな弟にぽっと現れた彼氏の存在が許容できる訳もなく、まるで親の仇のような扱いを受けていると琥太郎は苦笑した。
「まだ小学校の低学年で可愛いもんなんだけど、それでも彼女の身内に嫌われたままってのもアレでさぁ、なんか手懐ける方法ないかな?」
自分はわりと子供には好かれる方だからショックがでかいと琥太郎は言う。
「ついでにその子、諒太って言うんだけど、自分こそが虎之介の生まれ変わりだって言って譲らないんだよ」
「え……」
「姫はそんな訳がないって笑うし、俺って存在がいるんだから実際違うんだろうけど、会うたびに罵詈雑言投げられるのはさすがにきつくてさ……」
まさかとは思う、けれど可能性はゼロではない。だって実際琥太郎は虎之介ではなく龍之介なのだ、夫婦として二世の契りを結んだ二人が家族として生まれてくる可能性だってなくはない話で、俺は過去の因縁に頭を抱える。
「どうした貴澄?」
ここでも龍之介と虎之介は清姫を巡って争うのか? だが今回は虎之介が清姫の実弟だと思えば軍配は諒太より琥太郎に上がるのだろう。この三角関係はいつまで続く? そして俺はいつまでその三角関係の傍観者でいればいい? そもそも俺はなんで傍観者でいなきゃならんのだ?
「おい、貴澄? 具合でも悪いのか?」
琥太郎が頭を抱えた俺の顔を覗き込む、その何も分かっていない表情に俺は腹が立って仕方がない。
それは衝動的な行動だった、琥太郎の胸倉を掴んで口付ける。いや、それは口付け以前で顔と顔とがぶつかった程度の接触だったのだが、琥太郎は驚いたように瞳を丸くした。
「な……おまっ、突然なにっ!?」
「なんにも分かってないくせに!」
「は? なにが?」
前世で俺は一人だけとても幼かった。姉達の恋愛事情に口を出す事も出来ない程度に幼くて、そして何も行動できない無力な子供だった。
けれど今は違う、俺と琥太郎は同級生で立場だって同等だ。なのに何故俺はこそこそ隠れて三人の恋愛事情を見守ってなければならないのだ!? そんなのとても理不尽で、そしてこの気持ちを抱えて生きるのに俺はもう疲れていたのだ。
「思い出せ! お前は虎之介なんかじゃない、龍之介だっ!」
「え……」
「違うんだよっ! お前の記憶は間違ってる、なんで思い出さないんだよっ! なんでそんな簡単に他人を信じるっ、お前はいつだってそうやって損な役回りばっかりだ!」
「な……貴澄、落ち着けって。お前、なんでそんな事……」
「裏切られた事に気付いてもないお前は幸せだったかもしれないけどな、見てるだけで何もできなかったこっちはどれだけ苦しんだと思ってる!」
俺は悔しくて仕方がないんだ、確かに龍之介は家督を継ぐ者として育てられていて一見何もかもを持ち合わせている幸せな人間に見えていた、けれど龍之介は人はいいが少しばかり人望に欠けていた。それは身分が低いというだけで蔑ろにされていた虎之介の出来が良すぎたばかりに、龍之介を軽んじている家来がいくらもいたのだ。
「お前は裏切られていた、虎之介にも家臣たちにも清姫にさえも、そんなお前を俺がどんな気持ちで想い続けていたかお前に分かるか!? 俺は、俺だけはお前と共にありたいと、そう思って、ずっと……」
「ちょ……待て、貴澄」
一度思いのたけを叫んでしまったらもう止まらなかった。言いたくて言えなかった過去の真実、最後の方はもうボロボロで涙が零れて言葉が出てこない。
「俺が、龍之介……だったらそれを知ってるお前は、誰だ?」
「どうせお前は思い出しもしないだろうさ、お前にとって俺はその程度の存在だからなっ」
「待て、待て、待ってくれ!」
「もういい、これ以上俺を振り回すな! 俺は今を生きている、過去のお前等のいざこざなんか見たくないし聞きたくもない、勝手にやってろよ!」
俺は琥太郎を突き飛ばし逃げ出した。どんな顔をしていいのかも分からなくて、俺にはもうそれ以外の選択肢がなかったのだ。
洗いざらい前世の出来事をぶちまけて、それでも現世では俺達はただの学生だし、顔を会わせたくないという理由だけで学校を休む事もできない。
友達と喧嘩でもしたの? と、母に笑われ、ただの喧嘩ならどれだけ良かったかと思い悩みながら教室の前、深呼吸して入ろうとしたら「はよ」と背後から肩を叩かれてビクッと飛び上がった。
「なに、貴澄? 驚き過ぎじゃね?」
俺の背後に立っていたのは、いつもと変わらない琥太郎だった。少しは気まずい顔をされるかと思っていたのに何も変わらない。
「なに呆けてんの? 入るなら入れよ」
「え……ああ、うん」
俺の席は教室の中ほど、琥太郎の席は窓際の一番後ろという特等席だ。琥太郎の態度は本当に何も変わらずいつも通りで、困惑する。
ちらりとそちらを見やったら、彼とばちっと目が合った。小首を傾げ「なに?」という表情を見せる琥太郎はやはりいつもと全く変わらない。
昨日の一連の出来事はまったく無きものとされたのか……? それならそれでもいいけどさ、それにしても心がもやる。
そこからの授業なんて頭に入ってくる訳もなく、しかも盗み見するように琥太郎の方を向けば、かなりの高確率で琥太郎と目が合うのだ。こちらは振り向かなければいいだけなのに、見られているのかと思うと滅茶苦茶緊張する。
いや、これは自分の自意識が過剰なのだと頭を振るけど、昼休みになっていつもと何ら変わらない琥太郎から「今日のお前、挙動不審過ぎて笑える」なんて言われてしまったら、やっぱり見てたんじゃねぇか! と不貞腐れる。
「うっせぇ、琥太郎。飄々としやがって!」
「あはは、そんな風に見えるか?」
琥太郎が耳元に顔を寄せてくる。何かと思って身を引こうとしたら「これでも緊張してるんだぜ、せ・い・た・ろ・う?」と耳元で囁かれた。
「な……んで、その名前……」
思いがけず前世での本名を呼ばれて狼狽える俺を見て、琥太郎は嬉しそうにまたにっこりと笑みを見せた。
「おっし、正解! やっぱりお前だったか! はっは、可愛いやつ~」
遠慮もなく背中をバンバン叩き、満面の笑みの琥太郎は「昼飯、屋上行くか」と、俺の昼飯のコンビニパンを奪い取って俺の腕を引いた。
引きずられるように屋上へと連れて行かれ横並びに壁に寄りかかり、いつもと変わらない昼食だけど、俺の心は大パニックでパンなんて喉を通らない。
「それにしても貴澄、色々分かってたんならもっと早くに教えてくれたら良かったのにさぁ……って、痛っ」
「……なに?」
遠慮もなく弁当を食べていた琥太郎が微かに顔を顰めた。
「今、口の中切れてんの、女子に平手打ちなんて初めてされたわ」
相変らず琥太郎はからからと笑っているのだけど、平手打ちって、一体何が……?
「お前がもっと早くにお前の正体言ってくれてたら、こんな事にはならなかったんだからな」
琥太郎が俺の顔を覗き込み、そんな事を言うのだけれど言える訳がない、そんなのお前だって分かってるだろ?
「昨日姫と別れてきた」
「!?」
「そんでもって、俺が龍之介の方だって言ったら思い切り平手打ちされた。姫は相当龍之介が嫌いだったみたいだな。まぁ、その辺の理由も思い出したけど」
「え……? 思い、出した?」
またしても琥太郎はにっと笑って、俺の髪をくしゃりとかき混ぜた。
「ああ。姫にしてみれば許嫁であるはずの自分をほったらかしに、別に好きな奴がいる旦那なんて嫌に決まってる」
「!?」
青天の霹靂、俺はそんな話聞いてない! そもそも龍之介様にそんな恋の相手がいたなんて聞いてない、俺は知らない。
胸が痛い、やっぱりどうやっても俺は舞台の上に上がらせてももらえないのか?
「それにしても清太郎も育てば貴澄みたいになったのかな? ずいぶん大きく育ったよな」
撫でるように頭からおりた腕はそのまま俺の肩を抱き、こてんと俺の肩に頭を乗せた琥太郎の表情はよく見えない。ってか、今までも距離感近いと思ってたけど、今日はいつも以上で心拍が上がる。
お前、俺が昨日どんな気持ちで告白したか分かってんのか!?
「あの頃はまだ俺の腕の中にすっぽり収まるサイズだったのになぁ」
「可愛げなくなって悪かったな」
「はは、俺はお前が育つのを待ってたんだから好都合だ」
? またしても意味が分からない俺が肩に乗ったままの琥太郎の顔を覗き見ると、やはり上目遣いにこちらを見やった琥太郎とばちっと目が合った。
「待ってたって、なに?」
「いわゆる光源氏計画? 俺はあの頃清太郎が俺好みに育つように育ててた」
は!? え? 待って……それってどういう……?
「俺、あの当時は男色で女はからっきしだったんだよなぁ……母親が強烈な人でさ、女全般に嫌悪しかなくて、それでも跡継ぎだし次の後継ぎを作るのも責務みたいなもんでさ、許嫁だった清姫にも興味は欠片もなかったんだけど、家長の言う事は絶対だったし受け入れていたんだ」
龍之介様が男色? え……そんな話、俺、知らない。
「あの頃、清姫が兄上を好きな事も知ってたし、なんなら付き合ってる事も知ってたんだけど、それならそれで二人で子供でも作ってくれたら楽でいいくらいに思ってたんだよな。托卵結構、兄上の子なら別段なんの問題もなかったし」
「はぁ!? そんな、知ってって……あの頃の俺の苦悩はっ……」
「あの頃のお前はホント可愛かったな」
けらけらとやはり能天気に琥太郎は笑う、その笑顔はあの頃の龍之介様の笑顔と変わらない。そして龍之介様は何も知らずに笑っていたのかと思いきや、全部知ってて能天気に笑ってただなんてそんな馬鹿なことがあってたまるか!
「まぁ、そんな中でも許せない事がひとつだけある訳なんだが」
「許せない……事?」
「あの時、あいつら屋敷が火事になってるのに気付きながらそのまま逃げたんだよ! 騒げば自分達が駆け落ちしようとしてたのがバレるから。あの時一言火事だと騒いでくれたらお前だってもっと早くに避難できたはずなのに!」
あれ? その言い方ではまるであの火中、すでに姉が屋敷の中にいなかった事も知っていたみたいではないか……
「まぁ、それでも死に際の花嫁衣裳姿のお前は滅茶苦茶可愛かったし、生まれ変わったら絶対嫁にしよって勝手に心に誓ったんだけどな」
「花嫁衣裳……」
「被ってただろ? 姫が祝言で着るはずだった色打掛」
確かに俺はあの時、その辺にかかっていた姉の着物に花瓶の水をぶっかけて火の粉除けに被っていた。あれは花嫁衣裳だったのか……
「んで、その願い叶って現在お前は俺の隣にいる訳なんだが……」
またしても琥太郎がちらりとこちらを見やる。