君の名は何と、見覚えは有るのだが
庖の着衣を脱がせ、似た背格好のヤクザに着せた。そして顔を潰す、文字通りの意味である。身代わりだ。
郭との取引通りに、怒りに任せてこの場で賊の首魁を討伐した事にしたいからだ。
また、高弟、門下の手前全員捕縛とは行かない。
後の始末は警邏隊士に任せる事として屋敷を出る。用は済んだのだ。
外の始末も粗方ついた、無抵抗は殺さず警邏隊士により捕縛される。
ここからなら警邏局西部局所が近いので、檻車は廻さない、徒歩で連行する。問題は死体だが。
「遨家御当主様、賊の首魁を討ち果たし、祝着次第に御座います。
さて、御当主様、罪人の死骸は如何なさいましょうや」
「ああ、婆様、ご苦労であった。捕縛した者は警邏局に貸し、取り調べの後無罪ならば釈放するが、此度以外に罪科が有るなら暴徒一党として、死骸諸供遨家門前大通りに晒す。
だが婆様、派手に殺したな」
「左様で御座いましょうや、さて、遨家御当主様、罪人の死骸を晒すならば、こちらの死骸は墨家門前で晒しても良御座いましょうや?」
百体程の死体が転がる、どれもただ寝ているだけの様子に見える。
「………なるべく人型を留めろよ、後で郭殿に高札を手配させよう。婆様の道場からは距離が有るが運べるのか」
「既に手配済みに御座いますよ、遨家御当主様」
墨家の功練は、徹底している等と云う次元では無い。修羅の所業と呼べる。
死骸は門下の、いや、沙蘭の功練に使うのだ、門下はそれに習う。
時に腑分けて、人体の内臓急所を門人に検分させ、時に人体の強度限界を打に突に撲に試す。
関節の可動限界を計り、特に頸骨の構造を、可能な限り解剖分離させて破壊域を探る。
上級門人は己の経打限界を知るために様々な体格、年齢の死体を打つ。
結果、死体は人型を留めない。
遨家も曾ては行っていた功練だが、遨家の昇官に伴い自粛された。
なので、秘密裏に墨家と共同で功練していた歴史も有る。
腐乱したら研究に成らないので、一両日中に墨家の特別功練は実施され終結する。
墨家総帥自らが采配する功練だ、門下は拒否などしない。普通の感性をしていたら門下が集う筈もない門派で、武断武闘派などでは収まらない門流だ。
超絶した武を誇る墨家総帥に心酔する者が墨家門を叩くのだ、最凶最悪を由とする門下ばかりなので、血生臭い功練も平気に感じる者ばかりが増えていく……
配下に手配を済ませた郭价が、側近、用人を伴い訪れる。
「郭殿、我々の用事は済んだが、引き上げて構わないか、娘が気掛かりでな」
「遨様、それは構いませんが、前後関係などを確認する為に、後程御伺い致しますが、良う御座るかな」
「わかった。それから郭殿、ここの死体は墨家で引き取る事になった。晒すに当たり治安維持庁の罪科告知高札が必要だ、墨家の方にも手配を頼む」
「了解しました。しかし、これから暑くなるので腐臭が堪りませんな」
「なに、そこいら辺は勝手知ったる何とやらだ、武門武林には手立てがある。
では、郭殿、後程な」
互いに略式の拱手立礼にて別れとした。
こちらは、小馨誘拐未遂に端を発した遨家襲撃内乱騒動は終結した。
毋の気は急いていた。
連れの劉を洛都中央南大門で待ち合わせていたのだが、時刻になっても現れない。
劉の所の小物が伝言に訪れた。何でも劉の組合所在所に小火騒ぎが有り遅れるとの事だ。
毋の通行手形は商用で、同行者も記載される。なので、先に出立する訳にも行かず、待ち合わせ場所の高級飲茶で時間を潰していた。
中央南大門の楼台から、警鐘が打ち鳴らされる、三百回にも及ぶ打鐘だ、気がつかない者は居ない。
「非常警鐘だ、閉門される。何があったのだ」
毋はまさか遨家襲撃による大門閉鎖とは思わない。
およそ三年毎、科挙殿上試験に合わせて、非常事態訓練として四大大門は丸一日閉鎖される。
因みにだが、四大大門は方面を指すので、洛都城塞都市門の数は、大小合わせて二十程有る。
南面は大門が三、小門が四と四方面中一番数が多い。
毋は南中央大門からの出立予定であった。
洛都在住の者なら三百打鐘の意味は知っている、緊急閉門の後閉鎖だ、誰一人として出入関出来なくなる。
開門は何時になるか分からない。
毋は控えている用人に命じた。
「四大門閉鎖の警鐘だ、出立は無理だろうが、何時開門になるか調べてきてくれ」
閉門閉鎖と共に告示される筈だ、期間不明ならその情報だけでも欲しい。予定を立て直すにしても、出関予定や洛内予定が立て込んでいるので、不明なら不明で確証がいるのだ。
幸い、ここの高級飲茶は、毋の様な出関目的の商家が使う事から知れる様に、中央大門に程近い。
下人に告示板を確認に走らせても、お茶の一杯でも服用していれば、知れる程度の手間でしか無い。
白茶を追加で注文し、給士が淹れていると、先程の用人が、下人とやってきた。記憶には有る、屋敷の下人だ。
「旦那様、遨家よりの緊急連絡に御座います、王第三家宰からです。緊急な為に内容はこちらの者から直接説明致します」
そう言うと、下人から預かった遨家発行の割符を提示した、この下人が間違い無く遨家からの使いで有る証拠を明かしたのだ。
これは身分証で有る、緊急連絡用でそれ以外には貸与されない物だ。朱字で遨と書かれた符で、“この者の身柄を証す”と当主自らが裏書きした通関すら可能の割符で有る。
連絡内容の重大性が知れる。
下人、王一党李配下の細作で、拳士としての王門下ではなく、遨家家老王慶差配“隠社”所属だ。
表向きは遨家雑役下人で、名を呂逹と云う。
繋ぎ用に三名一組での班編成だが、機転の効く呂達が毋に伝達役となり、他二名は毋の安否報告に戻った。
この事が呂達の運命を開く事となる。
「毋旦那様、一大事に御座います、学問所に向かわれた若君様、お嬢様が暴徒集団に襲われました、規模は不明です」
「何と!可馨達は無事か!」
「?え、いえ、若君様、小馨御嬢様は現在黄学問所に避難をし、救援を待たれて居ります。
御当主様から治安維持庁に通報されましたので、若君様方は程無く救出されると思われます」
「そうか……良かった、王家宰からは信頼の置ける護衛を二十人程付けていると聞いていたが、その者達に助けられたか……ひょっとしてこの大門閉鎖は」
「はい、治安維持庁長官命により閉鎖されました、遨家襲撃に重きを見た様子です」
ここで毋は違和感を覚える。
「君の名は何というのだ、見覚えは有るのだが」
「はい、旦那様、遨家の御屋敷で雑役をしています呂逹と申します」
「そうだね、屋敷で見かけている。不思議だな、雑役下人にはあり得ない才覚が有る様に思えるが」
違和感はこれだ、屋敷で何度も見かけているのだから、自分の事は良く知っている筈だ。
知っているのだから、逆にこれほど落ち着いて話せるものでは無いのだ。
礼法も、まあ平民である私ならば適う程度には心得ているし、受け答えも悪く無い。
下人とはいえ、採用には家宰自らが審査するそうだが、それでも、まず私に対応出来る程の教育教養は無い。
屋敷教育はされるが、産まれてから培われた感覚や価値観はほぼ矯正不可で、それは応答で分かる。
小馨がそうだった。充分な教育環境に無い貧困家庭で過ごしたと聞いている、当初は満足に口も聞けなかった。
だから今朝は本当に驚いた、根が大層聡明なのだろう。
私自身は貴人では無いが、三品官位の保持者である京馨の配偶者で有り、洛都でも有数な資産家であり、実業家の肩書は、距離を置かれて当然なものだ。
だから、ごく普通に応答する呂逹は、御山で行を修められた御上人様を思わせた。




