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雨漏り

作者: 山原 倫

 音もなく雨粒が地面に打ち付けている。庇からの雨垂れがコンクリートに跳ね、模様を描いていた。雨垂れのカーテンを傘でもって潜り抜け、霞むような雨中へと飛び込んでいく制服が脇を次々に通り過ぎていく。そんな流れに流されないよう踏み止まるかのように、彩乃は壁に寄り掛かり、イヤホンを着けてスマホを触っていた。雨のお陰で今日は涼しく、半袖でも少し肌寒く感じられるくらいだった。彩乃はスマホで時刻を確認すると、昇降口へ振り返り、人並みにじっと目を凝らした。それから小さく溜め息を吐くと、また元の通りに向き直ってしまった。スマホを持つ腕を自然落下するようにぽと、と降ろし、落ちる雨粒の一滴を見出そうとするかのように、雨空を睨め付けていた。だが、見えるのはただの線でしかなかった。出し抜けに肩をつつかれ、彩乃は破顔して再び後ろを振り返った。



「もし悩みとかあったら言えよ?」

 とだけ最後に言い添えると、彼は片手を上げ、くるりと帰路へと歩いて行ってしまった。彩乃は彼の後ろ姿が隠れて見えなくなってしまうまで見送ると、通学鞄からイヤホンとスマホを取り出して、両耳に突っ込んだ。少し悩んでから、アーティスト一覧から大森靖子を選択してアルバムをタップし、再生して、彼女も帰路に就く。

 家が近づくにつれて、彼女の足取りは次第に重くなっていくようだった。左手に続いていた板塀が終わり、その角を折れると、すぐに彼女の両親の住むアパートが視界に現れる。新築を思わせるぴかぴかなベージュ色の外壁に、純白の窓枠。画一化され、一様に変わり映えのない造りで焦げ茶色の扉が等間隔に整列している。うんざりするほど見飽きた風景だった。彩乃の歩幅は無意識のうちに広くなり、足並みは速まる。気がつくと彩乃はとっくに家の前を通り過ぎてしまっていた。



 じろじろと無遠慮な視線に晒され、彩乃は衝動的に折り畳み傘を畳むとケースにしまい、耳から引っこ抜いてコードの絡まったイヤホンやスマホなんかと一緒に通学鞄へぐいと押し込んだ。すると、次第にぼつぼつと白いセーラー服に水玉模様が出来ていった。やがて髪の毛はぺしゃんこになって頬に張りつき、おでこから雫が顔に伝い落ちていく。制服は水気を帯びて少しだけ重くなったように感じられた。左腕に塗ったファンデーションも雨に流されて落ちてしまっていた。彩乃は目の下にぺたりと指を這わせてみたが、もう雨水で完全に濡れてしまっていた。再び傘の群れをかき分けるようにして歩き出す。ぽつぽつと目線が止まり、彩乃を追った。彩乃はもう気にする素振りも気づく様子も見せず、顔を伏して黙々と歩みを止めなかった。雨に濡れた身体は急速に体温が下がり、死人と見分けがつかないほど冷たくなっている。指先は凍み付くようだった。ローファーの中は水浸しで、歩を進める度に靴の中と外でぱしゃぱしゃと小さく水音が立つ。冷たくなった身体の内に湧き上がる衝動をぐっと堪えて、脇目も振らずに反対の歩道へと車道に向かって駆け出した。



 咄嗟に顔を背け、彼女らの談笑が聞こえなくなるまで、蛇に睨まれたように固く身を縮こまらせていた。幾ばくか経ってからそっと回頭してみると、ロータリーのぐるりを歩く彼女らの後ろ姿だけが遠くに見て取れた。それが彩乃の知った顔だったのかどうかは、この距離では流石に分かりかねた。

 通学鞄に付けた定期入れを引っ掴むと、改札機に押し当てる。デジャブだ、と彩乃は心の中で呟く。駅構内には、ローファーが立てる軽快なリズムが響いていた。不思議と今は、どこか吹っ切れた心持ちだった。何もかもが明瞭に見渡せ、先に不安も懊悩も何もなかった。オーバードーズをしたときのように、身体から引き剥がされてふわふわと浮遊する脳味噌の感覚と、茫漠とした多幸感に包まれていた。何段か飛ばして勢い良く階段を上がる。髪や服から雫が降り落ちる。だが、濡れて照り返す雨の日の階段では、その判別なんてつきようもなかった。

 迷わずホームの一番右端まで歩いて行った。鉄の塊からニンゲンが吐き出され、吸い込まれ、を幾度か見送った。彩乃の目線は、変わらず頭上の電光掲示板に釘付けになっていた。表示が変わり、“通過”と出る。彩乃は電光掲示板から目を離し、土気色に濁った砂利が隙間なく敷き詰められた線路へと目線を落とした。やがて、通過電車の来着を告げるアナウンスが構内に鳴り響く。

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