彼の知らない事実
彼女はふわふわとした長い髪をなびかせた美少女だった。黙って立っていればまるでお人形のような彼女は開口一番「私の事は姫と呼んでください」とそう言った。
「姫ちゃん? 苗字かな? 名前かな?」
クラスメイトが果敢にも自称「姫」に声をかけると「姫は姫なのです」と彼女は言い切った。正直痛い、痛すぎる。
顔面が良いから許されているのかもしれないけれど、素でこれはないわ……
「この子、こんなだけど名前にもちゃんと姫が付いてるのよ、姫川佐夜子、通称『姫』変わり者だけどいい子だから!」
向こうの幹事と思われる女子が頬を引きつらせるようにしてフォローを入れた。けれど姫ちゃんは完全にこのグループから浮いている。
彼女はなんでこんな合コンになんて参加してるんだろう? 興味なさそうな顔してるな……と俺は思うのだが、こちら側の男子数名が姫ちゃんの顔面に見惚れているので、たぶん客寄せパンダ的な感じなのだろう。そして、自分の横に座る琥太郎も呆けたように彼女を見ている。掴みはばっちりだったようだ。
自分だったらいくら可愛くてもこんな不思議ちゃん絶対願い下げだけど、存外需要はあるのかもな。
自己紹介を終えて、各々喋りはじめると最初の内は姫に興味津々だった男子達も会話が続かなければ自然と別の女子に流れていき、姫はいつの間にかぽつんとグループの端に移動していた。
別段寂しげでもなく、慣れきった様子で目の前に運ばれてきた軽食を摘まんでいるので彼女にとってこれは日常茶飯事であるのかもしれない。
「俺、ちょっと行ってくる」
コップを片手に琥太郎がそう言った。自称前世の記憶持ちだという女子がこの姫川さんだという事は事前情報で分かっていた。貴澄も付いて行こうかと思ったのだが、琥太郎の抜けた穴に別の女の子が移動してきたので、なんとなくタイミングを逃した俺は横に来た女子と会話を交わす。
目の端に映る琥太郎と姫川さん、最初の内はどこかよそよそしい空気を醸し出していた彼女だったのだが、途中から何故か生き生きと話しをし始めた様子で琥太郎が少し飲まれている。
「貴澄君もあの子が気になるの?」
「え……? あ、いや別に……」
隣に座った女子が瞳を細める。
「ちょっと変わり者だけど、悪い子じゃないのよ。ただ、付き合うとなったら話は別でしょうけど」
「あれ? 正直浮いてるのかと思ったら、そうでもない?」
「あはは、それはまぁそうなんだけど、私は嫌いじゃないわ。だって面白いし、彼女頭もいいから勉強も教えて貰えるし面倒見いいのよ」
そう言ってけらけらと笑う彼女は姫川さんに対して悪い感情は持ち合わせていなさそうでなんか意外だ。
「ここだけの話、あの子可愛いから超モテるんだけど、付き合う条件が厳しいから数合わせにはうってつけなのよ」
「条件?」
「そ……探してるんですって、自分の運命の相手。名前は確か『虎之介』とか言ってたかな? ふふ、おっかしいわよね」
その名前を聞いた瞬間、血の気が引いた。自分はその名前を知っている、その名は自分の前世の記憶の中で嫌というほど出てきた名前だ。
視界の端、琥太郎と姫川さんが完全に意気投合している姿が見える、貴澄は嫌な予感に眉を顰めた。
「絶対彼女で間違いない! 彼女が俺の探してた姫だ!」
合コンを終え、それぞれ気になる相手と連絡先を交換し帰路につく過程で琥太郎は貴澄にそう断言した。
「は? ちょっと待て、気は確かか!?」
「俺は至って正常だが?」
「どこがだよ!? 完全に夢見てるだけだろう!? ってか姫川さん確かに可愛かったけど、そんな簡単に……」
「簡単じゃないぞ、ちゃんと記憶の擦り合わせはしてきた。その上で間違いないって言ってるんだ」
琥太郎はそう言って、またいつもの笑みを見せるのだけど、貴澄はその笑顔を見ても渋面が拭えない。
「いやいや、記憶の擦り合わせったって、お前なんにも覚えてないだろ? 焼け落ちる屋敷の中で姫を抱いてたって、それだけしか記憶ないんだろ!?」
「ん~まぁ、そうなんだけど、姫の話を聞いてたら名前とかすとんと落ちてきてな、俺の名前虎之介だ、姫の名前は清姫。俺の今の名前の中にも虎って字入ってるし、絶対間違いないって!」
「いやいやいや、待って! それ擦り合わせっていうか、ただ単に姫川さんの話鵜呑みにしただけ……」
「だったら姫が嘘を吐いてるとでも言うのか! 状況的にはぴったり一致してんだぞ!」
「いや、でもさぁ!」
完全に姫川佐夜子の話を信じ込んでしまった琥太郎は頑なだ。
「今度また会う約束したんだ、彼女俺より全然記憶残ってるみたいでさ、まだ話聞き足りないんだよな」
「うっそだろ……琥太郎、正気に戻れ」
「俺は至って正気だって言ってるのに」
貴澄の言う事などまるで聞く耳を持たない琥太郎はその後、姫川佐夜子との付き合いをスタートさせてしまう。それはまるで過去の出来事をなぞる様で、貴澄の心に影を落とした。
その家は名を馳せるほど有名ではなかったが武士の家系だった。その家には二人の息子がいた、一人目が妾腹から生まれた長男の「虎之介」、そして二人目が正妻から生まれた嫡男の「龍之介」。
順番的には虎之介の方が長男ではあるのだが、如何せん母親の身分が低すぎて跡取りにはなれず家督は次男の龍之介と決まっていた。
そんな中でも虎之介には将来を誓い合った娘がいた、幼い頃に人質のように他家から連れて来られた姫、それが「清姫」だ。
不遇な生い立ちの中でお互い淡い恋心を募らせた虎之介と清姫は恋人同士だったのだが、そんな想いとは裏腹に他家から連れて来られた姫の嫁ぎ先は嫡男、龍之介の元と最初から決まっていた。
家督を弟が継ぐことに異存はない虎之介だったが清姫だけはそう簡単に譲る事はできない、もうあと幾日もしないうちに姫は龍之介に嫁いでしまうというその日に虎之介は姫を攫って逃げ出した。そして二世の契りを結んだのだと……
「ちょっと待て、そこダウト!」
「あ? なんだよ?」
「なにって、そこ! お前の記憶と完全に違ってんだろうよ! お前は焼けた屋敷の中で死んだって言ってたよな? なにしれっと生き延びてんだよ、おかしいだろ!?」
「いや、別におかしくないぞ、多少記憶が混乱してるみたいなんだが、その火事の記憶は姫を攫って逃げた時の記憶らしくてな、その時俺達は無事に逃げおおせたらしい。火事がよほど強烈な記憶として残ってたみたいで俺は死んだもんだと思ってたけど、死んでなかったんだな」
屈託のない笑みを見せる琥太郎、いや、お前の記憶間違ってないよ、確かにその時俺達は死んだんだ、簡単に記憶改ざんされてんじゃねぇ!
「いやぁ、それにしてもロマンチックな話だよなぁ。許されざる恋、そんでもって二世の契りとかロマンだな」
「いや、お前絶対騙されてるって! ってか、前世は前世、今は今、過去を現在に持ってくるのはやめろ!」
「あん? 別にいいだろ? 誰に迷惑かける訳でなし、それとも貴澄、俺が姫と仲良くなるのがそんなに嫌か?」
にひひと揶揄う気満々の笑みを見せる琥太郎に俺は盛大にため息を零す。俺はお前を想って言ってやっているのに、知っている事すべてを言うに言えない俺は黙りこむしか術がない。
「泣きを見るのはお前の方だぞ」
「なにを根拠に言ってんだか。現在俺と姫の仲は良好だ、俺に彼女ができて寂しいのも分かるけど、男の嫉妬は醜いぞ」
何も知らない琥太郎は笑う。過去は過去、今は今、あの頃とは状況が何もかも違う。自分が口を出す事ではないのかもしれない、それでも貴澄は琥太郎を想わずにはいられないのだ、前世に振り回されているのは自分の方だ。
その姫はいつも自分の不遇を嘆いていた。幼い頃に両親から引き離され、連れて行かれたのは近隣領地を治める武士の家。
姫は姫ではあったが、その土地の豪族の域を出ない一族の姫であって、生まれも育ちも高貴な姫という訳ではなかった。けれど武家との繋がりが欲しかったその一族は姫を差し出す事で武士の家名を手に入れたのだ。
姫にはその一族を継ぐ弟がいた。幼い頃から武家の嗜みを学べと姫同様にその武家の家に世話になっており、嫡男である龍之介はその子を弟のように可愛がっていた。その子の名前を「清太郎」という。
荒くれ者揃いの豪族の家では大人しい清太郎は居心地が悪かったのだが、武家の家は荒事ばかりではなく教養も惜しみなく与えてくれたので、清太郎はその家が大好きだった。だがどうも姉は自分とは違うようで、恨み辛みを吐かれる度に清太郎はとても悲しい気持ちになった。
姉は嫡男である龍之介との婚姻が決まっていた。けれど嫡男である龍之介より長男である虎之介の方を姉は好いているようであった。それは不遇な自分の人生と呼応するように同じ不遇な環境に置かれている虎之介に姉は恋をしたのだ。
応援したい気持ちもなくはなかった、けれどそれは完全に不義の恋、清太郎は何も言えずに黙りこんだ。何より、この屋敷で自分を可愛がってくれている龍之介を悲しませるのが嫌だった。
龍之介はただ一人、何も知らずに笑っている。そんな彼を見るのが辛くて清太郎は口を噤み続けた。姉は否が応でも龍之介様と婚姻関係を結ぶのだ、それは決定事項で覆せない、清太郎はそう思っていた。
事件は祝言三日前、虎之介は清姫との駆け落ちを企てる、最初は夜陰にまぎれ姫を攫って行くというそれだけの計画だった。清太郎はその計画に気付いていたのだが、やはり誰にも何も言わなかった。
屋敷が燃えたのは偶然だったのだと思う、さすがに姉が火を放って逃げたのだとは思いたくない。
清太郎は気付けば火の海の中にいた、転げるように逃げ場を求めて姉、清姫の部屋へとたどり着く。火の勢いは衰えを知らず、部屋にあった花瓶の水を打掛にぶちかけてそれを被って逃げようとした所に現れた龍之介は清太郎を清姫と誤認する、そして訪れる運命の時……
「ホント、言いたくないんだけどなぁ……」
貴澄は大きな溜息を吐く。清太郎は龍之介が好きだった、慕っていたのも間違いない。琥太郎の夢は間違っている所はひとつもなく、自分(清太郎)の事を姉と完全に間違えていたのだというのに気付いたのは琥太郎に夢の話を聞かされたあとの事だった。
そりゃそうだ、そもそも龍之介様が俺なんかを命懸けで助けにくる訳がない、けれどその最期の瞬間を龍之介の腕の中で迎えられた俺は幸福の絶頂だったのだ。
あの女が出てこなければそれは幸せな恋人同士の死に際の夢で終われたものを、なんで出てきやがった清姫よ……貴澄はぎりりと歯噛みする。
今度の日曜日はデートなんだと浮かれる琥太郎に「その女はお前を捨てて逃げた女だぞ!」とぶちまけてしまいたい、けれどそれを告げる事は過去の龍之介と現在の琥太郎の両方を傷付ける所業で、前世からの長い片想いを拗らせ続けている貴澄にそんな事は出来るはずもない。
前世で清太郎は何も言わずに黙っていた、そして今生でもまた……貴澄はまたしても大きなため息を吐く。この想いは報われる事などない、だったらもっと他に目を向けたらいいと思うのに、それが出来ない自分に貴澄は絶望した。