郭殿、やはり無理だ、この場で殺す事にする
「………事は遨家相続に繋がりますか。若君ともお会いしましたが、若君も聡明な御子に在られましたな。遨様、御家騒動に成りませぬか?
小馨嬢は御養女と聞き及んで居ります」
この問いは他家では重大問題だ、いや、遨家でも重大問題には違いないが、事情が違う。
武門の家だが、士族でなく、高官位家で有るが大夫階級でない。
継ぐべきは家名であり、家業だ。血筋では無い事が事情を複雑にしている。
他家から見た遨家は、嫡男の奉可こそが遨家相続者で有るが、遨家内部から見れば、極拳を放棄した奉可に相続権は無い。
現当主の遠縁であり、私的では有るが、極拳指南を総帥自らが施す小馨こそが次代当主と一部では認識されている。
実際京馨はそのつもりであり、そう行動している。
もし、次期当主に小馨が相応しく無くとも、小馨は養女であり、次期当主に嫁がせる事も可能だから、今の所内弟子高弟から反対の声は上がっていない。
現状では、高弟達にも嫡子縁組による次期当主の目は有るのだ。
郭价としても迂闊な返事は出来ない。
武門、武林の常識は、士大夫貴人とは大幅に異なる。敵対した場合、最悪目の前の惨劇が己に再現されるのだ。
「郭价殿、そこまで面倒を観てくれとは言わない、遨家内部の始末は俺が成す。郭价殿の後見はそれからの話となる」
そう云う話なら悪くも無い。つまり遨家二代に渡り誼を通じる事になるのだから。
「分かりました。遨様、不肖郭价、小馨嬢を後見致しましょう。ただ、これは遨家家督相続に加担はしない事が前提で御座るよ」
「よし、取引成立だ。ならば賊の首魁を捕らえるとするか」
細作の報告により、庖安基なる賊の首魁は中央の屋敷に潜んで居ると知れている。
京馨の殺害予告により、墨沙蘭も中央屋敷には手出しをしていなかった。
李昆以下王派一門により、中央屋敷は不出布陣が敷かれている、空を飛べない限り脱出は不可能だ。
僅かに刻は戻る。黒幇達が京馨一行を屋敷上階から認めた頃だ。
図らずも内乱首魁とされた庖の狼狽は、滑稽な程であった。
「何だよ、聞いてないぞ、誰だよ、三品官以上って何だよ、巫山戯るなよ、毋の訳無え、警邏の兵隊も居るじゃねぇかよ……」
雁首揃えたヤクザ者も流石に己達がつけられたと覚る。覚った所で手立ては無いが。
「大老、いくらなんでも不味い、奴等高官だ、剣見せびらかしやがる所からして、皆殺しにする気だ!逃げないと!」
そこに、爆音と共に破壊された門が吹き飛んでくる、手下、土工を巻き込んで破片は止まる。
息を飲んで門の跡を見ると、紅衣の貴人が構えを解いた所だった。
「遨家当主だ……」
地元の下っ端が呟いた、三品官貴人の女性で上位極拳士を動員出来る人物など他に居ない。
「誰だよ、何だってんだ、遨家だぁ、貴人だろ、何であんな重てぇ門をぶっ壊せんだよ」
答える者は居ない。
やけに大柄な老婆とおぼしき拳士が、紅衣貴人と会話を交わした様に見えた。
大柄な老婆が終礼を取ると、老婆が駆け…いや、門の残骸に挟まれた仲間を助けていた土工の前に在った。
そして、始まる。
一撃だ、流れ作業の様に拳を掌を肘を肩を、まるで蝶々の軌跡の様に、ユラリユラリと、フワリフワリと、繰り出してゆく。
墨家一拍打。墨家の上級拳士でも使える者は少ない。
拍間長く冗長動作だが、一打一打が必殺の初練歩だ、打撃反復経を確実に拾い初練歩に繋ぐ。確実に経を拾える部位を打つ、拾う、練経する、確実に経を拾える部位に打つ……
時に初練歩を縮地に振り、己の間合いに詰め、発経、初練歩。
墨家では特別に、初練縮地“瞬歩”と呼ぶ。僅か二歩の距離ですら瞬歩で詰める、間合い取りの活流で必要ならば練歩を惜しまない、そして確実に反復径を拾い、練歩する。
また練歩が途切れ様と、それは織り込み済み。即座に発経し一拍打を継続する。
化経も同様だ。
遠目に見た限りでは、大して威力も無い打撃に見える。流血もなく、派手に吹き飛ぶ者も無く、殆ど全て崩れ落ちる。
ただ、倒れた者は、痙攣すらしない。当然二度と立ち上がらない。明後日の方向に首を向いている者も有る。
そんな現実味の無い戦闘とも呼べない殺戮を、庖は他人事の様に呆けて眺めていると、
不意に老婆と目が合った。
老婆はニタリと微笑み、ヒヒッイヒヒッと奇声を上げる。
距離的に聞こえる筈も無い奇笑を聞いた気がし、庖は嫌悪感と底知れない恐怖から激しい悪寒が走った。
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイヤバイ逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ!」
黒幇は暴力を楽しむ訳では無い、暴力は組織の運営に必要な道具に過ぎない。
必要なら脅し、傷付け、時に殺す。
全て合理であり、それは黒幇ならではの道理だ。
だから、嬉々としても殺戮に興じる老婆は、最凶の狂者にしか思えない、
ここに乗り込まれたら、皆殺しに合う。
肌が粟立つ嫌悪と恐怖に駆られ、我先に階下に向かう、もはや序列、席次など関係無い。
無意味な事だが、裏口からの脱出を図る、当然扉は開かない。
当主命令だ、自らが戮すと明言した対象を逃がす門下は居ない。
正面玄関が破砕される轟音がした。
足音一つ立てずに、拳士達が殺到する。
妙な心理だが、それが狂気の老婆で無い事に黒幇者は安堵した。
ほぼ無抵抗で安堵したまま拘束される。
紅衣貴人を見る迄は安堵は続いた。
一同は屋敷の広間に引き摺られた。無様に命乞いをする者も居る。
紅衣貴人を中心に左に高位警邏官、右に宝剣捧持の白武道衣拳士。
拘束され跪いた黒幇者達を囲んで、黒武道衣の拳士達。
高位警邏官が口を開く。
「内乱首魁の庖安基とは誰だ」
服装から目処はつけているが、この期に及んで身代わりを立てた可能性も有る。
ヤクザ者は“内乱首魁”の一言に困惑し、碌な応答を返さない。
一人が意を決して尋ね返す。
「お役人様、内乱とは一体何の事で、いえ、今更言い逃れなどいたしやせん。暴動を装い、悪事を働いた事は否定いたしやせん。
ですが、内乱とは?この程度の人員の争乱ならば、あたしらヤクザ者や職人にはよく有る事で」
「貴様が内乱首魁か、さてもふてぶてしい事だ」
「滅相も。ただ、処刑されるにしても、得心がいく罪状で死にたいもので、騒動実行、暴動教唆、何れ死罪は免れませんが、内乱罪とは流石に身に覚えの無い罪咎でありやす」
「貴様は目が無いのか、紅衣貴人が見えぬのか。それから自供した罪科で最大なのが抜けている、貴様は貴人子女の襲撃事実を今、敢えて隠匿したな」
「お待ちを、隠匿したなどと、隠し立てはいたしません。確かに、誘拐目的で暴動教唆は致しました、ですが的の小娘は平民でして、やはり内乱は得心がいきません」
一斉に拳士達の怒気が殺気となり空気が凍る。
ヤクザ者達は、“ヒッ”と短く悲鳴を上げる。
「この無礼者!慮外者が!貴様達が襲撃したのは、こちらに御在す遨様御息女だ、更に御嫡子もその場に居られた、貴様達は貴人襲撃の内乱を犯したのだ!」
「な!」
「馬鹿野郎!手前等!間違えやがったな!よりによって貴人様と間違える馬鹿が居るか!」
「おい、貴様、一体どこの誰と間違えた、答えろ」
紅衣貴人、いや、最早遨家当主と知れた。正面大門を破壊した恐ろしい拳士だ、どっと冷や汗を流す。
“御当主様……”宝剣捧持の拳士が何か言いかけたが、遨家当主はそれを手で制した。
「も、申し訳無く、仕事上のいざこざから、毋財団の代表の毋の娘を誘拐しようとして、どうした事か遨様御息女と間違えたようです。
け、決して遨様御息女を的に掛けた訳では有りません」
ズダン!
発経音が鳴り響く、勿論京馨の物だ。
黒幇者達は首を竦め、辺りは静まり返る。
「郭殿、やはり無理だ、この場で殺す事にする」
「お待ちを遨様。この者の証言に裏が取れておりません、処刑など何時でも出来ます、数日だけ御貸し下され」
郭としても庖の助命など不本意だ。だが、今となっては、京馨と交わした取引を反古にしたくは無い。
遨家武力は強い、目の当たりにしたのだ。誼を通じて損は無い。
そうして、郭は包に向き直って言った。
「庖と言ったな、貴様この辺りの黒幇では無いな。洛都黒幇なら間違っても毋財団に手出ししない。
毋可丘殿は、ここに御在す遨様伴侶であり、毋殿御息女は、つまり遨家御息女に在られる。内乱罪は免れぬな」
「んが………」
庖以下黒幇者は絶句した。尤も、暴動教唆、暴動扇動罪など複数の罪過でどの道死罪は免れないのだが。
ひょっとしたら、庖の背後の人物は、それくらいならば揉み消す事が出来る程の権力者で、庖はそれに掛けたのかも知れない。
だが、内乱罪適応で、その目は消えた。




